・基礎化学
【目次】
(1) 化学物質の分類
物質を化学的に分類すると、「純物質(pure substance)」と「混合物(mixture)」に分けることができます。純物質は一定の性質を持ち、窒素N2や水H2Oのように、1つの化学式で書くことができる物質です。純物質を構成しているそれぞれの元素の組成や密度、融点、沸点などは一定であり、それらの物理的性質から、純物質の種類を判別することができます。それに対して、混合物は複数の純物質が混合している物質です。混合物は、混じっている物質の種類とその混合比によって、性質が異なります。空気は身近にある混合物であり、空気は窒素N2や酸素O2、アルゴンAr、二酸化炭素CO2などの混合物です。自然界の物質は混合物であることが多く、海水や岩石、石油などは混合物です。また、純物質はさらに「単体(simple substance)」と「化合物(compound)」に分けることができます。単体は窒素N2のように単一の元素から構成される純物質であり、化合物は水H2Oのように複数の元素から構成される純物質です。
図.1 物質の分類
また、物質の成分が同一であっても、化学構造の違いにより、異なる性質を示す物質が存在することがあります。これらの物質の関係を「同素体(allotrope)」といいます。同素体は、同じ単一の元素からなる単体ですが、化学的性質や物理的性質がかなり違います。代表的な例としては、「ダイヤモンド(diamond)」と「黒鉛(graphite)」が、互いに炭素Cの同素体です。これらは、どちらも化学式で書けば炭素のCですが、原子の配列や結合様式が異なるために、それぞれが全く違った性質を見せるのです。ダイヤモンドは無色透明で硬く、電気伝導性がありませんが、黒鉛は黒色で軟らかく、電気伝導性があります。炭素Cの他には、硫黄Sや酸素O、リンPなどに同素体が存在します。
表.1 主な同素体
元素 |
同素体 |
化学式 |
性質など |
硫黄S |
斜方硫黄 |
S8 |
黄色塊状結晶。常温で最も安定。 |
単斜硫黄 |
S8 |
黄色針状結晶。95.3℃以上では安定。 |
|
ゴム状硫黄 |
Sx |
黄色無定形で弾性がある。純度が落ちると暗褐色になる。 |
|
炭素C |
ダイヤモンド |
C(巨大分子) |
無色透明結晶。熱伝導性が高く、鉱物中で最も硬い。 |
黒鉛(グラファイト) |
C(巨大分子) |
黒色固体。層状に剥がれやすい。電気伝導性がある。 |
|
フラーレン |
C60、C70など |
球状分子。化学反応性に富む。 |
|
カーボンナノチューブ |
Cx |
円筒状分子。強度に優れ、宇宙エレベータの材料。 |
|
グラフィン |
Cx |
黒鉛の一層に対応する原子層。熱伝導率はすべての物質中で最大。 |
|
酸素O |
酸素 |
O2 |
無色無臭の気体。大気中に約21%存在する。 |
オゾン |
O3 |
淡青色で特異臭の気体。成層圏でオゾン層を形成。 |
|
リンP |
黄リン |
P4 |
有毒の淡黄色固体。空気中で自然発火するので水中で保存。 |
赤リン |
Px |
赤褐色固体。マッチ箱の測薬に利用されている。 |
(2) 原子の構造
物質を構成する最も基本的な要素を、「元素(element)」といいます。元素は、同じ原子番号の「原子(atom)」によって代表される物質の種別名のことです。元素という概念は、古代ギリシアの自然哲学者たちが考え出したものです。当時は、水・空気・火などを元素とする「一元論(monism)」と、空気・水・土・火の4元素を仮定する「多元論(pluralism)」の立場がありました。日本では、蘭学者で幕府天文方蛮書和解御用の宇田川榕菴が、ウィリアム・ヘンリーの著書「Elements of Experimental Chemistry(1799年)」のオランダ語訳の和訳書「舎密開宗(1837年)」で、初めて「元素」という言葉を使ったといわれています。「舎密(せいみ)」は、オランダ語で化学の意の「Chemie(シェミー)」の音訳です。舎密開宗は、江戸時代に出版された化学書としては最も整備されており、明治の初期まで読まれ続けました。
現在、元素は118種類が知られており、各元素に固有の原子が存在します。元素のうち、約90種類は自然界に存在し、他の元素は、加速器実験などで人工的に作られたものです。今後、元素はさらに合成されていくと考えられており、フィンランドの物理学者であるペッカ・ピューコックによれば、172番元素までが合成可能らしいです。ただし、実験によって本当に元素を作ってみなければ、本当のところは分かりません。原子番号が大きくなるほど、元素を合成するのは難しくなることが予想されているので、私たちが生きているうちに周期表が完成することはないでしょう。各元素は、ラテン語名などの頭文字から取った元素記号(大文字)で表されます。ただし、頭文字が同じになる場合には、もう1文字(小文字)を添えて区別します。
表.2 元素と元素記号の例
元素名 |
元素記号 |
ラテン語名 |
英語名 |
元素名の由来 |
水素 |
H |
Hydrogenium |
Hydrogen |
水を生じるもの |
ヘリウム |
He |
Helium |
Helium |
太陽 |
炭素 |
C |
Carboneum |
Carbon |
木炭 |
窒素 |
N |
Nitrogenium |
Nitrogen |
硝石から生じるもの |
酸素 |
O |
Oxygenium |
Oxygen |
酸を生じるもの |
ナトリウム |
Na |
Natrium |
Sodium |
固体 |
硫黄 |
S |
Sulfur |
Sulfur |
火のもと |
塩素 |
Cl |
Chlorum |
Chlorine |
黄緑色 |
カリウム |
K |
Kalium |
Potassium |
草木灰 |
鉄 |
Fe |
Ferrum |
Iron |
固い、強固 |
銅 |
Cu |
Cuprum |
Copper |
銅鉱山のあるキプロス島 |
銀 |
Ag |
Argentum |
Silver |
輝く、明るい |
金 |
Au |
Aurum |
Gold |
黄金、暁の女神 |
原子は、物質を構成する基本的な粒子です。「原子」という概念を最初に提唱したのは、古代ギリシアの哲学者デモクリトスであるといわれています。デモクリトスは、「物質を分割していくと、最終的にこれ以上は分割できない粒子になるはずだ」と考え、この最小限の単位を「原子」と呼んだのです。「原子(atom)」は、ギリシア語の「atomos(分割できない)」に由来する言葉です。原子は、中心にある正電荷を帯びた「原子核(atomic nucleus)」と、その周りにある負電荷を帯びた何個かの「電子(electron)」から成り立っています。原子核は、正電荷を持つ「陽子(proton)」と電荷を持たない「中性子(neutron)」から構成されます。つまり、デモクリトスは、原子を「これ以上は分割できない最小単位」と考えた訳ですが、実際には、さらに陽子や中性子、電子といった粒子に分割することができる訳です。
図.2 原子モデル
陽子と電子は、互いに符号が反対で同じ大きさの電荷を持っており、陽子は+e、電子は-eの電荷を持ちます。陽子と電子の電気量は±1.602×10-19 Cで、これは電気量の最小単位であり、「電気素量(elementary electric charge)」といいます。電気的に中性な原子では、陽子と電子は互いに正負の電荷を打ち消し合うので、原子核中の陽子の数と電子の数は等しくなります。
表.3 陽子及び中性子・電子の質量と電荷
粒子 |
電気量 |
電荷 |
質量 |
質量比 |
|
原子核 |
陽子 |
+1.602×10−19 C |
+1 |
1.673×10−24 g |
1,840 |
中性子 |
0 C |
0 |
1.675×10−24 g |
1,840 |
|
電子 |
-1.602×10−19 C |
-1 |
9.109×10−28 g |
1 |
原子核中の陽子の数は、元素の種類によってすべて異なり、陽子の数をその原子の「原子番号(atomic number)」といいます。例えば、水素Hは陽子を1個持つので原子番号は1となり、酸素Oは陽子を8個持つので原子番号は8となります。また、原子核中の中性子の数は、原子の種類によってバラバラであり、ほとんどの原子が、原子核中に何個か中性子を持っています。なお、元素の種類が同じなら、陽子の数はどの原子も等しくなりますが、中性子の数は同じ元素でも異なることがあります。
陽子と中性子の質量はほぼ等しく、原子核中の陽子と中性子の数の和を、その原子の「質量数(mass number)」といいます。これを質量数と呼ぶのは、陽子と中性子の質量の和が、その原子の質量とほとんど等しいからです。電気的に中性な原子では、原子核の周りを陽子の数と同じ数の電子が取り巻いていますが、電子の質量は陽子や中性子1個の質量の約1/1,840と非常に小さいので、電子の質量は無視してもほとんど問題なく、原子の質量は事実上質量数にほぼ比例することになります。
表.4 原子番号と質量数
原子番号 |
原子 |
存在比 |
陽子数 |
中性子数 |
質量数 |
1 |
水素1 |
99.9885% |
1 |
0 |
1 |
水素2 |
0.0115% |
1 |
1 |
2 |
|
6 |
炭素12 |
98.93% |
6 |
6 |
12 |
炭素13 |
1.07% |
6 |
7 |
13 |
|
8 |
酸素16 |
99.757% |
8 |
8 |
16 |
酸素17 |
0.0038% |
8 |
9 |
17 |
|
酸素18 |
0.205% |
8 |
10 |
18 |
原子を原子番号と質量数も含めて表示するときは、次の図.3のように、元素記号の左下に原子番号を、左上に質量数を表記します。なお、質量数は原子の正確な質量を表しているわけではないということを念頭に入れておかなければなりません。また、元素記号と対応する原子番号は決まっているため、左下の原子番号は省略することが多いです。
図.3 原子番号と質量数の表記の仕方
原子の大きさは、種類によっていくらか異なりますが、どの原子も直径が大体0.1 nm (10−10 m)程度の大きさです。例えば、原子番号1の水素原子の直径は0.106 nmで、原子番号18のアルゴン原子の直径は0.142 nmです。原子番号95のアメリシウム原子でも、原子の直径は0.350 nm程度にしかなりません。アメリシウム原子の電子数が水素原子の電子数の95倍になっても、直径は水素原子の3.3倍程度にしかならないのです。このように、電子数が増えても原子の大きさがあまり変わらない理由は、電子数が増えるのと同時に、逆の電荷を持つ陽子の数も増えるからです。電子数が増えると、電子同士にクーロン力による斥力が働いて、電子の占める領域が広くなり、原子は大きくなります。しかし、同時に陽子も増えて、原子核と電子の引力も強くなるので、現実には両者のバランスの結果、電子が増えても、原子の大きさはあまり変わらないことになるのです。
図.4 原子の大きさの比較
さらに、原子核の大きさはというと、水素原子の原子核の直径が2.40 fm(2.40×10−15 m)です。水素原子の原子核は、水素原子全体の大きさの約1/44,000程度の大きさしかありません。これは、原子全体の大きさをドーム球場に例えると、原子核の大きさはほぼ1円硬貨に相当します。原子核が、原子と比べていかに小さいかが理解できると思います。ちなみに、原子核の大きさのオーダーである1 fmを、「1 yukawa」と呼ぶことがあります。これは、1949年にパイ中間子の研究でノーベル物理学賞を受賞した日本の物理学者である湯川秀樹の名にちなんでいます(イオン化エネルギーと電子親和力を参照)。
表.5 長さのオーダー
単位 |
換算 |
長さ |
オーダー |
km |
1 km=1×103 m |
1,637 m |
バイカル湖(世界一深い湖)の最大水深 |
hm |
1 hm=1×102 m |
100 m |
サッカーのフィールドの長辺 |
m |
− |
1.0 m |
小中学生用跳び箱6段の高さ |
cm |
1 cm=1×10−2 m |
1.5 cm |
平均的な蚊の体長 |
mm |
1 mm=1×10−3 m |
1.0 mm |
平均的なケジラミの体長 |
µm |
1 µm=1×10−6 m |
1 µm |
パンドラウイルス(最大のウイルス)の大きさ |
nm |
1 nm=1×10−9 m |
2 nm |
DNA螺旋の直径 |
pm |
1 pm=1×10−12 m |
1 nm |
γ線の波長 |
fm |
1 pm=1×10−15 m |
2.4 fm |
水素原子の原子核の直径 |
(i) 同位体と放射性同位体
原子の中には、陽子数は同じでも、中性子数の違いで、質量数が異なる原子が存在する場合があります。これらの原子を、互いに「同位体(isotope)」といいます。同位体同士は、常に周期表の同じ位置にあるため、ギリシア語の「iso(同じ)」と「topos(場所)」を合成して原語ができました。同位体の例としては、天然に存在する水素原子には、質量数が1の1H (99.9885%)と質量数が2の2H(0.0115%)があります。また、質量数が3の3Hも、自然界にごく微量だけ存在しています。このように多くの元素は、いくつかの同位体が、ほぼ一定の割合で混じったものとして存在しているのです。
同位体は、質量数が異なるだけで同じ元素であり、化学的性質はほぼ等しいです。同位体は、中性子の数が異なっても原子番号は一緒なので、同じ元素記号で表します。また、同位体の中には、構造が安定なものと不安定なものがあり、不安定なものは時間が経過すると、外部に「放射線(radiation)」を出して、安定な原子へと変化していきます。これを「放射性崩壊(radioactive decay)」といい、このときに放射線を出す性質を「放射能(radioactivity)」といいます(放射線の科学を参照)。
表.6 原子核の放射性崩壊
放射性崩壊 |
原子核の変化 |
α崩壊 |
原子番号が2、質量数が4小さい原子核に変化 |
β崩壊 |
原子番号が1大きい原子核に変化 |
γ線 |
原子番号と質量数に変化はなし |
不安定で放射線を出す同位体を「放射性同位体(radioisotope)」といい、放射線を出さない安定な同位体を「安定同位体(stable isotope)」といいます。質量数が3の3Hは、代表的な放射性同位体です。原子番号92のウランUより重い元素(超ウラン元素)は、いずれも不安定な放射性同位体を持ちます。また、原子番号86のラドンRn・原子番号88のラジウムRa・原子番号89のアクチニウムAcなど、半減期は短いのに(寿命が最長の同位体でもそれぞれ92時間・1600年・22年)、別の元素から絶えず生まれている放射性元素も天然にはあります。原子番号が特に大きい訳でもないのに、不安定な変わりものが、原子番号43のテクネチウムTcと原子番号61のプロメチウムPmです。陽子数と中性子数のバランスが悪いため、どの同位体も天然には存在できません。
(ii) 放射性同位体の利用
放射線は細胞を壊したり、遺伝子に傷を付けて変化させたりする働きがあるため、ある量以上の放射線を浴びることは生体に有害であり、その扱いには注意が必要になります。しかし、十分な管理下では、放射線は殺菌や医療、生物の品種改良などに利用できます。また、放射性同位体の出す放射線を目印として、生体内の原子の動きや、化学反応の仕組みを調べる研究が行われています。
その他、同位体を調べることによって、地球スケールの気候変動のメカニズムを知ることもできます。現在の地球は、地質学的に新生代の「第四紀(quaternary)」と呼ばれる時代で、「氷河時代(ice age)」に分類されます。現在の地球を「温暖期(warm period)」だと思っている人もいるかもしれませんが、地球史においては、むしろ寒冷な時代に分類されるのです。ただし、現在は氷河時代における温暖モードである「間氷期(interglacial period)」に相当します。もう一方の寒冷モードは「氷期(glacial period)」と呼ばれており、一般的にイメージする「氷河期」というのは、このモードのことです。
さて、海底堆積物に含まれている有孔虫という生物の殻に含まれる酸素同位体の比率の分析結果から、「氷期と間氷期は約10万年の周期で繰り返されている」ということが明らかになりました。有孔虫の殻は炭酸カルシウムCaCO3でできており、その酸素同位体比は、当時の海水の酸素同位体比を反映したものとなります。海水の酸素同位体比は、本来気候によらずほぼ一定であると考えられていましたが、一部の海水が蒸発して雪になり、陸に積もるプロセスを通じて、徐々に変わっていくことが知られるようになりました。
図.5 有孔虫は、炭酸カルシウムCaCO3の殻を持つ原生生物である
酸素Oには、原子量が異なる同位体が16O, 17O, 18Oの三種類あります。このうちの99%以上は16Oです。水が蒸発する際、重い酸素同位体を含む水よりも、軽い酸素同位体を含む水の方が蒸発しやすいため、気温の低い状態が長期間続くと、大陸の内陸部に積もった雪の酸素同位体は、次第に軽い組成になっていきます。逆に、海水には重い酸素同位体が取り残されていきます。すなわち、海水に重い酸素同位体が多いということは、大陸に氷河が発達していることを意味し、有孔虫の殻に含まれる酸素同位体比を分析することで、間接的に当時の海水の酸素同位体比を調べることができるという訳です。この研究によると、明らかに10万年の周期で、気候変動が繰り返されていることが分かったといいます(地球温暖化の科学を参照)。
図.6 有孔虫の殻の酸素同位体比を調べることによって、氷期と間氷期が約10万年の周期で繰り返されていることが分かった
(iii) ハーキンスの法則
原子番号の大きい元素を調べていくと、偶数の原子番号を持つ元素の存在率は、その前後の奇数の原子番号の元素の存在率よりも、大きい値になることが分かってきました。これを「ハーキンスの法則(Harkins’ law)」といい、1917年にアメリカの化学者であるウィリアム・ハーキンスが、地殻の元素組成についての研究で見出しました。これは経験的に得られた法則でしたが、その後、原子核内の陽子と中性子の組み合わせによって、原子核が安定化する領域があることが分かりました。この陽子数Pと中性子数Nは「魔法数(magic number)」と呼ばれ、P=2, 8, 20, 28, 50, 82, 126、N=2, 8, 20, 28, 50, 82, 126, 152が知られています。魔法数を理論的に説明したアメリカの物理学者であるマリア・ゲッパート=メイヤーとドイツの物理学者であるヨハネス・イェンゼンは、1963年にノーベル物理学賞を受賞しました。
図.7 魔法数を証明したマリア・ゲッパート=メイヤー(左)とヨハネス・イェンゼン(右)
陽子数または中性子数が魔法数である原子核を「魔法核(magic nucleus)」といい、周辺の他の元素に比べて、より多くの安定同位体を持っています。例えば、陽子数P=50のSnには、10種類の安定同位体を含む21種類の同位体が存在します。また、陽子数と中性子数が共に魔法数を取る「二重魔法数(double magic number)」の原子核は、特に安定化することが知られています。二重魔法数を持つ原子核の中で、最も重い原子核は、陽子数P=82、中性子数N=126の208Pbです。
(3) 化学式と化学反応式
海水から得られる塩について、「食塩/塩化ナトリウム/NaCl」の3つの表し方があります。食塩は「食用の塩」という意味であり、古くから使われていた慣用名です。一方で、あとの2つの名前は、この物質が「ナトリウムNa」と「塩素Cl」からできた物質であるということが、明らかになってから初めて使われるようになったものであり、たった200年ほどの歴史しかありません。これらの名前の表し方は、「慣用名/化学名/化学式」に相当するものです。それでは、化学で物質の名前を表すときには、どのように表すのが一番良いのでしょうか?例えば、食塩を「NaCl」と書けば、NaとClの個数比が1:1であると分ります。しかし、これがもし「塩化ナトリウム」と書かれていたならば、個数比の情報は分らないままなのです。このように、化学の現象をミクロなレベルからしっかりと理解していくときは、「NaCl」と表す「化学式(chemical formula)」が最も多くの情報を与えてくれます。化学の理解において、化学式を使って物質を表すことは、決定的に重要な意味を持っています。
化学式は、化学物質を元素記号で記述するものですが、その書き方には様々なものがあります。例えば、「組成式(compositional formula)」は、化学物質の各元素の粒子数比を、最も簡単な整数比で表す式です。金属やイオン性結晶などのように、結合が連続して物質が構成されているときは、化学式としてはこの組成式しか書けません。一方で、物質が分子からなる場合は、「分子式(molecular formula)」を使います。分子式は、分子中にある元素とその数を示した式です。また、「構造式(structural formula)」は、分子中における原子または原子団の結合関係を表した式です。特に有機化合物では、異性体を持つことが多いので、その構造の表示に構造式は不可欠です。「電子式(electronic formula)」は、原子同士の結合に関与する電子対をコロン「:」で表現した式です。アメリカの物理学者であるギルバート・ルイスが考案したため、「ルイス構造式(Lewis structural)」とも呼ばれます。
表.7 主な化学式
化学式 |
特徴 |
組成式 |
物質の元素組成を最も簡単な整数比で示した式 |
分子式 |
分子を構成する元素とその原子数を示した式 |
構造式 |
価標「−」を用いて物質の構造を示した式 |
電子式 |
価電子対の配置をコロン「:」で示した式 |
化学変化において、反応する物質と生じる物質の関係を、化学式で示した式を「化学反応式(reaction formula)」といいます。例えば、水素と酸素を混合して点火すると、水が生じます。この反応を例にすると、水素=H2, 酸素=O2, 水=H2Oであるから、まずは次のように書くことができます。
H2 + O2 → H2O
ところが、化学反応では、原子間の結合関係が変化するだけであり、新たに原子が生まれたり、原子がなくなったりすることはないので、このままでは両辺で原子の数が合わなくなります。すなわち、水素原子Hは左辺も右辺も2個で問題ありませんが、酸素原子Oは左辺で2個、右辺で1個になっているからです。そこで、左辺の酸素O2の前に1/2を付ければ、原子数については問題がなくなります。
しかしながら、酸素分子O2と酸素原子Oでは反応性が異なり、化学的には全くの別物なのです。原子数の上では1/2O2=Oですが、物質の基本単位の表示方法という点からすると、1/2O2=Oとはなりません。酸素分子の最小単位はO2であるから、1/2O2なるものは全く実体のないものなのです。したがって、化学反応式において、化学式の前の係数を分数で表記することは、一般的に望ましくありません。そこで、全体を2倍して、分数を消してやると次のようになります。
2H2 + O2 → 2H2O
このようにすると、化学反応式が完成します。以上をまとめると、化学反応式の書き方は、一般的に次のようになります。
@ 反応物と生成物を化学式で表す。ただし、触媒は反応式に加えない。 A すべての元素について、左辺と右辺での原子数を合わせるように係数を決める。 B その結果、分数係数ができれば、全体を何倍かして整数の係数になるようにする。 |
また、イオンが関与する反応において、反応しないイオンを省略した化学反応式を、特に「イオン反応式(ionic equation)」といいます。イオン反応式では、左辺の電荷総和と右辺の電荷の総和が等しいことに注意してください。例えば、硝酸銀AgNO3水溶液と塩化ナトリウムNaCl水溶液を混ぜると、反応が起きて塩化銀AgClが沈殿します。この化学変化は、次のように表されます。
Ag+ + Cl− → AgCl ・・・イオン反応式
AgNO3 + NaCl → AgCl + NaNO3 ・・・化学反応式
化学変化では、左辺の「反応物(reactant)」の量により、右辺の「生成物(product)」の量が決まります。これらの量的関係は、化学反応式から求めることができます。そこで、私たちは水素と酸素が反応して水が生じる反応において、「水素がW g反応すると水は何gできるか?」というような問題によく出会います。この問題を解くためには、化学反応式2H2+O2→2H2Oから、正しい情報を読み取らなければならないのです。この反応式の係数が意味していることは、2個の水素分子と1個の酸素分子が反応して、2個の水分子ができるということです。化学反応式の係数は、反応する粒子の数と生成する粒子の数の比を表しているのです。化学反応式において、私たちが化学式の係数から読み取れる情報は、反応に関与する粒子の個数の関係だけであることに注意してください。したがって、化学反応で質量を扱うときには、物質の個数に関係する量と物質の質量に関係する量の変換方法を学ばなければなりません。
(4) 化学で使われる量
(i) 原子量
各原子の質量は約10−23 gと極めて小さく、このような非常に小さな質量を計算で扱うのは不便です。そこで、種々の原子の質量は、陽子6個と中性子6個からなる質量数12の12C原子1個の質量を12(単位なし)としたときの「相対的な質量」で表します。これによると、各原子の「相対質量(relative mass)」は、ほぼ質量数に近い値となります。これは、電子の質量は陽子や中性子の質量に比べて無視できるほど小さく、また陽子と中性子の質量がほとんど等しいためです。例えば、1H原子1個当たりの質量は1.6735×10−24 gで、12C原子1個当たりの質量は1.9926×10−23 gなので、12C原子1個の質量を12、1H原子1個の質量をMHとすると、次のようになります。MH≒1.0078は、1Hの質量数1とほぼ同じ値です。
1.6735×10−24 g : 1.9926×10−23 g = MH : 12
∴ MH≒1.0078
ただし、1つの元素には、質量数の異なる同位体が存在することが多いため、ある元素の相対質量の平均値を決めようというときには、各同位体の相対質量とその存在比も考慮しなければなりません。そこで、ある元素の同位体の相対質量とその存在比から求められる平均相対質量を、一般的に「原子量(atomic weight)」といいます。例えば、自然界にある炭素には、相対質量12の12Cが98.93%、相対質量13の13Cが1.07%存在するので、炭素の原子量は次のように計算できます。
よって、同位体も考慮した炭素の原子量は12.01となります。このように、原子量は単位の存在しない相対質量から求めた値なので、単位のない量です。原子量は質量に関係する量なので、単位としてgなどを付けたくなりますが、単位を付けてはいけません。原子量は、化学計算の際に最も基本的な数値として重要です。一般的な周期表には、有効数字4桁の数値が示されていますが、高校では特に指示がある場合を除いて、有効数字2桁もしくは3桁の原子量の概数値で計算を行うことが多いです。表.8に主な元素の原子量と各同位体の存在比を示します。ただし、原子量は通常問題に与えられているので、無理に覚える必要はありません。
表.8 主な元素の原子量と各同位体の存在比
原子番号 |
元素記号 |
同位体 |
存在比[%] |
原子量 |
1 |
H |
1H |
99.9885 |
1.008 |
2H |
0.0115 |
|||
6 |
C |
12C |
98.93 |
12.01 |
13C |
1.07 |
|||
7 |
N |
14N |
99.636 |
14.01 |
15N |
0.364 |
|||
8 |
O |
16O |
99.757 |
16.00 |
17O |
0.038 |
|||
18O |
0.205 |
|||
11 |
Na |
23Na |
100 |
22.99 |
13 |
Al |
27Al |
100 |
26.98 |
16 |
S |
32S |
94.99 |
32.06 |
33S |
0.75 |
|||
34S |
4.25 |
|||
36S |
0.01 |
|||
17 |
Cl |
35Cl |
75.76 |
35.45 |
37Cl |
24.24 |
|||
18 |
Ar |
36Ar |
0.3336 |
39.95 |
38Ar |
0.0629 |
|||
40Ar |
99.6035 |
|||
19 |
K |
39K |
93.2581 |
39.10 |
40K |
0.0117 |
|||
41K |
6.7302 |
|||
20 |
Ca |
40Ca |
96.941 |
40.08 |
42Ca |
0.647 |
|||
43Ca |
0.135 |
|||
44Ca |
2.086 |
|||
46Ca |
0.004 |
|||
48Ca |
0.187 |
|||
26 |
Fe |
54Fe |
5.845 |
55.85 |
56Fe |
91.754 |
|||
57Fe |
2.119 |
|||
58Fe |
0.282 |
|||
29 |
Cu |
63Cu |
69.15 |
63.55 |
65Cu |
30.85 |
(ii) 分子量と式量
元素の原子量の和によって、分子1個や組成式1単位分の相対質量も表すことができます。これらをそれぞれ「分子量(molecular weight)」や「式量(formula weight)」といいます。ただし、式量のことも合わせて分子量ということもあります。例えば、原子量は有効数字2桁で表すとH=1.0, N=14, O=16, Na=23, Cl=35.5なので、分子量はH2O=18, NaCl=58.5, NO3−=62となります。NO3− のように電荷を持つ場合でも、電子の質量は原子核の質量に比べて非常に小さいので、電子の質量を無視して、イオンの相対質量は構成する原子の原子量の総和に等しいと近似的に考えるのが一般的です。また、分子量と式量も相対的な質量であるから、単位を付けません。
表.9 主な物質の分子量または式量
名称 |
化学式 |
分子量または式量 |
水素 |
H2 |
2.0 |
窒素 |
N2 |
28 |
酸素 |
O2 |
32 |
水 |
H2O |
18 |
二酸化炭素 |
CO2 |
44 |
アンモニア |
NH3 |
17 |
塩化水素 |
HCl |
36.5 |
炭酸 |
H2CO3 |
62 |
塩化ナトリウム |
NaCl |
58.5 |
炭酸カルシウム |
CaCO3 |
100 |
硫酸銅(II) |
CuSO4 |
160 |
(iii) アボガドロ数と物質量
化学では、6.02×1023個の粒子の集団(正確には6.02214076×1023個)を1 molと定義して、molを単位として表した物質の量を「物質量(amount of substance)」と呼んでいます。また、6.02×1023という数を「アボガドロ数(Avogadro constant)」といいます。この名称は、分子説を提唱したイタリアの化学者であるアメデオ・アボガドロの名にちなんでいます。アボガドロ数の近似値は、次の図.8のように求めることができます。今、原子の相対質量の基準である質量数12の炭素原子12Cを12 gだけ分取したとします。これに含まれる12C原子の個数Nは、12C原子1個当たりの質量を1.9926×10−23 gとすると、次のように計算できます。
図.8 12 gの炭素原子12Cは何個か?
12 g : 1.9926×10−23 g = N個 : 1個
∴ N≒6.02×1023個
molの定義は、歴史的にも何回か変更されて、現在の定義(6.02214076×1023個を1 molとする)に至っています。現在の定義に変更されたのは、2019年5月20日からです。2018年11月の国際度量衡総会において、国際単位系(SI)の基本単位の新しい定義が、決議・承認されたのです。従来の定義では、「アボガドロ数は0.012 kgの炭素原子12Cに含まれる原子の数」となっていましたが、現在では「アボガドロ数は厳密に6.02214076×1023」と不確かさのない定数として定義されています。この定義の変更によって、molはkgの定義に依存しないものになったので、厳密に言えば図.8のような説明をするのは正しくありません。しかし、molの大きさが感覚的に分かりやすく、アボガドロ数に近い数値(誤差はわずか4×10-8%)を算出できるので、現在でもこの説明がされることが多いです。
表.10 国際単位系(SI)の定義変更
国際単位系 |
変更前 |
変更後 |
物質量 (mol) |
0.012 kgの炭素12の中に存在する原子の数に等しい数の要素粒子を含む系の物質量 |
1 molは正確に6.02214076×1023の要素粒子を含む |
熱力学温度 (K) |
水の三重点の熱力学温度の1/273.16 |
1 Kはボルツマン定数kを正確に1.380649×10-23 J/Kと定めることによって設定される |
電流 (A) |
真空中に1 mの間隔で平行に配置された二本の直線状導体のそれぞれを流れ、これらの導体の長さ1 mにつき2×10-7 Nの力を及ぼし合う一定の電流 |
1 Aは電気素量eを正確に1.602176634×10-19 Cと定めることによって設定される |
質量 (kg) |
単位の大きさは国際キログラム原器の質量に等しい |
1 kgはプランク定数hを正確に6.62607015×10-34 J・sと定めることによって設定される |
ちなみに、molの語源はラテン語の「moles」にあり、「ひと山の」とか「ひと塊の」という意味を持ちます。例えば、粒子を2×6.02×1023個集めると2 mol、粒子を3×6.02×1023個集めると3 molとなります。また、1 mol当たりの粒子数6.02×1023 /molを「アボガドロ定数(Avogadro constant)」といい、記号「NA」で表します。
図.9 アボガドロ数と物質量
12C原子を6.02×1023個集めると12 gとなるので、原子量や分子量に単位としてg/molを付けた「モル質量(molar mass)」がよく用いられます。モル質量は、物質の質量をその物質の物質量で割ったものに等しいです。モル質量は、記号「M」で表すことが多いです。例えば、H2Oの分子量は18なので、H2Oのモル質量はM=18 g/molと表せます。モル質量は、化学において物質のmolとgの関係を与える基準となる概念なのです。
(iv) モル計算
物質の変化は、すべて原子や分子などの小さな粒子が動くことによって引き起こされます。そして、質量・体積・気体の圧力などは、すべて粒子の数に比例する値です。物質に関する量は、常にこれら粒子の数が関係するので、化学では粒子数を考えることが最も重要になります。ただし、この数は1023程度の非常に大きな数であるので、通常はmolという単位を使って個数を扱うことにしています。ところが、このmolも結局のところ粒子の数に関係する量なので、これを直接測定することは不可能です。私たちが物質の量で測定できるのは、質量・体積・気体の圧力などであるから、これらを使って物質の量を与えることが多くなります。したがって、次の図.10のような変換が自由自在にできることが、化学の量に関する計算問題を解くための第一歩です。
図.10 化学で扱う量の変換
(iv-1) 質量と物質量
物質の質量と物質量の関係は、モル質量(単位:g/mol)を使うことによって変換することができます。モル質量は、物質を1 molだけ集めたときの質量(g/mol)でした。例えば、二酸化炭素CO2のモル質量44 g/molなので、2 molの二酸化炭素の質量は44×2=88 gです。したがって、一般的には質量と物質量は、次のような関係にあります。
日本では、古くから「尺貫法」という単位系が用いられてきました。現在では、商取引での尺貫法の単位の使用は、原則として禁止されていますが、今日でも日本酒や焼酎の販売は、主に尺貫法の単位で行われています。例えば、1勺は約18 mLであり、1合は約180 mL、1升は約1.8 L、1斗は約18 Lです。
表.11 体積を表す尺貫法
尺貫法 |
変換 |
国際単位系 |
1石 |
10斗 |
180.39 L |
1斗 |
10升 |
18.039 L |
1升 |
10合 |
1.8039 L |
1合 |
10勺 |
0.18039 L |
1勺 |
10抄 |
0.018039 L |
水H2Oの密度は1.0 g/mLなので、尺貫法によると水H2Oを18 mL集めると18 gになります。水H2Oのモル質量は18 g/molなので、ちょうど、水1勺=水1 mol、水1合=水10 mol、水1升=水100 mol、水1斗=水1,000 molということになります。できすぎた偶然ではありましょうが、尺貫法を制定した人は、molのことをすでに知っていたのではないかと思わせるほどですね。molの概念を確認する際には、思い出していただきたいことです。
(iv-2) 体積と物質量
物質の体積と物質量の関係は、「アボガドロの法則(Avogadro’s law)」を使うことによって変換することができます。アボガドロの法則は、「同温同圧の下で同体積の気体には、気体の種類に関係なく同数の分子が含まれる」という法則です。アボガドロの法則によれば、同温同圧の下で気体の体積は物質量のみに比例し、1molの分子が占める気体の体積は、すべての気体でほぼ同じになります。温度0℃で通常の大気圧(1atm)の状態を、気体の「標準状態(standard state)」といいます。気体の体積を考えるときは、この条件を基準にすることが多いです。
図.11 アボガドロの法則
さて、実際に測定してみると、標準状態ではどんな気体も1 molで体積がほぼ22.4 Lになります。また、このことは、空気のような2種類以上の混合気体においても成り立つことです。物質1 molが占める体積を「モル体積(molar volume)」といい、気体のモル体積は、標準状態ではその種類に関係なくほぼ22.4 L/molです。例えば、標準状態で3 molの空気の体積は、22.4×3=67.2 Lです。したがって、一般的には体積と物質量は、次のような関係にあります。
(iv-3) 圧力と物質量
物質の圧力と物質量の関係は、気体の場合と溶液の場合で、変換の仕方が異なります。気体の場合は、「理想気体の状態方程式(ideal gas law)」を用います。同温同体積の下では、気体の圧力は物質量のみに比例し、1 molの分子が与える圧力は、すべての気体でほぼ同じになります。これは、アボガドロの法則に似ていますね。したがって、一般的には気体の圧力と物質量は、次のような関係にあります。理想気体の状態方程式は、アボガドロの法則よりも普遍的な気体法則です(理想気体の状態方程式を参照)。
気体の圧力〔Pa〕× 気体の体積〔L〕= 物質量〔mol〕× 8.31×103〔Pa・L/(mol・K)〕× 絶対温度〔K〕
また、溶液の場合では、「浸透圧(osmotic pressure)」を物質量に変換する方法があります。浸透圧は、半透膜を隔てて純溶媒と溶液を接したとき、溶媒側から溶液側への溶媒の侵入を止めるために、溶液側にかけるべき過剰の圧力のことです。浸透圧と物質量の関係は、「ファントホッフの式(van's Hoff formula)」で表されます。一般的に浸透圧と物質量は、次のような関係にあります(溶液化学(希薄溶液の束一性)を参照)。
浸透圧〔Pa〕× 溶液の体積〔L〕= 物質量〔mol〕× 8.31×103〔Pa・L/(mol・K)〕× 絶対温度〔K〕
(5) 周期表
元素とは一体何なのか――現代を生きる我々は、突き詰めればそれは、同じ種類の「原子」の集まりであることを知っています。「鉄」という元素は、鉄原子が規則正しく集合してできているし、「食塩」という物質は、塩素とナトリウムという2つの原子が集まってできています。19世紀後半までに元素発見の努力が重ねられ、その種類は50以上を数えるようになっていました。しかし、これらは一見してあまり秩序らしきものもなく、ただバラバラに存在しているように見えました。「そんなはずはない。世界のもとである元素には、全体を貫く何らかの法則性があるはずだ」――と考えた化学者は、当然多くいました。例えば、イギリスの化学者ジョン・ニューランズは、元素を重さ順に並べていくと、8番目ごとに似た性質の元素が現れることを見つけ、音階になぞらえて「オクターブの法則」と名付けて発表しました。これは、現代の目から見ても先駆的なアイディアでしたが、当時の化学者たちからは珍説として笑いものになり、「それでは元素に一曲演奏させてくれ」とからかわれる始末であったといいます。
1869年2月、こうした知見をまとめて決定版を発表したのが、ロシアの化学者であるドミトリ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフでした。メンデレーエフは、ロシア化学会に参加している多くの化学者に1枚の紙を配りました。その紙は「元素の諸特性とその原子量との関係」という論文で、メンデレーエフは「元素は原子量の順に並べると、化学的性質が周期的に現れる」と述べました。メンデレーエフは、ロシア語の化学入門の教科書「化学の原理」を執筆していた際、当時63種類まで発見数が増えていた元素を説明する方法に悩んでいました。メンデレーエフは、自身が好きなカードゲームのソリティアから発案し、元素名や性質を書き込んだカードを何度も原子量順に並べ替えることを繰り返す内に、1つの表を作り上げたのでした。メンデレーエフの提案した「周期表(periodic table)」は、当時知られていた63種類の元素を原子量の小さい順に並べ、さらに性質の似ているものを同じ横の列に並べたものでした(現在の周期表とは縦横の使い方が逆)。
図.12 メンデレーエフが1869年2月のロシア化学会で参加者に配布した周期表のメモ
元素を整理するに当たって、原子量を基準としたのは、メンデレーエフが最初ではありませんでした。しかし、原子量と様々な元素の性質に関する知識を組み合わせて指標に使ったのは、メンデレーエフが最初でした。決定的だったのが、原子量の順番は狂ってしまっても、元素の性質から判断して元素の順番を変えることがときどきあったということです。元素を原子量によってではなく、その性質にしたがって並べることにより、19世紀に元素を整理しようとしていた化学者が直面していた大いなる限界――原子番号ではなく原子量を基準に作業していたこと――の影響を低減することができたのです。しかしながら、当時この表に価値を認める化学者は、ほとんどいませんでした。ロシア国内のみならず海外からも、それに疑義を唱える否定的意見が寄せられました。しかし、メンデレーエフは、それらに対して周期表の意義を丁寧に語っています。「元素表は教育的な意義を持ち、また様々な事実を整理し、関係付けることによってその研究をたやすくさせるばかりでなく、類似元素を発見して元素研究に新しい道を示すという点で純然たる科学性を持つ」さらに「今まで我々は未知の元素の性質を予言する何の手掛かりも持たず、その元素のどれが足りないか、あるいは存在しないかを推定することもできなかった」と。
メンデレーエフの周期表にはいくつか空欄がありましたが、そこには未だ発見されていない元素が当てはまるはずだと、メンデレーエフは考えました。そして、空欄に入るべき元素の存在とその性質を、周期表での上下左右の元素の性質から予言したのです。例えば、メンデレーエフは、周期表でアルミニウムの下に位置する未知の元素を「エカアルミニウム」、ケイ素の下に位置する未知の元素を「エカケイ素」と名付けて、それらの性質を予言しました。ちなみに、「エカ」とはサンスクリット語で「1」を表します。メンデレーエフは、周期表でアルミニウムの1つ下という意味で「エカアルミニウム」、ケイ素の1つ下という意味で「エカケイ素」という名前にした訳です。
その後、「エカアルミニウム」や「エカケイ素」が実際に発見されました。まず1875年には、フランスの化学者であるポール・ボアボードランが、ピレネー山脈で採掘された亜鉛の硫化鉱物の中から、ガリウムを発見しました。その性質から、メンデレーエフが「エカアルミニウム」と名付けていた、周期表でアルミニウムの下に位置する未知の元素であることが分かりました。さらに1886年には、ドイツの化学者クレメンス・ヴィンクラーが、アルジロダイトという銀鉱石の中から、ゲルマニウムの単離に成功しました。これは、メンデレーエフが「エカケイ素」と名付けていた、周期表でケイ素の下に位置する未知の元素であることが確認されました。メンデレーエフが予測した性質は、発見された元素の性質とかなり近かったので、メンデレーエフの名声と周期表の地位は、不動のものとなったのです。
表.12 メンデレーエフの予言と実際の元素の比較
元素 |
原子量 |
原子価 |
密度 |
色 |
融点 |
酸化物 |
塩化物 |
エカケイ素Es |
72 |
4 |
5.5 g/cm3 |
灰色 |
高い |
EsO2 |
EsCl4 |
ゲルマニウムGe |
72.6 |
4 |
5.3 g/cm3 |
灰白色 |
937.4 |
GeO2 |
GeCl4 |
メンデレーエフが未発見元素を予測したことで、当然のことながら、それらを発見し、自ら命名しようという化学者たちの競争が始まりました。その後、貴ガス元素やレアアース元素、放射性元素の発見が相次ぎ、周期表に当てはまらないとして一時は窮地に追い込まれましたが、貴ガス元素には新しい枠を設け、レアアース元素や放射性元素は正確な原子量が決定されるに従って表に加えて、周期表は基本的な形を変えることなく発展し続けました。メンデレーエフが「視界を広げる望遠鏡」と呼んだ周期表は、元素の分類のみならず、化学結合の展開などを含む、自然の法則を認識させる極めて大きな道具となったのです。
表.13 メンデレーエフが予測した元素の一覧
メンデレーエフの命名 |
実際の元素名 |
発見年 |
エカアルミニウム |
ガリウム |
1875年 |
エカボロン |
スカンジウム |
1879年 |
エカケイ素 |
ゲルマニウム |
1886年 |
エカテルル |
ポロニウム |
1898年 |
エカタンタル |
プロトアクチニウム |
1917年 |
*ドビマンガン |
レニウム |
1925年 |
エカマンガン |
テクネチウム |
1937年 |
エカセシウム |
フランシウム |
1939年 |
* 「ドビ」はサンスクリット語で「2」を意味する言葉
メンデレーエフは、まだノーベル賞がなかった時代の1882年に英国王立協会から、化学の諸分野での非常に重要な発見に対して贈られるデービーメダルを授与されています。さらに、技術百科事典の出版、コーカサスやドネツの油田の調査や気球観測などの産業にも貢献してきたため、1893年には度量衡管理局所長に就任し、メートル法の導入など、ロシアの単位問題の解決にも努めました。メンデレーエフは周期表の業績で、1906年のノーベル化学賞にノミネートされましたが、惜しくも一票差で、フッ素ガスの単離に成功したフランスの化学者アンリ・モアッサンに敗れています(第17族元素(ハロゲン)を参照)。ノーベル化学賞を逃した翌年、メンデレーエフは失意のまま、71歳で息を引き取りました。72歳の誕生日の1週間前のことでした。メンデレーエフの葬列には、約1万人もの市民が参加し、それより26年前のドストエフスキーの葬式の参加者に匹敵する人出だったといいます。
ちなみに、周期律発見の年は明治2年に当たり、メンデレーエフと明治日本には、実は深い個人的な繋がりがあります。メンデレーエフの長男ヴラジミールは、海軍兵学校を卒業して海軍士官になっており、日本の長崎を訪れているのです。ヴラジミールは、2カ月半ほど長崎に滞在していましたが、そこで秀島タカという日本人の現地妻をもらっています。ヴラジミールの帰国後、その日本人女性にはフジという娘が生まれています。ヴラジミールは、帰国の6年後に33歳で亡くなってしまいました。ヴラジミールの妹の回想録によれば、メンデレーエフは晩年、亡くなった息子のヴラジミールに代わって、日本に送金していたといいます。タカとフジの親子のその後の消息については、よく分かっていません。ロシアには、すでにメンデレーエフ直系の子孫はいません。日本にメンデレーエフの子孫がいる可能性は、ロシアの歴史家の関心を呼んでいます。
図.13 メンデレーエフは、年に一度しか散髪せず、粗野なマッドサイエンティストじみた風貌だった
現在使われている周期表は、元素を原子番号の順に並べ、その「電子配置(electron configuration)」も考慮して作られています。1913年に、当時25歳だったイギリスの物理学者であるヘンリー・モーズリーが、元素を原子量の順に並べるより、原子番号(陽子数=電子数)の順に並べる方が、化学的性質が周期的に現れることを突き止めたのです。周期表において、横の行は「周期(periodic)」といい、縦の列は「族(group)」と呼ばれます。周期表では、第1〜7周期の7つの周期と、第1〜18族の18の族があります。同じ周期にある原子は、最外電子殻が同じであり、周期が変わると最外殻が変化します(第1周期はK殻、第2周期はL殻、第3周期はM殻・・・)。また、同じ族に属する元素は、「同族元素(congener)」と呼ばれ、価電子数が同じであるため、化学的性質が類似しています。このように、周期表において物理的性質や化学的性質が周期的に変化することを、「周期律(periodic law)」といいます。
図.14 現在使われている周期表
元素の周期律によく従う1族や2族、および13〜18族の元素を「典型元素(typical elements)」といい、金属元素と非金属元素がほぼ半分ずつ含まれます。典型元素の価電子数は、族番号の1の位の数と一致します。例えば、2族であれば価電子数は2で、15族であれば価電子数は5となります。ただし、18族元素は一般的に化学結合を作らないので、例外的に価電子数は0とします。そのため、典型元素の同族元素では、元素同士の化学的性質がよく似ています。特によく似た同族元素は固有名が付いており、水素H以外の1族元素を「アルカリ金属(alkali metals)」、ベリリウムBeとマグネシウムMg以外の2族元素を「アルカリ土類金属(alkaline earth metals)」、17族元素を「ハロゲン(halogens)」、18族元素を「貴ガス(noble gas)」といいます(第1族元素(アルカリ金属など)、第2族元素(アルカリ土類金属など)、第17族元素(ハロゲン)、第18族元素(貴ガス)を参照)。
図.15 元素の周期律
一方で、周期表の中央部に位置している3〜12族の元素を「遷移元素(transition element)」といい、そのすべてが金属元素です。遷移(transition)とは、「周期表の左側と右側の典型元素をつなぐ」という意味です。遷移元素では、原子番号の増加に伴って増加する電子が、最外殻ではなく内殻に配置されていくので、原子の最外殻電子の数が、通常1〜2個であまり変化しません。そのため、周期表で隣り合う元素同士で、互いに化学的性質がよく似ていることが多いです。また、通常周期表の欄外に置かれることが多い原子番号57〜71の元素を「ランタノイド(lanthanoids)」、原子番号89〜103の元素を「アクチノイド(actinoids)」といいます。ランタノイドは工業的に有用な「希土類元素(rare earth element)」であり、アクチノイドは放射能を持つ放射性元素です。
(6) 化学史
「錬金術(alchemy)」とは、価値の低い「卑金属」から、価値の高い「貴金属」を精錬しようとする試みのことです。錬金術の起源は、古代ギリシアや古代エジプトに求められます。3世紀頃にエジプトで書かれたと思われる遺物には、「金や銀に別の金属を加えて増量する方法」が記述されていたといいます。古代エジプトの錬金術は、ギリシアの諸学とともにアラビア半島に伝わりました。そして、このイスラム錬金術が、現代の実験的化学の原型を準備することになります。錬金術は、所期の目標を達成することはできませんでしたが、化学的な物の考え方や技術は、中世のヨーロッパに引き継がれ、「化学(chemistry)」として発展しました。英語で化学を意味する「chemistry」の語源は、英語で錬金術を意味する「alchemy」に由来します。そして、17世紀にはイギリスのロバート・ボイル、18世紀にはフランスのアントワーヌ・ラボアジエ、19世紀にはイギリスのジョン・ドルトンらが、「物質の量や化学変化における量的関係の理論」を確立していきました。
図.16 錬金術の試行の過程で、硫酸H2SO4や硝酸HNO3などの様々な化学薬品が発見された
それまでの化学はというと、様々な物質の構造・性質・反応を調べるために、実験や観察をただ繰り返して、データを積み重ねるだけというものでした。初期の化学は、まさに暗記と経験則の学問だったのです。しかし、量的関係の理論が確立されてから、「経験則の化学」は終わり、「近代の化学」まで急速に発展してきました。現代では、量子化学や化学反応論などが進歩して、物質の挙動について、ある程度の予測はできるようになりました。しかしながら、まだまだ化学には分らないことがたくさんあります。「分かれば分かるほど分からないことが出てくる」――それが化学なのです。
図.17 基本法則の歴史的推移
(i) 質量保存の法則
例えば、身近な化学反応である燃焼について考察すると、木や紙は燃やすと灰になって、質量が大幅に減少します。また、熱気球に見られるように、気体は熱すると軽くなるように感じられます。ただ化学変化を追っている者にとって、その変化の外面的な姿にばかり目が行きがちになるため、18世紀頃までは、化学変化に伴う量の収支を測定しようとする考え方はなかなか出てきませんでした。こうした状況下で、空気を視野に入れて化学反応を考え、正確な量の測定を通じて、何かを見出そうとしたのが、フランスの化学者であるアントワーヌ・ラボアジエでした。
図.18 ラボアジエは様々な化学に関する業績から、「近代科学の父」と称される
空気を視野に入れるためには、空気を逃がさないことが重要です。ラボアジエは、レトルト(球状の容器の上に長くくびれた管が下に向かって伸びているガラス製の容器)にスズを入れて密封し、長時間強熱しました。すると、スズの表面は輝きがなくなり、黒い粉末状の酸化スズになります。反応の前後で質量の変化を調べてみると、密閉されたレトルト内の全質量は、全く変化していませんでした。冷却後にレトルトを開封すると、音を立てて空気がレトルト内に流れ込みました。質量を測定すると、始めのスズよりも、酸化スズは重くなっていました。重くなった分が、流れ込んだ空気の重さだったのです。ラボアジエは、この結果から「金属が空気の一部である酸素と化合して、金属酸化物ができる」と考え、この理論を燃焼反応一般に広げて考えていきました。
ラボアジエによって、燃焼とは「燃える物質と酸素の結びつきであること」が明らかにされました。当時、燃焼については「フロギストン説(phlogiston theory)」が主流の考え方で、物質を燃焼させると「フロギストン」という元素が放出されるため、質量が軽くなると考えられていました。ラボアジエの実験は、フロギストン説を否定するものでした。ラボアジエは、このことが他の反応についても成立するのかどうかを知るため、次から次へと実験を重ねました。そして遂に、「化学反応の前後で、物質の質量の総和は変化しない」という「質量保存の法則(law of conservation of mass)」を1772年に確立したのです。化学の大改革を行い、近代化へと導く仕事をしたことから、ラボアジエは「近代化学の父」と呼ばれるようになります。ラボアジエは生涯で数多くの実験を行い、18世紀の段階で33の元素を発見していたといいます。
図.19 酸化スズが生じたレトルトを開封すると、質量が増加した
しかし、ラボアジエの最期は悲惨なものでした。ラボアジエは裕福で資産を十分に持っており、実験器具を買うお金があったにも関わらず、実験器具を買う費用を資産からは出さず、自分の資産を有利に運用しようと、1768年頃より市民から税金を取り立てる徴税請負人の仕事に就いていたのです。「ラボアジエにとって、実験とは道楽である」と物理学者の小山慶太は述べており、週に1日は実験にふけり、ラボアジエはその日を「幸福の1日」と呼んでいました。ところが、1789年にフランス革命の火が湧き起こると、凶作続きで飢えた市民が暴徒と化し、ラボアジエにも危険が迫りました。王権が倒れ、ルイ16世やマリー・アントワネットなどの王族たちが次々に処刑される中、ラボアジエも国民から多額の税金を取り立てたとして、処刑されることになってしまいました。ラボアジエの処刑には多くの科学者が反対し、ラボアジエの死に際して、18世紀最大の数学者ルイ・ラグランジュに「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つ者が現れるまでには100年はかかるだろう」と言わしめました。
1794年5月8日午前10時、ラボアジエは革命法廷に引きずり出され、革命政府は死刑判決を言い渡します――「我が共和国は科学者などを必要としていない」と。その日の18時15分、ラボアジエはコンコルド広場に連行され、断頭台ギロチンにかけられました。ラボアジエはギロチンで処刑される際に、処刑後の人に意識があるのかを実験するため、「ギロチンで処刑されて自分の首が落ちた後、意識があるかどうかを見ていてくれ」と周囲の人に頼んだそうです。ラボアジエは「もし自分の意識があったら自分はその受け答えをする。話すことはできなくても目で合図する。首を切られてから可能な限りまばたきを続ける」と宣言しました。そして処刑の当日、ギロチンで首を切り落とされたラボアジエは、実際に何回かまばたきをしたそうです。しかし、人は首を落とされると急激に血圧が下がり、すぐに意識がなくなると考えられているため、この話はどこまで本当なのか分かりません。
図.20 ラボアジエはギロチンで処刑されたあと、処刑後の人に意識があるのかを実験したという
質量保存の法則は、20世紀初頭まで科学者たちの間で支持され続けていました。しかし、1905年にドイツの物理学者であるアルベルト・アインシュタインは、特殊相対性理論の帰結としてE=mc2という数式を提示し、質量はエネルギーと等価関係にあるということを提唱しました。これによると、核融合反応などで質量が減少すると、大きなエネルギーが発生するというのです。例えば、広島に投下された原子爆弾で核分裂を起こしたのは約50 kgのウラン235ですが、爆発後には約0.7 gの質量がエネルギーに変わって、質量が減少したと考えられています。光速度をc=3.0×108 m/sとすると、発生したエネルギーは次のように求められます。
E = 0.7×10−3 × (3.0×108)2 = 6.3×1013 J
一方で、普段私たちの身の回りで起こっている化学反応では、どの程度の質量の増減があるのでしょうか?例えば、ガソリンを1 L燃やすと3.4×107 Jの熱量が放出されますが、これをE=mc2に代入すると、質量はm=3.8×10−7 kgとなります。つまり、ガソリンよりも排気ガスの方が、3.8×10−7 kgだけ軽いということになります。このように、私たちの身の回りで起こる質量変化はごくわずかなので、一般的には質量保存の法則は成り立つと考えて良いということになります。
(ii) 定比例の法則
ラボアジエの死後、質量をはじめとして、反応の前後で正確な量を測定することが、化学の分野において非常に大切であると認識され始めてきました。まず、酸Aと反応する塩基Bの質量比が、常に一定であるということが明らかにされました。このようなことが、化学反応においてもっと一般的に成り立つのではないかと研究を始めた人が、フランスの化学者であるジョゼフ・プルーストです。
物質Aと物質Bが反応して物質Cができるとき、AとBは一定の比率で反応し、一定の比率でCを与えます。例えば、水素と酸素が反応して水が生成するとき、水素1 gが酸素8 gと反応して水9 gが生成しますが、水素1 gが酸素10 gと反応して水11 gが生成するということは、決して起こりません。水素1 gと酸素10 gを反応させようとすれば、水素1 gが酸素8 gと反応して水9 gが生成し、酸素2 gが余ります。このような実験を、プルーストは様々な反応で試しました。
図.21 プルーストは、化合物が元素の整数比の組み合わせでできているという概念を広めたことで知られる
ただし、当時ではまだ混合物と化合物の違いが明確に区別されていなかったため、この研究は困難を極めました。混合物の場合では、混合比が変わると構成元素の質量比が変わるからです。しかし、骨の折れる実験を多くの物質について行い、プルーストは「化合物の構成元素の質量比は、化合物の作り方によらず常に一定である」という「定比例の法則(law of definite proporiton)」を1799年に提唱しました。
(iii) 倍数比例の法則と原子説
定比例の法則は、一体何を意味するのでしょうか?もし元素Aと元素Bが、気体のようなフワフワした不定形であるなら、AとBが必ず任意の整数比で混ざり合うという定比例の法則は、少し理解しがたいです。質量比が常に一定であるということを説明するには、「元素はある一定の質量を持った不可分の粒子からできている」と考えれば、説明がしやすくなります。さらに、定比例の法則を満たすためには、AとBの原子はある定まった個数比でのみ結合すると考えなくてはなりません。以上のような推論から、1803年にイギリスの化学者であるジョン・ドルトンは、著書の「化学哲学の新体系」の中で、仮説として次のような「原子説(atomism)」を提唱しました。
@ 物質はそれ以上分割できない微粒子からなり、この微粒子を原子と呼ぶ A 各元素に固有の質量や性質を持つ原子が存在する B 化学変化は原子の組み換えであって、原子がなくなることも生じることもない(質量保存の法則の説明) C 化合物は成分元素の原子が一定の割合で結合してできている(定比例の法則の説明) |
この原子説は、質量保存の法則と定比例の法則を合理的に説明しました。しかし、だからといって誰も見たことのない「原子」が存在するというこの説を、当時の化学者たちは素直に受け入れることができませんでした。今日では、高解像度の透過型電子顕微鏡(TEM)や走査型プローブ顕微鏡(SPM)を使って、原子を直接「見る」ことができますが、当時は原子の存在を人々に納得させるのは非常に困難でした。
この原子説が正しいと実証できる証拠は何かないものかと、ドルトンは頭を悩ませました。なお、ドルトンは原子を「それ以上分割できない微粒子」と考えていましたが、これは事実とは異なります。原子は原子核や電子に分割することができますし、原子核もさらに陽子や中性子に分割できるからです。原子の詳細な構造が判明するのは、1911年のイギリスの物理学者アーネスト・ラザフォードによる原子核の発見を待たなければなりません。
図.22 ドルトンは原子説を提唱したことで知られている
ところで、この原子説は、原子Aと原子Bがどのような割合で結合するのかということを、説明していませんでした。そこで、ドルトンは思い切って、自然の根本はシンプルに違いないから、「基本的に1:1の割合で結合する」と言い切りました。しかし、すべての化合物が、1:1の割合で結合している訳ではありません。当時、酸化銅(I) Cu2Oと酸化銅(II) CuOのように、2種類の元素からなる化合物で割合が異なる物質もいくつか知られていたので、「例外的に1:2とか2:3などの比もある」と言いました。これらの酸化銅は、水素ガスで還元すると銅になるので、反応前の酸化銅の質量から反応後の銅の質量を引けば、酸化銅中の酸素の質量が得られます。
表.14 一定質量の銅と化合する酸素の質量
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酸化銅(I) |
酸化銅(II) |
反応前の質量 |
0.90 g |
1.00 g |
反応後の質量 |
0.80 g |
0.80 g |
酸素の質量 |
0.10 g |
0.20 g |
このように一定質量の銅と化合する酸素の質量は0.10 gと0.20 gであり、1:2という簡単な整数比になります。そして、ドルトンはそのような整数比になる化合物が他にもあるはずであると予言し、これを「倍数比例の法則(law of multiple proportion)」と名付けました。この予言は見事に的中し、このことによって、原子説を信じる人が増加するようになったのです。倍数比例の法則は、定比例の法則と似ていて紛らわしい法則ですが、定比例の法則との違いは、定比例の法則は「1つの化合物の質量比」に着目しているのに対して、倍数比例の法則は「2つ以上の化合物間の構成原子の質量比」に着目しているところです。つまり、倍数比例の法則は、原子の存在を裏付けするものであったのです。
(iv) 気体反応の法則
1800年代の初めには、発見された気体の種類も多くなり、それらの性質が広く研究されるようになりました。もちろん、その中には気体間の反応も研究の対象になっていました。そして、1808年にフランスの化学者であるジョセフ・ゲーリュサックは、「気体間の反応では、反応する気体および生成する気体の体積比は、同温同圧の下で簡単な整数比になる」という「気体反応の法則(law of gaseous reaction)」を提唱しました。
図.23 ゲーリュサックはアルコールと水の混合についても研究し、アルコール度数のことを「ゲーリュサック度数」と呼ぶこともある
ゲーリュサックは精密な実験を行い、水素ガスと酸素ガスが反応して水蒸気ができる場合、「反応する水素:反応する酸素:生成する水蒸気=2:1:2」という整数比が成立することを示しました。気体反応の法則は、物質の最小単位粒子である原子が存在するというドルトンの原子説を支持するものと、当時は考えられていました。しかし、ドルトン自身はこの法則を認めなかったのです。
(v) 分子説とアボガドロの法則
ドルトンは、ゲーリュサックの気体反応の法則を認めませんでした。なぜなら、ドルトンは自然の根本はシンプルに違いないから、原子同士は基本的に1:1で結合するに違いないと考えていたからです。ドルトンは、水素や酸素などの単体気体は、当然1原子からなると考えていました。このように結論付けたドルトンは、例えば水をHO、アンモニアをNHとするなど、ごく一般的な物質に対して、誤った化学式を推定してしまいました。よって、水蒸気の生成反応について、ドルトンの主張を化学反応式で示すと、次のようになります。
H + O → HO
これでは、「反応する水素:反応する酸素:生成する水蒸気=1:1:1」となり、ゲーリュサックの気体反応の法則と矛盾が生じます。そこで、このような矛盾を解決し、気体反応の法則を上手く説明するために、イタリアの物理学者であるアメデオ・アボガドロは、1811年にフランスの学術雑誌に次のような「分子説(molecular theory)」を提唱しました。当時、アボガドロは海外では全くの無名でした。最初は法律家になるために教会法に関する論文で博士号を取得し、そのあとに独学で数学と物理学を修め、トリノ大学で理論物理学の初代教授になった異才でした。
@ 気体は何個かの原子が結合した分子からなる A 同温同圧で同体積の気体は、種類に関係なく同数の分子を含む(アボガドロの法則) |
以上のことから、アボガドロが考える水蒸気の生成反応は、次のようになります。
2H2 + O2 → 2H2O
図.24 アボガドロが考える水蒸気の生成反応
これで「反応する水素:反応する酸素:生成する水蒸気=2:1:2」となり、ゲーリュサックの実験結果を見事に説明できました。アボガドロの分子説は、気体反応の法則を矛盾なく説明する素晴らしい提案であったのです。また、これが正しいなら、原子量の正確な値も決定できるという注目すべきものでした。
図.25 アボガドロが提唱したアボガドロの法則は、高校化学では必ず学習する重要法則である
しかし、アボガドロの分子説が広く支持されるようになったのは、提唱されてから49年後の1860年のことで、アボガドロの死後から4年が経過していました。19世紀前半、化学の中心地はイギリス、ドイツ、スウェーデンでした。イタリアは化学の後進国だと見なされていたので、アボガドロの論文は長い間無視されていたのです。アボガドロの分子説に注目が集まる契機となったのは、1860年にドイツのカールスルーエで開催された国際化学者会議です。そこで原子と分子の区別が討議されたとき、イタリアの有機化学者であるスタニズラオ・カニッツァーロによって、アボガドロの論文が取り上げられたのです。アボガドロの分子説が評価されなかった理由としては、原子が分子を形成する理由が見当たらなかったことや、「同温同圧下で同体積中に同数の気体粒子が含まれている」という仮説の正誤が、上手く実証できなかったことなどが考えられます。アボガドロが法曹界の出身故に、論文の文章が難解であったことも一因とされています。
・参考文献
1) アン・ルーニー著/八木元央訳「元素から見た化学と人類の歴史」シナノ印刷(2019年発行)
2) 石川正明「新理系の化学(上)」駿台文庫(2005年発行)
3) 卜部吉庸「化学の新研究」三省堂(2013年発行)
4) 梶雅範「メンデレーエフと周期律発見」化学と教育63巻2号(2015年)
5) 齊藤烈/藤嶋昭/山本隆一/他19名「化学基礎」啓林館(2012年発行)
6) 桜井弘「元素118の新知識 引いて重宝、読んでおもしろい」講談社(2017年発行)
7) 桜井弘「メンデレーエフの元素周期表誕生150年」化学と教育67巻6号(2019年)
8) 竹内薫「怖くて眠れなくなる科学」PHP研究所(2012年発行)
9) 船山信次「こわくない有機化合物超入門」技術評論社(2014年発行)
10) 山口幸夫「理科がおもしろくなる12話」岩波書店(2001年発行)
11) 渡辺正/北條博彦 共著「高校で教わりたかった化学」日本評論社(2008年発行)