・放射線の科学
【目次】
(1) 放射線とは何か?
まず「放射線」について考えるときに、最初に知っておいて欲しいことは、宇宙に存在するほとんどの物質、すなわち地球上のほとんどの物質は、すべて放射線を出している「放射性物質」であるということです。「それは大変だ!」と驚く人もいるかもしれませんが、私たちの身の回りは、もともと「放射能」を持つ放射性物質で溢れているのです。例えば、朝に窓から差し込む太陽の光には、放射線が含まれています。そして、朝のニュースを見るテレビや、朝食にミルクを温める電子レンジ、そしてミルク自体からも、放射線がわずかに出ています。とはいっても、これらは普通に生活している分には、何ら問題になるレベルではありません。しかし、私たちが放射線によって日常的に「被曝」をしていることは事実です。「放射線」というと、「非常に危険なもの」というイメージがあるかもしれませんが、被曝量が少なければ、ほとんど問題なく生活することができます。放射線は無味無臭で、しかも肉眼では見えないので、その存在に気が付かないだけなのです。
図.1 私たちが普段見ているテレビからも、「放射線」がわずかに出ている
放射線は、発生源の違いで、もともと自然にあった「自然放射線」と、人の手で作られた「人工放射線」の2つに分けることができます。どちらも放射線であることに変わりはなく、「自然放射線だから無害」、「人工放射線だから有害」ということはありません。
「人工放射線」の身近な例は、健康診断などで行われる胸部レントゲン写真撮影です。また、原子力施設の事故や、大気圏内の核実験により、放射性物質が大気中に放出され、雨や塵と共に地上に降り注いでくる「放射性降下物」も存在しています。その他、産業機械などからも、人工放射線が生み出されています。
一方で、「自然放射線」には、宇宙からの放射線(宇宙線)や、太陽からの放射線(太陽粒子)、大気中の放射性物質からの放射線、地面や地下の岩石などに含まれる放射性物質からの放射線などがあります。また、実はほとんどの食物には、放射線を出す「カリウム40」が含まれていて、なんと天然カリウムの0.0117%は、このカリウム40なのです。さらには、私たちの体を構成する物質にも、種々の放射性物質が含まれており、私たちの体は、常に内側からも放射線を受けている状態にあります。
表.1 生活に関わる「放射線」の被曝線量
発生源 |
行 為 |
被曝線量〔μSv〕 |
人工放射線 |
胸部X線集団検診/1回 |
50 |
自然放射線 |
東京・ニューヨーク旅行飛行機/往復 |
190 |
自然放射線 |
日本国内の自然放射/年 |
400 |
人工放射線 |
胃のX線集団検診/1回 |
600 |
人工放射線 |
一般公衆の線量限度/年 |
1,000 |
自然放射線 |
世界の自然放射(平均)/年 |
2,400 |
人工放射線 |
胸部X線CTスキャン/1回 |
6,900 |
自然放射線 |
ガラパリに住む/1年 |
10,000 |
(藤高和信「放射能と放射線」より引用)
上の表.1に、生活に関わる「放射線」の被曝線量を示しました。単位は、「シーベルト(Sv)」を用いています。シーベルトというのは、放射線による人体などへの影響度合いを表す単位であり、放射性物質の種類や、放射線量、放射線の種類などによって数値は変わってきます。このシーベルトを用いると、放射線による「医学的重篤度」が、どの程度であるのかが分かりやすくなり、とても便利になるのです。ちなみに、「μ(マイクロ)」というのは、「1/106」を表す接頭語であり、「1 Sv=106 μSv」、「1 mSv=103 μSv」なので、ニュースで見るときには、単位によく注意する必要があります。例えば、「10 Svの線量を検出」といった場合は、数字で見ると大したことのないように思えますが、実際は「10 Sv=107 μSv」の線量に相当する訳です。
さて、日常的に受ける被曝線量は、「胸部X線集団検診」の場合では50 μSv、「1年間に自然放射から受ける世界平均値」が2,400 μSv、「1回のCTスキャン」で6,900 μSv、「ガラパリに1年間住む」と10,000 μSvです。さらに、「自衛隊・警察・消防が1年間に浴びて可とされる線量」が50,000 μSv、そして「99%の人が死亡する線量」が7,000,000 μSvです。2,400 μSvの自然放射の内訳は、「宇宙」から380 μSv、「大地」から480 μSv、「食物」から240 μSv、「空気中のラドンなど」から1,300 μSvの被曝量だといわれています。
ちなみに、「ガラパリ」というのは、ブラジルエスピリトサント州にある南大西洋沖のリゾート地であり、美しい曲線を描く白い砂浜で有名です。この地域では、地磁気が弱くて、放射線帯が垂れ下がっていることから「南大西洋磁気異常」と呼ばれ、ここでは地球上で最も多く宇宙線が降り注いでくることで知られています。
図.2 「ガラパリ」は、世界でも有数の自然放射線量の地域として知られている
なお、「シーベルト(Sv)」が、人体などへの被曝の総量を表すのに対して、「シーベルト毎時(Sv/h)」は、人体への被曝の強さを表します。例えば、「2 Sv/h」だったら「1時間で2 Svの被曝量を受ける強さ」を表します。また、「年間被曝量」とは、1年間でどれくらい放射線の影響を受けるのかを表す数値であり、シーベルト毎時から、次のように算出されます。
シーベルト毎時(Sv/h) × 24(時間) × 365(日) = 年間被曝量
また一方で、放射線量の単位として、「ベクレル(Bq)」が使われることもあり、「1秒間に1個の原子核が崩壊して放射線を出す」と1 Bqになります。つまり、ベクレルは、放射性物質の「放射能の強さ」を示す単位なのです。ただし、物質によって出される放射線の種類や、エネルギーの大きさが違うため、同じベクレル数でも、人体などへの影響はそれぞれの物質によって違うということに留意が必要です。
さらに、放射線が物質に当たったときに与えるエネルギー量は、「グレイ(Gy)」で表されます。1 Gyは「1 J/kg」とも表され、1 Gyは、「物質1 kgについて1 Jのエネルギーが吸収されたこと」を意味します。ただし、グレイは「エネルギー量」を表すといっても、「放射線の人体への影響」を直接表す数値ではないことに注意が必要です。吸収線量(グレイ)と線量当量(シーベルト)には、一般的に次のような関係があります。
線量当量(Sv) = WR × 吸収線量(Gy)
ここで、WRは「放射線荷重係数」を示します。「吸収線量」は、「J/kg」とSI単位系できっちり定義された愛昧のない物理量です。それに対して、放射線が人体にどのくらい影響があるのかという「生物学的影響」を表した量が、「線量当量」なのです。線量当量は、いわば「被曝の重篤さ」を表した量であるから、吸収線量と比べると、やや恣意的で愛昧な表現な訳です。そこで、この両者の量を結び付ける係数が、「放射線荷重係数WR」です。放射線荷重係数は、動物の種類や部位や年齢などによって異なり、放射線の種類によっても変化します。吸収線量に放射線荷重係数をかけることで、吸収線量を曖昧な線量当量に変換することができるのです。
かくして、「グレイはデジタル的、シーベルトはアナログ的」という人もいますが、シーベルトも動物実験を行ってきちんと算出した値であり、放射線が人間にどう影響するのかということを分かりやすく表現したシーベルトの方が、グレイよりも好まれて使われる傾向があります。
表.2 放射線に関する単位
ベクレル(Bq) |
ある放射性物質が1秒間に出す放射線量を表わす |
シーベルト(Sv) |
放射線による人体などへの影響度合いを表わす |
グレイ(Gy) |
放射線が物質に当たったときに与えるエネルギー量を表す |
(2) 原子と放射能
原子は、英語で「atom」といいます。「atom」は、「それ以上小さく分割できない最小単位」という意味です。自然界には、水素HからウランUまで90の原子が存在し、その原子の組み合わせで、物質が作られているのです。原子は、その中心にある1個の「原子核」と、その周囲を運動する「電子」からできています。さらに、原子核は、正の電荷を持つ「陽子」と、電荷を持たない「中性子」からできており、この陽子と中性子を総称して、「核子」と呼びます。
原子核の陽子は、「正の電荷」を持っていますが、原子核の周囲を運動する電子は、反対の「負の電荷」を持ちます。原子は、電気的に中性になろうとするので、陽子の数と電子の数は、同じになります。また、原子核中の陽子の数で元素の種類が決まり、その数を「原子番号」といいます。さらに、電子の質量は非常に小さいため、原子核中の陽子の数と中性子の数で、およその原子の質量が決まり、その和を「質量数」といいます。質量数を示すときには、元素記号の左上に質量数を書きます。例えば、陽子2個と中性子2個からなるヘリウムは、4Heと書きます。
図.3 有名な原子モデル
同じ元素の原子核であれば、原子核に存在する陽子の数は同じです。しかし、中性子の数は、必ずしも同じではありません。このように、陽子の数は同じであるが、中性子の数が違う原子同士を、「同位体」といいます。日本語で同位体を表すには、元素名の次に質量数を添えるようにします。例えば、最も小さな原子である水素原子の同位体としては、中性子が0のもの(水素1, 1H:軽水素)、中性子が1個あるもの(水素2, 2H:重水素またはジュウテリウム)、中性子が2個あるもの(水素3, 3H:三重水素またはトリチウム)の3種類があります。また、水素の同位体に限り、重水素を「D」、三重水素を「T」と固有記号で表す場合があります。
表.3 水素の同位体
|
|
|
|
陽子 |
1 |
1 |
1 |
中性子 |
0 |
1 |
2 |
質量数 |
1 |
2 |
3 |
存在比 |
99.985% |
0.015% |
極微量 |
呼称 |
軽水素 |
重水素 |
三重水素 |
同じ元素の同位体であれば、化学的性質は変わりません。しかし、同位体によっては、安定なものと不安定なものがあり、不安定な同位体は、その原子核に固有の早さで、別の原子核に変化します。これを「原子核崩壊(放射性崩壊)」といい、原子核崩壊を起こす同位体を、特に「放射性同位体」といいます。放射性同位体は、原子核崩壊をするときに放射線を放出し、陽子の数が変われば、別の元素に変化します。例えば、水素の場合、1Hと2Hは安定な同位体ですが、3Hは不安定な放射性同位体であり、3Hは「β線」を出しながら、3Heに変化していきます。
(i) 半減期
このように原子核崩壊をすると、ある一定の割合で、放射性同位体の原子数が減っていきます。これは、「放射性同位体の崩壊数が、その物質の量そのものに比例する」からです。原子数が半分になるまでの期間を「半減期」といい、放射線量も半分になります。この期間は物質によって決まっており、数十秒と短いものから、数十億年かかるものまで様々です。次の表.4に、主な放射性同位体の「半減期」を示しました。ちなみに、3Hの場合、半減期は約12.4年になります。つまり、100 gの3Hが50 gになるのに12.4年かかり、50 gが25 gになるのにさらに12.4年が必要になるということです。
表.4 主な放射性同位体の「半減期」
放射性同位体 |
半減期 |
放射性同位体 |
半減期 |
|
32.3秒 |
|
1,600年 |
|
8.04日 |
|
2.4万年 |
|
138.4日 |
|
12.8億年 |
|
28.9年 |
|
44.6億年 |
|
30.0年 |
|
141億年 |
放射性同位体から出る「放射線の強度」は、それぞれ半減期を持っており、半減期をTとすると、T時間経てば、放出される放射線の強度は、半分に減ってしまいます。放射線の強度が半分になったときから数えて、さらにT時間経つと、放射線の強度はさらに半分に減ります。これは無限に繰り返されて、ついには放射線を検知できない低レベルまで減ってしまいます。
図.4 最初の原子数がN 個であるとき、半減期T時間経つと、原子数はN /2個になる
放射性同位体が原子核崩壊するとき、微小時間dtにおける原子の崩壊数dNは、ある時刻における原子数Nに比例するので、これを数式で表すと、次の(i)式のようになります。ここで、λは「減衰係数」といわれるもので、tは経過時間、Nはt年後の原子数を表します。
(i)式を変形して得られた(ii)式の両辺を積分すると、次の(iii)式のようになります。ここで、N0は崩壊する前の原子数、lnは自然対数を表します。
初期条件t=0を(iii)式に代入すると、積分定数は となります。これを(iii)式に代入すると、次の(v)式が得られます。
また、半減期をTとすると、t = Tでは、N = N0/2となるので、(iv)式は、(vi)式のように書くこともできます。
つまり、半減期T は、減衰係数λに反比例します。減衰係数λは、物質ごとに固有の値を持つので、半減期Tも物質ごとに異なってきます。「放射性廃棄物の処分」という実用的な問題にも、この半減期が鍵となっています。もし半減期が短ければ、放射性廃棄物の寿命は処分場の中で尽きますが、半減期の長い放射性廃棄物の場合は、処分場の中で寿命が尽きることはなく、危険も長期化することを意味しています。
(ii) 放射性炭素年代測定法
地中から生物の遺骸が発見されたとき、放射性同位体の半減期の性質を利用すると、その生物がいつ死んだのかが分かります。特に炭素14の量を調べるので、この方法を「放射性炭素年代測定法」といいます。この方法が開発されたことで、従来は地層の層序や文献から推定するしかなかった年代の測定精度が、飛躍的に向上しました。この方法を開発したアメリカの化学者であるウィラード・リビーは、1960年にノーベル化学賞を受賞しています。
放射性炭素年代測定法は、考古学上の最大6万年スケールの年代測定法であり、自然の生物圏内において、炭素14の存在比が、常に一定であることを利用したものです。宇宙線が大気に入射すると、様々な反応が起こり、中性子が生成することがあります。炭素14は、窒素原子にその中性子が吸収されることによって生成します。宇宙線によって作られる量とβ崩壊によって失われる量がつり合っていて、大気中の二酸化炭素に含まれる炭素原子には、放射性同位体である炭素14が、常に一定量存在しています。
炭素14の割合は、全炭素原子核数の10-12程度であり、大気中の炭素1 g当たり毎分15.3個のβ崩壊が起こる量に相当します。この割合は、昔も今も同じであると考えられています。生きている植物は、光合成により大気から常に炭素14を取り込んでいます。この炭素14は、食物連鎖によって動物に取り込まれるため、すべての生物体は生きている限り、大気中と同じ存在比で、炭素14を保持しています。しかし、生物体が死滅すると、外界から炭素14の補給がされなくなるため、死滅後は時間の経過とともに、原子核崩壊が起きて安定な窒素14へと変化していきます。
図.5 放射性炭素年代測定法
初めの原子数をN0、半減期をTとすると、時間tだけ経過したときに、崩壊せずに残っている原子数Nは、次の式(vii)のように表されます。この式(vii)を使うことにより、考古学では、遺物などの炭素14の含有率を調べることで、その遺物が何年前のものか分かるのです。
映画「テルマエ・ロマエ」では、ローマの建築技師であるルシウスが、過去から来たということを証明するため、この放射性炭素年代測定法を用いて、その着衣を調べていました。しかし、この方法は半減期の性質を利用したものであるため、タイムスリップしてきた人間の着衣を調べても、現代とほぼ同じ値を示すに違いありません。この下りは、明らかに脚本家のミスであったと思われます。
(3) 放射線の種類
原子核崩壊によって放出される放射線には、ヘリウム原子核の流れである「α線」、高速の電子の流れである「β線」、高エネルギーの電磁波である「γ線」があります。放射線には、物質を通り抜ける「透過力」があり、物質に当たると、物質中の原子から電子を引きはがして、イオンを作る「電離作用」もあります。これらの働きの強さは、放射線の種類によって異なります。例えば、γ線は、透過力が非常に強い放射線ですが、電離作用は弱いです。一方で、α線は、透過力こそ弱いものの、電離作用が非常に強い放射線です。次の表.5に、各放射線の比較を示します。
表.5 各放射線の比較
放射線 |
正体 |
電荷 |
透過力 |
電離作用 |
α線 |
Heの原子核 |
+2e |
小 |
大 |
β線 |
電子 |
−e |
中 |
中 |
γ線 |
電磁波 |
0 |
大 |
小 |
(i) α線(ヘリウム原子核の流れ)
原子核が「α崩壊」すると、原子番号が2小さく、質量数が4小さい原子核になります。このα崩壊により放出されるのが、中性子2個と陽子2個からなる「α線」です。α線は、ちょうど「ヘリウムの原子核」と同じ粒子で、放射線の中でも最も大きく重く、しかも電荷を持っているので、防御は比較的容易です。紙やアルミ泊でも防ぐことができ、空気中でも、わずか数cm程度しか進むことができません。しかしながら、α線は、電子を奪う電離作用が非常に強いため、α線を出す放射性物質を体内に取り込んだ場合の「内部被曝」には、十分注意しなければなりません。次に例として、ウラン238からトリウム234へのα崩壊を示します。
(ii) β線(高速の電子の流れ)
原子核が「β崩壊」すると、原子核の中性子が陽子に変化して、原子番号が1大きい原子核になります。中性子が陽子に変化しただけなので、質量数は変わりません。このときに放出される放射線のことを、「β線」といいます。β線は、「電子の高速な流れ(光速の90%ほどで飛ぶ電子)」です。物質を透過する力は、それほど強くないので、厚さ数mmのアルミ板や厚さ1 cmほどのプラスチック板で防ぐことができます。空気中でも、飛距離は1 m程度しかありません。ただし、β線が物質に当たると、X線を放出するので、その防御も必要になります。β線も、α線と同様に「内部被曝」が問題になります。次に例として、アルゴン42からカリウム42へのβ崩壊を示します。
(iii) γ線(電磁波)
これまで紹介したα線とβ線は粒子ですが、「γ線」は、波長の短い電磁波です。γ線は、可視光の1万倍から1,000万倍ものエネルギーを持ちます。放射性同位体には、α線やβ線と同時に、γ線を放出するものが多くあります。原子核がα線やβ線を放った直後では、原子核はまだ不安定な励起状態であり、γ線を放出して、より安定な状態になろうとするのです。要するに、γ線は「不要なエネルギーの放出」です。物質は、低いエネルギー状態であるほど、反応に寄与しにくく安定なのです。また、γ線を放出しても、原子番号や質量数は変化しません。γ線は、電磁波なので透過力が強く、コンクリートや鉄板、鉛板などで防御する必要があります。ただし、鉛板では10 cm以上、鉄板では20 cm以上の厚みが必要となります。γ線は、内部被曝よりも、むしろ高い透過力による「外部被曝」の恐れの方が大きいです。γ線が人体を通過したあとには、傷付いた分子が残ります。
(iv) その他の放射線
「核分裂」が起きたときに、原子核中の中性子が飛び出して生じる「中性子線(中性子の流れ)」も、放射線の一種です。中性子線は電荷を持たないため、原子との相互作用が少なく、透過力が極めて強いです。中性子線を遮蔽することは、非常に困難であるため、放射線の中でも、最も厄介なものと考えられています。
さらに、γ線と似たような電磁波に、レントゲンで使用される「X線」があります。しかし、γ線もX線も、本質的には、どちらも同じ電磁波です。「原子核崩壊により原子核が励起し、原子核から放出されるもの」をγ線と呼び、「電子遷移により電子が励起し、原子核外から放出されるもの」をX線と呼び分けているだけです。どちらも、エネルギーの高い「遷移状態」から、エネルギーの低い「基底状態」になるときに放出される電磁波です。
なお、原子の内側の軌道から電子が叩き出されると、叩き出されて空いた場所には、外側の軌道にある電子が移ってきます。このとき、原子が持つ「余分なエネルギー」は、X線として外部へ放出されます。このときに放出されるX線のエネルギーは非常に高く、これを「特性X線」と呼びます。特性X線のエネルギーは、電子軌道が量子化されているために、元素の種類ごとに固有の値を持ち、それぞれで異なっています。
図.6 「特性X線」が放射される仕組み
(v) 放射線の遮蔽
生物体に入った放射線は、原子や分子の価電子を叩き出してイオン化させます。放射線が体内に生じさせるイオンは、ときに不対電子を持つ活発な「フリーラジカル」になります。生じたフリーラジカルが近くの分子に襲い掛かると、細胞や組織が傷付きやすいです。放射線の生体作用は、まずどこまで深く侵入できるかの「透過力」が決めます。α線は「紙1枚」で止めることができ、数cmの空気層さえ透過しません。それ故、体外からくるα線のリスクは小さいです(ただし、α線の線源を飲むと危険です)。β線はα線よりも透過力が強く、防ぐには「薄い金属箔」または「厚手の衣服」が必要です。γ線は質量も電荷もゼロの電磁波なので透過力が強く、厚手の鉛板や鉄板などの「厚い金属板」でなければ遮蔽ができません。また、中性子線は「水」や「コンクリート」で止めることができます。透過力は放射線の種類によって異なるので、防護のためには、どこでどのような放射線が出るのかを、予め知っておく必要があります。
図.7 各放射線の透過力
なお、放射線の生体影響には、透過力の他に原子や分子の電子を叩き出す「イオン化能」も重要です。重くて正電荷の大きいα線は、透過力は弱くてもイオン化能が強いため、体内に入ると組織を傷付けやすいです。イオン化能を比較すると、α線>β線>γ線の順番になります。γ線はイオン化能が弱いので、同じ距離を進む場合、γ線の損傷力はα線やβ線に劣ります。ただし、γ線は侵入距離が長い分だけ、イオン化の総量が増えて損傷も増すので、注意が必要です。
(4) 被曝とは何か?
2011年3月11日に東北地方で発生した、マグニチュード9.0の「東北地方太平洋沖地震」による地震動と津波の影響により、東京電力の福島第一原子力発電所は1〜4号機の全電源が喪失、炉心の冷却が不能となりました。原子炉本体の損傷に加え、建屋も次々と爆発したため、大量の放射性物質が大気中・土壌中・海水中へと放出されました。その総量は1.13×1019 Bqと見積もられ、1986年のチェルノブイリ原発事故の1.32×1019 Bq(広島の原爆の約400倍)に匹敵します。この事故のあと、「被曝」という言葉を、ニュースなどで耳にすることが急に多くなったと思います。被曝には、「放射線などにさらされること」という意味があり、その形態により、「外部被曝」と「内部被曝」に分けることができます。
図.8 原子力事故直後の福島第一原子力発電所
(i) 外部被曝
「外部被曝」というのは、人体の外側から、放射線を浴びて受ける被曝のことです。宇宙線や地表からの放射性物質の放射線を浴びることが、外部被曝の原因となっています。被曝を避ける最善の方法は、「放射能汚染事故」などを起こさないことですが、事故が起こってしまったら、被曝を防ぐ対策が必要となります。外部被曝を避ける最上の方法は、「放射能線源」に近付かないことです。そして、汚染地域の滞在時間をできるだけ短くすることです。そのためには、どこで汚染が起きているのかを、しっかりとしたモニタリングで明らかにしなければなりません。
重大な放射能事故が起きている場合、放射性物質は風に乗って飛散し、屋外には放射性物質が漂っています。この場合、できるだけ屋外に出ないことが大切です。また、窓を開けたり換気扇などを付けたりすると、外気が室内に入ってくるので、止めておきましょう。どうしても外出する必要がある場合には、帽子を被り、眼鏡をかけ、内部被曝予防のための防じんマスクを着用します。さらに、皮膚が外気と触れないような服装をして、手袋や長靴を着用、そしてレインコートのようなものを着ると良いとされています。
屋外で着用した衣類には、放射性物質が付着している可能性があるので、外出から戻ったら、玄関先で衣服を脱ぎ、室内に放射性物質が入らないようにしましょう。脱いだ服は、ビニール袋に入れておき、後日除染します。そして、うがいや洗顔をよくして、シャワーを浴びたりして、髪や体に付着した放射性物質を洗い流します。場合によっては、目や鼻も洗うと効果的です。さらに、事故時に屋外で自動車を運転した場合には、その自動車のボディやタイヤも、外部被曝の線源となります。これも除染が必要です。また、風向きや降雨についての情報についても、注意しなければなりません。風が吹くと、放射性物質は風に乗って運ばれてくるからです。また、雨が降ると、大気中に浮遊している放射性物質が、雨の水滴に吸着して地表に落ちてくるので、できるだけ雨に当たらないようにすることです。特に降り始めの雨には、放射性物質が多く含まれているとされています。
一般的には、外部被曝を低減する3原則は、「時間・距離・遮蔽」であるといわれています。厚いコンクリートの壁などで放射性物質を隔離して「遮蔽」すれば、放射線が外部に漏れることはありません。また、線量は距離の2乗に反比例するので、放射性物質から「距離」を取って離れておけば、被曝を防ぐことができます。さらに、線量は滞在する「時間」に比例して増加するので、放射線場での行動が少なくなるほど、リスクが減らせます。
(ii) 内部被曝
「内部被曝」というのは、食品などの摂取や呼吸により、外部の放射性物質を体内に取り込み、そこが被曝源となって受ける被曝のことをいいます。内部被曝を防ぐには、放射性物質を体内に取り込まないこと、そして取りこんでしまった放射性物質は、できるだけ早く排出することです。具体的な対策としては、空気中の塵などに付着した放射性物質が、呼吸により体内に取り込まれると内部被曝をしてしまうので、外出の際には、防じん用のマスクを着用することが考えられます。また、高濃度の放射能に汚染されている食物については、原則として絶対に食べないことです。流通して販売されている野菜などの食物については、よく洗ってから食べるようにすれば良いでしょう。万が一、放射性物質が体内に入ってしまった場合には、専門医の管理下で、肺や胃の洗浄、緩下剤、キレート剤などの投与が行われます。
内部被曝についての食物モニタリングが、様々な機関で行われていますが、これは連続的に同じ部位を測定したり、また飲料水の測定などを行ったりします。ただし、日本では、野菜の中でも根菜がよく食べられていますが、「ICRP(国際放射線防護委員会)」による勧告では、葉菜が中心ですから、はっきりとした根拠があるのは、葉菜だけです。また、肉類についても同様で、日本人の消費量が多い魚介類についてはあまり触れられていません。ヨーロッパでは、牛乳のモニタリングも行われていますが、これは必須のこととして重要視しています。何についてのモニタリングを重要視するのかは、各国それぞれの事情が反映されます。いずれにせよ、まずは数値の根拠を正確に理解することが大切です。次の表.6に、ICRPによる基準値をもとにした「飲食物摂取制限」に関する指標を示します。これは、1年間暫定基準値量を超えて飲食物を摂取すると、障害が起きる可能性があるという値です。
表.6 「飲食物摂取制限」に関する指標
核 種 |
原子力施設などの防災対策に係る指針における摂取制限に関する指標値(Bq/kg) |
|
放射性ヨウ素 |
飲料水 |
300 |
|
牛乳・乳製品 |
|
|
野菜類(根菜や芋類を除く) |
2,000 |
放射性セシウム |
飲料水 |
200 |
|
牛乳・乳製品 |
|
|
野菜類(根菜や芋類を除く) |
500 |
|
穀類 |
|
|
肉・卵・魚など |
|
ウラン |
乳幼児用食品 |
20 |
|
飲料水 |
|
|
牛乳・乳製品 |
|
|
野菜類(根菜や芋類を除く) |
100 |
|
穀類 |
|
|
肉・卵・魚など |
|
プルトニウム |
乳幼児用食品 |
1 |
および |
飲料水 |
|
超ウラン元素のα核種 |
牛乳・乳製品 |
|
|
野菜類(根菜や芋類を除く) |
10 |
|
穀類 |
|
|
肉・卵・魚など |
現在、暫定基準値とされている値は、飲料水中の濃度でヨウ素131は300 Bq/kg、セシウム137は200 Bq/kgとなっており、これが日本の安全基準値となっています。葉菜では、ヨウ素131が2,000 Bq/kg、セシウム137が500 Bq/kgです。ここで注意すべきは、表.6の値は、もともと「ヨーロッパでの食事」を対象として定められたものであるということです。ここでの基準値は、文字通り暫定的であって、将来は各国の事情に合わせて、もっと慎重に考察した基準が登場するだろうと思っています。
(5) 放射線の生物影響
1895年11月8日の夕暮れに近い実験室で、ヴュルツブルク大学の学長を務めていたドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンは、世紀の大発見をしました。クルックス管を用いて、陰極線の研究をしていたレントゲンは、装置から90 cmほど離して置いてあった蛍光紙の上に「暗い線」が現れたのに気が付き、目には見えない「光のようなもの」が装置から出ていることを発見したのです。それから、レントゲンはこの研究に没頭し、その年の12月末には、最初の論文を書きました。その論文で、この「光のようなもの」は電磁波の一種であり、数学で未知の数を「x」とおく習慣にならって、この電磁波を「X線」と名付けました。X線は、それまでに発見されていたどんなものよりも、はるかに強力な透過光線であり、X線の発表から数カ月と経たないうちに、胆石や骨折の検査を行うための「レントゲン撮影機」が設計・製造されました。やがて、ビスマスやバリウムを飲むことによって、消化管内部のX線撮影も可能になりました。これらの医学への功績により、レントゲンは、1901年に最初のノーベル物理学賞を受賞しています。
図.9 「X線」を発見した功績により、レントゲンは第1回ノーベル物理学賞を受賞した
しかしながら、X線が発見された当時、X線が人体に「有害」であることは、研究者をはじめ、世の中ではほとんど理解されていませんでした。X線を活用するようになってから間もなく、X線に「火傷」を引き起こす危険性があることが分かりました。しかし、X線の本当の危険性は、そんな生やさしいものではありませんでした。X線は、人体に「根本的なダメージ」を引き起こす危険のある放射線です。細胞を死滅させたり、細胞に不可逆的な損傷を与えたりします。1897年5月には、すでに放射線による傷害事故が、69件も報告されていました。被害者はすべて、レントゲン撮影技師でした。それを知っていたかどうかはとにかく、彼らは、命がけの自己実験を行っていたのです。
かの有名な発明家トーマス・エジソンも、X線機器を使って実験を行っていましたが、視力を失いかけたので、実験を中止しました。エジソンの助手の1人であったクラレンス・ダリーの場合は、さらに悲惨でした。両腕にできた潰瘍の「治療」のため、信じられないことに、さらに大量のX線を照射されたのです。ダリーは両腕の切断を余儀なくされ、1年後に、39歳の若さで死亡しました。
図.10 トーマス・エジソンは、傑出した発明家として知られ、生涯におよそ1,300もの発明と技術革新を行った人物である
レントゲン技師は、被曝の最前線にいました。彼らは防護服も着ていなかったし、初期のX線管には、ほとんどシールドが取り付けられていませんでした。患者も、放射線を過度に照射される危険にさらされていました。当時は、鮮明な写真の撮影を確実にするため、照射時間は信じられないぐらいに長かったのです。1896年、初めてX線を使って体内の異物(弾丸)が見つけ出されましたが、その際の照射時間は、実に2時間以上でした。ある5歳の少女は、「多毛症」の治療のため、毎日2時間、16日間に渡ってX線を照射されました。確かに、少女の背中の毛は抜け落ちましたが、そのあとには大きな「壊死性潰瘍」ができ、やがてガン化しました。こうした治療によって、何万人もの女性が醜い傷跡に苦しみ、ガンを発症することになりました。最後の「X線脱毛器」が引退したのは、ようやく1949年のことでした。
このように、数え切れないほど多くの人々に、不必要な照射が行われました。放射線の影響の度合いは、「被曝量」によって決まります。それでは、どれくらいの量の放射線を受けると、人体に影響が出てくるのでしょうか?放射線の人体への影響は、「身体的影響」と「遺伝的影響」の2つに分けることができます。
(i) 身体的影響
「身体的影響」には、被曝した人自身が受ける影響により、さらに「急性影響」と「晩発性影響」に分けられます。このうち「急性影響」は、被曝後にごく短時間で洗われる影響のことで、急性放射線症や急性放射線皮膚障害、造血臓器機能不全などがあげられます。一方で、「晩発性影響」は、放射線に被曝してから、数年ほど時間が経過してから現れる影響のことで、白内障やガン、白血病などがあげられます。身体的影響の潜伏期間は、原則として線量が高いほど短くなります。放射線の人体に対する「急性影響」は、次の表.7のようになります。
表.7 放射線の人体に対する「急性影響」(単位:mSv)
放射線量 |
期間および回数 |
内 訳 |
0.02 |
1年 |
1日1時間ブラウン管のテレビを見る |
0.05 |
1回 |
胸部X線集団検診 |
1 |
1年 |
一般公衆がさらされて良い人工放射線量の限度 |
1.5 |
1年 |
日本の自然放射線量 |
2.4 |
1年 |
自然放射線量の世界平均 |
6.9 |
1回 |
胸部X線CTスキャン |
10 |
1年 |
ブラジルのガラパリに住む |
50 |
1年 |
自衛隊・警察・消防がさらされて良い線量限度 |
81 |
急性 |
広島における爆心地から2 km地点での線量 |
100 |
5年 |
放射線業務従業者がさらされて良い線量限度 |
250 |
急性 |
白血球の減少 |
500 |
急性 |
リンパ球の減少 |
1,000 |
急性 |
急性放射性障害(吐き気、嘔吐、水晶体混濁) |
2,000 |
急性 |
出血や脱毛など。5%の人が死亡する |
3,000 |
急性 |
50%の人が死亡。局所被曝については脱毛 |
4,000 |
急性 |
局所被曝では永久不妊 |
5,000 |
急性 |
局所被曝では白内障、皮膚の紅斑 |
7,000 |
急性 |
造血系の障害により99%の人が死亡 |
20,000 |
1時間 |
福島第一原子力発電所2号機の格納器内 |
(藤高和信「放射能と放射線」より引用)
急性影響の場合、100 mSvで軽度のむかつきを感じます。250 mSvの放射線を受けると白血球の数が一時的に減少し、500 mSvではリンパ球の数が著しく減少し、1,000 mSvでは吐き気や嘔吐、食欲不振、めまい、倦怠感などの「急性放射性障害」が現れ始めます。さらに、2,000 mSvでは出血や脱毛の症状が現れ、約5%の人が2週間以内に死亡します。3,000 mSvでは骨髄障害を起こし、放射線を受けた人の50%が死亡します。5,000 mSvでは局所的に被曝すると白内障や皮膚の紅斑を起こします。さらに、7,000 mSvになると放射線を受けた99%の人が生きていることができません。
1999年の東海村JCO臨界事故で、放射線の影響によりなくなった2人は、それぞれ推定で6,000〜10,000 mSv、16,000〜20,000 mSv程度の放射線量を受けたと考えられています。このとき、1,000〜5,000 mSv程度の放射線量を受けた作業員がもう1人いましたが、3カ月ほどの治療を受けたあと、無事に退院しています。
また、晩発性影響による発ガンには「潜伏期間」があり、比較的潜伏期間の短い白血病でも、ピークが来るのに6年ほどかかるといわれています。その他のガンの場合には、10〜20年ほど経過して、初めて発症します。なお、同じ放射線でも、臓器によって受ける影響が異なり、細胞分裂が盛んで、放射線の感受性が高い乳房、肺、胃、骨髄、腸管、生殖腺などの細胞は、放射線影響が非常に大きいです。また、大人に比べて子供は、放射線に対する感受性が高いとされています。甲状腺ガンや白血病は、被曝時の年齢が低いほど、発生率が高くなります。これは、細胞分裂を繰り返している細胞ほど、放射線の影響が大きくなるからです。したがって、大人は、将来のある子供たちが放射線の影響を受けないように、十分な注意を払わなければなりません。
(ii) 遺伝的影響
「遺伝的影響」は、被曝した本人ではなく、その子孫へ伝わる影響のことです。ICRPがまとめた動物実験結果では、10 mSvの線量を浴びると1/10,000の確率で、遺伝的影響が現れるとの報告があります。これは、放射線が細胞を通過すると、細胞の中にある遺伝情報を持つ「DNA」が損傷するからです。放射線は、非常に高いエネルギーを持っており、これらが細胞を通過するとき、細胞内の分子をいきなり「イオン化」させたり、細胞内でいきなり「活性酸素」を発生させたり、細胞内でいきなり「水素イオン」や「水酸化物イオン」といった酸やアルカリを発生させたりするのです。もし放射線やこれらの物質の影響でDNAが損傷してしまうと、DNAの遺伝子が「突然変異」して、正常な細胞分裂ができなくなり、細胞が死滅したり細胞の活動が異常化したりして、ガンや白血病などの病気の原因になってしまいます。そして、このときに人の「生殖細胞」が放射線の影響を受けると、染色体異常や遺伝子の突然変異が起こり、親とは違った形質が子孫に出現し、子孫の身体的または生理的な形質や機能に悪影響が現れるのです。
図.11 「DNA」の二重らせん構造
DNAは、2本の「鎖状ポリヌクレオチド」が一組になってできています。もし放射線の影響が原因で、二重らせん構造の1本のみが切れた場合には、DNAはほとんど元通りに修復されます。しかし、鎖が2本とも切断されてしまった場合には、切れた隙間に他のDNAが紛れ込んだり、間違ったところが繋がったりして、DNAの修復が上手くいかないことがあるのです。こうなってしまうと、正常な細胞分裂ができなくなってしまいます。
ただし、DNAの修復が上手くいかなかった場合でも、私たちの体は、損傷した細胞が次の細胞分裂を起こす前に、その細胞を排除する仕組みになっています。これは、「アポトーシス」といわれる現象で、「プログラムされた細胞死」と訳されます。細胞は、自らに何らかの異常が発生したことを察知すると、「p53」という遺伝子が働いて、自爆して果てるのです(毒の科学を参照)。私たちの体では、毎日5,000個ものガン細胞が発生しているのですが、異常化した細胞は、アポトーシスによって常に取り除かれているのです。このように、生物の細胞は、放射線のリスクに対して、「DNAの修復」と「アポトーシス」の2つの防御機能で守られています。
ちなみに、成長ホルモンが多いと、ガンになりやすいというデータがあります。成長ホルモン受容体の異常による小人症の一種「ラロン型低身長症」の家系を対象とした22年に渡る調査によって、成長ホルモンが機能せずに背が伸びなかった低身長の人では、平均的な身長の人と比べて、ガンの発生率が極端に低いことが明らかにされたのです。また、スウェーデンの研究者が、スウェーデン人500万人を調査したところ、10 cmずつ背が高くなる毎に、男性では10%の確率、女性では18%の確率だけ、ガンになるリスクが高まるということが分かりました。これは、成長ホルモンが肝臓で「IGF-1」というホルモンを分泌させる効果があり、このホルモンがアポトーシスを抑制するのだそうです。これによって、DNAの傷付いた細胞が分裂して、ガンのリスクが高まると考えられています。
また、最近の研究では、アポトーシスによって排除されなかった異常化した細胞は、細胞老化によって「隠居細胞」となることが分かっています。隠居細胞とは、DNAが傷付き、細胞分裂を停止した細胞のことです。人間の培養細胞には、「ヘイフリック限界」と呼ばれる「細胞分裂回数の制限」があることが発見され、隠居細胞は、この限界に達した細胞の状態と考えられていました。DNAの末端には、「テロメア」と呼ばれる構造があり、これは年齢が増すとともに短縮する傾向があります。そして、テロメアの長さが一定以下になると、細胞分裂ができなくなるのです。
図.12 「テロメア」は、染色体の末端に輪のような形で存在する
しかし、後の研究で、生体内の細胞でも、自己防衛のために積極的に細胞分裂を停止させる働きがあることが分かってきました。これによって、若いときのガン化が、未然に防がれていると考えられています。しかし、年齢を重ねて隠居細胞が蓄積すると、隠居細胞が新陳代謝を妨げ、臓器の機能を低下させてしまいます。さらに、隠居細胞は「SASP因子」という様々な物質を周囲に分泌し、炎症を起こしたり、ガン化を促進させたりすることが分かっています。ガン細胞は、免疫力が低下する高齢者ほど発生頻度が高くなりますが、これには、隠居細胞の分泌するSASP因子の影響も、少なからずあるのではないかと考えられています。
(6) 放射線の有効利用
放射線は、人体へ様々な影響を及ぼします。しかし、一方で、放射線の特性を生かして、医療や工業、農業などの分野で有効利用もされています。医療分野では、「X線検診」がまずあげられます。骨や内臓が透けて見えるX線写真は、もはやおなじみですね。そしてガン治療では、放射線を照射して、ガン細胞を殺す「放射線療法」が広く行われています。その他にも、核医学検査や医療器具の滅菌などにも、放射線が利用されています。
図.13 手のX線写真
放射線療法の有用性を初めて発見したのは、「キュリー夫妻」として知られる妻マリー・キュリーと夫ピエール・キュリーです。1900年のある日、彼らはドイツ人の歯科医オットー・ヴァルクホフらが報告した「放射性物質を使った実験を行ったが、放射線は間違いなく人体に影響を与える」という内容の論文を読みました。ピエールは、早速自分の体で試してみようと、腕に放射能を持つラジウム塩をテープで貼り付けました。それを10時間放置しておいたところ、間もなく腕に切手大のただれができて、数日で傷口から膿が染み出しました。マリーとピエールは、ピエールの腕の「ラジウム火傷」を観察し、経過を記録しています。腕のただれは52日後に治り、約1 cm2の灰色の傷痕が残ったものの、皮膚は元通りになりました。キュリー夫妻は、何年もラジウムRaを使って研究していたので、ラジウムRaによって皮膚がどのように火傷するのかをよく知っていました。また、傷痕が残っても、皮膚が必ず再生するのにも気付いていました。そこで、新たなアイディアが浮かびました。腫瘍などに冒された「病気の組織」をラジウムRaの放射線で焼いたら、その病気は治るのでしょうか?
それを調べるため、ピエールはマウス、ウサギ、モルモットを使って実験しました。キュリー夫妻の時代になると、動物の感情を気遣う風潮が世界中で広まってきてはいましたが、この実験は非常に重要であり、しかも非常に危険でした。とても人間相手に行う訳にはいきません。キュリー夫妻の研究の結果、動物の皮膚にできた腫瘍をラジウムRaのγ線で焼くと、腫瘍が消えて皮膚が再生し、傷痕以外には正常な状態に戻ることが分かりました。ガン細胞が破壊されたのです。キュリー夫妻の発見が契機となって、ガン患者の治療にラジウム塩が使用され始めました。現在では放射線療法は、手術療法や化学療法と並んで、ガンの主要な治療法の1つになっています。キュリー夫妻は、その放射能研究が認められ、最初に放射能を発見したフランスの物理学者アンリ・ベクレルと共に、1903年のノーベル物理学賞を受賞しました。
キュリー夫妻は、放射線の医学への人道的用途を探り、世界の放射線療法の革新的応用を無償で供与しました。しかし、1906年4月6日、雨が降りしきる中、ピエールは荷馬車が行き交うドーフィーヌ通りを横断中、反対方向に進む荷馬車に気付かず、その目前に躍り出る格好となりました。馬にぶつかり転んだピエールの頭上に、6 tの荷物を積んだ荷馬車の後輪が乗り上げました。ピエールは頭蓋骨に大きなダメージを負い、46歳の若さで死亡しました。この不慮の事故は世界中に報道され、残されたマリーは、当時の心境を「同じ運命をくれる荷馬車はいないのだろうか」と日記に書き残しています。その後、マリーはピエールの意志を継いで研究に復帰し、1911年には「ラジウムRaとポロニウムPoの発見とその化合物の研究」を評価され、ノーベル化学賞を単独で受賞しました。史上初となる2度目のノーベル賞受賞、また異なる分野で授与された最初の人物ともなりました。そして1934年7月4日、マリーは放射線による再生不良性貧血が原因となり、66歳で死亡しました。マリーの遺骸は、夫ピエールが眠るソーの墓地に埋葬されました。1955年4月20日には、キュリー夫妻の業績を称え、2人の遺骸はパリ郊外のソーにある墓地から、パリのパンテオンに移されました。パンテオンは、フランスの偉人を合祀した記念廟です。マリーは、学問の世界で女性に対する偏見が存在した時代において、女性として初めて、自身の功績によってこの栄誉を与えられることとなったのです。
図.14 キュリー夫妻は、物性物理や放射線化学などの領域で当時世界最先端の研究を行い、放射線により原子が遷移することを初めて立証した
ちなみに、マリー・キュリー直筆の研究ノートは、現在パリのフランス国立図書館に保管されていて、希望すれば読むことができます。ただし、ノートからは今も微量の放射線が出ているため、「そのせいで被害を受けても図書館を訴えない」という誓約書にサインしないと閲覧はできません。ラジウムRaの半減期は約1,600年なので、マリーの「危険な指紋」は、今後も長らく研究ノートに残ることでしょう。しかし、マリーが残したものは、それだけではありません。生涯をかけたその研究は、大勢の人の役に立っています。世界では、毎年数千万人もの人々がガンに冒されて苦しんでいますが、マリーの危険な贈り物のお陰で、生き永らえている人も少なくありません。――ただし、マリー自身の命は、同じ放射能によって縮められてしまいましたが。
図.15 マリー・キュリー直筆の研究ノートは、現在でも放射線を出し続けている
最近の放射線療法で注目を集めているのが、炭素の同素体である「フラーレン」です。フラーレンは1985年に発見され、1996年には発見した化学者にノーベル化学賞が授与されています。フラーレンは、次の図.16のようなサッカーボール型の炭素分子で、この内部に「ガドリニウムGd」という原子を閉じ込めた「内包フラーレン」の研究が、現在進められています。この内包フラーレンをマウスに注射すると、内包フラーレンはガン細胞に集まってきます。これは、ガン細胞が急激に成長するために隙間が多く、その隙間と内包フラーレンがちょうど合致するからです。ガドリニウム内包フラーレンを多く含んだガン細胞は、核磁気共鳴画像法(MRI)によって他の細胞との識別が容易になり、放射線療法の精度が飛躍的に向上すると考えられています。
図.16 「フラーレン」は、サッカーボールの形をした球状分子である
また、放射線は高線量では有害ですが、低線量ではむしろ生物活性を刺激したり、あるいは高線量照射に対しての抵抗性をもたらしたりする、という考え方があります。これは、アメリカの生化学者であるトーマス・ラッキーが提唱した説で、これを「放射線ホルミシス」といいます。この考え方は、「アルント・シュルツの法則」に基づくものであると思われます。アルント・シュルツの法則とは、「大量の毒や大きな刺激は生命力を阻害するが、微量ならば生命力に刺激を与え、生命力を促進する」というものです。まさに、「毒を以て毒を制す」という考え方ですね。
実際に日本やオーストラリアなどでは、この放射線ホルミシスを根拠にして、放射能線である「ラドン泉」や「ラジウム泉」の効用が謳われ、療養のために活用されています。例えば、秋田県の八幡平の焼山山麓に位置する玉川温泉の湯は、pH=1.2という国内最強の強酸性泉です。その成分の濃さは、釘が1日でボロボロになるほどで、皮膚や粘膜がダメージを受けて、湯ただれを起こすことから、「最初は2倍に薄めた湯に浸かり、徐々に体を慣らしていく」という特殊な入浴法が行われているそうです。この強烈な温泉が、ガンをはじめとして、西洋医学では治療の限界とされてきた難病の進行を抑えたり、治癒させたりしてしまう力があるとして、海外から注目を集めているのです。どうやら、玉川温泉には温泉水の成分に加えて、微量のラジウムが含まれており、これが様々な効能の源となっていることが知られています。微量の放射線には、老化の原因となる活性酸素を除去する酵素を活性化させる働きがあると考えられています。
図.17 秋田県の玉川温泉は、98℃の熱湯が1ヶ所の湯元から毎分9,000 Lも湧く国内有数の温泉場である
工業分野でも、放射線は広く利用されています。耐熱性電線や蛍光灯のグロー放電管、発砲ポリエチレンなど、放射線を使った様々なものがあります。さらに、ジェットエンジンの非破壊検査や、高温の鉄板の厚さの測定、空港の手荷物検査、煙探知機、静電除去機などに広く用いられています。農業分野では、土壌改良や農薬の開発、害虫の駆除、ジャガイモの発芽防止などに利用されています。食品に関する放射線利用については、WHO(世界保健機構)が認めており、食品照射による殺菌などに応用されています。また、放射線を当てて遺伝子を損傷させ、わざと突然変異を起こすことで、品種改良に利用しています。日本では、この技術を使い、梨や米の品種改良が行われました。
このように、放射線は医療から産業分野まで広く利用されていますが、文化財の調査など、歴史的な分野でも活用されています。古い仏像をX線で調べると、仏像の内部の構造や、修復の痕跡など、外側を見ただけでは分らないことが分かるのです。その他には、先にも説明したように、放射性同位体を使って、岩石や化石などの年代測定にも利用されています。また、環境保全にも放射線は応用され、ゴミ焼却炉から出る排煙に放射線を照射して、排煙に含まれる窒素酸化物や硫黄酸化物などの大気汚染物質を、除去する研究開発が進められています。
・参考文献
1) 桜井弘「元素118の新知識 引いて重宝、読んでおもしろい」講談社(2017年発行)
2) トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」文藝春秋(2012年発行)
3) 藤高和信「放射能と放射線」誠文堂新光社(2011年発行)
4) 船山信次「毒の科学―毒と人間のかかわり―」ナツメ社(2013年発行)
5) /共著/梶山あゆみ訳「自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝」紀伊國屋書店 (2007年発行)
6) 渡辺正 訳「教養の化学―暮らしのサイエンス―」東京化学同人(2019年発行)