15族元素(窒素族元素)


(1)15族元素

 周期表において、第15族に属する窒素NリンPヒ素AsアンチモンSbビスマスBiなどの元素を、総称して「窒素族元素」といいます。窒素族元素の原子は、最外殻電子配置がns2np3である元素(n2,3,4・・・)です。

窒素族元素の単体のうち、窒素N2のみが常温で気体であり、他はすべて固体です。窒素NとリンPの価電子は、混成軌道を形成し、共有結合物質として振る舞います。窒素Nでは、安定なπ結合を形成することができるので、多重結合を含む化合物が多く知られています。しかし、リンPでは、原子半径が大きすぎて、安定なπ結合を形成することができず、リンPを含む化合物の種類は、窒素Nよりもずっと少なくなります。一方で、ヒ素AsやアンチモンSbの単体は、共有結合性と金属結合性との性質を併せ持つ物性を示すので、「半金属(semimetal)」と呼ばれ、半導体などの材料として使用されます。ビスマスBiでは、さらに金属結合性が強くなり、淡く赤みがかった金属光沢を示します。人工的に作ったビスマスBiの結晶は、表面の酸化被膜で光が干渉することによって多彩な着色を示すため、観賞用として市販されています。窒素族元素のうち、ヒ素As・アンチモンSb・ビスマスBiは、混成軌道を形成するよりは、2個の電子が占有したs軌道と、3個の電子で半閉殻したp軌道として振る舞うので、酸化数は+3と+5が安定です。

 

.1  ビスマスBiの結晶は、表面の酸化被膜で光が干渉することで、多彩な色を示す

 

(2)窒素

(i)窒素N2

「窒素(nitrogen)」の単体は、無色無臭の不活性ガスです。窒素分子は、常温では安定な二原子分子N2からなります。空気中の最多成分で、体積比で78.1%、重量比で75.5%を占めます。体重70 kgの成人には、2.1 kgの窒素原子Nが、生体成分として含まれています。

元素としての窒N1772年にスコットランドの化学者であるダニエル・ラザフォードが発見しました。ラザフォードは、密閉した箱の中で、ハツカネズミが死ぬまで飼育しました。次に、箱の中でロウソクなどの炭化水素を燃焼させ、生成する二酸化炭CO2除いた気体を得ました。得られた気体は燃焼せず、またその中でハツカネズミは生きることができませんでした。ラザフォードは、この気体を「有毒な空気(noxious air)」と名付けましたが、これが窒素N2発見の瞬間だといわれています。

 

.2  ラザフォードは、1772年に窒素N2を発見したことで知られる

 

窒素N2中でハツカネズミが死ぬのは、酸素O2なくて窒息するからです。窒素N2には毒性はありません。ただし、高分圧の窒素N2を呼吸すると、「窒素酔い」と呼ばれる中毒症状になることがあります。圧縮空気を使うスキューバダイビングでは、必ずこの問題が伴います(溶液化学(溶液と溶解度)を参照)

液化した窒素N2は、液体空気の分留により、工業的に大量に製造されています。液体窒素N2-196℃で沸騰し、-210℃で固化する大変冷たい液体で、1877年に初めて作られました。バラの花を浸すと凍結して、金槌で叩くとバラバラに割れてしまいます。液体窒素N2は、-196℃を保つ冷却材として、卵子や精子などの生物試料の凍結保存に利用されます。

 

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.3  液体窒素の温度は-196℃の低温である

 

窒素Nは、アミノ酸や核酸塩基など、多くの生体物質中に含まれており、すべての生物にとっての必須元素でもあります。しかし、空気中に大量に存在している窒素N2は、熱力学的に極めて安定であり、反応性が小さいので、それをどう取り入れるかが、生命にとっては重要な意味を持ちます。ほとんどの生物は、空気中の窒素N2をそのまま利用することができません。それ故に、マメ科の植物の根に共生して、根粒を形成する「根粒菌」などの微生物が、「窒素固定(nitrogen fixation)」によって窒素化合物を作り出し、それを摂取することで、多くの生物は体内に窒素Nを取り込んでいます。また、雷による放電が起こると、空気中の窒素N2は窒素酸化物となり、雨となって地上に降り注ぎ、植物に吸収されます。夏に雷が多いと、秋には米が豊作とよくいわれますが、これは根拠のないことではありません。

 

.4  根粒菌は、マメ科植物の根に根粒を形成し、その中で空気中の窒素N2を窒素化合物に変換している

 

1960年代の「緑の革命」により、作物生産量は飛躍的に増加しました。その作物生産量の増加に大きな役割を果たしたのが化学肥料であり、現代農業において、窒素肥料は不可欠なものとなっています。窒素肥料は、リン酸肥料やカリ肥料と並んで、「肥料の三要素」の一角を占めています。窒素N・リンP・カリウムKの成分は、植物の成長に多量に必要であるのにも関わらず、土の中では不足しがちになるので、作物として収穫する場合には、肥料により補充する必要があります。窒素肥料は、主に植物を大きく生長させる作用があり、根から吸収される必須栄養素の中では、最も多量に要求されます。

 

.1  肥料の三要素

肥料

効果

窒素肥料

植物の成長を促進

NH4NO3(NH4)2SO4CO(NH2)2

リン酸肥料

果実の甘味の増加や根の発育促進

過リン酸石灰

カリ肥料

果実を太らせる

KClK2SO4

 

実験室で窒素N2を得る場合には、亜硝酸アンモニウムNH4NO2を熱分解します。ところで、硬式のテニスボールには、空気穴がありませんが、硬式のテニスボールには、この反応で生じる窒素N2が充填されています。なお、実際には、亜硝酸アンモニウムNH4NO2には爆発性があって取り扱いが難しいので、亜硝酸ナトリウムNaNO2と塩化アンモニウムNH4Clをボールの中に入れ、生じる亜硝酸アンモニウムNH4NO2を熱分解することで、窒素N2を得ているようです。

 

NH4NO2 (加熱) N2 + 2H2O

 

窒素Nの酸化物には、一酸化二窒素N2Oや一酸化窒素NO、二酸化窒素NO2、四酸化二窒素N2O4などがあります。窒素酸化物は、深刻な大気汚染を引き起こし、酸性雨の原因物質にもなります。また、窒素Nのオキソ酸には、硝酸HNO3や亜硝酸HNO2が含まれます。次の図.5に、主な窒素酸化物及びオキソ酸の構造式を示します。

 

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.5  主な窒素酸化物及びオキソ酸の構造式

 

(ii)一酸化二窒素N2O

一酸化二窒素N2O、無色の香気と甘味のある気体です。硝酸アンモニウムNH4NO3を、約250℃で注意深く加熱することで生成します。「注意深く」加熱するのは、硝酸アンモニウムNH4NO3が爆発する可能性があるからです。一酸化二窒素N2Oは、吸入すると麻酔効果があり、「笑気ガス」とも呼ばれています。「笑気ガス」と呼ばれるのは、これがかつて一種の娯楽用ドラッグとして用いられていたときに、これを吸い込んだ者が、くすくすと笑い出したことに由来します。そして、笑気ガスN2Oに酔って、舞台を飛び跳ねていた観客の一人が、向う脛をぶつけたときに、酷い切り傷を負っていたにも関わらず、まるで痛みを感じていないようであったことから、麻酔作用が発見されたといわれています。意外なところでは、リボルバー式の拳銃を普及させたサミュエル・コルトが、若かりし頃に笑気ガスN2Oの体験ショーを主催して、生活費や銃の開発費を稼いでいた、なんて話も残っています。

 

NH4NO3  N2O + 2H2O

 

 笑気ガスN2Oを酸素O2と混合して、初めて吸入麻酔薬として使ったのは、マサチューセッツ州ボストンで歯科医をしていたホーレス・ウェルズです。当時、虫歯になってもほとんどの人は抜歯をしませんでした。抜歯の痛みより虫歯の痛みの方が弱かったので、虫歯になっても、ひたすら我慢していたのです。それでも抜歯をするときは、助手が患者を椅子に押さえつけて、大型ペンチさながらの鉗子で抜く歯を掴んで、ねじりながら引き抜きました。これには強い痛みが伴ったので、ウェルズは麻酔薬があれば、患者の痛みを和らげることができると思ったのです18411211日、ウェルズは自分に笑気ガスN2Oを使って、親知らずを抜く実験を行いました。ウェルズは針で刺されたほどの痛みも感じなかったので、笑気ガスN2Oは麻酔に使えると確信しました。そして、笑気ガスN2Oの麻酔効果を他の医師たちに披露しようと、ボストンにあるハーバード大学医学部付属マサチューセッツ総合病院で公開実験を行いましたが、ここでウェルズは大失敗をしてしまいます。麻酔が完全に効いていない状態で抜歯をしてしまい、患者が激痛で暴れ回ったのです。この件で、ウェルズはイカサマだと周囲から批判され、完全に面目を失ってしまいます。その後、ウェルズは同じ麻酔薬のクロロホルム中毒になり、歯科医の仕事もほとんどしなくなって、公開実験から3年後の1848年に自ら命を絶っています。

 

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.6  ホーレス・ウェルズは、笑気ガスN2Oを初めて吸入麻酔薬として使ったことで知られる

 

(iii)一酸化窒素NO

一酸化窒素NOは、無色無臭の気体です。実験室では、銅Cuに希硝酸HNO3を加えて発生させ、水上置換法で捕集します。一酸化窒素NOは、生体内でもアミノ酸の一種であるアルギニンから酵素により合成され、血管拡張作用や神経情報伝達など、様々な生理活性を持つことが分かっています。一酸化窒素NOは、免疫系や神経系、循環器系など、あらゆる組織で多様な生理作用を発現することが明らかにされ、一酸化窒素NOの薬理作用を解明したアメリカの薬理学者であるルイ・イグナロらは、1998年のノーベル生理学・医学賞に輝きました。

 

3Cu + 8HNO3  3Cu(NO3)2 + 2NO + 4H2O

 

狭心症の発作を鎮める治療薬として、ダイナマイトの原料であるニトログリセリンが用いられているのは、これが体内で分解されて生じる一酸化窒素NOが、冠動脈を拡張するためです。この効果は、偶然発見されたもので、狭心症を持病とする工員が、ニトログリセリン製造工場で働いていたのだそうです。ところが、この工員は、家では発作を起こすのに、工場では発作を起こしたことがないというのです。そこで調べたところ、ニトログリセリンが、狭心症の発作を抑えていたという訳です。また、面白いことに、ヒトの血を吸う昆虫は、血を吸うときに一酸化窒素NOを放出して、ヒトの血管を広げて、血を吸いやすくしているといいます。昆虫も、一酸化窒素NOの薬理作用を利用して、巧みに生きているのです。

 

.7  ニトログリセリンを初めて合成した化学者が、新物質を調べようと舐めてみたところ、こめかみがズキズキしたという記録が残っている

 

(iv)二酸化窒素NO2

一酸化窒素NOは無色の気体ですが、空気中では酸素O2とすぐに反応し、赤褐色の二酸化窒素NO2を生成します。二酸化窒素NO2は、常温常圧で赤褐色の液体、または気体(b.p.21)として存在しています。二酸化窒素NO2は、人体に対して、呼吸器系統への毒性があります。実験室では、銅Cuに濃硝酸HNO3を加えて発生させ、水と反応するので、下方置換で捕集します。

 

2NO + O2  2NO2

Cu + 4HNO3  Cu(NO3)2 + 2NO2 + 2H2O

 

二酸化窒素NO2は、その二量体である四酸化二窒素N2O4と平衡状態にあり、一般的には、室温で両者は混合状態にあります。四酸化二窒素N2O4は、無色の固体です。両者の存在割合は、温度によって変化し、低温では四酸化二窒素N2O4の方が安定です。

 

2NO2  N2O4 + 53.5 kJ

 

.8  低温では四酸化二窒素N2O4の生成方向に平行が移動し、二酸化窒素NO2の赤褐色が薄くなる

 

(v)硝酸HNO3

硝酸HNO3は、常温常圧では揮発性のある無色の液体で、代表的な強酸の1つです。硝酸HNO3に触れると、、「キサントプロテイン反応(xanthoprotein reaction)が起こって、皮膚のタンパク質が変成して黄変します(天然高分子化合物(タンパク質と核酸)を参照)。実験室では、硝酸塩に濃硫酸H2SO4を加え、加熱して発生させます。

 

NaNO3 + H2SO4 (加熱) HNO3 + NaHSO4

 

工業的には、硝酸HNO3は、アンモニアNH3を酸化して得られる一酸化窒素NOを、空気により二酸化窒素NO2に酸化し、これを水に溶かすことによって作られます。このような工業的製法を、「オストワルド法(Ostwald process)」といいます(無機工業化学を参)。ヴィルヘルム・オストワルドは、ドイツの物理化学者であり、反応速度と触媒の研究で、1990年にノーベル化学賞を受賞した人物です。哲学や心理学、芸術にも造詣が深く、後世に多大なる影響を与えたことで知られます。

 

.9  オストワルド法

 

市販の濃硝酸HNO3は、濃度6070%程度のものが多く、発煙性を示す無色の溶液です。熱や光で分解して、徐々に黄色を帯びるのを防ぐため、通常は褐色瓶に入れて、冷暗所に保存します。

 

4HNO3 () 4NO2 + O2 + 2H2O

 

硝酸HNO3には強い酸化作用があり、水素H2よりイオン化傾向の小さい金属(Cuや銀Agなど)を溶かすことが可能です。白金Ptや金Auを溶かすことはできませんが、濃硝酸HNO3と濃塩酸HCl13の体積分率で混合した「王水(aqua regia)」を作用させることにより、これらの金属も溶かすことが可能になります。このような強い酸化力を示す理由は、塩化ニトロシルNOClと塩素Cl2が生成するからです。塩化ニトロシルNOClは、酸化力が非常に強く、ほとんどの金属を酸化することができます。

 

3HCl + HNO3  NOCl + Cl2 + 2H2O

Au + NOCl + Cl2 + HCl  H[AuCl4]  + NO

 

.10  王水と金Auの反応

 

しかし、アルミニウムAlやクロムCrFeコバルトCoニッケルNiなどは、濃硝酸HNO3に溶けません。これは、金属表面に、厚さ数nm程度の緻密な構造を持つ酸化皮膜が生じて、金属内部を保護するようなるからです。このような状態は「不動態(passivity)」と呼ばれ、不動態になると、酸や塩基に対して耐久性を示すようになります。

 

(vi)アンモニアNH3

窒素Nの水素化物の代表は、アンモニアNH3です。その名称は、エジプトのアムン神の礼拝者であるアンモニア人に由来しています。彼らは、後世の神がかりと同じように、儀式のときに塩化アンモニウムNH4Clを使いました。塩化アンモニウムNH4Clは、天然には火山の近くの割れ目で産出して、加熱すると分解して、アンモニアNH3を発生させます。

 

NH4Cl  NH3 + HCl

 

アンモニアNH3は、常温常圧で刺激臭のある無色の気体で、水に溶けると、弱塩基性を示します。アンモニアNH3は、窒素原子上の非共有電子対の働きで、金属錯体の配位子となります。特にアンモニアNH3が配位子の錯イオンは、「アンミン錯イオン」と呼ばれます。

工業的には、アンモニアNH3は「ハーバー・ボッシュ法(Haber-Bosch process)」により、大気中の窒素N2と水素H2から合成されています(無機工業化学を参照)。世界中で植物が1年で固定する窒素量は、約1.8tといわれていますが、ハーバー・ボッシュ法で固定される窒素量は、約1.6tにもなるといわれています。この方法は、チリから硝酸塩の供給を受けていたドイツが、第一次世界大戦のときにその供給を断たれたので、ドイツの化学者であるフリッツ・ハーバーが、空気から採取する方法として発明しました。

 

N2 + 3H2 (鉄触媒) 2NH3

 

.11  ハーバー・ボッシュ法

 

また、実験室では、塩化アンモニウムNH4Clなどのアンモニウム塩を強塩基と共に加熱して発生させ、水に溶けやすいので、上方置換法で捕集します。このとき、反応で生成した水H2Oが加熱部に流れると、試験管が割れることがあるので、試験管の口を少し下げます。乾燥したアンモニアNH3を得るには、ソーダ石灰などの乾燥剤の中を通して、水分を除きます。濃硫酸H2SO4十酸化四リンP4O10などの酸性乾燥剤は、アンモニアNH3と中和反応を起こすので不適です。また、塩化カルシウムCaCl2は中性乾燥剤ですが、アンモニアNH3と反応して塩化カルシウム八アンモニア付加物CaCl28NH3を生成するので、これも乾燥には不適です。

 

2NH4Cl + Ca(OH)2 (加熱) 2NH3 + 2H2O + CaCl2

 

.12  アンモニアの生成と捕集

 

アンモニアNH3と塩化水素HClの反応は、塩化アンモニウムNH4Clの白煙を生じるので、互いの気体の検出に用いられます。また、アンモニアNH3は、「ネスラー試薬(Nessler's reagent)」によって、褐色の沈殿を生じます。ネスラー試薬は、かつては水質検査では定番の試薬でしたが、水銀Hgが含まれており、その毒性や環境汚染の懸念から、現在は使われなくなりつつあります。

 

NH3 + HCl  NH4Cl

 

.13  アンモニアNH3と塩化水素HClの反応

 

アンモニアNH3は、-33℃まで冷却すると、溶剤として働く性質を持った無色の液体となります。アンモニアNH3は、ナトリウムNaやカルシウムCaなどの金属を溶かして、青い溶液になるという面白い性質があるのです。この色は、アンモニア分子NH3の間の隙間に捕らわれた、溶媒和電子e[NH3]nによるものです。

 

Na + nNH3  Na+ + e[NH3]n

 

(3)リン

(i)リンP

 1669年のある日、「ドイツの錬金術師、冷たい火を発明」という見出しが、ドイツのハンブルク日報の一面を飾っていたかもしれません。ドイツの錬金術師であるヘニッヒ・ブラントは、どうにかして金を作り出し、生命の秘密を解き明かそうと執念を燃やしていました。もちろん、「金」と「生命の神秘」には、何の関係もありません。しかし、当時は「金は永遠の金属」と見なされていました。金は腐食せず、変色もしないからです。金がなぜ不滅なのか、その秘密を解き明かすことができれば、その神秘を応用して、人間もまた永遠の生命を獲得することができるのではないか――ブラントは、この二重の秘密の答えを、人間の「尿」に求めました。尿のあの黄金色は、金を含んでいるせいだと考えたのです。そして、この貴重な金を、人間の尿から抽出する方法を模索し始めました。ブラントはまた、尿が血液からもたらされること、その血液が生命に不可欠であることも知っていました。ということは、生命の源である血液と同じ性質が、尿にもあるのではないか――ブラントは、妻や友人から集めたバケツ60杯分の尿を沸騰させ、発生した蒸気は冷却して、再び液体に戻しました。

 ブラントは、蒸気が凝縮する様子を、胸を高鳴らせて観察しました。最初は、さぞ落胆したに違いありません。期待した金は、全く形成されなかったからです。しかし、この失望のあとに歓喜が訪れました。「白いろうのような物質」がフラスコを覆い、暗闇の中で神秘的に輝き始めたのです。それが、金ではないことは明らかでした。しかし、これがもしかすると、探し求めていた「不老不死の霊薬」かもしれません。ブラントは、現代まで生き延びてはいないので、それが不老不死の霊薬ではなかったことは確かですが、その光輝く奇妙な物質は、好奇心旺盛な錬金術師に、不朽の名声を与えることとなりました。錬金術師ブラントは、「リン(phosphorus)の発見者として、永遠に名を残したのです。

古代から中世の時代までに知られていた元素は、金Au、銀Ag、銅Cu、鉄Fe、鉛Pb、スズSn、水銀Hg、亜鉛Zn、ビスマスBi、炭素C、硫黄S、アンチモンSb、ヒ素As13種類でしたが、これらはすべて鉱物などとして、「人々が手に取って目で見ることのできる元素」でした。ブラントは、「日常的には見ることのできない元素」を目で見える形で取り出すことに、人類史上初めて成功したのです。ブラントによるリンPの発見は、自然界や生体中に元素が「目で見えない形」で存在していることを示すとともに、それらから新しい元素を発見できる可能性の扉を開けることとなりました。

 

.14  ブラントは、大量の尿を煮詰めて凝縮させることで、暗闇で青白く光る物質を得た

 

Pは、常温常圧では固体です。いくつかの同素体が存在し、黄リン(白リン)や赤リンなどが知られています。黄リンは、正四面体型の分子P4からなる淡黄色ろう状の固体です。水に溶けず、空気中で自然発火する(発火点が約34)性質があるので、通常は水の中で保存します。ニラに似た悪臭を発し、毒性が極めて強く、手に触れると皮膚を侵します。その急性毒性はLD5010 mg/kgであり、青酸カリ(LD507 mg/kg)やニコチン(LD507 mg/kg)に匹敵する猛毒です。19世紀には、黄リンを扱う作業員の多くが、黄リンに侵されて死亡するという問題が生じました。詳しい機構はよく分かっていませんが、黄リンが皮膚に接触して体内に入ると、神経伝達系などに作用して、毒性を示すと推定されています。最初に顎の骨が壊疽を起こすので、当時「燐顎(りんがく)」と呼ばれていました。

また、黄リンは暗所に置いておくと、青白色に弱く光る性質を持ちます。ブラントはこの光を見て、リPの存在に気付いた訳です。この光を「燐光(phosphorescence)」といい、黄リンが空気中で酸化される際に発生するエネルギーが、青白い光として観察されるのです。英語名である「phosphorus」の語源も、ギリシア語の「光をもたらすもの(phosphorus)にちなんでいます。ただし、私たちが「燐光」と表現しているものは、すべてが実際にリンPによる発光とは限りません。海で見られる燐光は、生物発光バクテリアで酵素による化学反応が引き起こされるときに発生するのであって、そこにリンPは介在しません。同じような化学反応は、ホタルからヤコウタケまで、他の発光生物でも認められます。

 

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.15  黄リンは、空気中で自然発火するので、水中で保存する

 

方で、赤リンは、粉末状の赤褐色の無定形高分子Pxです。黄リンを窒素N2やアルゴンArなどの不活性ガス中で熱すると、赤リンに変わります。容易に自然発火せず(発火点が約260)、毒性もほとんどないので、取り扱いは容易です。赤リンは、ガラス粉やニカワと混ぜてマッチ箱の側薬(赤褐色の部分)に使われたり、医薬品や農薬の原料などに用いられています。

 

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.16  赤リンは、自然発火しにくく、毒性もほとんどない

 

マッチの着火メカニズムには、赤リンが関わっています。マッチ棒の頭薬部分をマッチ箱の側薬部分に擦ると、マッチ箱の側薬に使われている赤リンが、マッチ棒の頭薬に付着し、これが摩擦熱により発火するのです。マッチ棒の頭薬には、塩素酸カリウムKClO3などの酸化剤と硫黄Sなどの可燃剤、およびガラス粉などの摩擦剤を混ぜたものが付けてあります。摩擦により発生した火が頭薬に移ると、酸化剤の塩素酸カリウムKClO3が分解し、可燃剤の硫黄Sに酸素O2を供給するので、燃焼が一層激しくなります。なお、18世紀末に開発された初期のマッチには、頭薬に黄リンや酸化剤、可燃剤などが全部一緒に塗ってあり、どこでも軽く擦ると、簡単に火が点きました。西部劇でそんなシーンを見たことがある人もいるでしょう。

 

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.17  マッチ箱の測薬には、赤リンが使われている

 

ちなみに、リンPは人体に豊富に含まれており、体重70 kgの成人で700780 gも含まれています。骨はその90%を占め、ヒドロキシアパタイトCa5(PO4)3(OH)が生体骨の主成分です。リンPを含む最も重要な生体分子は、遺伝物質である核酸です。核酸には、デオキシリボ核酸(DNA)とリボ核酸(RNA)があります(天然高分子化合物(タンパク質と核酸)を参照)。そして、墓地に土葬されていた遺体が分解され、リンPを含む化合物が生成すると、自然現象の放電で引火し、火の玉が生じることがあります。このことが、「幽霊は火の玉とともにでる」という伝承につながったと考えられています。

 

.2  リンPの同素体の性質

 

構造

結合の安定性

反応性

保存法

毒性

溶解性

黄リン

P4

不安定

水中

CS2に溶ける

赤リン

Px

安定

空気中

CS2に溶けない

 

動物の歯や骨には、ヒドロキシアパタイトCa5(PO4)3(OH)が含まれているため19世紀初頭では、動物の歯や骨からリンPが製造されていました。それでも足りないことが分かると、今度はヒトの歯や骨を求めて、戦場を漁る連中も出てきました。しかし、世界各地でリンPを含む岩場が発見され、ようやく簡単に安く手に入るようになりました。今日では、工業的にリン鉱石Ca3(PO4)2をケイ砂SiO2やコークスと混ぜて電気炉で加熱し、発生するリン蒸気を水中に導いて固化させ、リンPを大量生産しています。こうして得られる単体は黄リンP4であり、空気のない条件で約250℃で加熱すると、徐々に赤リンPxに変わってきます。

 

2Ca3(PO4)2 + 6SiO2 + 10C (加熱) 6CaSiO3 + 10CO + 4P

 

(ii)十酸化四リンP4O10

リンPを過剰の乾燥空気、または酸素中で燃焼させると、十酸化四リンP4O10の白煙を生じます。十酸化四リンP4O10は、吸湿性や脱水性の強い白色結晶で、強力な乾燥剤として用いられます。硫酸H2SO4や硝酸HNO3を脱水することができ、それぞれから三酸化硫黄SO3や五酸化二窒素N2O5が得られます。

 

4P + 5O2 (加熱) P4O10

 H2SO4 (十酸化四リン) SO3 + H2O

 2HNO3 (十酸化四リン)  N2O5 + H2O

 

(iii)リン酸H3PO4

十酸化四リンP4O10は、水H2Oに対する反応性が高く、音と熱を発しながら溶解し、リン酸H3PO4を生成します。リン酸H3PO4は、分子間に水素結合を多く形成できる分子性物質であり、常温では白色固体(m.p.42)です。潮解性があり、水H2Oによく溶けて、中程度の酸性を示します。

 

P4O10 + 6H2O  4H3PO4

 

リン酸H3PO4は、生化学において最も重要なオキソ酸であり、DANRNAATPを構成する成分として非常に重要です。この他、リン酸H3PO4は、肥料や洗剤の製造、清涼飲料水の酸味料など、その用途は幅広いです。

 

(iv)ヒドロキシアパタイトCa5(PO4)3(OH)

ヒドロキシアパタイトCa5(PO4)3(OH)は、動物の歯や骨の主要な構成成分です。動物の歯や骨の組成は、概ね65%がヒドロキシアパタイトCa5(PO4)3(OH)25%がコラーゲンというタンパク質、残りの10%は水分になります。よく建物に例えられていますが、コラーゲンが鉄骨で、ヒドロキシアパタイトCa5(PO4)3(OH)がコンクリートです。ヒドロキシアパタイトCa5(PO4)3(OH)がコラーゲン繊維に付着することで、丈夫な骨ができるのです。動物の歯や骨は、カルシウムCaの塊だと思っている人が多いようですが、純粋なカルシウムCaは金属です。無機物質と有機物質の特徴を活かすように設計された骨や歯は、天然に存在する優れた無機/有機複合材料の好例といえます。

ヒドロキシアパタイトCa5(PO4)3(OH)の水酸化物イオンOH は、比較的容易に置換され、フッ化物イオンFなどに置換します。フッ化物イオンFは、ヒドロキシアパタイトCa5(PO4)3(OH)の耐酸性を高めるとされています。歯磨き粉などにフッ化ナトリウNaF配合されているのは、この効果をねらったものです。実際に虫歯予防で、水道水にフッ化ナトリウムNaF0.60.8ppm添加すると、虫歯が5060%減少するというデータもあります。アメリカでは、虫歯予防のために、水道水に工業過程で副産するヘキサフルオロケイ酸ナトリウムNa2SiF6などのフッ化物を混ぜています。米国疾病予防センターは、「飲料水をフッ素化することは、20世紀における公衆衛生上の10の偉大な業績の1つである」と誇っています。「日本でも水道水をフッ素化してはどうか」という意見がよく出ますが、日本人が愛飲する緑茶にはフッ素Fが含まれているので、フッ素化は不要と見られています。それに過剰なフッ素摂取は、代謝障害を引き起こす恐れがあります。

 

Ca5(PO4)3(OH)  + F  Ca5(PO4)3F  + OH

 

また、キシリトールは、虫歯を予防する糖として有名です。多くのチューインガムがキシリトールを採用し、まるで「虫歯の特効薬」のように宣伝されています。しかし、キシリトールの摂取で、虫歯を治療することはできません。というのも、キシリトールは、口内細菌の作用によって、酸に変化することがないというだけであって、虫歯の原因になることはなくても、虫歯を積極的に治療する力はないからです。ただ、キシリトールの甘味の強さは、グルコースとほぼ同じなのに、カロリーは40%も少ないですから、ダイエット効果は期待できるかもしれません。

 

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.18  キシリトールは、甘味の質が良く、カロリーはグルコースより約4割も低い

 

(v)過リン酸石灰

リン肥料として使われる「過リン酸石灰(superphosphate)」は、「農芸化学の父」ともいわれるユストゥス・リービッヒが、1840年に開発したものです。リービッヒは、従来肥料として用いていた骨粉Ca3(PO4)2に硫酸H2SO4を作用させると、肥料としての能力が増すことに気が付いたのです。過リン酸石灰は純物質ではなく、リン酸二水素カルシウム水和物Ca(H2PO4)2H2Oと硫酸カルシウムCaSO4の混合物です。リン酸二水素カルシウムCa(H2PO4)2が水に溶けて、リン酸二水素イオンH2PO4となり、これが植物に吸収されます。過リン酸石灰は、主成分が水溶性のため、即効性があります。

 

Ca3(PO4)2 + 2H2SO4  Ca(H2PO4)2 + 2CaSO4


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・参考文献

1) 齊藤勝裕勝裕「最強の「毒物」はどれだ?」技術評論社(2014年発行)

2) 齊藤烈/藤嶋昭/山本隆一/19名「化学」啓林館(2012年発行)

3) 桜井弘「元素118の新知識 引いて重宝、読んでおもしろい」講談社(2017年発行)

4) 左巻健男「面白くて眠れなくなる元素」PHP研究所 (2016年発行)

5) セオドア・グレイ「世界で一番美しい元素図巻」創元社(2011年発行)

6) ジョー・シュワルツ「シュワルツ博士の化学はこんなに面白い」主婦の友社(2002年発行)

7)トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」文藝春秋(2012年発行)

8) Peter W. Atkins/千原秀昭・稲葉章訳「分子と人間」東京化学同人(1993年発行)

9) 平尾一之/田中勝久/中平敦「無機化学」東京化学同人(2013年発行)

10) メートランド・ジョーンズ「ジョーンズ有機化学()」東京化学同人(2000年発行)

11) レスリー・デンディ/メル・ボーリング「自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝―」紀伊國屋書店 (2007年発行)