・基礎有機化学


(1)有機化学とは何か?

伝統的には、有機化学(organic chemistry)は、「炭素を含む化合物」の化学と見なされています。19世紀においては、有機分子は生物と密接に関係していると考えられ、それ故に「有機(organic)」という言葉が用いられたのです。この頃、有機化合物は、生物由来の分子からしか作ることができないという考えが広く受け入れられ、炭素を含む化合物には、生命力があるという観念が提唱されていました。そのため、化学者たちは、有機化合物を実験室で作ろうとはあえてしなかったのです。

ところが、1828年にドイツの化学者であるウェーラーは、無機化合物であるシアン酸アンモニウムNH4OCNを加熱して、有機化合物と分類されていた尿素(NH2)2COを、偶然にも作り出したのです。これは、当時では絶対に考えられない反応でした。

 

NH4OCN → (NH2)2CO

 

ウェーラーの発見によって、有機化合物が無機化合物から合成できることが明らかになりました。このことによって有機化学の研究が進み、有機化合物に生命力があるという説は、徐々に否定され始めたのです。

現在では、一般的に「炭素を含む化合物」(一酸化炭素COや二酸化炭素CO2、炭酸塩などを除く)を有機化合物と呼び、「炭素以外の元素からなる化合物」を無機化合物と呼んでいます。

 

(2)有機化合物の特徴

 有機化学は、炭素の化学です。たった1つの元素の化学であるにもかかわらず、炭素の化学は有機化学と名付けられ、その他の元素の化学は無機化学(inorganic chemistry)としてまとめられています。

100を超える元素の中で、なぜ炭素の化合物だけが、特に取り上げられるのでしょうか?その理由は、炭素には他の元素にはない、独特な性質を持っているからです。一般的に炭素には、他の元素と比較して、次のような特徴があります。

 

(i)炭素原子は最高で4つの原子と結合できる

炭素原子の原子番号は6であり、炭素原子は6個の電子を持っています。6個の電子は、エネルギー準位の低い電子軌道から順に配置されていき、最も安定な基底状態(ground state)では、炭素原子は最外殻電子に2個の不対電子を持ちます。しかし、このままでは、炭素原子は4つの原子と結合することができないので、化学結合は、励起状態(excited state)になって後に行うのです。

炭素は励起状態になると、不対電子が4個できて、多くの結合エネルギーが獲得できるため、励起に要したエネルギーを十分に補うことができます。

さらに、炭素原子はただ励起するだけではなく、混成軌道(hybrid orbital)を作って結合します。この理由は、混成状態の方が、原子価状態より軌道同士の重なりが大きく、重なった部分の電子密度が大きくなって、より安定な化学結合をすることができるからです(混成軌道を参照)

 

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.1  炭素のsp3混成軌道

 

また、炭素原子のσ結合の電気陰性度は2.5であるので、共有結合性の化学結合を作ります。炭素原子1つが、最高で4つの原子と共有結合で結合できることは、炭素の化合物が、非常に多いことの第一の要因です。

 

(ii)π結合を作ることができる

π結合は、p軌道が重なることによって作られます。ただし、このときに原子半径が大きすぎると、p軌道同士が離れてしまい、軌道の重なりが少なくなるので、安定なπ結合ができなくなってしまいます。π結合が原子半径の小さい第二周期の炭素Cや窒素N、酸素Oによく現れるのは、このためです。

 

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.2  エチレンC2H4σ結合とπ結合の形成

 

ところで、π結合の電子はσ結合の電子に比べると、原子核からの引き付けが弱いので、自由電子的な性質を持っています。

さらに、化合物中にp軌道が平行して並んだ構造は、一般的に共役系(conjugated system)と呼ばれ、π電子が共役系を動き回り、非局在化することで、分子全体を安定化させる働きがあります。黒鉛(graphite)は、典型的な共役系であり、π電子が自由電子のような役割をするので、非金属でありながら、電気伝導性を持ちます。

しかしながら、原子半径が小さくなり、電気陰性度が大きくなりすぎると、π電子を自身に引き付ける強さが大きくなるので、このπ電子の自由電子的な性質も失われてしまいます。これはすなわち、化学反応性が減少することを意味しています。

第二周期の原子の電気陰性度はC<Nなので、C=CN≡Nの反応性を比べると、N≡Nの方が反応しにくいのです。π結合を持つはずの窒素N2の化学反応性が低いのは、このためです。さらに、酸素Oのように電気陰性度がもっと大きくなると、原子核とのクーロン力が大きくなりすぎて、π結合は切れがちになります。酸素O2は、一般的に知られている二重結合を持つ構造の他に、不対電子を持つ構造を作りやすいために、反応性が高くなります。Cは、このようにπ電子の反応性がちょうど普通程度であるため、二重結合や三重結合を形成して、いろいろな反応性と構造を持った化合物を作ることができます。

 

.1  π電子の反応性

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(iii)原子が連続して結合することができる

 炭素の電気陰性度は、大きすぎも小さすぎもしないので、炭素のσ結合は、共有結合が鎖のように連続して繋がっていけます。また、それに伴って、π結合も連続させることができます。

一方で、電気陰性度の大きい酸素Oや窒素Nでは、非共有電子対間の反発が大きいため、連続した結合は形成しにくいのです。-O-O--N=N-の構造が不安定なのは、これが理由です。過酸化水素H2O2は、-O-O-の構造を持つため、結合エネルギー的に不安定で、反応性が非常に高いです。

 炭素は連続した結合を作ることができるため、炭素と水素のみでできる化合物は、事実上無限にあります。一般的に炭素と水素のみでできた化合物を炭化水素(hydrocarbon)といい、これはすべての有機化合物の基本となっています。

炭化水素のうち、炭素原子間がすべて単結合のものを飽和炭化水素(saturated hydrocarbon)、二重結合や三重結合のような不飽和結合を含むものを不飽和炭化水素(unsaturated hydrocarbon)といいます。

また、分子が鎖状構造のものを脂肪族炭化水素(aliphatic hydrocarbon)、環状構造を含むものを環式炭化水素(cyclic hydrocarbon)といいます。直鎖状構造のもの以外にも、枝分かれがある構造のものもあります。

脂肪族炭化水素のうち、飽和炭化水素をアルカン(alkane)、不飽和炭化水素で二重結合1個を含むものをアルケン(alkene)、三重結合1個を含むものをアルキン(alkyne)といいます。

また、環式炭化水素のうち、芳香環(ベンゼン環など)を持つ環式不飽和炭化水素を芳香族(aromatic)といい、特有の性質を示します。

さらに、芳香族炭化水素を除く、環式炭化水素を脂環式炭化水素(alicyclic hydrocarbon)といい、そのうち、飽和炭化水素をシクロアルカン(cycloalkane)、不飽和炭化水素で二重結合を環内1個含むものをシクロアルケン(cycloalkene)といいます。

 

.2  炭化水素の構造と結合による分類

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(iv)いろいろな方向に他原子と結合することができる

 炭素はsp3, sp2, sp混成軌道をとって、正四面体や正三角形、直線方向に原子と結合するため、いろいろな形を組み立てることができます。炭素Cと水素Hからなる炭化水素に、酸素Oや窒素N、リンP、フッ素Fなどのいくつかの元素を組み合わせるだけでも、考えられる構造は膨大に増加し、さらにいろいろな反応性や構造を持った分子が、自由自在に作り出せます。無機化合物と比べて、有機化合物を構成する成分元素の種類は少ないのですが、このような性質のために、化合物の種類は極めて多くなるのです。

炭素が複雑な分子から成り立っている生命有機体の中心元素であるのは、まさにこのような炭素の独特な性質によるところが大きいです。もし炭素という元素がなかったならば、きっと生命は誕生していなかったでしょう。

 

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.3  炭素の立体構造

 

(3)官能基

 原子団の中には、それらが結合している分子骨格の種類にはあまり影響されない化学的性質を持つものがあります。これらの原子団は、一般的に官能基(functial group)と呼ばれます。ヒドロキシ基(-OH)は官能基の一例であり、この基を炭素骨格に含む化合物は、アルコール(alcohol)と呼ばれます。

有機反応では、ある種の化学的変化が官能基で起こっても、分子の残りの部分は、もとの構造を保持している例がほとんどです。このように化学反応では、構造式の大部分が変化しないで保持されるので、有機化学の学習は、非常に単純化されます。したがって、私たちは種々の官能基の化学に注目して、勉強すれば良いのです。化合物1個ずつについて学習するのではなく、分類した一群の化合物ごとに学習する方が、効率的です。代表的な官能基の名称、構造式、その官能基を含む化合物の一般名とその特徴は、次の表.3の通りです。

 

.3  代表的な官能基の名称、構造式、その官能基を含む化合物の一般名とその特徴

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(4)元素分析

 有機化合物の性質や反応性を知るためには、その化合物の構造を決定する必要があります。一般的に有機化合物の構造式は、次のような手順で決定されます。

 

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試料の分離・精製には、蒸留(distillation)や昇華(sublimation)、再結晶(recrystallization)、抽出(abstraction)、クロマトグラフィー(chromatography)などがよく利用されます。

さらに、有機化合物の構成元素の含有量は、元素分析(elementary analysis)によって求められ、通常は核磁気共鳴スペクトル(NMRスペクトル)や赤外吸収スペクトル(IRスペクトル)などの電磁波を用いた方法によって行われます。

物質は特定の波長の電磁波を吸収すると、エネルギーの低い基底状態から、エネルギーの高い励起状態に変化するようになります。試料に特定の波長の電磁波を照射して、この様子を観測することで、分子構造を解析できるのです。

また、有機化合物の分子量も、質量分析計(MSスペクトル)によって求めることができます。気体試料に高エネルギーの電子線を照射すると、分子がイオン化されます。分子から電子が1個だけ取り除かれた分子イオンと、分子が分解されて生じたフラグメントイオンの質量分布を測定することにより、化合物の分子量や構造を知ることができるのです。

しかしながら、これらの方法は、大学などの研究機関で行われる最先端の分析技術であり、高校化学では、未だに元素分析として次の図.4のような古典的な方法が行われることが多いです。

 

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.4  元素分析(画像はこちらからお借りしました)

 

 炭素C, 水素H, 酸素Oからなる有機化合物の組成式を決定するためには、まず精製した試料の質量を精密に量ります。次に、乾燥酸素中で試料を完全燃焼させ、生じた水H2OU字管中の塩化カルシウムCaCl2に吸収させ、二酸化炭素CO2U字管中のソーダ石灰に吸収させます。

なお、このときの酸化銅(II)CuOは、不完全燃焼物を完全燃焼物に変えるための酸化剤として加えてあります。

 

CuO + CO → Cu + CO2

(2Cu + O2 → 2CuO)

 

そして、塩化カルシウム管とソーダ石灰管の質量増加分を測定することにより、生成した水H2Oと二酸化炭素CO2の質量が、それぞれ求まるのです。

ここで、試料の組成式CxHyOzは次のように求めます。原子量をH=1, C=12, O=16とすると、完全燃焼物の質量wCO2, wH2Oより、

 

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各元素の質量をその原子量で割ると、その比が物質量の比になります。このようにして、試料の組成式を求めることができるのです。

また、注意として、塩化カルシウム管とソーダ石灰管の順序を逆にしてはいけません。ソーダ石灰は、酸化カルシウムCaOと水酸化ナトリウムNaOHを焼き固めたものであり、二酸化炭素CO2も水H2Oも吸収できるのです。ソーダ石灰管を先にしてしまうと、ソーダ石灰が二酸化炭素CO2と一緒に水H2Oまで吸収してしまい、別々に質量が測定できなくなってしまいます。

また、元素分析の問題では、試料の元素別質量%が与えられていることも多く、この場合は、次のようにして組成式を求めます。試料のうち、炭素Ca%, 水素Hb%, 酸素Oc%含んでいるとすると、

 

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 さらに、未知化合物の分子式を決定するためには、組成式を決定した後、その化合物の分子量を測定すれば、求めることができます。分子量は、組成式の式量の整数倍に相当するので、分子量が分かれば、組成式から分子式を求めることができるのです。分子量は、問題で与えられていることが多いので、それを利用してください。分子式は(組成式)nと書けることから、

 

組成式CxHyOzの式量 × n = 分子式の分子量

(12x + y + 16z) = M

 

なお、分子式が決まっても、有機化合物には異性体が多いので、構造式を決定するためには、その化合物の物理的な性質や化学的な性質を調べる必要があります。実際の研究では、有機化合物の融点や沸点などの物理的な性質を調べることが多いのですが、高校化学では、構造決定などの問題で、有機化合物の化学的な性質を問うことが多いです。

例えば、分子式C2H6Oの有機化合物には、エタノールC2H5OH(m.p.-115, b.p.78)とジメチルエーテルCH3OCH3(m.p.-142, b.p.-25)2種類の異性体があります。もしエタノールC2H5OHであれば、ナトリウムNaと反応して水素H2を発生させます。しかし、ジメチルエーテルCH3OCH3であれば、ナトリウムNaを加えても反応しません。このような化学的性質の違いを利用して、有機化合物の構造式を決定していくのです。

 

(5)立体化学

 ある分子について、それを組み立てている元素の種類と数を表したものが分子式です。しかしながら、同じ分子式であっても、各原子同士の結合の種類や方向、すなわち分子構造が異なると、互いに物理的、および化学的な性質の全く異なった分子となります。

このように、同じ分子式でありながら、構造が異なるものを異性体(isomer)といいます。また、ある分子が異性体に変化することを、異性化(isomerization)といいます。異性体には、大きく分けて構造異性体(structural isomer)と立体異性体(stereoisomer)があり、一般的に次の図.5のように分類できます。

立体異性体は、さらにエナンチオマー(enantiomer, 鏡像異性体)とジアステレオマー(diastereomer)に分類されます。

 

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.5  異性体の分類

 

(i)構造異性体

 原子の結合順序が異なる異性体を、構造異性体といいます。構造異性体には、炭素骨格の異なるもの、官能基の種類の異なるもの、官能基の位置の異なるものがあります。次の図.6に主な構造異性体を示します。

 

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.6  主な構造異性体

 

(ii)立体異性体

立体異性体とは、原子間の結合順序は変わらないものの、空間的な原子の配列が異なるために生じる異性体のことをいいます。立体異性体同士の構造上の違いは、構造異性体同士の違いに比べると、はるかに微細なものではありますが、それでも異性体分子の化学的性質には、重要な違いを生じる原因になります。

また、医薬品の効き目に関していえば、立体異性体のどれが使われるかによって、効き目や副作用の有無に顕著な差が現れます。例として、サリドマイドという西ドイツのグリュネンタール社が販売した薬物を考えると、サリドマイドのR 体は、睡眠導入剤や乗り物酔い止めとして有効な薬ですが、サリドマイドのS 体は、非常に強い催奇性を持っています。市販のサリドマイドは、R S 体が11に混合したラセミ混合物(racemic mixture)になっていたのです。

サリドマイドには、あらゆる動物の胎児ばかりか、植物の胚にまで奇形を生じさせるほどの強い催奇性があるのですが、妊娠中の動物を使った実験は行われていなかったのです。サリドマイドを服用すると、母体の中にいる胎児の手足の成長を促すタンパク質の機能が阻害され、手足の長さが極端に短い新生児が産まれてしまうようになります。この症状は、手足がアザラシの肢のようになることから、「アザラシ肢症」といわれます。日本では、その対応が遅れたことから被害が拡大し、1981年までに309人が被害児と認定されるに至りました。なお、サリドマイドのR 体だけを投与しても、直ちに体内でサリドマイドのS 体に半数が変化し、ラセミ化(racemization)するという報告もあり、サリドマイドを睡眠導入剤や乗り物酔い止めの薬剤として使うのは、難しいようです。

 

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.7  サリドマイドのS 体には催奇性がある

 

(iii)エナンチオマー(鏡像異性体)

 右手と左手は鏡像の関係であり、平面上で重ね合わせることができません。このように、鏡像と重ね合わすことのできない分子をキラル(chiral)といいます。キラルな分子をキラル分子といい、キラル分子は右手と左手のように、互いに鏡像である一対の立体異性体であり、これら2つの異性体の関係を、エナンチオマーといいます。

また、互いに異なる4種類の原子、または原子団と結合した炭素原子を不斉炭素原子(asymmetric carbon atom)といいます。多くのキラル分子は、不斉炭素原子などの不斉中心をその分子内に含みますが、不斉中心の存在は、必ずしもキラルであることの必要条件でも十分条件でもありません。

 

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.8  不斉炭素原子を含む化合物はキラル分子であることが多い

 

 一方で、その分子の鏡像と重ね合わせることができる分子をアキラル(achiral)といいます。アキラルな分子には、対称面や対称心があり、対称面や対称心を持つ分子は、すべてアキラルです。

これに対して、キラルな分子は、対称面や対称心を持たないので、対称面や対称心を探すことで、その分子がキラルであるかアキラルであるかを識別することができます。アキラルな分子とその鏡像は、平面上で重ね合わせることができるので、これらはエナンチオマーではありません。

 

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.9  アキラルな分子には対称面が存在する

 

 2のエナンチオマーのほぼすべての物理的性質は等しいです。融点や沸点、密度、溶解度、屈折率、熱伝導率などの物理的性質は、両者を区別するのに役立ちません。

しかし、物理的性質の中で、ただ1つだけ(やや曖昧ですが)違いがあります。それは、2つのエナンチオマーが、面偏光の偏光面をそれぞれ同じ角度だけ、逆方向に回転させるという性質です。偏光面が回転する現象を光学活性(optical activity)といいます。また、そのような回転を引き起こす分子は、光学活性であるといいます。偏光面を時計回りに回転させる分子は右旋性(dextrorotatory)であるといい、回転が反時計回りであれば左旋性(levorotatory)であるといいます。回転方向を表すには、右旋性の場合は(+)を、左旋性の場合は(-)を化合物の名前の前に付けます。

 

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.10  エナンチオマーの旋光性(画像はこちらからお借りしました)

 

また、右旋性と左旋性のキラル分子が等量混在していると、旋光性の効果が相殺され、偏光面の回転が観測されなくなります。そのような混合物をラセミ体(racemate)といいます。エナンチオマーのラセミ体混合物であることを表すのに、化合物名の前に(±)を付けることがよくあります。

 

(iv)ジアステレオマー

 天然に存在する数多くの化合物は、2つ以上の不斉炭素原子を持つことが多いです。このような場合、異性体の数を決めたり、異性体間の関連性を明らかにしたりすることが大変重要です。

分かりやすいように、天然分子ではありませんが、2-ブロモ-3-クロロブタンを例として考えてみましょう。この分子には*印のついた、2つの不斉炭素原子があります。この2つの不斉源に対して、それぞれにエナンチオマーができるので、異性体の数は合計4つになります。一般的に不斉源がn個ある場合、その化合物の異性体は、合計2n個できます。

また、ここで注目して欲しいことは、エナンチオマーの組み合わせが、2組あることです。すなわち、ABは重ね合わせることができないエナンチオマーであり、同様にCDも別のエナンチオマーです。

 

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.11  2-ブロモ-3-クロロブタンの立体異性体

 

ここで、有機化学において、大変重要なもう1つの立体化学について説明する必要があります。図.11の立体異性体のACの関係を調べてみましょう。これらは、重ね合わせることのできない立体異性体でありながら、鏡像関係ではありません。つまり、これらが立体異性体であることは確かですが、エナンチオマーではないのです。このような関係にある立体異性体を、ジアステレオマーといいます。したがって、ジアステレオマーとは、互いが鏡像の関係にない立体異性体の組み合わせのことです。(A, C), (A, D), (B, C), (B, D)の関係は、すべてジアステレオマーです。

さらに、エナンチオマーとジアステレオマーとの間には、極めて重要で、明白な相違があります。エナンチオマーは、互いに鏡像体であるから、偏光面を回転させる性質だけが異なります。しかし、融点や沸点や溶解度などの物性は、全く同一であるから、再結晶や蒸留といった物性に基づく分離法では、分離できません。しかし、ジアステレオマーは、互いに鏡像体ではないから、キラリティーに関係なく、すべての物性が異なっています。すなわち、ジアステレオマーは、互いに異なる融点や沸点、密度、溶解度、屈折率、熱伝導率を持っており、ジアステレオマーは、2つの異なる化学物質として見なすことができるのです。

 また、ジアステレオマーには、注意するべきことがあります。これは、不斉炭素原子を持っていながら、アキラルな分子が存在するということです。例として、2,3-ジクロロブタンの立体異性体を考えてみましょう。この分子には、不斉中心が2つ存在することが分かります。

 

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.12  2,3-ジクロロブタンの立体異性体

 

ここで、EFは互いに重ね合わせることのできない1組のエナンチオマーであるのに対して、残りのGHは互いに鏡像の関係にありながら、同一の化合物です。これは、GHが不斉炭素原子を持ちながらも、その分子に対称面が存在するからです。このように、分子に不斉中心がありながらも、同時に対称面や対称心を持つために、キラリティーを示さない構造を、メソ化合物(meso compound)といいます。

高校化学では、不斉炭素を持つ化合物は、すべてキラル分子であるかのように扱いますが、メソ化合物のような例外も存在するのです。メソ化合物では、不斉中心の立体配置は、互いに逆の関係になっていて、分子全体としてアキラルであるから、光学不活性です。

 また、ジアステレオマーには、二重結合を含む化合物で、立体配置が異なるために、立体異性体となっているものがあります。このような立体異性体は、一般的に幾何異性体(geometrical isomer)と呼ばれ、有機化合物の場合では、特にシス-トランス異性体(cis-trans isomer)と呼ばれます。これらの立体異性体は、二重結合の軸まわりの回転が束縛されているために立体配置が異なり、対称面や対称心が存在するためにアキラルです。

 

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.13  2-ブテンの立体異性体

 

幾何異性体のうち、同一の原子、または原子団が同じ側にあるものをシス形、反対側にあるものをトランス形といいます。幾何異性体はジアステレオマーなので、立体異性体同士の物理的、および化学的な性質は、それぞれ異なったものになります。

 

(6)不飽和度

 鎖状飽和で、炭素C, 水素H, 窒素N, 酸素Oからなる有機化合物について、炭素Cn個、窒素Nx個、酸素Oy個だとすると、H-Hを出発して次のように組み立てることができます。

 

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.14  鎖状飽和で炭素C, 水素H, 窒素N, 酸素Oからなる有機化合物

 

つまり、この有機化合物は、H2+(CH2)n+(NH)x+(O)yであると考えられるので、分子式はCnH2n+2+xNxOyと表すことができます。したがって、Cn個、Nx個、Oy個からなる有機化合物の水素原子数が2n+2+x個なら、この分子は鎖状で飽和であるといえます。一方で、分子中に、多重結合や環状構造がある場合はどうでしょうか?すべての有機化合物には、水素原子数が2個減ると、不飽和結合か環状構造が1つ増えるという法則があります。

 

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.15  多重結合や環状骨格の形成と水素原子数の関係

 

 そこで、鎖状飽和の場合と水素原子数を比べることで、多重結合や環状構造の数を予想することができるのです。これは、有機化学の構造決定の問題で非常に役に立ちます。一般的にπ結合の数と環状構造の数の和を不飽和度(degree of unsaturation)といい、炭素C, 水素H, 窒素N, 酸素O, ハロゲンXからなる有機化合物の場合は、次のようになります。

 

 

ここで、Cは炭素原子の数、Hは水素原子の数、Xはハロゲン原子の数、Nは窒素原子の数を表します。酸素Oや硫黄Sのような第16族元素の原子数は、通常カウントしません。ハロゲン原子(F, Cl, Br, I)は、水素原子Hとみなして計算します。

このようにして算出した不飽和度を用いることにより、分子式からπ結合の数と環状構造の数が分かるのです。構造決定の問題で、最初に分子式が与えられたときは、まずは一度、不飽和度を計算してみることをお勧めします。

 

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.16  様々な有機化合物と不飽和度(U)

 

(7)有機化合物の分離

 特定の溶媒に対する溶解度の差を利用して、混合物のうち、その溶媒によく溶けるものを溶かして分離する方法を抽出(extraction)といいます。有機化合物を抽出によって分離するには、混ざり合わない2つの溶媒として、水とジエチルエーテルを利用することが多いです。この際、2つの溶媒を分液ろうとに入れ、有機化合物を分離します。

 

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.17  有機化合物の分離

 

これは結局、酸塩基反応を利用した分離になります。多くの有機化合物は、そのままでは疎水性で、水に溶けにくいです。そこで、酸塩基反応で、イオン結合性の塩にすることによって、有機化合物は親水性となり、水に溶けやすくなるのです。

 

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.18  有機化合物の酸塩基反応

 

 ただし、ここで注意しなければならないことは、安息香酸とフェノールの分離です。安息香酸とフェノールは、どちらも酸性ですが、フェノールは、炭酸水素ナトリウムNaHCO3で分離することができません。この理由は、フェノールと炭酸水素イオンHCO3- の反応で、生成する物質が二酸化炭素CO2だからです。二酸化炭素CO2は、水に溶けると炭酸H2CO3となり、炭酸H2CO3とフェノールの酸性度は、炭酸(pKa=6.4)>フェノール(pKa=10)です。したがって、フェノールと炭酸水素イオンHCO3- が反応しても、生成してくる炭酸H2CO3によって反応が押し戻されてしまい、結局のところ、フェノールと炭酸水素イオンHCO3- はほとんど反応することができないのです。

 

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.19  安息香酸とフェノールの酸塩基反応

 

 通常、有機溶媒は水よりも密度が小さく、二層に分かれたときに、上層にくるのが有機層であり、下層にくるのが水層です。ただし、クロロホルムCHCl3や塩化メチレンCH2Cl2などのハロゲン系溶媒は、水よりも比重が大きいので、有機層が下層にくることもあります。


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・参考文献

1) 齊藤烈/藤嶋昭/山本隆一/19名「化学基礎」啓林館(2012年発行)

2) 石川正明「新理系の化学()」駿台文庫(2005年発行)

3) メートランド・ジョーンズ「ジョーンズ有機化学()」東京化学同人(2000年発行)

4) H.ハート/L.E.クレーン/D.J.ハート 共著「ハート基礎有機化学」培風館(1986年発行)

5) 鈴木勉「毒と薬【すべての毒は「薬」になる!?】」新星出版社(2015年発行)

6) トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」文藝春秋(2012年発行)