・脂肪族炭化水素(アルカン)


(1)脂肪族炭化水素とは何か?

人類がエネルギーとして使用する燃料の大部分を供給している石油と天然ガスの主成分は炭化水素(hydrocarbon)であり、それは炭素と水素だけからできている有機化合物です。炭化水素は、その炭素-炭素結合の形式により、大きく3種類に分類されます。1つは飽和炭化水素(saturated hydrocarbon)であり、これは炭素-炭素結合だけからできています。もう1つは不飽和炭化水素(unsaturated hydrocarbon)であり、これには炭素-炭素多重結合、すなわち二重結合か三重結合の一方、または両方が含まれています。最後の1つは芳香族炭化水素(aromatic hydrocarbon)であり、これはベンゼンC6H6と構造的に関連した特殊な環状化合物になります。次の図.1に、炭化水素の分類を示します。

 

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.1  炭化水素の分類

 

脂肪族炭化水素とは、鎖状または環状の非芳香族性の炭化水素のことです。したがって、脂肪族炭化水素は、芳香族炭化水素の対義語ということになります。脂肪族炭化水素のうち、飽和炭化水素で鎖状構造の物質は、アルカン(alkane)と呼ばれます。特にアルカンの構造が環状の場合は、シクロアルカン(cycloalkane)といいます。また、不飽和炭化水素で二重結合を1つ持つ鎖状構造の物質は、アルケン(alkene)と呼ばれ、環状の場合は、シクロアルケン(cycloalkene)といいます。さらに、不飽和炭化水素で三重結合を1つ持つ鎖状構造の物質は、アルキン(alkyne)と呼ばれ、環状の場合は、シクロアルキン(cycloalkyne)といいます。

 

(2)アルカン

最も単純なアルカンは、メタンCH4です。メタンCH4の水素を別の炭素に置き換えて、炭素鎖を延長したあと、炭素の原子価に合わせて、適切な数の水素を付け加えれば、膨大な数の関連分子ができあがります。そして、すべてのアルカンは、一般式CnH2n+2(nは炭素原子数)で表わすことができます。枝分かれのない炭素鎖を持つアルカンは、直鎖アルカン(normal alkane)と呼ばれ、この系列の化合物は、炭素数が1個多いものと1個少ないものとでは、-CH2- (メチレン基)の数が1個異なるだけです。

 

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.2  簡単な直鎖アルカンの構造式

 

このように、ある単位が規則的に繰り返されることにより形成される化合物は、同族体(homologous series)と呼ばれます。それらの化学的性質および物理的性質は、非常によく似ており、その性質は、炭素原子数の増加につれて少しずつ変化します。アルカンは、炭素原子数が多いものほど融点や沸点が高く、常温常圧では、炭素原子数n4以下のアルカンは気体で、n5以上のアルカンは液体、n17以上のアルカンは固体となります。また、密度は液体のアルカンで約0.60.8 g/mL、固体のアルカンで約0.8 g/cm3であり、いずれも水より軽いです。

 

(i)アルカンの命名法

初期の有機化学では、新しい化合物の名称は、化合物の原料や用途にちなんで名付けられるのが一般的でした。例えば、柑橘類の果皮に多く含まれるリモネンは、原料であるレモンから、独特の強い香りを持つマツタケオールは、原料であるマツタケから、世界初の抗生物質であるペニシリンは、青カビの学名「Penicillium notatum」から名付けられました。現在でも、複雑な構造を持った分子に、短くて簡単な名称を付ける必要がある場合に、このような命名法を用いることがあります。例えば、理論上最強の爆薬であるオクタニトロキュバンや、ペンギンのように見えるペンギノンは、その形にちなんで命名されました。

 

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.3  名称が原料や用途などに由来する有機化合物

 

しかし、慣用名や通俗名だけに頼ることはできず、化合物を系統的に命名する方法が必要なことは、かなり以前から分かっていました。理想的には、系統的な命名法は、個々の化合物に対して、単一の名称を与えるものでなければなりません。そこで、世界中の有機化学者が認めて使える命名法が考案されました。このシステムは、国際純正応用化学連合(International Union of Pure and Applied Chemistry)が推薦しているIUPACシステムとして知られています。有機化学では、化合物の名称は、主としてIUPAC名を用います。しかし、ある場合には、昔から馴染まれている慣用名が広く使われているので、それも学んでおく必要もあります。例えば、HCHOの構造を持つ化合物のIUPAC名は「メタナール」ですが、現実には、慣用名である「ホルムアルデヒド」が広く好んで使われます。IUPACシステムの規則として、分子の骨格を構成する原子の数や同種の官能基の数を表すには、ギリシア語の数詞を倍数接頭辞として用います。

 

.1  ギリシア語の数詞

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非環式飽和炭化水素の一般名は、アルカン(alkane)です。炭素数14のアルカンは、慣用名を用いますが、それ以上のものは、相当する炭素数の数詞の語尾の「aを「aneに換えて命名します。枝分かれ構造のないアルカンの場合は、そのまま炭素原子数に従って命名します。次の表.2に、炭素数10までの直鎖アルカンの名称と構造式を示します。

 

.2  炭素数10までの直鎖アルカンの名称と構造式

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また、アルカンから水素原子を1つ取った基は、アルカンの語尾「アン」(-ane)を「イル」(-yl)に変えて、「アルキル基」(alkyl group)といいます。特に炭素原子数が14個のアルキル基の名称は、極めて一般的に使われるので、有機化学を学ぶ人は、覚える必要があります。アルキル基を示す一般的な記号には、「R」が使用されます。したがって、R-Hは、すべてのアルカンを表します。次の表.3に、主なアルキル基の名称と構造式を示します。

 

.3  主なアルキル基の名称と構造式

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枝分かれ構造のあるアルカンの場合には、分子中の最も長い連続した炭素鎖を母体として、側鎖は置換基として命名します。側鎖の位置は、主鎖の端から番号を付けていき、主鎖上の最初の置換基の位置番号が、できるだけ小さくなるように示します。すべての置換基には、その名称とそれが付く主鎖上の炭素の番号を付けます。また、同じ置換基が2個以上主鎖上にある場合には、「ジ」(di-),トリ」(tri-),テトラ」(tetra-)などの接頭語が使われます。

 

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.4  アルカンにおけるICPACシステムの適用例

 

アルカンにIUPACシステムを適用するときは、まず最も長い連続した炭素鎖を定めます。これにより、主鎖の炭化水素名が決まります。次に枝分かれする位置に最も近い末端から、順に番号を付けていきます。このようにすれば、どんなアルカンでも、系統的に命名できるはずです。また、環式炭化水素の場合は、相当するアルカンの名称の前に、「シクロ」(cyclo-)という接頭語を付けて命名します。

 

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.5  シクロアルカンにおけるICPACシステムの適用例

 

環状に置換基が1個だけ存在する場合は、わざわざその位置を示す番号を書く必要はありません。置換基が2個以上存在する場合は、1個目の置換基の位置から順に番号を付けていき、次に他の置換基にできるだけ小さい番号が付くようにして命名します。

 

(ii)アルカンの物理的性質

簡単なアルカンやシクロアルカンは、無色の気体や透明な液体、あるいは白色の固体です。メタンCH4は都市ガスの主成分であるため、多くの人々は悪臭がすると思っていますが、そんなことはありません。都市ガスの悪臭は、ガス漏れが臭いで分かるように、わざと添加したエタンチオールC2H5SHに由来するものであり、メタンCH4は無色無臭で、毒性もほとんどありません。ちなみに、都市ガスに添加されているエタンチオールC2H5SHは、現在ギネスブックにおいて、世界一臭い物質として認定されています。

アルカンは、分子量が大きいほどファンデルワールス力が大きくなるため、沸点や融点が高くなります。その結果、常温常圧では、アルカンの状態は次のようになっています。

 

C1C4気体  C5C16液体  C17〜:固体

 

直鎖状のアルカンでは、-CH2- (メチレン基)1個増えるごとに、ファンデルワールス力はほぼ規則的に大きくなります。そのため、炭素鎖の長さが増すにつれて、沸点はほぼ規則的に上昇し、n515では、メチレン基が1個増えると、沸点は2030℃上昇します。次の図.6に、直鎖アルカンの融点と沸点を示しました。

 

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.6  直鎖アルカンの融点と沸点(画像はこちらからお借りしました)

 

また、C-H結合の極性が小さいため、一般的に、炭化水素分子の極性は小さいです。そのため、アルカンは、極性溶媒である水に溶けにくいです。

アルカンと水とが溶け合わない性質は、多くの植物で巧みに利用されています。葉や果実の保護膜は、部分的にアルカンによって形成されていることが多いです。リンゴを磨いたことがある人なら、その表皮には、ワックスが含まれていることを知っているでしょう。確かにその中には、C27H56C29H60の直鎖アルカンが存在しているのです。これら植物ワックスの主な働きは、葉や果実から水分の損失を防ぐことです。

 

(3)アルカンの反応

アルカンの結合は、すべて単結合であり、かつ共有結合性で、非極性でもあるので、一般的にアルカンは、化学反応を起こしにくいです。アルカンは、酸や塩基、酸化剤、還元剤などとは、通常反応しません。この不活性な性質を利用して、アルカンは、抽出や再結晶、あるいは他の物質の化学反応のための溶媒として使用されます。実験室においては、ペンタンC5H12(b.p.36)やヘキサンC6H14(b.p.69)が、極性の低い有機溶媒として用いられることが多いです。しかし、アルカンは、酸素O2やハロゲンのようないくつかの反応剤とは反応するので、次にこれらの反応について説明しましょう。

 

(i)酸化と燃焼

アルカンの最も重要な用途は、燃料です。過剰の酸素中で、アルカンを完全燃焼させると、多量の熱を発生させて、二酸化炭素CO2と水H2Oになります。次にメタンCH4とブタンC4H10の熱化学方程式を示します。

 

CH4 + 2O2 = CO2 + 2H2O() + 890 kJ

C4H10 + 13/2O2 = 4CO2 + 5H2O() +2880 KJ

 

これらの燃焼反応は、天然ガスや灯油を用いて熱を得たり、ガソリンを用いて動力を得たりする基本となっています。ここでは、反応の活性化エネルギーに相当する開始段階が必要であり、通常は、火花や炎を用いて点火します。いったん反応が起これば、大きな燃焼熱のために、自発的かつ発熱的に進行します。一般的に炭素原子数が大きいほど、発熱量も大きくなります。

また、炭素原子数が大きいほど、大量の酸素O2が必要になるため、空気中では完全燃焼しにくく、二酸化炭素CO2や水H2Oと同時に、一酸化炭素COやアルデヒドなどを生じやすくなります。

 メタンCH4では、炭素原子の4本の結合は、すべてC-H結合です。その燃焼生成物である二酸化炭素CO2では、4本の結合はすべてC-O結合です。つまり、燃焼は酸化反応であり、C-H結合がC-O結合に変換されていきます。メタンCH4では、炭素Cの酸化数は-IVであり、炭素Cは最も還元された形をしています。一方で、二酸化炭素CO2では、炭素Cの酸化数が+IVであり、炭素Cは最も酸化された形をしています。

アルカンが不完全燃焼をすると、炭素Cはその中間状態の酸化数を取るようになり、そこでは、C-H結合の何本かがC-O結合に変換されているのです。次にメタンCH4が不完全燃焼したときの化学反応式を示します。次に示した3つの化学反応式では、炭素Cの部分酸化が起きています。

 

CH4 + O2 → C + 2H2O

CH4 + O2 → HCHO + H2O

2CH4 + 3O2 → 2CO + 4H2O

 

(ii)ハロゲン化

アルカンは、化学反応性が低く安定であるため、アルカンと塩素ガスの混合物を低温暗所中で保存しても、何の反応も起こりません。しかし、太陽光の照射下や高温では、発熱反応が起こり、アルカンの水素原子が1個あるいは2個以上、塩素原子に置換されます。この反応は、次の一般式で表されます。

 

R-H + Cl2 (光または加熱) R-Cl + HCl

 

例えば、メタンCH4と塩素ガスの混合物に光を当てると、光のエネルギーにより塩素分子が解離して、反応性の高い塩素原子(不対電子を持つので塩素ラジカルと呼ばれている)が生成され、これが反応の糸口を作ります。塩素ラジカルは、メタン分子と衝突すると水素原子を引き抜き、メチルラジカルを生じさせます。そして、このメチルラジカルが、塩素分子や塩素ラジカルと反応すると、メタン分子中の水素原子が塩素原子で置き換わった、クロロメタンCH3Clが生じるのです。

 

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塩素ラジカルに1電子を奪われたメチルラジカルが、他の塩素分子から電子を引き抜くと、その塩素分子がさらにラジカル化するため、この反応は連鎖的に進行します。そして、反応はラジカル同士が反応して、共有結合を生成するまで続きます。このような反応を、フリーラジカル連鎖反応(free-radical chain reaction)といいます。オゾン層の破壊によって形成されるオゾンホールも、フロンガスから生じた塩素ラジカルが、オゾン分子と連鎖反応を起こすために生じる現象です。

もし塩素ガスが十分にあれば、反応はさらに進行して、メタン分子中の水素原子が次々と塩素原子で置き換わった、メタンの多塩化物が生じます。例えば、この反応で生成するクロロホルムには麻酔性があり、かつては麻酔薬として使われたこともありました。クロロホルムを麻酔薬として初めて使ったのは、スコットランドの産科医であるジェームズ・シンプソンです。当時は出産における麻酔反対論者が少なからずいましたが、イギリスのヴィクトリア女王が末の2人の子供をクロロホルムによる無痛分娩で出産し、「至極快適であった」と感想を述べると、クロロホルムの人気は不動のものとなりました。

それまでの外科手術といえば、ウィスキーやブランデーを大量に飲ませ、意識が朦朧としたところでやるというような殺伐としたものでした。患者の頸動脈を圧迫し、失神させてから手術を行ったり、もっと端的に頭を木槌で強く殴って、気を失わせたりすることも行われていたらしいです。いずれも大きな危険を伴い、もちろん確実に眠らせることなどできようはずもありませんでした。それ故に、患者は手足を縛られたり、あるいは屈強な男たちに身体を抑えられたり、その上泣き叫ぶ患者の悲鳴を消すために傍らで楽隊がドンチャン騒ぎをするなど、馬鹿げたことをやりながら手術をさせられる始末でした。エーテルや笑気ガス(N2O)もこの頃には麻酔薬として使われていましたが、エーテルは手術室で引火する危険性があったし、笑気ガス(N2O)は主に娯楽用ドラッグとして使われていました。こうして、常温では引火せず、麻酔導入に優れたクロロホルムの使用は、急速に広まっていったのです。

しかし、クロロホルムの適量と心臓麻痺を引き起こす致死量が、紙一重であることが分かってからは、麻酔薬として使われることはなくなりました。エーテルや笑気ガス(N2O)が次第に人気を取り戻していく中で、シンプソンは、クロロホルム支持の立場を頑なに変えませんでした。彼の患者10人に1人は、クロロホルムが原因で死亡していたと思われます。また、クロロホルムを使用した手術で死亡した患者の多くは、年齢に関係なく、まるで心臓を撃ち抜かれたかのように、ほとんどが即死していたといいます。一説によると、医療目的でのクロロホルムの使用が原因で、10万人以上が死亡したともいわれています。ちなみに、クロロホルムは砂糖の40倍という、非常に強い甘味を持ちます。

なお、ドラマなどでクロロホルムを嗅がせて失神させるシーンがよく登場しますが、実際にはハンカチに染み込ませたものを数口吸ったぐらいで気を失うようなものではありません。大量に吸い込めば、意識を失うこともありえますが、クロロホルムは毒性も強いため、死に至らしめてしまう危険も高いです。現在では、さらに安全な麻酔薬が登場しており、医療の現場でクロロホルムが麻酔に使われることはありません。

 

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.7  メタンCH4と塩素Cl2のフリーラジカル連鎖反応

 

 また、このフリーラジカル連鎖反応において、反応条件や反応物の比を制御すると、生成物のうちの1種を、優先的に製造することができます。しかし、比較的長い炭素鎖を持つアルカンでは、生成物の組成は一般的に複雑になるので、個々の異性体を分離して、純粋な形で得ることは大変困難になります。したがって、この反応は、高分子量の特定のハロゲン化アルキルの合成方法としては、あまり有効ではありません。例えば、次の図.8で示すプロパンC3H8と塩素Cl2の反応では、生成物は1-クロロプロパンと2-クロロプロパンの混合物になります。

 

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.8  プロパンC3H8と塩素Cl2のフリーラジカル連鎖反応

 

メタンCH4と塩素Cl2の反応のように、分子中の原子が他の原子や官能基に置き換わる反応を、置換反応(substitution reaction)といいます。また、塩素化合物ができる反応を塩素化(chlorination)、臭素化合物ができる反応を臭素化(bromination)、一般的にハロゲン化物ができる反応をハロゲン化(halogenation)といいます。有機塩化物やハロゲン化物には、有毒なものが多いです。

 

(iii)クラッキング

 高分子量のアルカンを、低分子量のアルカンやアルケンへ熱分解する過程を、クラッキング(cracking)といいます。次の図.9に、ブタンC4H10のクラッキングの一例を示します。クラッキングは、石油工業化学で非常に重要な反応です。

 

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.9  ブタンC4H10のクラッキング

 

クラッキングは、500℃程度で原料油と触媒が接触することによって起こります。まず、高温によって軽油や重油を構成する直鎖アルカンが熱分解を起こし、ラジカル的にC-C結合やC-H結合が切断されます。こうして生成したアルキルラジカルが、数段階の反応を経て、低分子量のアルカンやアルケンへ変換されるのです。

 

(4)メタンの合成と利用

 実験室では、メタンCH4は、酢酸ナトリウムCH3COONaと強塩基を共に加熱することで合成します。メタンCH4は、水に溶けにくいので、水上置換で捕集します。次の図.10に、酢酸ナトリウムCH3COONaを用いたメタンCH4の合成反応を示します。

 

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.10  酢酸ナトリウムCH3COONaを用いたメタンCH4の合成

 

 メタンCH4は、池や沼などの泥が堆積した場所なら、どこでもよく発生しています。これは、嫌気性細菌のメタノバクテリウムやメタノコッカスなどが、無酸素状態で有機物を還元して、メタンCH4に変えているからです。そのため、メタンCH4は和名で「沼気」(しょうき)とも呼ばれます。中国では、沼地の底の泥からメタンCH4を集めて、家事や照明用の燃料として用いているところがあります。日本の下水処理施設でも、この嫌気性細菌を積極的に利用し、有機物で汚れた下水を浄化しています。

また、メタンCH4は、ウシやラクダのような反芻動物の消化管中でも、同様に嫌気性細菌により造られています。反芻動物が草を食べて消化できるのは、生まれ持った能力ではなく、消化管に共生している嫌気性細菌がセルロースを分解するからです。この細菌がエネルギーを作る過程で放出するメタンCH4は、強力な温室効果ガスでもあり、同量の二酸化炭素CO22172倍の温室効果をもたらすことで知られますが、メタンガスの排出量の実に16%が、反芻動物のゲップによるものであるといわれています。研究者の中には、カンガルーはメタンCH4を出さないので、ウシの代わりにカンガルーを食べるべきだと主張する人もいます。もっと現実的なものであれば、カンガルーの胃に生息する消化バクテリアを、ウシに移植しようという研究も行われています。次に、嫌気性細菌の発酵によるメタンCH4の生成反応を示します。

 

2CH3CH2CH2COO- + 2H2O + CO2 → 4CH3COO- + 2H+ + CH4

 

資源の乏しい日本において、電力やエネルギーをいかにして確保するかは、常に重要な課題となっています。新たなエネルギー源として注目されている物質に、メタンハイドレート(methane hydrate4CH423H2O)があります。これは、メタンCH4を中心にして、周囲を水分子が囲んだ形になっている水和物のことです。常温常圧では、メタンCH4は気体で、水H2Oは液体ですが、深海のような低温かつ高圧の環境下では、水分子の作る網状構造内部の隙間にメタン分子が入り込み、氷状の結晶になっています。メタンハイドレートの生成は発熱的で、エントロピー的には不利な反応ですから、ル・シャトリエの法則より、低温・高圧であるほど、メタンハイドレートはよく生成する訳です。

 

4CH4 + 23H2O 4CH423H2O

 

メタンハイドレートの外見は、氷やドライアイスによく似ていますが、これに点火すると、内部のメタンCH4が青白い光を出しながら燃焼して、水H2Oだけが残ります。それ故に、メタンハイドレートは「燃える氷」と称されます。メタンハイドレートからは、化石燃料であるメタンCH4を取りだすことができ、またメタンCH4は炭素含有率が低いため、燃焼時に排出される二酸化炭素CO2の量は、石炭や石油に比べておよそ半分の量です。メタンハイドレートは、深海の海底面下や極地方の永久凍土などに多量に存在し、その原始資源量は、天然ガスの数十倍ともいわれています。日本近海の海底面下にも、日本で使用される天然ガスの約100年分に及ぶメタンハイドレートが存在すると推測されており、将来のエネルギー資源として注目されています。これが採掘できるなら、日本は世界有数の資源国になりえます。2013年には、日本で世界初の採掘実験が成功し、実用化まで手が届くところに来ています。

しかし、海底の地層を掘り返すことで、地震などを引き起こす可能性はないのか、生態系を乱したり、環境問題を引き起こしたりしないかなどといった問題は、まだまだ未解決です。それをクリアしたとしても、経済的に引き合うようなコストで1,000 mの海底から採掘できるのでなければ、いくら埋蔵量があっても、実際的には何の意味も成しません。現段階では、メタンハイドレートは先行きの分からない資源でしかないといえます。

 

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.11  メタンハイドレートの燃焼の様子(画像はこちらからお借りしました)

 

 また、今から4045億年の昔、誕生したての地球は、メタンCH4、アンモニアNH3、硫化水素H2S、水蒸気H2Oなどに覆われていました。そして、このメタンCH4こそが、地球上における生命誕生の貴重な炭素起源であったという説があります。

 1953年、アメリカのシカゴ大学で、面白い実験が行われました。アメリカの化学者であるハロルド・ユーリー(重水素の研究で1934年にノーベル化学賞を受賞)と当時大学院生だったスタンリー・ミラー(後のカリフォルニア大学サンディエゴ校の化学科名誉教授)は、フラスコ内をメタンCH4とアンモニアNH3と水蒸気H2Oで満たし、1週間に渡って火花放電を続けました。すると、フラスコ内の溶液は着色し、最終的には赤色っぽくなりました。そして、フラスコの底にたまった水を集め、分析しました。――すると、驚くべきことに、ギ酸や酢酸、乳酸などの低級脂肪酸やある種のアルデヒドに混じって、グリシンやアラニン、セリン、アスパラギン酸、グルタミン酸などのアミノ酸が検出されたのです。

 この実験は「ユーリー・ミラーの実験」と呼ばれ、多くの人々を驚かせました。こんな単純な実験で、アミノ酸が自然に作られるとは、思いもよらなかったからです。それ以降、色々な人たちが、太陽からの紫外線や雷による放電、火山の爆発による高温などに相当する様々な条件を、試験管内に再現させながら、同じような実験を繰り返しました。

けれども、結果はほとんど同じでした。そして、これらの結果は、「地球上の太古の大気に含まれていたメタンCH4は、太陽からの紫外線や稲妻、火山の爆発などによって、アンモニアNH3や水素H2、水蒸気H2Oなどと反応し、初めはごく簡単な有機化合物を作り出し、それらがやがて複雑に反応しあって生命の誕生に至ったのだ」という大胆な仮説を生み出したのです。

 面白いことに、有機化学が進歩し、生物を構成する重要な成分であるタンパク質の組成が分かってくると、色々な生物には、気の遠くなるほど多くの種類のタンパク質が含まれているにも関わらず、それらのタンパク質を作っているアミノ酸は、わずか20種しかないことが明らかになりました。そして、これら20種のアミノ酸のほとんどは、「ユーリー・ミラーの実験」によって作り出せることが確認されたのです。

1986年、アメリカの生化学者であるウォルター・ギルバードは、「まずアミノ酸ができ、重合してポリペプチド、さらにタンパク質が作り出され、これが触媒として働いて生命を作り出した」というプロテインワールド仮説を提唱しました。この説は、アメリカの微生物学者であるカール・ウーズが1967年に提唱した、「まずRNAが存在し、それが現生生物へと進化した」というRNAワールド仮説に対抗する有力な仮説となっています。

 40億年もの昔、地球を覆っていた太古の大気中には、酸素O2はほとんど含まれていません。ずっと後になって生命が誕生し、初めは下等な微生物による「発酵」によって作られた二酸化炭素CO2が水中に溶け、あるいは大気中に放出され、そこで初めて、二酸化炭素CO2を吸収し、光のエネルギーによって還元的に糖を作る働き、すなわち「炭酸同化」を行う生物が出現しました。やがて、豊かに繁茂し始めた緑色植物によって、「光合成」が盛んに行われるようになると、そこで放出される酸素O2によって、大気中の酸素濃度は徐々に上昇していきました。

 今では、「ユーリー・ミラーの実験」によって、一種のポルフィリンまで合成されることが分かっています。このポルフィリンこそ、緑色植物が炭酸同化を行うのに必要な葉緑素(クロロフィル)や、動物の血液中にある血色素(ヘモグロビン)を形作る重要な化合物に他なりません。このような反応が、太古の地球大気中や地中で行われていたらしいということは、生命の誕生を考える上で、重要な指針を与えてくれました。


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・参考文献

1) H.ハート/L.E.クレーン/D.J.ハート 共著「ハート基礎有機化学」培風館(1986年発行)

2) メートランド・ジョーンズ「ジョーンズ有機化学()」東京化学同人(2000年発行)

3) トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」文藝春秋(2012年発行)

4) 山崎幹夫「新化学読本-化ける、変わるを学ぶ」白日社(2005年発行)

5) 佐藤健太郎「炭素文明論」新潮選書(2013年発行)

6) 佐藤健太郎「世界史を変えた薬」講談社(2015年発行)

7) スティーヴン・D・レヴィット著/スティーヴン・J・ダブナー著/望月衛訳「超ヤバい経済学」東洋経済新報社(2010年発行)