・第17族元素(ハロゲン)


(1)17族元素

 周期表において、第17族に属するフッ素F, 塩素Cl, 臭素Br, ヨウ素Iなどの元素を、総称してハロゲン(halogen)といいます。ハロゲンは、化学式中でXと表記されることが多く、任意のハロゲン単体は、X2と表されます。ハロゲンの原子は、最外殻電子配置がns2np5である元素(n=2,3,4・・・)で、外部から電子を1個受け取って、希ガスと同じ電子配置を作って安定化するため、-1のイオン価を持つ陰イオンが、広く知られています。

ハロゲン単体は、一般的に有色で毒性が強く、ハロゲンを含む化合物でも、ダイオキシン類やサリンなどのように、強い毒性を持つことがしばしばあります。ハロゲン単体の酸化力の強さは、電気陰性度の関係から、F2>Cl2>Br2>I2であり、単体の毒性も、この順に強くなります。室温では、塩素Cl2は黄緑色で空気より重く、刺激臭のある気体です。また、臭素Br2は赤褐色の液体、ヨウ素I2は昇華性のある固体です。ハロゲンはその高い反応性のために、天然で単体X2のまま存在することはなく、すべてが安定な化合物として存在しています。

 

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.1  TCDDとサリンの構造式

 

(2)フッ素

フッ素(fluorine)は、天然には、蛍石CaF2や氷晶石Na3AlF6などのフッ化物の鉱物として存在します。フッ素Fは、最も電気陰性度の大きい元素です。このため、多くのフッ化物は、イオン結合性を示します。フッ素の単体では、二原子分子のF2として存在します。常温常圧では、フッ素F2は淡黄色で特有の臭いを持つ気体であり、すべての元素の単体の中で、最も酸化力が強いです。それ故に、フッ素ガスは反応性が極めて高く、フッ素ガスを吹き付ければ、ほとんどすべての単体や化合物が、たちまちに炎上します。例えば、フッ素F2は、化学的に不活性であるはずの水H2Oや、ガラスの主成分である二酸化ケイ素SiO2を酸化します。

 

2H2O + 2F2 → O2 + 4HF

SiO2 + 2F2 → O2 + SiF4

 

ガラスや白金Ptでさえも侵すその性質上、フッ素ガスを単体で保存することは、ほとんどありません。今までに、多くの化学者たちがフッ素ガスの単離に挑戦してきましたが、その酸化力および毒性の強さのために、ことごとくが失敗してきました。例えば、イギリスの化学者であるハンフリー・デービーは、ボルタ電池を使った電気分解で、1806年からカリウム、ナトリウム、カルシウム、ストロンチウム、マグネシウム、バリウム、ホウ素を次々と単離しました。そして1813年、デービーは満を持してフッ素ガスの単離に挑戦しますが、漏れ出たフッ素ガスを吸い込んで、フッ素中毒になってしまいます。デービーの能力を持ってしても、フッ素ガスは単離できなかったのです。さらに、アイルランドのクノックス兄弟は、フッ素ガスの単離実験中にフッ素中毒になり、一人は3年間寝たきりになってしまいます。ベルギーのポ−リン・ロイエットとフランスのジェローム・ニクレも、フッ素中毒で相次いで死亡しています。そして1886年、遂にフランスの化学者であるアンリ・モアッサンが、蛍石CaF2の捕集容器を使って、フッ素ガスの単離に成功します。電気分解を−50という低温下で進めたことが、成功の鍵でした。さらに1906年には、その功績から、モアッサンはノーベル化学賞を受賞しています。ちなみに、このときにモアッサンとノーベル化学賞を争っていたのが、周期表を発表したことで知られるロシアのメンデレーエフです(メンデレーエフは一票差でモアッサンに敗れてしまいました)。ただし、モアッサンも無傷という訳にはいかず、この実験の過程で、片目の視力を失っています。翌年、モアッサンは急死していますが、フッ素ガス単離との因果関係は不明です。

一般的にフッ素F2を保存するときは、単体よりも反応性が穏やかな化合物の状態で保存され、容器には化学的に安定なポリエチレン製の瓶や、テフロンコーティングされた容器が用いられます。ちなみに、フッ素F2は、白金電極でフッ化水素HFを電気分解することで得られます。

 

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フッ化水素HFは、蛍石CaF2と濃硫酸H2SO4を混合して加熱するか、水H2Oとフッ素F2を反応させることで発生します。フッ化水素HFは、ガラスに含まれる二酸化ケイ素SiO2を溶かす性質があり、フッ化水素HFの水溶液であるフッ化水素酸(フッ酸)は、ヘキサフルオロケイ酸H2SIF6を生じて、ガラスを腐食させます。理科実験に使うガラス器具には、目盛りの付いたものがありますが、その目盛りを刻むのに、フッ化水素酸HFを使っています。

 

CaF2 + H2SO4 (加熱) CaSO4 + 2HF

SiO2 + 4HF → SiF4 + 2H2O

SiO2 + 6HF → H2SiF6 + 2H2O

 

また、フッ化水素HFは、塩化水素HClなどの他のハロゲン化水素と比べて、性質が異なる点がいくつかあります。まず、希薄水溶液においては、フッ化水素HFだけが、弱酸として振る舞います。これは、共役塩基であるフッ化物イオンF- のイオン半径が小さいため、負電荷が狭い領域に局在化して、電離することが不安定になるからです。原子番号の大きいハロゲンほど、ハロゲン化物イオンとしてのイオン半径が大きくなり、共役塩基が安定になるので、酸性度が強くなります。また、フッ化水素HFは水素結合をするため、他のハロゲン化水素よりも沸点が高くなります。さらに、ハロゲン化銀では、フッ化銀AgFだけが水溶性であり、ハロゲン化カルシウムでは、フッ化カルシウムCaF2だけが沈殿を作ります。これらはすべて、フッ素Fの特異的な性質です。

 

.1  ハロゲン化水素の性質

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 1982年には、歯科治療用のフッ化ナトリウムNaFと間違えて、フッ化水素HF3歳の女児の歯に塗布してしまい、女児が急性薬物中毒のために死亡する事故が東京都八王子市で起きています。フッ化ナトリウムNaFは、歯のエナメル質成分と反応して、歯の耐酸性を強化すると考えられているため、虫歯予防の目的で、歯に塗布することがあります。しかし、フッ化水素HFは皮膚に少し触れただけでも壊疽を起こすほどの猛毒のため、一般的に歯科治療に用いられることはありません。2013年には、ストーカー被害に遭っていた女性が、靴にフッ化水素HFを塗られ、壊疽により足の指5本を切断する事態になったというニュースが話題になりました。先述のフッ化水素HFを塗布された女児は、激痛による痙攣で診察台から跳ね上がって転がり落ち、口からは白煙が上がっていたといいます。

また、最も有名なフッ素化物は、テフロンでしょう。テフロンの発見は、偶然の産物でした。1928年に、アメリカの化学者であるプランケットが、クロロフルオロカーボン(フロン)冷媒を開発しようとしていたときに、テトラフルオロエチレンのボンベ内に、意図せぬ産物として発見したのです。当初の研究目的からは大外れでしたが、テフロンは耐熱性や耐薬品性に優れ、強い腐食性を持つフッ化水素酸にも溶けないことから、結果的には画期的な大発見となりました。テフロンはデュポン社の商品名であり、IUPAC系統名では、ポリテトラフルオロエチレンといいます。テフロンは、現在までに発見されている物質の中で、最も摩擦係数の小さい物質であり、その耐熱性や耐薬品性から、フライパンやレインコートなどの表面加工から、軍用品や実験器具まで、様々な分野で利用されています。

 

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.2  ポリテトラフルオロエチレン(テフロン)の構造式

 

(3)塩素

塩素(chlorine)は、アルカリ金属またはアルカリ土類金属の塩化物として、地殻中に存在する他、塩化物イオンCl- として、海水中に含まれます。塩素Cl2は、常温常圧では、特有の刺激臭を有する黄緑色の気体です。塩素ガスも非常に酸化力が強く、多くの金属や有機化合物と反応して、塩化物を形成します。塩素Cl2は水に少し溶け、その一部が自己酸化還元反応して、塩化水素HClと次亜塩素酸HClOを生じます。次亜塩素酸HClOは不安定な物質で、水溶液としてのみ存在し、強い酸化作用があります。そのため、塩素水は、パルプや衣類の漂白剤、水道水やプールの殺菌剤として用いられます。

 

Cl2 + H2O HCl + HClO

ClO- + 2H+ + 2e- → H2O + Cl-

 

実験室で塩素Cl2を発生させるときは、二酸化マンガンMnO2に濃塩酸HClを加えて加熱し、次の図.3のように下方置換で捕集します。このとき、二酸化マンガンMnO2は触媒ではないので、化学量論量加える必要があります。発生した塩素ガスには、塩化水素HClと水蒸気が混じっているので、最初に水に通して、塩化水素HClを水に溶かします。しかし、得られた塩素ガスには、まだ水蒸気が含まれているので、さらに濃硫酸H2SO4に通して乾燥させます。なお、塩素Cl2は、工業的には塩化ナトリウムNaCl水溶液の電気分解で作られます。

 

MnO2 + 4HCl (加熱) MnCl2 + Cl2 +2H2O

 

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.3  塩素Cl2の製法(画像はこちらからお借りしました)

 

また、塩素Cl2は、塩基とも反応します。例えば、塩素Cl2は、水酸化ナトリウムNaOHや水酸化カルシウムCa(OH)2と反応し、次亜塩素酸ナトリウムNaClOやさらし粉CaCl(ClO)H2Oを生成します。これらは、いずれも次亜塩素酸イオンClO- を含むために酸化作用があり、漂白・殺菌作用を示します。また、これらの次亜塩素酸化物は、塩酸HClなどの強酸性物質と反応し、有毒な塩素ガスを発生させます。家庭用の塩素系漂白剤にある「混ぜるな危険」の注意書きは、この反応が起こることを示唆するものです。浴室で洗剤を混ぜたことによる死者も出ているので、取り扱いには十分な注意が必要です。

 

2NaOH + Cl2 → NaCl + NaClO + H2O

Ca(OH)2 + Cl2 → CaCl(ClO)H2O

 

NaClO + 2HCl → NaCl + H2O + Cl2

CaCl(ClO)H2O + 2HCl → CaCl2 + 2H2O + Cl2

 

このように、塩素ガスは強い毒性を持つため、人類初の本格的な化学兵器として使用された歴史があります。それは、1915年に第一次世界大戦中のドイツ軍と連合国軍が戦ったイープル戦線のことであり、このときに毒ガスを使用したドイツ軍の化学兵器部隊の司令官を務めたのが、ドイツの物理化学者であるフリッツ・ハーバーでした。ハーバーは、1918年にノーベル化学賞を受賞し、高校化学でもアンモニアNH3を合成するハーバー・ボッシュ法でその名を残しています。ハーバーは、ドイツへの愛国心から自ら従軍し、毒ガス開発に携わりました。「戦争を毒ガス兵器によって早く終結できれば、無数の人命を救うことができる」とハーバーは考えていたのです。そのため、ハーバーは「化学兵器の父」と呼ばれることになりました。

19154月、ドイツ軍が最初の毒ガス攻撃を開始しました。ドイツ軍は、前線に5,700本の塩素ボンベを並べ、風向きが敵陣方向変わったら、すぐにボンベのバルブを開けて、一目散に退避しました。ドイツ軍が放出した168 tの塩素ガスは、緑色の雲となって、人が走るほどの速さで連合国軍の陣地に向かって漂ってきました。煙が塹壕の中に流れ込んだ途端、連合国軍の兵士たちの多くは視力を失い、胸をかきむしり、叫びながら倒れ、阿鼻叫喚の地獄絵図そのものに変わりました。彼らの口からは、「にかわ」のような粘液が溢れ出しました。塩素ガスを吸入すると、肺内部の粘膜が剥がれ、それが粘液となって気管を詰まらせ、肺に溜まってしまいます。当時、毒ガスに対する防御策など何も持たない連合国軍は、1日にして死者5,000人、重軽症者15,000人を出す大打撃を受けて、前線は大きく塗り替えられました。

塩素ガスを吸引すると、まず呼吸器に損傷を与えます。また、空気中である程度以上の濃度では、皮膚や粘膜を強く刺激します。高濃度の被曝の場合は、外科的な処置をしなくてはまず助かることはなく、不可逆的な損傷を呼吸器に与えます。高濃度の塩素ガスを吸引した場合は、人工呼吸器などの処置を行っても、数時間から1日程度で死に至ります。低濃度の被曝の場合でも、長時間では呼吸器に損傷を与えるので、基本的には吸引しない方が良いでしょう。

 

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.4  第一次世界大戦にてガスマスクを装着したドイツ軍(画像はこちらからお借りしました)

 

 また、塩化水素HClは、常温常圧下では無色の刺激臭を持つ気体です。工業的には、塩化ナトリウムNaCl水溶液の電気分解によって生じる塩素Cl2と水素H2を直接反応させて作ります。実験室では、塩化ナトリウムNaClに濃硫酸H2SO4を加えて発生させ、穏やかに加熱して反応を促進し、下方置換で捕集します。

 

H2 + Cl2 () 2HCl

NaCl + H2SO4 (加熱) NaHSO4 + HCl

 

乾いた試験管に塩化水素HClを取り、これを倒立させて水に入れると、試験管内に水が入ってきます。これは、塩化水素HClが水に溶けやすいためであり、この試験管内の液をリトマス紙で調べると、酸性であることが分かります。塩化水素HClの水溶液を塩酸といい、市販の濃塩酸HClの濃度は約37%(12 mol/L)です。

塩酸HClにマグネシウム片を入れると、水素H2を発生して溶けます。これは、マグネシウムMgのイオン化傾向が、水素H2よりも大きいからです。水素H2よりイオン化傾向が大きい金属は、塩酸HClの水素イオンH+ で酸化されて陽イオンとなり、塩酸HClに溶けます。

 

Mg + 2HCl → MgCl2 + H2

 

 胃酸には塩酸HClが含まれており、胃の内部は、強酸性で保たれています。そのため、従来は、胃の内部は細菌が生息できない環境だと考えられていました。しかし、ピロリ菌は、自身が生産するウレアーゼという酵素で、胃粘液中の尿素(NH2)2COをアンモニアNH3と二酸化炭素CO2に分解し、生じたアンモニアNH3で局所的に胃酸を中和することによって、胃へ感染しています。ピロリ菌の正式な学名は「ヘリコバクター・ピロリ」といいますが、この名は、ヘリコプターの翼に似た鞭毛を持っていることに由来します。「ピロリ」の方は、胃の出口(幽門)を指す「ピロルス」に由来します。この菌は、胃の幽門部から初めて見つかりました。

 

(NH2)2CO + H2O CO2 + 2NH3

 

ピロリ菌は、胃の粘膜の中で活性酸素を発生させ、粘膜の保護作用を弱めてしまうため、十二指腸潰瘍や胃潰瘍の原因になると考えられています。胃ガンの発生にも深く関連していると考えられており、実に胃ガン患者の80%以上が感染者であるとの報告もされています。

消化性潰瘍の三大原因としては、「アスピリン」「ストレス」「ピロリ菌」がよくあげられます。一般的には、精神的なストレスが一番の原因だと思われがちですが、それだけで胃潰瘍ができるのは、極稀なケースです。とにもかくにも、ピロリ菌が存在して初めて、胃潰瘍ができるとする学説があります。つまり、どんなにストレスがあっても、胃にピロリ菌がいなければ、胃潰瘍にはならない――このような「ピロリ菌説」が、現在では主流となっています。現在では、胃潰瘍の7080%、十二指腸潰瘍の実に90%以上が、ピロリ菌の感染を原因とすることが分かっています。

「ピロリ菌はヒトが生まれたときから胃の中にいるのか」というと、そんなことはありません。人の排泄物に紛れて出たものが、不潔な環境で別の人の口から胃に感染していると考えられています。それには疫学的な証拠があり、アフリカや南米では、ピロリ菌の保持者は80%を超えますが、欧米では約20%、日本では約50%なのです。日本人の50歳以上では、保有率は70%を超えますが、若年層は欧米並みの約20%だといわれています。日本人の50歳以上で保有率が高い理由は、戦時中や戦後の衛生状態の悪かった時代に、汚染された水や食事を介して、保菌されるようになったからです。

 このピロリ菌の発見には、ドラマがありました。ピロリ菌を発見したのは、オーストラリアの微生物学者であるバリー・マーシャルと、病理学者であるロビン・ウォレンでした。1980年代前半、彼らは共同で人間の胃の中に生息している細菌を研究しており、ピロリ菌という細菌が、十二指腸潰瘍患者からは100%、胃潰瘍の患者からも75%の割合で見つかることを発見しました。マーシャルが胃炎の患者に抗生物質を投与すると、ピロリ菌が除去でき、同時に胃炎も消失しました。このテスト結果に、「ピロリ菌は胃炎だけでなく、十二指腸潰瘍や胃潰瘍の発症にも関与しているのではないか」と彼らは考えたのでした。

 これを検証するため、マーシャルはチューブを自分の喉から胃に差し込み、胃壁の組織を採取しました。これを検査し、マーシャルは自分の胃には、胃潰瘍もピロリ菌も存在しないことを確認しました。胃壁が回復するのを待って、マーシャルは、66歳の男性の胃袋から採取した「ピロリ菌の培養液」を飲み込みました。このときの体験を「生肉に似て、少し嫌な臭いがした」とマーシャルは語ります。マーシャルが期待したことは、このピロリ菌のせいで、実際に身体の具合が悪くなることでした。もちろん、事前に予防策は取ってありました。――つまり、実験許可が下りないとまずいので、病院の倫理委員会には伝えなかったし、自分の妻にも事後報告しかしなかったのです。

 「ピロリ菌の培養液」を飲んでから最初の数時間、マーシャルは腹部の蠕動が増えたのに気付きました。その後1週間は、何事もなく過ぎました。8日目の朝、マーシャルは少量の粘液を吐きました。2週間目には、母親がマーシャルの口臭に気付きました。また、マーシャルは頭痛がして、イライラするようになりました。10日目に、同僚がマーシャルの食道から胃へと胃カメラを入れると、胃潰瘍の前段階である重度の胃炎が見つかりました。マーシャルは大喜びで、「この胃炎から胃潰瘍が生じてくれれば、これから何年も論文の材料には事欠かないだろう」と思いました。

しかし、この実験について妻に話したところ、「抗生物質を飲むか、それとも家を出て1人で暮らすか」の厳しい選択を迫られてしまいました。ピロリ菌はアンモニアNH3を発生させるため、息が非常に臭くなるのです。妻は、マーシャルの口臭を酷く嫌がっていました。マーシャルは抗生物質を選びましたが、実際には、これは不必要でした。感染は、2週間後には自然に消失したからで、明らかに、マーシャルの免疫系がピロリ菌に打ち勝ったのです。このことは、ピロリ菌の蔓延の仕方とも矛盾がありません。現在では、世界の人口の約半数がピロリ菌に感染していると考えられていますが、その中で実際に潰瘍と診断されるのは、ピロリ菌感染者の23%程度といわれています。

 しかし、胃潰瘍が感染症だという説が、一般の医師たちにまで浸透するのには、さらに13年の年月が必要でした。特に製薬業界は、「胃炎が抗生物質によって数週間で回復する」という説を広めることには、ほとんど関心を示しませんでした。製薬業界は、場合によっては何年間も飲まなくてはならない制酸剤(胃腸薬)で、非常に大きな利益を上げていたからです。その間、何十万人もの患者が、間違った薬を処方されたり、不必要な手術を受けさせられたりしました。

当初、批判者たちは、胃潰瘍が感染症だとする説を全く信じていませんでした。胃潰瘍の原因は、心理的問題やストレスのせいだと、誰もが信じていたからです。胃の中に細菌がいるという説については、強酸性の中で細菌が生きられるはずがないとされました。恐らく決定的だったのは、当時マーシャルが研修医で、マーシャルもウォレンも、胃腸科専門医ではなかったことでした。専門家でもないのに、何が分かるのかという訳です。

 専門家が一笑に付したその発見に対して、2005年にノーベル生理学・医学賞が授与されました。マーシャルの実験を契機に、他の病気についても、感染症ではないか見直そうという動きが起こりました。現在では、統合失調症や心臓発作、リウマチ、糖尿病についても、細菌やウィルスが影響している可能性を疑って、盛んに研究が行われています。しかし、これまでのところ、このような疑いで正しいと証明されたものは、ほとんどありません。

 

(4)臭素

臭素(bromine)は、地殻中に臭化物として存在します。臭化物イオンBr- は、海水の成分でもあります。一般的に「室温」とされる温度領域で、液体状態の安定元素は、水銀Hg(m.p.-38.8)と臭素Br2(m.p.-7.2)だけです。ちなみに、ガリウムGa(m.p.30)やセシウムCs(m.p.28)も、夏場の室温では、融解して液体になる元素です。常温常圧では、臭素Br2は赤褐色の刺激臭のある液体です。臭素Br2の沸点は、59℃で非常に蒸発しやすく、室温で放置すると、たちまち蒸発して赤褐色の気体となります。

臭素Br2は、フッ素F2や塩素Cl2ほどではないものの、酸化力が強いので、人体に対しては猛毒です。また、臭素Br2は水に少し溶け、その一部が自己酸化還元反応して、臭化水素HBrと次亜臭素酸HBrOを生じます。

 

Br2 + H2O HBr + HBrO

 

実験室的には、臭素Br2は、臭化ナトリウムNaBr水溶液に塩素Cl2を吹き込むことで生成します。これは、酸化力の強さがCl2>Br2であり、逆反応より正反応の方が有利になるからです。工業的にも、臭素Br2は、臭化物イオンBr- を含む水溶液に酸性条件下で塩素Cl2を吹き込み、酸化された臭素Br2を、蒸留精製することで製造しています。

 

2NaBr + Cl2 → 2NaCl + Br2

 

 また、臭素Br2は触媒なしでアルケンに付加し、ビシナル二ハロゲン化物を与えます。このとき反応液では、臭素Br2の赤褐色の脱色を伴うので、臭素Br2は有機化合物中の不飽和結合(C=C, C≡C)を検出するための、化学的試験としてよく用いられます。ちなみに、塩素Cl2でも同様の反応が起こりますが、塩素Cl2は気体でコントロールが難しいので、臭素Br2が好んで使われます(脂肪族炭化水素(アルケン)を参照)

 

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.5  臭素Br2とアルケンの付加反応

 

臭化水素HBrは、常温常圧下では無色の刺激臭を持つ気体であり、その水溶液は、強酸性の臭化水素酸です。臭化水素HBrは、臭化ナトリウムNaBrに濃硫酸H2SO4を加えて加熱することで発生します。

 

NaBr + H2SO4 (加熱) NaHSO4 + HBr

 

(5)ヨウ素

ヨウ素(iodine)は、甲状腺ホルモンを合成するのに必要なため、ヒトにとっては必須の元素です。海水中に含まれるヨウ素Iを、海藻は濃縮して蓄積します。そこで、日本のように海藻を手軽に摂取できる国は問題ありませんが、海から遠く離れた国では、ヨウ素欠乏症が起こります。

ヨウ素I2の単体は、常温常圧では、黒紫色の固体です。ヨウ素I2は室温で固体ですが、臭素Br2と同じく、かろうじて固体でいるだけです。ヨウ素I2をゆっくりと加熱すると、114℃で融解し、すぐに蒸発して、紫色の濃密の蒸気になります。これは、ヨウ素I2が昇華性を持つためです。

ヨウ素I2の反応性は、フッ素F2, 塩素Cl2, 臭素Br2より穏やかで、酸化力を有するものの、それほど強くはありません。ヨウ素I2は、水にはあまり溶けませんが、ヨウ化カリウムKI水溶液にはよく溶けます。これは、次にようにヨウ素I2がヨウ化物イオンI- と錯体を形成するためです。

 

I2 + I- I3-

 

一般的にヨウ素液とは、ヨウ素ヨウ化カリウム水溶液を指し、ヨウ素I2は黒紫色ですが、ヨウ素液は三ヨウ化物イオンI3- のために褐色です。ヨウ素液は、デンプンの指示薬として用いられ、ヨウ素デンプン反応が起こるために、青紫色を呈します。この反応は、ヨウ素滴定にも利用されています。ヨウ素滴定では、ヨウ素I2の入ったコニカルビーカーに、チオ硫酸ナトリウムNa2S2O3などの還元剤をビュレットから滴下し、ヨウ素I2の物質量を定量的に求めます(酸化還元を参照)

 

I2 + 2S2O32- → S4O62- + 2I-

 

この滴定の終点直前に、指示薬としてデンプンを加えると、ヨウ素デンプン反応によって、青紫色に呈色します。そして、ヨウ素I2がすべて消費されると、青紫色が無色になり、そこが終点となるのです。ちなみに、ヨウ素デンプン反応が起こるのは、ヨウ素I2がデンプンのらせん構造の中に入り込み、デンプンからヨウ素I2へ電荷の移動が起こり、電荷移動錯体を作ることによって、可視光領域に新しい吸収帯を生じるためです。ヨウ素デンプン錯体は、青紫色の補色である黄緑色の光を吸収するため、ヨウ素デンプン反応では、青紫色を呈するのです。また、呈色しているヨウ素デンプン錯体を加熱すると、ヨウ素I2がデンプンのらせん構造から抜けるので、褐色に戻ります。

 

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.6  ヨウ素デンプン反応の原理

 

実験室的には、ヨウ素I2は、ヨウ化カリウムKI水溶液に塩素Cl2を吹き込むことで生成します。このとき、生成物のヨウ素I2は、反応物のヨウ化物イオンI- と錯体を作るので、反応液は褐色になります。しかし、この反応液にヘキサンを加えて水層を抽出すると、水に溶けにくいヨウ素I2がヘキサンに溶けるので、ヘキサンは黒紫色になります。そして、ヨウ素I2を溶かしたヘキサンを留去すれば、ヨウ素I2を単離することができます。

「日本は資源のない国だ」とよくいわれますが、実はヨウ素I2だけは豊富です。千葉県九十九里浜海岸一帯の地下水層に、大量のヨウ素Iが含まれているのです。チリに続いて、世界で2番目の輸出量を誇っています。その製造方法は、実験室的な方法と同じで、ヨウ化カリウムKI水溶液に塩素Cl2を吹き込むことで製造しています。

 

2KI + Cl2 → 2KCl + I2

 

ヨウ化水素HIは、常温常圧下では無色の刺激臭を持つ気体であり、その水溶液は、強酸性のヨウ化水素酸です。ヨウ化水素HIは、ヨウ化カリウムKIに濃硫酸H2SO4を加えて加熱するか、ヨウ素I2と水H2Oの混合物を冷却しながら、赤リンPを加えると生成します。

 

KI + H2SO4 (加熱) KHSO4 + HI

2P + 5I2 + 8H2O → 2H3PO4 + 10HI

 

(6)ハロゲンのまとめ

 

.2  ハロゲンの性質のまとめ

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.3  ハロゲン化水素の製法

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・参考文献

1) 齊藤烈/藤嶋昭/山本隆一/19名「化学」啓林館(2012年発行)

2) 石川正明「新理系の化学()」駿台文庫(2005年発行)

3) セオドア・グレイ「世界で一番美しい元素図巻」創元社(2011年発行)

4) 平尾一之/田中勝久/中平敦「無機化学」東京化学同人(2013年発行)

5) トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」文藝春秋(2012年発行)

6) レト.U.シュナイダー「狂気の科学-真面目な科学者たちの奇態な実験-東京化学同人(2015年発行)

7) 左巻健男「面白くて眠れなくなる化学」PHP研究所(2012年発行)

8) 左巻健男「面白くて眠れなくなる元素」PHP研究所(2016年発行)

9) 枝川義邦「身近なクスリの効くしくみ-薬理学はじめの一歩-技術評論社(2010年発行)

10) 大宮信光「面白いほどよくわかる 化学」日本文芸社(2003年発行)