・遷移元素(クロム・マンガン・鉄・コバルト)
【目次】
(1) 遷移元素
周期表において、第3族から第12族に位置する元素を、総称して「遷移元素(transition element)」といいます(第12族は遷移元素に含めない場合もあります)。これらの遷移元素は、いずれも電子構造に特徴があり、典型元素と異なって、d軌道あるいはf軌道などの内殻が閉殻になっていません。そして、原子番号の増加によって変化するのは、主に内殻のd軌道ないしf軌道電子であるという特徴を持ちます。すなわち、原子番号21のスカンジウムScから原子番号30の亜鉛Znまでは順に3d軌道が電子で占められていき、原子番号39のイットリウムYから原子番号48のカドミウムCdまでは4d軌道が、原子番号72のハフニウムHfから原子番号80の水銀Hgまでは5d軌道が、それぞれ電子によって順に占有されます。これらの遷移元素を「主遷移元素(main-transition element)」といいます。主遷移元素は、様々な陽イオンになりやすく、d軌道の電子配置の多様性を反映して、多くの酸化数を取ります。
また、原子番号57のランタンLaから原子番号71のルテチウムLuまでは電子が4f軌道を順に占め、原子番号89のアクチウムAcから原子番号103のローレンシウムLrまでは5f軌道を電子が順に占めていきます。f軌道が順に占有される遷移元素を「内部遷移元素(inner transition element)」といいます。このうち、ランタンLaからルテチウムLuまでの元素を「ランタノイド(lanthanoid)」といい、アクチウムAcからローレンシウムLrまでの元素を「アクチノイド(actinoid)」といいます。
図.1 遷移元素とは、周期表で第3族から第12族元素の間に存在する元素の総称である
ランタノイドは、ハイテク製品の材料として重宝されるものが多いです。ランタノイドにスカンジウムScとイットリウムYを加えた元素群は、総称して「希土類元素(rare earth element)」と呼ばれます。希土類元素では、もっぱら+3の酸化状態が安定です。また、これらの元素の単体は、常温常圧では金属の結晶であり、多くのものは室温で「常磁性(paramagnetism)」あるいは「強磁性(ferromagnetism)」を示します。常磁性というのは、外から磁石を近付けると、その磁石の出す磁力線と同じ向きに、内殻電子の磁気モーメントの整列が多少揃うという性質です。一方で、強磁性というのは、外から近付けた磁石の磁力線と同じ向きに、内殻電子の磁気モーメントの整列がきれいに揃うという性質です。強磁性体に強力な磁石を近付けると、その磁石を取り去っても、磁気モーメントが揃った状態が持続します。こうなった強磁性体を、「永久磁石(permanent magnet)」といいます。
図.2 ランタノイドにスカンジウムScとイットリウムYを加えた元素群は、総称して「希土類元素」と呼ばれる
希土類元素は、「レアアース(rare earth)」と呼ばれることもあります。「レア(rare)」は希少という意味ですが、昔は純粋に取り出すことが難しかったため、埋蔵量が少ないものと信じられていたことに由来しています。しかし、実際には地殻中の存在量を考えると、決して少ない訳ではありません。火成岩中では、コバルトCoや亜鉛Znと同じぐらい含まれていますし、少ないものでも金Auや銀Agよりも多いので、資源としてはむしろ豊富です。現在でも「レアアース」の名で呼ばれるのは、他の元素では代用できない機能を持っているものが多いので、「レア」というイメージが現代でも通用するからでしょう。
レアアースの世界需要の約90%は、中国が供給しています。中国のレアアース鉱床は、他国の鉱床と異なり、地中のレアアースが長い年月を経て粘土に吸着したものです。ウラン等の放射性元素は、長年の雨水に溶けて流れ出しているので、抽出や精製が簡単にできるという強みがあります。そのため、他の鉱山よりコスト的に有利で、「中東には石油が、中国にはレアアースがある」といわれています。
表.1 レアアースの国別埋蔵量(2010年)
国名 |
生産量(万t) |
比率(%) |
中国 |
3,600 |
36.4 |
ロシア |
1,900 |
19.2 |
アメリカ |
1,300 |
13.1 |
オーストラリア |
540 |
5.5 |
インド |
310 |
3.1 |
ブラジル |
4.8 |
0.05 |
マレーシア |
3 |
0.03 |
その他 |
2,200 |
22.2 |
ちなみに、レアアースと似た言葉に、「レアメタル(rare metal)」という言葉もあります。ただし、レアメタルという用語は、国際的には通用しない日本独自のもので、経済産業省の定義によれば、「レアメタルは地球上の存在量が稀であるか、技術的・経済的な理由で抽出困難な金属のうち、現在工業用需要があり、今後も需要があるものと、今後の技術革新に伴い新たな工業用需要が予測されるもの」と定義されています。該当する元素は、レアアースが17元素であるのに対し、レアメタルは47種類にも上ります。レアメアルは、金属の性質を微調整するのに使われます。金属は、微量の不純物を混ぜることで、性質が大きく変化することがあるのです。レアメタルをハイテク素材に少量添加するだけで、性質が飛躍的に向上するため、「産業のビタミン」とも呼ばれています。主な用途としては、テレビや携帯電話をはじめとした電子機器があります。
図.3 スマートフォンには、ニッケルNi・クロムCr・ネオジウムNd・インジウムIn・金Auなどのレアメタルが使われている
ここで、遷移元素の性質における一般的な傾向や、単体が金属となる主要族元素の性質との違いをまとめておきましょう。遷移元素のスカンジウムScから亜鉛Znを「第一系列」、イットリウムYからカドミウムCdを「第二系列」、ランタンLaから水銀Hgまでを「第三系列」と名付けます。原子やイオンの大きさは、同一系列内で見ると、次の表.2のように、原子番号の増加とともに、若干減少する傾向が見られます。これは、同一系列内では、電子は同じd軌道に入り、しかもd軌道電子が原子核の正電荷を遮蔽する効果はあまり大きくないため、原子番号の増加に伴う原子核の正電荷の増加により、最外殻電子が原子核に強く引き付けられるためです。
このような傾向は、内殻に存在するf軌道においてより顕著に見られ、「ランタノイド収縮(lanthanoid contraction)」や「アクチノイド収縮(actinoid contraction)」として知られています。第三系列の遷移元素は、ランタノイド収縮の影響を受けます。このため、第三系列の原子半径やイオン半径は、第二系列とほとんど等しくなります。これは、アルカリ金属やアルカリ土類金属には見られない現象です。
表.2 金属元素の金属半径(単位はpm)
また、遷移元素の単体の融点は、一般的に高いものが多くて、ほとんどのものが1,000℃を超えています。これは、アルカリ金属やアルカリ土類金属などの主要族元素の金属の融点が、数十℃から数百℃であることと好対照です。遷移金属結晶における原子の大きさは、アルカリ金属やアルカリ土類金属に比べると小さく、遷移元素の場合は、d軌道やf軌道のように、外部に広く分布する電子が金属結合に参加します。このため、遷移元素では原子間結合力が強くなり、融点も高くなると考えられています。同じ族の遷移元素を比較すると、例外はあるものの、原子番号が大きい元素の単体ほど、融点は高くなります。特に第三系列のタングステンWやレニウムReは、3,000℃を超える融点を持ちます。これは他の元素の単体と比べて、際立って高い値です。
表.3 主な金属元素の融点
金属元素 |
融点〔℃〕 |
分類 |
タングステンW |
3,410 |
遷移元素 |
鉄Fe |
1,535 |
遷移元素 |
銅Cu |
1,083 |
遷移元素 |
金Au |
1,064 |
遷移元素 |
銀Ag |
952 |
遷移元素 |
アルミニウムAl |
660 |
典型元素 |
亜鉛Zn |
420 |
典型元素 |
鉛Pb |
328 |
典型元素 |
ナトリウムNa |
98 |
典型元素 |
水銀Hg |
-39 |
典型元素 |
遷移元素のイオン化エネルギーは、約550〜900 kJ/molの間です。これは、リチウムLiやストロンチウムSrから、ホウ素BやリンPまでの範囲に相当します。このことは、遷移元素の作る化学結合が、イオン結合性から共有結合性まで、多様であることを示しています。系列間で比較すると、第一系列と第二系列のイオン化エネルギーの間には、それほど差がないものの、第三系列のイオン化エネルギーは、他の系列より大きくなっています。これは、上記の原子半径と関係しています。すなわち、第三系列は、第二系列と比べて原子半径がそれほど変わらないのにもかかわらず、原子核の正電荷は増えているため、イオン化エネルギーは大きくなるのです。
(2) クロム
(i) クロムCr
「クロム(chromium)」は、銀白色の光沢を持つ硬い金属です。天然では様々な鉱物に含まれており、エメラルドの緑色やルビーの赤色は、不純物として微量に含まれるクロムCrのためです。元素名の由来は、得られる塩類が各種の色彩を持つことから、ギリシア語の「chroma(色)」にちなんでいます。クロムCrの単体は、常温では空気や水H2Oに対して安定です。錆びにくいので、鉄製品のめっきとして用いられたり、鉄Feと混ぜて「ステンレス鋼」として用いられたりします。硫酸塩の水溶液は緑色であり、塩基性にすると、水酸化クロム(III) Cr(OH)3の灰緑色沈殿を生じます。また、この溶液に水酸化ナトリウムNaOH水溶液を十分に加えると、テトラヒドロキソクロム(III)イオン[Cr(OH)4]− となって、再溶解します。
Cr3+ + 3OH− → Cr(OH)3↓(灰緑)
Cr(OH)3 + OH− → [Cr(OH)4]- (緑)
(ii) クロムCrの化合物
クロムCrは、非常に多くの酸化状態を取り、酸化数で-2から+6までの状態が確認されています。酸化数で-2から+1といった低酸化数の状態は、錯体において見られます。最も安定な状態は、酸化数+3の状態であり、酸化数+6の化合物は、極めて毒性が強いです。酸化数+6のクロムCrを含む二クロム酸カリウムK2Cr2O7のヒトでの致死量は、0.5〜1 gといわれています。かつては、酸化数+6の化合物をめっき用途で使うことが多かったのですが、土壌汚染を起こすなどで、しばしば問題視され、現在では使われなくなってきています。
酸化数+3の状態であるクロム(III)イオンCr3+ は、化学的にはアルミニウムイオンAl3+ と同じく両性を示します。クロム(III)イオンCr3+ を含む代表的な化合物は、酸化アルミニウムAl2O3と全く同じ構造を持つ酸化クロム(III) Cr2O3です。教室の黒板は、鈍い緑色をしていますが、これは酸化クロム(III) Cr2O3の色です。クロム(IV)イオンCr4+ は、酸化クロム(IV) CrO2に含まれます。これは、酸化物では珍しく、室温で強磁性を示す物質であり、磁気記録用テープに利用されたことがあります。高い酸化数を持つクロム(VI)イオンCr6+ は、オキソ酸やオキソ酸イオン、およびオキソ酸塩を作ります。これには、クロム酸イオンCrO42− および二クロム酸イオンCr2O72− が知られており、これらは水溶液中では、次のような平衡状態にあります。
2CrO42− (黄) + 2H+ ⇄ Cr2O72− (赤橙) + H2O
Cr2O72− (赤橙) + 2OH- ⇄ 2CrO42− (黄) + H2O
図.4 クロム酸イオンCrO42− と二クロム酸イオンCr2O72− の可逆反応
二クロム酸イオンCr2O72− は、酸性水溶液中で安定であり、赤橙色を呈します。一方で、クロム酸イオンCrO42− は、塩基性水溶液中で安定であり、黄色を呈します。クロム酸イオンCrO42− は、水溶液中で銀イオンAg+ や鉛(II)イオンPb2+、バリウムイオンBa2+ と反応し、それぞれクロム酸銀Ag2CrO4やクロム酸鉛(II) PbCrO4、クロム酸バリウムBaCrO4の独特な色を持った沈殿を生成します。このため、これらの反応は、金属イオンの定性分析や水溶液中のクロム(VI)イオンCr6+ の確認に用いられます。
Ba2+ + CrO42− → BaCrO4↓(黄)
Pb2+ + CrO42− → PbCrO4↓(黄)
2Ag+ + CrO42− → Ag2CrO4↓(赤褐)
図.5 クロム酸塩
また、二クロム酸イオンCr2O72− の硫酸酸性水溶液は、強い酸化剤であり、第一級アルコールをアルデヒドやカルボン酸に変える他、第二級アルコールをケトンに変えます。欧米では、化学的酸素要求量(COD)を計測する際の試薬としても用いられます。
Cr2O72− (赤橙) + 14H+ + 6e− → 2Cr3+(緑) + 7H2O
(3) マンガン
(i) マンガンMn
「マンガン(manganese)」は、地殻中に比較的豊富に存在する銀白色の金属です。マンガンMnの単体は、硬くてもろい金属であり、融点も1,240℃と遷移元素の中では比較的低い方です。マンガンMnは、天然で単体としては産出せず、二酸化マンガンMnO2や炭酸マンガンMnCO3などとして産出します。マンガンMnの合金は、私たちの生活と密接に関連しており、「マンガン鋼」は強靭で割れにくいので、鉄道の中で特に力のかかるレール分岐部分の材料として用いられます。衝撃がかかると硬くなる性質があり、建設機械の走行用無限軌道(いわゆるキャタピラ)や掘削用の爪などにも使用されます。
図.6 「マンガン鋼」は、鉄道レール分岐部分に用いられる
海底の火山活動や熱水活動などで、海水に溶け出したマンガンMnや鉄Feが、水酸化物になって海底に沈殿し、ジャガイモ状の塊(一般に黒褐色で、多くは直径1〜10 cm程度)を作ります。これを「マンガン団塊」といいます。主成分はマンガンMnや鉄Feですが、その他に有用金属として銅Cu、ニッケルNi、コバルトCoなどを含むことから、重要な海底鉱物資源として注目されています。マンガン団塊は、1873年にイギリスの海洋探検船「チャレンジャー号」が、アメリカ北西沿岸の沖合の深海底で初めて発見しました。貝殻、サメの歯、岩石などを核にして、数十年から数百万年の歳月をかけて、成長したものと考えられています。団塊の総量は、ロンドン地質博物館のアラン・アーチャーの見積もりによれば、5,000億tとされています。
図.7 マンガン団塊の成長には、数十年から数百万年かかるといわれている
(ii) マンガンMnの化合物
マンガンMnも、クロムCrと同様に非常に多くの酸化状態を取り、酸化数で-3から+7までの状態が知られています。酸化数が-3,-1,0,+1の低酸化数の状態は、主に錯体で見られます。なお、酸化数-2の状態は、まだ確認されていません。最も安定な状態は、酸化数+2の状態であり、マンガン(II)イオンMn2+ を含む多くの化合物が確認されています。マンガン(III)イオンMn3+ は酸化マンガン(III) Mn2O3において、マンガン(IV)イオンMn4+ は二酸化マンガンMnO2において、マンガン(V)イオンMn5+ はマンガン(V)酸カリウムK3MnO4において、マンガン(VII)イオンMn7+ は過マンガン酸カリウムKMnO4において、それぞれ存在します。
図.8 マンガンMnの化合物
二酸化マンガンMnO2は黒色の固体であり、適度な酸化力を持つ酸化剤として、乾電池の酸化剤(正極活性物質)として利用されます。濃塩酸HClと混ぜて加熱すると、塩化水素HClが酸化されて単体の塩素Cl2が生じます。この反応は冷やすと止まるので、塩素Cl2の発生を制御できる安全な方法であり、高等学校での実験に適しています(第17族元素(ハロゲン)を参照)。その他、過酸化水素H2O2や塩素酸カリウムKClO3から酸素O2を発生させる無機触媒としても利用されています。
MnO2 + 4HCl → MnCl2 + Cl2 + 2H2O
2H2O2 → O2 + 2H2O
2KClO3 → 2KCl + 3O2
マンガン(VI)イオンMn6+ とマンガン(VII)イオンMn7+ は、マンガンMnの代表的なオキソ酸イオンであるマンガン酸イオンMnO42− と過マンガン酸イオンMnO4− にそれぞれ含まれます。これらの陰イオンは、いずれも酸化力が強いです。特に過マンガン酸カリウムKMnO4は、酸化還元滴定に用いられる典型的な化合物で、強力な酸化剤として作用しますが、液性によって反応が異なります。
(酸性溶液中では) MnO4− (赤紫) + 8H+ + 5e− → Mn2+(淡桃) + H2O
(中性〜塩基性溶液中では) MnO4− (赤紫) + 2H2O + 3e− → MnO2(黒) + 4OH−
図.9 過マンガン酸カリウムKMnO4水溶液による酸化還元滴定
(4) 鉄
(i) 鉄Fe
「鉄(iron)」は、あらゆる金属の中で最も有用な金属です。現在、人類が利用している全金属の90%は鉄Feです。硬度があり、加工もしやすく、炭素含有量などを変化させることで様々な性質を持たせることができる、まさに「万能の金属」といってもいいです。このため、現代文明は、鉄Feを基本として構築されています。「鉄は国家なり」は、19世紀にドイツを武力で統一したビスマルクの演説に由来する言葉だといわれていますが、まさにその言葉の通り、近代国家は鉄Feがなければ始まりません。ちなみに、英語の「iron」の語源は、ギリシア語の「ieros(強い)」に由来します。元素記号の「Fe」は、ラテン語の「ferrum(鉄)」に由来します。
鉄Feの発見は、人類にとって新たな時代の到来を意味しました。鉄器は、石器や青銅器より優れていたので、農業や工業、戦争の武器に使われるようになりました。鉄Feを最初に使ったのは古代エジプト人で、鉄Feの製錬が行われるようになるはるか以前の、今から5,000年以上も前のことでした。彼らは「隕石鉄」を使ったのです。金属の精錬技術がなかった時代あるいは地域においては、隕石鉄は「天からの金属」とも呼ばれ、古代より珍重されました。隕石鉄は、ニッケルNiの含有量が多いため、ある程度容易に加工できるほど軟らかいです。隕石鉄から作られた短剣が、ツタンカーメンの副葬品の中から発見されています。
図.10 隕石鉄は「天からの金属」と呼ばれ古代より珍重された
鉄Feの製錬が最初に行われたのは、紀元前3000年から紀元前2700年頃の中東シリアだと考えられています。鉄Feは、地球上のほとんどの岩石中に、酸化物や硫化物、またはケイ酸塩などの形で含まれています(約5%)。地殻中に含まれる金属元素としては、アルミニウムAlの次に地殻中に多く存在し、鉱石として採取可能なものは約2,320億tあるといわれています。赤鉄鉱Fe2O3や磁鉄鉱Fe3O4などの鉄鉱石はどこでも手に入ったので、製法さえ習得できれば、大量の鉄Feを作ることができました。
表.4 鉄鉱石の種類と性質
名称 |
化学式 |
性質 |
赤鉄鉱 |
Fe2O3 |
地球ではありふれた鉱物。色は黒・灰・赤褐・赤など様々だが、粉末にするといずれも赤褐色になる |
褐鉄鉱 |
FeO(OH)・nH2O |
暗褐色もしくは黒色の鉱物。黄土色の顔料としても用いられる |
磁鉄鉱 |
Fe3O4 |
火成岩に含まれ、黒色の金属光沢がある。強磁性体で磁石にくっつく。粉末状になった磁鉄鉱が砂鉄である |
黄鉄鉱 |
FeS2 |
黄色の鉱物。硫黄分が鉄をもろくするので、製鉄には用いられない。その色から「愚者の黄金」ともいわれる |
紀元前1500年から紀元前1200年の間には、アナトリア(現在のトルコ)に興ったヒッタイト人によって、大規模な鉄Feの製錬が行われました。ヒッタイト人は、人類で初めて鉄製の武器と、馬に引かせる戦車を作り出しました。これらは、当時としては最新式の軍事装備です。ヒッタイト人はバビロニアを滅ぼし、エジプトの新王国とも勢力を争いました。しかし、彼らの栄光は紀元前12世紀まででした。東地中海上で活躍していた「海の民」に攻め込まれて、ヒッタイト帝国が滅びます。そうして、ヒッタイト人の製錬技術は、周辺諸国に拡散していったといいます。それ以来、鉄Feは一貫して我々の社会と生活の中心にあり続け、文明の発展に貢献してきました。
図.11 ヒッタイト帝国は、古代に製鉄によって栄えた
鉄Feの単体は、強磁性を持つ銀白色の金属固体です。希硫酸H2SO4や希塩酸HClなどの酸と反応して、水素H2を発生しながら淡緑色の鉄(II)イオンFe2+ の溶液となります。水溶液中の鉄(II)イオンFe2+ は酸化されやすく、空気中に放置すると、水溶液の色は徐々に黄色味を帯びてきます。これは、空気中の酸素O2や水に溶けている酸素O2により、鉄(II)イオンFe2+ が黄褐色の鉄(III)イオンFe3+ まで酸化されるためです。
Fe + 2H+ → Fe2+(淡緑) + H2
4Fe2+ + 2H2O + O2 → 4Fe3+(黄褐) + 2OH-
また、鉄Feは高温の水蒸気とも一部が反応して、四酸化三鉄Fe3O4となります。一方で、鉄Feは、濃硝酸HNO3などの酸化力のある酸とは反応しません。この理由は、濃硝酸HNO3中では、鉄Feの表面に厚さ数nm程度の緻密な構造を持つ酸化皮膜が生じて、この膜がさらなる酸化反応を抑制するためです。このような状態は「不動態(passivity)」と呼ばれ、鉄Feの他にも、クロムCrやアルミニウムAl、コバルトCo、ニッケルNiなどの金属で見られます。
3Fe + 4H2O ⇄ Fe3O4(黒) + 4H2
鉄Feのサビには、「赤サビ」と「黒サビ」がありますが、黒サビは不動態です。赤サビは、鉄Feを湿った空気中に放置すると生じるサビです。きめが粗くて密着しておらず、サビの内部をボロボロにし、鉄Feはやがて朽ちてしまいます。さらに、空中の水H2Oや酸素O2をどんどん吸着して、内部までサビが進行するのを逆に助けてしまいます。一方で、黒サビは、鉄Feを800〜1000℃程度で強熱したときに生じるサビです。緻密で密着性が良いので、空気中の酸素O2がサビの内部に侵入するのを防ぎ、赤サビの発生を抑えます。赤サビの主成分は、条件によっても異なりますが、赤褐色の酸化鉄(III)水和物Fe2O3・nH2Oと考えられています(n=1に相当する組成式FeO(OH)で表記することもあります)。一方で、黒サビの主成分は、黒色の四酸化三鉄Fe3O4です。
図.12 赤サビ(左)と黒サビ(右)の比較
インドのデリー市郊外にあるにある「チャンドラバルマンの鉄柱」は、高さ6.9 m、直径44 cm、重さ6 tもある巨大な鉄柱です。鉄柱に彫られたサンスクリット語の碑文や鉄柱頭の装飾様式から、およそ1,500年前にマウリヤ王朝のアショカ王を偲んで、平和祈願を目的として製作されたものと推定されています。驚くべきことは、この鉄柱が1,500年もの間、全く錆びていないということです。1,300年前に建てられた法隆寺にも鉄釘が用いられていますが、その釘は現在でも健在です。「チャンドラバルマンの鉄柱」や「法隆寺の鉄釘」は、金属表面に不動態が形成されて黒サビとなっており、腐食から守られていると考えられています。
図.13 インドのデリー市郊外にあるチャンドラバルマンの鉄柱は、1,500年の暴風雨に曝されながら錆びていない
鉄Feは、実はかなり錆びやすい部類の金属です。イオン化傾向が大きいため、湿った空気中では、容易にサビを生じて、見かけ上、黒ずんだり褐色になったりします。これは、鉄面上で性質がわずかに異なった部分が、電解質水溶液に覆われて、それぞれが正極または負極となり、一種の電池を形成して反応するためです。このような電池を「局所電池(local cell)」といいます。鉄面上で、サビの酷い箇所と酷くない箇所があるのは、そのためです。傷がある部分などでは、鉄Feの酸化反応が起こりやすくなるので、負極になります。一方で、酸素O2に触れやすい箇所では、酸素O2が酸化剤として働くので、正極となります。なお、鉄サビの形成過程は、極めて複雑であるため、次の図.14で示している反応は、ほんの一例です。水酸化鉄(II) Fe(OH)2は、最初にできるサビです。このサビが溶存酸素O2により酸化されて水酸化鉄(III) Fe2O3・nH2Oとなり、ここから水分が取れてn=1のオキシ水酸化鉄(III) FeO(OH)となります。
このような薄い水膜下で起こる腐食現象を、「大気腐食(atmospheric corrosion)」といいます。水膜の厚さが0.1 mmより薄くなると、水膜表面からの酸素O2供給速度が速くなるので、腐食速度は大きくなります。一方で、水膜が目に見えないほど薄くなると、金属表面が不動態化してしまうので、腐食速度は低下してしまいます。これまでの研究から、鉄面上の水膜の厚さがおおよそ数十µmのときに、腐食速度が最大となることが報告されています。温度も腐食速度に影響しますが、やはり水膜の存在が重要であり、夜間に気温が下がって、金属表面がうっすら濡れたときに、最も腐食が進行しやすくなるという報告があります。
Fe → Fe(OH)2 → Fe2O3・nH2O → FeO(OH)
図.14 鉄面が錆びる仕組み
また、化学カイロも、鉄Feの腐食反応を利用したものです。鉄Feの腐食反応は発熱反応であり、鉄サビとして、オキシ水酸化鉄(III) FeO(OH)が生成すると、生成物1 mol当たりで419 kJの発熱があります。化学カイロの原料には、鉄粉・活性炭・食塩・保水剤が含まれています。鉄粉や活性炭を用いることで、接触面積および鉄Feの反応面積が大きくなります。そして、その上に保水剤からの水分が広がり、粉体全体に薄い水膜が形成されます。活性炭は、その微細孔に酸素O2をたくさん吸着保持できるので、鉄Feの腐食を促進する酸化剤としての酸素O2を多数供給することができます。それに加え、活性炭は電気伝導性を有し、負極となる鉄Feに対して正極として作用し、鉄粉のみのときよりも酸素O2の還元反応が起こる面積が増えることで、鉄Feの溶解速度が増加します。ただし、鉄Feは酸素O2がたくさん供給され過ぎると、不動態化する傾向があるので、食塩NaClを加え、不動態化を阻害しています。
Fe + 1/2H2O + 3/4O2 = FeO(OH) + 419 kJ
図.15 化学カイロは、鉄粉の酸化反応を利用したカイロである
鉄Feは、産業用金属の代名詞ともいえる存在です。しかし、この「錆びやすい」という点は、鉄Feの最大の落ち度であり、その対策のため、毎年莫大な費用がかかっています。しかしながら、鉄Feは多様な合金を作ることができ、それらの合金の性質を、超高硬度から特段の引っ張り強度から優れた振動減衰性まで、自在に調整できるなど、山ほどの長所があります。溶解や鋳造、機械加工、鍛造、冷間加工、焼き入れ、焼き戻し、焼きなまし、延伸などがいずれも容易で、どんな形や性質にもできるという点で、鉄Feは他の金属の追随を許しません。「鉄」は旧字体で「鐵」と書きます。日本の有名な鉄鋼学者である本多光太郎は、この漢字と鉄Feの優秀さをかけて、「金の王なる哉」と評しました。様々な元素と組み合わせて優れた材料となる鉄Feは、まさに金属材料の王の名に相応しいといえるでしょう。
表.5 様々な鉄合金と主な用途
名称 |
成分 |
用途 |
鋼 |
Fe+C |
構造材、刃具 |
快削鋼 |
Fe+S |
自動車部品、時計部品 |
マンガン鋼 |
Fe+Mn |
キャタピラ、土木工事用機材 |
インバー |
Fe+Ni |
時計部品、実験装置 |
クロム鋼 |
Fe+Cr |
自動車部品 |
タングステン鋼 |
Fe+W |
工具、金属加工用機材 |
13ステンレス鋼 |
Fe+Cr(13%) |
医療器具、刃物 |
18-8ステンレス鋼 |
Fe+Cr(18%)+Cr(8%) |
流し台、食器、車両 |
クロムモリブデン鋼 |
Fe+Mo+Cr |
自動車部品、航空機部品 |
KS鋼 |
Fe+Co+W+Cr |
磁石材料 |
(ii) 生物と鉄Feの関係
人と鉄Feとの関係は、古代ギリシア時代からすでにあったとされています。当時の鉄Feの主たる原料は、宇宙からやってくる「隕鉄」でした。そのため、鉄Feは古代においては、金Au以上に高価な金属でした。古代ギリシアのストラボンの「地理学」には、金Auと鉄Feが10:1の割合で交換が行われたという記述もあります。「医学の父」といわれる古代ギリシアのヒポクラテスは、「貧血は鉄欠乏症によるもの」と考え、その治療に鉄Feを用いていました。
人の血液から初めて鉄Feを発見したのは、イタリアの医師であるヴィンチェンツォ・メンギーニです。1746年、メンギーニは血液を燃やして残った微粒子の中に、磁石に引き付けられる成分として鉄Feを見つけ、それが赤血球の素になっていると考えました。そして18世紀以後、鉄Feは血色素である「ヘモグロビン(hemoglobin)」の構成成分であることが、化学的に明らかとなりました。体重70 kgの成人には、約6 gの鉄Feが存在し、そのうちの約70%は、血液中に含まれています。ヘモグロビンに含まれる鉄原子Feは、血中で酸素O2を運ぶ大役を担っています。ヘモグロビンのおかげで、血液の酸素含有能力は、水H2Oの約70倍に上昇しています。このヘモグロビンは、よく似た2種類のタンパク質が2個ずつ、合計4個で集団を作っています。4個のタンパク質には、それぞれ同じ環状構造を持つ分子が包み込まれており、この分子を「ヘム(hem)」といいます。ヘムは、「ポルフィリン(porphyrin)」という有機物部分と、中心の金属部分からできており、ヘモグロビンの場合は、中心が鉄Feとなっています。
図.16 ヘモグロビン1分子には、4個の鉄(II)イオンFe2+ が含まれる
植物の体内でも、ポルフィリンの骨格は、欠かせない役割を負っています。植物に含まれる「クロロフィル(葉緑素)」は、ポルフィリン環に似た骨格の中心にマグネシウムMgが結合した構造です。この部分が吸収した光のエネルギーが、光合成に用いられています。そして、このクロロフィルは、赤色と青色の光を吸収し、緑色の光を反射するため、植物は緑色に見えます。植物は光合成によって体を作り、動物はそれを食べてエネルギー源としていることを思えば、このクロロフィルこそが、地球を「生命の惑星」たらしめている物質といえるでしょう。
図.17 植物が緑色に見える理由は、クロロフィルが緑色の光を反射するためである
海洋に鉄Feを散布することが、地球温暖化に歯止めをかける決め手になるかもしれないと主張している研究者がいます。アメリカのモス・ランディング海洋研究所の海洋学者ジョン・マーティンは、南極海や太平洋の赤道付近、それに北太平洋の亜寒帯地域では、プランクトンが不自然に少ないことに気付きました。プランクトンが生きていくために不可欠な硝酸塩などの他の成分は豊富な海域だったので、マーティンは「鉄Feが不足していること」がプランクトンの増えない理由だと考え、鉄Feさえ散布すればプランクトンは増えるはずだという仮説を、1988年に発表したのです。そしてマーティンの死後、実験によってこの仮説は実証されました。
プランクトンなどの微小な生命にとっても、鉄Feは生きる上で不可欠な元素です。海洋の「鉄肥沃化」が進めば、プランクトンは増殖してくれます。増えたプランクトンは海中で光合成をするので、大気中の二酸化炭素CO2を吸収してくれるという訳です。陸上では森林の伐採が進み、植物による光合成は減少する一方ですが、地球の表面の7割を占める海洋で光合成が増えれば、増加した二酸化炭素CO2を消費してくれる可能性がある訳です。しかし、鉄肥沃化が海洋生態系にもたらす影響は、実のところよく分かっておらず、様々な物議を醸しているのが現状です。
図.18 海洋に鉄Feを散布するとプランクトンが増える
毒物には、「呼吸毒」といわれるものがあります。これは、呼吸を妨げることで毒作用を現す物質で、青酸カリKCNや一酸化炭素CO、硫化水素H2Sなどが典型です。これらの毒物は、ヘモグロビン中の鉄Feと不可逆的に結合することで、毒性を現します。すなわち、これらの毒物が一度鉄Feと結合すると、もう離れなくなってしまうのです。そのため、鉄Feは酸素運搬を行うことができなくなり、細胞は呼吸ができなくなって、死に至ることになります。
私たちの血液が赤いのは、ヘモグロビンのせいです。人が硫化水素H2Sで亡くなると、鉄Feが硫化水素H2Sと結合し、「硫化ヘモグロビン(hemoglobin sulfide)」となります。そのため、血液が緑っぽくなって、遺体が腐敗色を帯びるといいます。なお、呼吸に関係する金属は、鉄Feだけではありません。タコやイカなどの軟体動物では、「ヘモシアニン(hemocyanin)」という物質に含まれる銅Cuが、酸素O2の運搬をしています。軟体動物の血液が青いのは、銅(II)イオンCu2+ の色によるものです。
図.19 タコの血液に含まれるヘモシアニンは、銅(II)イオンCu2+ 由来の青色をしている
2015年12月25日、文部科学省は、日頃口にする食品の栄養成分をまとめた「日本食品標準成分表」の改訂版を発表しました。この改訂により、「鉄分の王様」とも呼ばれていたヒジキの鉄分が、100 g当たり55 mgから6.2 mgへと、約1/9の量に変更されました。これは、流通しているヒジキの製造に使う釜の多くが、鉄製からステンレス製に変わったために、ヒジキに含まれる鉄分が大幅に減少したからだと考えられています。切り干し大根も、ステンレス製の包丁の普及を受け、100 g当たりの鉄分が、9.7 mgから3.1 mgへと変更されました。
実際、鉄製の調理器具を使うことで、料理中の鉄分は増えます。この現象を利用して、カンボジアでは、調理の際に鉄製の魚「ラッキーアイアンフィッシュ」を鍋に入れるそうです。カンボジアを訪れたカナダの医師が、現地の人の鉄分不足の現状を目の当たりにし、何とかそれを解消できないかと考えていたときに、このことを思い付いたといいます。最初は、鉄塊をそのまま鍋に入れることを提案しましたが、鉄塊を料理に入れることに馴染みのなかったカンボジアの人々は、それを中々受け入れることができなかったそうです。そこで、現地で幸運の象徴として親しまれている「魚」を型取って、鉄製の魚「ラッキーアイアンフィッシュ」を作ってみたところ、一気に広まったのだとか。何ともユニークな裏話です。
図.20 ラッキーアイアンフィッシュを鍋に入れて料理をするだけで、鉄分の摂取量が増える
(iii) 鉄Feの製法
金属鉄の工業的な製造には、赤鉄鉱Fe2O3や磁鉄鉱Fe3O4が原料として用いられます。日本で製鉄が始まったのは、弥生時代の後半から末期頃だと推定されています。広島県の小丸遺跡では、集落に直径50 cm、深さ25 cmの製錬炉の跡と思われる穴が発見されています。製鉄の基本は、炭素Cを燃焼させて一酸化炭素COを生成し、一酸化炭素COの強力な還元作用によって、酸化鉄を還元することです。最初期の製鉄は、鉄鉱石と木炭を層状に重ねて、それを一気に燃焼させることで行われました。
Fe2O3 + 3CO → 2Fe + 3CO2
Fe3O4 + 4CO → 3Fe + 4CO2
そのため、製鉄には膨大な量の木炭や薪が必要となり、自然の風や人力または水力で送風していました。日本では、炉内に砂鉄と木炭を入れて火を付け、踏み板を使ってふいごから送風し、火力を高めて精錬する「タタラ製鉄」が発展しました。タタラ製鉄は、宮崎駿監督の長編アニメーション映画「もののけ姫」でも登場したので、ご存知の方も多いと思います。遅くとも8世紀頃には、中国地方を中心にタタラ製鉄が行われていたといいます。1回のタタラ操業に必要な木炭の量は約12 tで、これは森林面積にすると104 m2とされます。世界的に見ても、タタラ製鉄と同様の方法はありふれたものでしたが、日本では木炭生産のための森林資源が豊富であること、中国地方で採れる良質な砂鉄の存在などの要因により、タタラ製鉄は近代の初期まで国内製鉄のほぼすべてを担いました。
図.21 映画「もののけ姫」でも登場した「タタラ製鉄」
幕末から明治初期には、タタラ製鉄は最盛期を迎えましたが、膨大な労力がかかるため、大正末期には姿を消しました。ただ最近になって、伝統技術保存のために、日本刀剣美術保存協会の尽力で、島根県仁多郡横田町でタタラ製鉄が行われるようになりました。耐火粘土でお風呂のような形のタタラ炉を作り、同量の砂鉄と木炭を交互に入れて、両側から空気を送り込みながら加熱し、鉄を融かすのです。一度火を入れると、三日間休みなく作業が続けられます。炉は最後には取り壊されるので、一回ごとに作り直されます。できた「ケラ」と呼ばれる鉄塊には、良質の鋼が含まれています。
タタラ師とは、タタラ炉を操って鉄を作る技術者をいうのですが、現代ではほんの数人しかいなくなったようです。島根県仁多郡横田町では、正統な日本刀の素材のために、タタラ製鉄によって高品質の鋼鉄である「玉鋼」が製造されています。映画「もののけ姫」に登場するダイダラボッチは、タタラ製鉄の製鉄者の名前に由来するともいわれる巨人の妖怪であり、各地の民話や昔話では、共通して山や川、湖などの地形を作ったといわれています。有名なものでは、富士山を作るために近江の土を掘り、その掘った跡地が、琵琶湖になったというものがあります。
図.22 島根県横田町では、現在でもタタラ製鉄が行われている
そして、明治時代後半には、安価な輸入鋼材の流入、および国内での洋式製鉄の伸長により、タタラ製鉄は溶鉱炉を用いた洋式製鉄法に取って代わられました。溶鉱炉は数十メートルもの高さがあるので、「高炉」とも呼ばれます。溶鉱炉にコークスと鉄鉱石を入れて、下から熱風を吹き込んで鉄鉱石を還元します。溶鉱炉の高さが高いほど、鉄鉱石の還元時間が長くなるので、良質の鉄Feになります。また、踏み板を使った送風は蒸気機関に取って代わり、炉内の温度をより高くできるようになりました。一度火が入れられた溶鉱炉は常に稼働されて、数年に一度の炉内壁の修理等のとき以外には停止されることはありません。溶鉱炉を用いることで、鉄Feは大量生産体制に移ったのです。現代の溶鉱炉は、1日で一基当たり1万t以上の鉄Feを作り出します。2015年の世界の粗鋼生産量は16億2,280万tで、これは東京23区全域を30 cm近い厚さで覆ってしまえる量に相当します。すべての金属を合わせた生産高の9割以上を、鉄Feが占めているのです。
図.23 溶鉱炉を使うことによって、鉄Feを大量生産できるようになった
溶鉱炉法では、石炭に含まれる硫黄分が鉄Feをもろくするので、石炭をそのまま製鉄に用いることはできません。この問題は、硫黄分を取り除くために石炭を1,000℃近くの高温で蒸し焼きにし、多孔質の「コークス」にすることで克服されました。しかし、鉄鉱石もコークスも融解しにくいため、ただ混ぜて加熱するだけでは、酸化鉄(III) Fe2O3の還元反応は起こりません。そこで、溶鉱炉の下部から約1,300℃に加熱した空気を吹き込んで、コークスを燃やします。コークスが燃えると一酸化炭素COが発生し、この一酸化炭素COを鉄鉱石に衝突させることで、鉄鉱石を還元しています。また、二酸化ケイ素SiO2などのケイ酸成分(岩石成分)は、石灰石CaCO3が熱分解すると生じる酸化カルシウムCaOと反応させ、ケイ酸カルシウムCaSiO3にして除きます。
Fe2O3 + 3CO → 2Fe + 3CO2
CaCO3 → CaO + CO2
SiO2 + CaO → CaSiO3
ただし、実際には、上式のように酸化鉄(III) Fe2O3が鉄Feに直接還元される訳ではありません。まず酸化鉄(III) Fe2O3が四酸化三鉄Fe3O4に還元され、それから酸化鉄(II) FeOとなり、最後に鉄Feに還元されます。これらの反応式を{(i)+(ii)×2+(iii)×6}÷3のようにしてまとめると、Fe2O3+3CO → 2Fe+3CO2 の反応式が得られます。
3Fe2O3 + CO → 2Fe3O4 + CO2 …(i)
Fe3O4 + CO → 3FeO + CO2 …(ii)
FeO + CO → Fe + CO2 …(iii)
図.24 一酸化炭素COの還元作用により、金属鉄の酸化物が還元されていく
このようにして生じた鉄Feやケイ酸カルシウムCaSiO3は、溶鉱炉内の温度(約1,300℃)ではどちらも液体なので、下方へ流れ落ちます。そして、比重の大きい鉄Feが下層、ケイ酸カルシウムCaSiO3が上層になって、炉内にたまってきます。このとき、ケイ酸カルシウムCaSiO3はスラグ(浮遊物)となって、融解した鉄Feの上部を覆うことで、得られた鉄Feが再び酸化するのを防ぐ役割をします。このようにして得られた鉄Feには、3〜4%程度の炭素Cと微量のケイ素SiやリンP、硫黄Sなどが含まれており、凝固点降下により融点は1,200℃前後に下がります(純粋な金属鉄はm.p.1538℃)。
液体化した金属鉄は、溶鉱炉の底から導管を伝って流れ出て、一列に並ぶインゴットの鋳型の中で冷やされて、「銑鉄(pig iron)」が得られます。英語名「pig iron」の由来は、この鋳型が乳を飲む生まれたての子豚に似ていると、中世の製錬所の作業員が思ったことによります。銑鉄は、硬さはあるものの、もろくて砕けやすいという特徴があります。しなやかさがないので、衝撃が加わったときに力を逃すことができず、一点で受け止めて割れやすいです。しかし、融ける温度が低いことから、型に流し込んで成形しやすいという特長があります。すでに中国では、紀元前5世紀頃から銑鉄を実用化していたという記録が残っています。
図.25 銑鉄は炭素含有率が約3〜4%と高く、融点がやや低い
融点の低い銑鉄を再び溶かして、熱い蝋のように鋳型に流し込んで固めると、「鋳物」が得られます。銑鉄は融点が低く、融解液の流動性も良いので、料理用の鍋やパイプ、機械部品などの製品を手早く製造するのには実に便利であり、産業革命期のヴィクトリア朝時代の人々は、銑鉄を大量に利用しました。この時代のイギリスでは、多くの橋も銑鉄で作られていました。しかし、銑鉄にはもろくて砕けやすいという欠点があり、これらの橋の多くは、日射の熱膨張でひびが入り、すでに崩れ落ちてしまっています。現在でも生き残っている銑鉄の橋の1つに、1779年に建築された「アイアンブリッジ」という橋があります。現在でも人道橋として利用されており、世界遺産に登録されています。
図.26 世界遺産に登録されている「アイアンブリッジ」
割れにくく粘り強い鉄Feを得るためには、転炉(転換炉)を使って炭素分を抜く必要があります。融かした銑鉄に酸素O2を送り込んで、銑鉄中の炭素Cやその他の不純物を酸化して除くことを考えたのは、イギリスの発明家であるヘンリー・ベッセマーです(1855年に特許を取得)。炭素Cの燃焼で熱くなるので銑鉄は融けたままであり、加熱装置もいらない簡単な装置で完了する、大量生産が可能な手法でした。この操作をすると、炭素Cの割合が約0.1〜2%以下になった金属鉄を得ることができます。この金属鉄は、もろさが少なくて延性や展性に富み、建築材料をはじめとして、様々な用途に使えます。このような金属鉄を「鋼鉄(steel)」といいます。鋼鉄にクロムCrやニッケルNiなどを加えると、錆びにくい「ステンレス鋼」ができます。特に18-8ステンレス鋼(Cr:18%、Ni:8%)は耐食性に優れ、磁石がくっ付かないという性質があります。
表.6 炭素含有量による金属鉄の分類
名称 |
炭素含有量 |
性質 |
銑鉄 |
3〜4% |
高炉で製造した炭素を多く含む鉄。1,200℃程度で融解するが、硬くてもろいために素材としては使いにくい |
鋳鉄(ちゅうてつ) |
2〜2.5% |
鋼鉄に比べて弱いが、溶けやすく鋳造しやすい。摩擦や切削に強い |
鋼鉄 |
0.1〜2% |
鋼鉄の中でも、炭素量の多いものを鋳鉄、少ないものを軟鉄ということがある。鋳鉄は工具や刃物などの硬いもの、軟鉄はバネや鉄筋などの変形するものに用いる |
軟鉄 |
0.02%以下 |
軟らかくて展性が高いので、電磁気材料に用いる。ただし、融点は最も高い |
(iv) 鉄Feの利用
日本刀は、武器としての役割と共に、美しい姿が象徴的な意味を持っており、美術品としても評価の高いものが多いです。日本刀は、「折れず・曲がらず・よく斬れる」という特性を持っていますが、これは銑鉄や鋼鉄の性質を上手く利用しているからです。鉄Feは、炭素含有量と加工温度によって、その結晶構造が変化するため、性質も製鉄の方法によって異なってきます。日本刀の制作では、炭素濃度が高く硬めの銑鉄を刀身の外側に、炭素濃度が低く強靭な鋼鉄を刀身の内側にすることで、これらの性質を非常に高い次元で同時に実現させているのです。
さらに、刃先を火中で焼いて水で急冷する「焼入れ」をすることにより、炭素Cが組織内に侵入して、鉄Feの結晶構造が「マルテンサイト(martensite)」という組織に変化します。通常、鉄Feの結晶構造は体心立方格子ですが、マルテンサイトになると縦長の体心正方格子に変化します。このとき、マルテンサイト中の炭素量が多くなるほど、結晶構造は縦長になります。マルテンサイトは非常に硬くて、刃の切れ味が増します。マルテンサイトになると体積が膨張するため、刃先側が長くなります。日本刀の反りは、こうして生まれたものです。刃先が反ることによって、刀の芯は圧縮され、折れにくくなります。また、焼入れした刀を再加熱し、内部の歪みや不安定な構造を安定化させる「焼戻し」を行うことで、さらに折れにくい強靭な刀が仕上がります。
図.27 マルテンサイトの結晶構造は、縦長の体心立方格子である
また、鉄板にめっきを施した「トタン」と「ブリキ」の違いについても説明しておきましょう。トタンは、亜鉛Znでめっきした鉄板のことであり、主に建築資材などとして利用されています。亜鉛Znは、鉄Feよりもイオン化傾向が大きいため、外部の亜鉛Znが優先して酸化されることで、内部の鉄Feの酸化を防ぐ効果があります。トタンのめっき方法としては、面白いものがあります。容器に亜鉛Znを入れ、加熱して融解するのです。ここに鉄板を入れて引き上げると、鉄板の表面に亜鉛Znが付着します。これを冷ませば、亜鉛めっきされたトタンになります。この方法を、業界では「天ぷらめっき」というそうです。
一方で、ブリキは、スズFeでめっきした鉄板のことであり、缶詰やバケツなどに利用されています。スズSnは、鉄Feよりもイオン化傾向が小さいため、スズSnで全面を覆うことで、内部の鉄Feの酸化を防ぐことができます。しかし、トタンと異なり、一部でも内部の鉄Feが露出すると、その箇所から鉄Feの酸化が広がるのが欠点です。なお、イオン化傾向が鉄Feよりも小さい金属のうちで、スズSnがめっきとして利用されているのには、理由があります。スズSnは、人体や動物には容易に吸収されず、害の少ない金属であるためです。
図.28 トタンとブリキ
(v) 鉄Feの化合物
鉄Feには、酸化数で+2と+3の化合物があり、鉄(II)イオンFe2+ を含む硫酸鉄(II) FeSO4水溶液は、淡緑色をしています。硫酸鉄(II) FeSO4水溶液に塩基を加えると、淡緑色の水酸化鉄(II) Fe(OH)2が沈殿します。また、液性が中性〜塩基性の条件下で、硫化水素H2Sを吹き込むと、黒色の硫化鉄(II) FeSが沈殿します。また、鉄(II)イオンFe2+ を含む水溶液に、ヘキサシアニド鉄(III)酸カリウム(フェリシアン化カリウム)K3[Fe(CN)6]の水溶液を加えると、濃青色沈殿を生じます。これは、水溶液中にKFeIIFeIII(CN)6の構造を持つ濃青色沈殿が生じたためです。
Fe2+ + 2OH− → Fe(OH)2↓(淡緑)
Fe2+ + H2S → FeS↓(黒)
Fe2+ + K3[Fe(CN)6] → KFeIIFeIII(CN)6↓(濃青) + 2K+
鉄(III)イオンFe3+ を含む塩化鉄(III) FeCl3水溶液は、黄褐色をしています。沸騰水に塩化鉄(III) FeCl3水溶液を加えると、次の反応により、赤褐色の水酸化鉄(III)コロイド溶液が作成できます。このコロイドは、表面の-OH基がプロトン化されて-OH2+ 基となっているので、表面が正に帯電した疎水コロイドです。生じたコロイド溶液を、半透膜であるセロハン袋に入れて、流水中に浸して透析を行います。すると、水素イオンH+ や塩化物イオンCl− は、拡散の原理に従って、セロハン膜を通過して出ていきます。しかし、水酸化鉄(III)のコロイド粒子は、粒径が大きいために半透膜を通過できず、セロハン膜内に留まることになります。この操作によって、水酸化鉄(III)のコロイドを、セロハン袋中に精製できるのです。水酸化鉄(III)は、化学式ではFe2O3・nH2Oと表され、n=1のFeO(OH)やn=3のFe(OH)3などの混合物です。化学反応式としては、次の反応が分かりやすいです。(コロイド化学を参照)。
FeCl3 + 3H2O → Fe(OH)3(赤褐) + 3HCl
また、鉄(III)イオンFe3+ を含む水溶液に、ヘキサシアニド鉄(II)酸カリウム(フェロシアン化カリウム)K4[Fe(CN)6]の水溶液を加えると、濃青色沈殿を生じます。これは、水溶液中にKFeIIFeIII(CN)6の構造を持つ濃青色沈殿が生じたためです。この青色化合物は、1704年にドイツのベルリンにおいて、染料業者のディースバッハによって発見されました。製法は、動物の内蔵と血液、鉄くずなどを加熱した際に得られたと伝えられています。当時の青色染料は高価なものが多く、この安価な色素(ベルリンブルー)は瞬く間に普及しました。歌川広重や葛飾北斎の浮世絵作品に印象的に用いられたことから、「広重ブルー」や「北斎ブルー」とも呼ばれています。鉄(III)イオンFe3+ の検出には、チオシアン酸カリウムKSCN水溶液もよく用いられます。チオシアン化物イオンSCN- は、鉄(III)イオンFe3+ と[Fe(SCN)(H2O)5]2+ の構造を持つ錯イオンを形成し、血赤色の溶液となります。
Fe3+ + K4[Fe(CN)6] → KFeIIFeIII(CN)6↓(濃青) + 3K+
表.7 鉄(II)イオンFe2+ と鉄(III)イオンFe3+ の検出
|
+ K4[Fe(CN)6]aq ヘキサシアニド鉄(II)酸カリウム |
+ K3[Fe(CN)6]aq ヘキサシアニド鉄(III)酸カリウム |
+ KSCNaq チオシアン酸カリウム |
Fe2+ (淡緑) |
― |
KFeIIFeIII(CN)6↓(濃青) |
変化なし |
Fe3+ (黄褐) |
KFeIIFeIII(CN)6↓(濃青) |
― |
[Fe(SCN)(H2O)5]2+ (血石) |
図.29 鉄(II)イオンFe2+ と鉄(III)イオンFe3+ の反応
四酸化三鉄Fe3O4は黒色の固体で、鉄Feの酸化物の一種です。強磁性を持ち、鉱物の磁鉄鉱や砂鉄の主成分として天然に産出する他、鉄Feを800〜1000℃程度で強熱しても生じます。四酸化三鉄Fe3O4は、いわゆる黒サビの成分です。四酸化三鉄Fe3O4は、Fe2+:Fe3+:O2−=1:2:4の割合で結合しており、別名として「酸化鉄(III)鉄(II) FeO・Fe2O3」とも呼ばれます。南部鉄器は、鉄器を木炭で焼いてその表面に酸化被膜を付けたもので、黒サビが酸化から内部を保護することを活用したものです。
また、酸化鉄(III) Fe2O3は、赤褐色の常磁性を持つ固体です。自然界では、鉱物の赤鉄鉱に含まれています。酸化鉄(III) Fe2O3は、いわゆる赤サビの成分です(正確には酸化鉄(III)水和物Fe2O3・nH2Oが主成分)。酸化鉄(III) Fe2O3の粉末は、「ベンガラ(弁柄)」とも呼ばれ、赤色顔料やガラスの研磨剤として用いられています。酸化鉄(III) Fe2O3は、水酸化鉄(III) Fe2O3・nH2Oの加熱により生じます。
Fe2O3・nH2O → Fe2O3(赤褐) + nH2O
また、鉄(III)イオンFe3+ の塩として、塩化鉄(III) 六水和物FeCl3・6H2Oがあります。塩化鉄(III) FeCl3水溶液から水を蒸発させ、同水溶液を濃縮すると得られます。黄褐色〜黄色の固体であり、潮解性があります。塩化鉄(III) FeCl3は、フェノール類に加えると紫色系統の呈色を示すため、それらの検出に用いられます(酸素を含む芳香族化合物を参照)。
(5) コバルト
(i) コバルトCo
「コバルト(cobalt)」は、1737年にスウェーデンの化学者であるイェオリ・ブラントが、ヴェストマンランドの鉱山から採掘された鉱石から分離した元素です。元素名の由来は明白ではありませんが、ドイツのザクセン地方の鉱夫たちが、銀鉱石によく似た鉱石から銀Agを作ろうとしたが成功しなかったため、民話に出てくる山の悪霊「コボルト(Kobold)」の仕業と考え、その鉱石を「コボルト」と呼んでいました。「コボルト」と恐れられていた鉱石の中から、ガラスと溶け合わすと美しい青色を与える元素が見つけられ、それがやがて「コバルト」と呼ばれるようになったらしいです。
コバルトCoは、強磁性を持つ銀白色の金属固体であり、コンピュータなどのハードディスクの磁気ヘッドや、リチウムイオン電池の電極材料などに利用されます。ガラス小物が好きな人なら、深い青色の「コバルトガラス」をご存じでしょう。このガラスには、瓶から絶縁体まで、様々な用途があります。美しいコバルトガラスの青色は、ガラスに添加された微量のコバルト化合物によるものです。
図.30 コバルトガラスの容器
コバルトCoは希少なレアメタルで、リチウムイオン電池の重要な材料でもあります。日本の石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)は、2021年に世界で初めて「コバルトリッチクラスト」の掘削試験に成功しました。「マンガンクラスト」は水深800〜2,400 mに存在するアスファルト状の酸化物です。マンガンクラストは、マンガンMn・銅Cu・ニッケルNi・コバルトCoなどの有用な金属を含み、マンガンクラストの中でも特にコバルトCoを多く含むものが「コバルトリッチクラスト」です。コバルトリッチクラストは、中部・西太平洋にある海山の山頂部から斜面部(水深800〜2,500 m)にかけて多く見つかっています。コバルトリッチクラストのコバルト含有率は約0.9%で、この含有率はマンガン団塊に比べて約3〜5倍高く、地上で産出するコバルト含有鉱石と比べても遜色ありません。また、コバルトリッチクラストには、レアメタルの白金Ptやレアアースなども含まれます。日本は排他的経済水域を含めると世界で6番目の面積を持つ国であり、地中から資源を得る技術を開発できれば、資源大国になる可能性もあります。
図.31 「コバルトリッチクラスト」は、コバルトCoの有望な資源として注目されている
(ii) コバルトCoの化合物
コバルトCoは、酸化数で-1や0のような低酸化数状態から、+4までの酸化状態を取ります。低酸化数の状態は、主に錯体において見られます。最も普通の酸化数の状態のイオンは、コバルト(II)イオンCo2+ とコバルト(III)イオンCo3+ です。例えば、酸化コバルト(II) CoOや四酸化三コバルトCo3O4のような酸化物、塩化コバルト(II) CoCl2や臭化コバルト(II) CoBr2のようなハロゲン化物が存在します。塩化コバルト(II) CoCl2の無水塩は青色ですが、水H2Oを吸収すると、赤色の塩化コバルト(II)六水和物CoCl2・6H2Oとなります。この色変化は、水分の検出に利用でき、シリカゲル中に混ぜたり、ろ紙にしみ込ませたりして、水分の指示薬として用いられます。
CoCl2(青) + 6H2O → CoCl2・6H2O(赤)
図.32 塩化コバルト紙は、水分の検出に用いられる
コバルト(III)イオンCo3+ に、アンモニアNH3や塩化物イオンCl− が配位した錯塩 [CoClx(NH3)y]Clz は比較的安定であり、様々なものがあります。これらの錯塩では、配位する原子の種類や数によって錯塩の性質が異なり、互いに構造異性体の関係となります。この錯塩は、水に溶かすと次のように電離します。なお、この錯塩では、「x+y=6」および「x+z=3」の関係が成立します。
[CoClx(NH3)y]Clz → [CoClx(NH3)y]z+ + zCl−
この錯塩のうち、テトラアンミンジクロロコバルト(III)イオン[CoCl2(NH3)4]+ には、「シス形」と「トランス形」と呼ばれる立体異性体があります。シス形は紫色、トランス形は緑色を呈します。この2つの立体異性体は、正八面体型錯イオンには幾何異性体があることが分かった最初の事例です。
図.33 シス形とトランス形のテトラアンミンジクロロコバルト(III)イオン[CoCl2(NH3)4]+
ちなみに、1 molのテトラアンミンジクロロコバルト(III)塩化物[CoCl2(NH3)4]Clに、硝酸銀AgNO3水溶液を過剰量加えると、塩化銀AgClは1 molしか生じません。しかし、類似の構造を持つヘキサンアンミンコバルト(III)塩化物[Co(NH3)6]Cl3に、硝酸銀AgNO3水溶液を過剰量加えると、塩化銀AgClは3 molだけ生じます。これは、配位結合とイオン結合の塩化物イオンCl- の性質に違いがあるからです。すなわち、化学反応には、イオン結合の塩化物イオンCl− しか使われないということを示しています。
[CoCl2(NH3)4]Cl + AgNO3 → [CoCl2(NH3)4]NO3 + AgCl↓
[Co(NH3)6]Cl3 + 3AgNO3 → [Co(NH3)6](NO3)3 + 3AgCl↓
(iii) 生物とコバルトCoの関係
生物にとってコバルトCoが必須元素であることは、ウシやヒツジが貧血となり、やがて死んでしまうことから研究が始められ、1935年にこれらの動物の成長因子であることが証明されました。原因は、食餌中にコバルトCoが不足していたことにありました。このような場合、家畜飼料や動物が塩を舐めに来る塩沼、あるいは化学肥料などに少量のコバルト化合物を加えておくと、ウシやヒツジの「やせ病」のような重い病気をも予防することができます。
貧血を防ぐには、食事に適量の鉄Feが含まれているときでさえ、少量のコバルトCoが必要であることが明らかにされ、1948年の「ビタミンB12(シアノコバラミン)」の発見へと繋がりました。ビタミンB12は、肝臓から抗悪性貧血因子として単離されました。ビタミンB12は、体のすべての細胞の代謝に関与しており、特にDNA合成と調整に加え、脂肪酸の合成とエネルギー生産に関与しています。ビタミンB12が欠乏すると、人体に対して、深刻かつ不可逆的な損傷を与える可能性があります。ビタミンB12は、人体にとって極微量ながらも、他の元素では代替の利かない必須成分なのです。そして、1961年にはX線構造解析により、ビタミンB12の三次元構造が明らかにされました。ビタミンB12の構造はとても複雑で、人工合成は不可能と考えられていましたが、1973年にアメリカの有機化学者であるロバート・バーンズ・ウッドワードが、11年もの歳月をかけて全合成に見事成功しました。
図.34 ビタミンB12は、人体にとって極微量ながらも、他の元素では代替の利かない必須成分である
ウッドワードは、ビタミンB12の他にもキニーネ、ストリキニーネ、コレステロール、クロロフィルなどの全合成に成功し、これら天然物の合成研究により、1965年にノーベル化学賞を受賞しています。また、ウッドワードはアメリカの化学者であるロアルド・ホフマンと共に、「ウッドワード・ホフマン則」という理論によって、もう一度ノーベル化学賞を受賞するはずでした。実際に、ホフマンは1981年にノーベル化学賞を受賞しています。しかし、残念ながらウッドワードは1979年に死去したため、2度目の受賞はなりませんでした。もしウッドワードが存命だったら、物理学賞と化学賞のキュリー夫人、化学賞と平和賞のライナス・ポーリングに次いで3人目、しかも、同一部門でのダブル受賞となるところでした。
図.35 ウッドワードは、ビタミンB12の全合成を達成し、「20世紀最大の有機化学者」と評されている
コバルトCoは、ヒトを始めとして、多くの生物にとって必須元素です。体重70 kgの成人の体の中には、約1.5 mgのコバルトCoが存在します。食物を通して、1日に0.05〜1.8 mgのコバルトCoが、体内に取り込まれています。コバルトCoは、腸管からよく吸収されます。鉄Feが欠乏すると、コバルトCoと鉄Feの化学的性質がよく似ているため、さらによく吸収されます。取り込まれたコバルトCoは、主に骨や膵臓、肝臓に蓄積します。
ただし、コバルトCoを過剰に摂取すると、多血病や甲状腺腫が見られることがあります。1960年代のアメリカやカナダなどで、ビールの泡を安定させるために、1.2〜1.5ppmのコバルト化合物がビールに添加されたことがありました。そして、このビールの常飲者20名以上が、心臓病や甲状腺異常で死亡する事件が起きました。
・参考文献
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8) 桜井弘「元素118の新知識 引いて重宝、読んでおもしろい」講談社(2017年発行)
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12) 左巻健男「絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている」三松堂(2021年発行)
13) セオドア・グレイ「世界で一番美しい元素図巻」創元社(2011年発行)
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15) 平尾一之/田中勝久/中平敦 共著「無機化学」東京化学同人(2013年発行)
16) -「元素をめぐる美と驚き アステカの黄金からゴッホの絵具まで〔上〕」早川書房(2017年発行)
17) 山北篤「現代知識チートマニュアル」新紀元社(2017年発行)
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