12族元素(亜鉛族元素)


(1)12族元素

周期表において、第12族に属する亜鉛ZnやカドミウムCd、水銀Hgなどの元素を、総称して「亜鉛族元素」といいます。亜鉛族元素の原子は、最外殻電子配置がns2である元素(n4,5,6・・・)です。内殻のd軌道は満たされているため、一般的に亜鉛族元素は、遷移金属の性質を示さず、典型元素の金属としての性質を示します。亜鉛族元素は、かつて遷移元素に分類されていたこともありました。しかし、亜鉛族元素はd軌道が閉殻しているため、現在の定義では、遷移元素には分類されません。

亜鉛族元素は、2の酸化状態が最も安定です。亜鉛(II)イオンZn2+ とカドミウム(II)イオンCd2+ は性質がよく似ており、特にイオン半径が近いために、類似の塩を生成します。その一方で、水銀Hgは亜鉛ZnやカドミウムCdと異なり、金属としては室温で唯一液体です。また、亜鉛ZnやカドミウムCdが「卑金属(base metal)」であるのに対して、水銀Hgはイオン化傾向が水素H2より小さい金属という定義に従い、「貴金属(precious metal)」に分類されることもあるといった特徴を持ちます。水銀Hgでは、水銀(II)イオンHg2+ に加えて、水銀(I)イオンHg22+ ([Hg-Hg]2+)という状態も見られます。亜鉛族元素に共通する数少ない特徴としては、他の金属よりも蒸気圧が高く、揮発性が高いことがあげられます。

 

(2)亜鉛

(i)亜鉛Zn

「亜鉛(zinc)」は、青味を帯びた銀白色の金属固体です。原子は、価電子を2個持ち、2価の陽イオンになりやすいです。亜鉛Znは、イオン化傾向が比較的大きく、高温水蒸気と反応して、水素H2を発生させます。また、亜鉛Znは「両性元素」であり、酸や強塩基とも反応して、水素H2を発生させます。

 

Zn + H2O (高温) ZnO() + H2

Zn + 2H+  Zn2+(無色) + H2

Zn + 2OH- + 2H2O  [Zn(OH)4]2-(無色) + H2

 

 亜鉛Znの単体を得る際には、まず閃亜鉛鉱ZnSなどを酸化して、酸化亜鉛(II) ZnOを生成させます。そして、酸化亜鉛(II) ZnOをコークスで還元するか、硫酸H2SO4に溶かして電気分解することで、亜鉛Znの単体を製造します。亜鉛Znは、鉄Feよりも酸化されやすいので、亜鉛めっき鋼板として、鋼材の防食に用います。特に薄い鉄板に亜鉛めっきを施したものは、ポルトガル語の「tutanaga(亜鉛)」にちなんで「トタン」と呼ばれ、主に建築資材などとして利用されています。トタンは強度を高めるため、波状に加工してあるものを用いることが多いです。

 

.1  トタンは、簡易な建築物の屋根や外壁に使われる

 

また、亜鉛Znは、電池の負極や犠牲陽極としての用途もあります。「犠牲陽極(sacrificial anode)」というのは、固体亜鉛の塊または厚板のことで、橋梁や鉄道道路、大型船の船体などの鋼鉄製構造物に、電気的に接続されます。このときの亜鉛Znの役割は、鉄Feに対して還元剤として作用することで、鉄Feの内部で生じる電流を引き受け、鉄Feが錆びるのを防ぐというものです。亜鉛Znが持てる力をすべて使い果たしてボロボロになると、新しい犠牲陽極が再び取り付けられます。

 

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.2  亜鉛Zn犠牲陽極が優先的に錆びることで、鉄Feの酸化を防ぐ

 

亜鉛Znと銅Cuの合金は、「真鍮(黄銅)」として知られています。真鍮は延展性に優れ、精密機械や水洗便所の給水管、鉄道模型の素材、弾丸の薬莢(やっきょう)などに広く使用されています。日本では、仏具や多くの金管楽器などに多用されています。また、日本で発行されている5円玉の素材としても使われています。真鍮は、金Auに似た美しい黄色の光沢を放つことから、金Auの代用品にもされ、日本の時代劇において、小道具として使われる偽の小判は、ほとんどが真鍮製のものです。

 

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.3  真鍮でできたトランペット

 

生体中の亜鉛Znの含量は、金属としては鉄Feに次いで多いです。例えば、体重70 kgの成人の体には、2.0 gの亜鉛Znが含まれています。現在までに、200種類を超える酵素の活性に関与しており、酵素の構造形成、およびその維持に不可欠な元素です。亜鉛Znの必須性は、1934年に動物での欠乏症が報告されましたが、ヒトに関しての確認は、1960年代以降です。1961年にイランやイラクで、亜鉛欠乏症によって小児の成長が止まる「小人症」が発見されました。これは、臨床実験からパンなどに多く含まれる「フィチン酸」が胃の中で亜鉛Znと結合して、不溶性の物質を生成するために、亜鉛Znが体内に吸収されなくなって起こると理解されました。ただし、偏った食事をしなければ、食物にフィチン酸が含まれていても、亜鉛Znの吸収が大きく抑制されることはありません。

 

.4  フィチン酸は、種子など多くの植物組織に存在する主要なリンPの貯蔵形態である

 

さらに、亜鉛Znの欠乏により、第二次性徴の発現不全や鉄欠乏性貧血、味覚障害、嗅覚障害などが生じることが明らかになりました。ヒトが1日に必要とする亜鉛Znの量は1015 mg程度ですが、不足がちになる金属イオンであり、亜鉛Znを含む錠剤や自然食品が販売されています。亜鉛欠乏症には、先天性の腸性肢端性皮膚炎や免疫異常、味覚異常などが知られています。また、2005年に日本人の血清亜鉛濃度が測定された結果、加齢と共に減少していることが明らかにされました。亜鉛Znを多く含む食品としては、カキ、カニ、寒天、海苔、レバー、そば粉、玄米、大豆、小豆などが挙げられます。

 

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.5  カキには、亜鉛Znをはじめとした様々な栄養素が多量に含まれ、「海のミルク」と呼ばれる

 

男性の場合では、適度な亜鉛Znの摂取は、精子形成の増加、および性欲増進の効果が見られます。しかしながら、ときどき亜鉛Znの重要性を殊更に誇張して、「亜鉛は性のミネラル」などといったような文句で、亜鉛サプリの宣伝がなされることがあります。しかし、亜鉛Znの多量摂取により、男性機能が高まるという報告はありません。このような症状を強く感じても、それが亜鉛Znの摂取によるものであるとは断定できず、恐らく「プラセボ効果(偽薬効果)」によるものでしょう。あまりに亜鉛Znを摂りすぎると、逆に亜鉛中毒を起こす恐れもあります。亜鉛中毒は、発育不良を引き起こし、皮膚を変質させ、脱毛などの症状をもたらします。

 

(ii)水酸化亜鉛Zn(OH)2

亜鉛(II)イオンZn2+ を含む水溶液に、2当量の塩基を加えると、無定形のコロイド状の白色沈殿が得られます。この白色沈殿は、水酸化亜鉛(II) Zn(OH)2であり、「両性水酸化物」なので、酸にも塩基にも溶けて、無色の水溶液になります。

 

Zn2+ + 2OH-  Zn(OH)2()

Zn(OH)2 + 2HCl  ZnCl2(無色) + 2H2O

Zn(OH)2 + 2NaOH  Na2[Zn(OH)4](無色)

 

また、水酸化亜鉛(II) Zn(OH)2の沈殿は、過剰のアンモニア水にも、テトラアンミン亜鉛(II)イオン[Zn(NH3)4]2+ となって溶け、無色の水溶液となります。

 

Zn(OH)2 + 4NH3  [Zn(NH3)4]2+(無色) + 2OH-

 

.6  亜鉛イオンZn2+ の反応

 

(iii)酸化亜鉛ZnO

亜鉛Znを空気中で加熱すると、速やかに酸化されて、酸化亜鉛ZnOとなります。酸化亜鉛ZnOは、水に溶けにくい白色粉末です。白色顔料として、絵の具や化粧品などに用いられます。亜鉛Znを原料としたおしろいが生まれる以前は、鉛Pbや水銀Hgを原料としたおしろいが使用されており、しばしば金属中毒を引き起こしていました。安全な酸化亜鉛ZnOのおしろいの登場は、毎日厚化粧をする歌舞伎役者や遊女にとって、福音だったに違いありません。酸化亜鉛ZnOもまた両性酸化物であり、酸にも塩基にも溶けて、無色の水溶液になります。

 

2Zn + O2 (高温) 2ZnO ()

ZnO + 2HCl  ZnCl2(無色) + 2H2O

ZnO + 2NaOH + H2O  Na2[Zn(OH)4](無色)

 

(iv)硫化亜鉛ZnS

亜鉛(II)イオンZn2+ を含む水溶液に、硫化水素H2Sを通じると、硫化亜鉛ZnSの白色沈殿が生じます。硫化亜鉛ZnSは、天然では、「閃亜鉛鉱」として産出します。ただし、硫化亜鉛ZnSは、強酸性条件では[S2-]が小さくなるので、沈殿しません(無機化学(無機化学反応)を参照)

 

Zn2+ + H2S  ZnS↓() + 2H+

 

(3)カドミウム

(i)カドミウムCd

「カドミウム(cadmium)」は、銀白色で軟らかく、延展性に富む金属です。比較的錆びにくく、美しい金属光沢を持ちますが、湿気の多い空気中では、徐々に酸化されて灰色になり、光沢を失います。カドミウムCdの化学的挙動は、亜鉛Znと非常によく似ており、亜鉛鉱にも約1%含まれています。そのため、カドミウムCdは、亜鉛精錬時の副産物として回収されます。なお、カドミウムCdは、両性元素ではありません。そのため、酸には溶けますが、強塩基には溶けません。

 

Cd + 2H+  Cd2+(無色) + H2

 

人体に対して有害な物質の多くは、体が受け付けずに、体内から速やかに排出されるのが普通です。しかし、カドミウムCdは、人体に不可欠な元素である亜鉛Znと化学的性質が似ているため、体内に蓄積しやすいです。体内に吸収されたカドミウムCdは、最初に肝臓に蓄積します。それからゆっくりと腎臓に輸送され、肝臓障害や骨軟化症などを引き起こします。普通の人でも、カドミウムCdは血液中で0.0052 mg/Lが検出されますが、3330 mgの摂取によって中毒症状が現れ、致死量は1.59 g程度です。日常の食事から摂取される量は0.0073 mgで、体重70 kgの人からは約50 mgカドミウムCdが検出されます。カドミウムCdの生物学的半減期は、ラットやマウスで100300日、イヌで250500日、サルで4年、ヒトで1030年ほどです。

カドミウムCdの毒性については、骨や関節が脆弱となる、「イタイイタイ病」が大きな社会問題となりました。イタイイタイ病は、富山県神通川流域や群馬県安中市で発生した公害病であり、カドミウム中毒によって症状が進行した患者が、骨の病変に伴う激痛のために「イタイ、イタイ」と訴えることから、その名が付けられました。この病気の原因は、神通川上流の神岡鉱山の亜鉛生産の副産物として産出するカドミウムCd、および安中市の亜鉛精錬所などから排出されたカドミウムCdが、主な原因であると考えられています。鉱山や精錬所から川に流出したカドミウムCdは、その水を使用する田畑に至り、土壌に蓄積されて農作物に吸収され、これらの農作物を食べた人が、カドミウムCdに汚染されたのです。

 

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.7  イタイイタイ病が大きな社会問題となった富山県神通川

 

カドミウムCdは、このように恐ろしい元素ではありますが、実用的な用途もいくつかあります。例えば、カドミウムCdは、ニッケルカドミウム電池(ニッカド電池)の負極で有名です。もっとも近年では、軽量で強力かつ低毒性であるニッケル水素電池やリチウムイオン電池の普及が進んでいるため、ニッカド電池の利用は徐々に減りつつあります。しかし、歴史が長く取り扱いのノウハウが豊富であること、電池がタフであること、生産コストが低いことなどの理由から、ラジコンやホビーの分野で、現在も広く使用されています。

また、カドミウムCdは、めっき材料として、自動車関連業界で古くから用いられてきました。一般的な金属部品のめっきならば、亜鉛Znのめっきで十分です。しかし、ある金属部品が錆びないことが何よりも優先される場面では、カドミムCdの錆びにくさが重宝され、現在も利用されています。

 

(ii)硫化カドミウムCdS

硫化カドミウムCdSは、水に溶けにくい黄色固体です。カドミウム(II)イオンCd2+ を含む水溶液に、硫化水素H2Sを通じることで得られます。この反応は、強酸性条件でも起こるため、硫化カドミウムは、塩酸HClなどを加えて強酸性にしても不溶です。

 

Cd2+ + H2S  CdS↓() + 2H+

 

 硫化カドミウムCdSは、深みのある鮮やかな黄色を呈し、耐熱性や耐光性にも優れるため、「カドミウムイエロー」として黄色の顔料に用いられます。硫化カドミウムCdSの魅力は、様々な不純物の添加量に応じて異なる、少しくすんだ若葉色から、黄色や橙色、鮮やかな赤色、深みのある赤色、濃い栗色まで、青色を除いた虹のほぼすべての色を作り出せるところにあります。これらの優れた色は、画家にとって欠かせないものとなりました。印象派や後期印象派、とりわけフォービズムの画家たちは、硫化カドミウムCdSを巧みに利用しました。使える新しい色が増えるたびに、まずはモネの「積みわら、夕陽(積みわら、日没)」に見られる繊細な黄色(カドミウムイエロー)、次にゴッホの「アルルの寝室」に見られる明るい橙色(カドミウムオレンジ)、さらにマティスの「赤のアトリエ」に見られる力強い赤色(カドミウムレッド)といった表現が、次々と生み出されていきました。

 

.8  「赤のアトリエ」は、マティスの初期の集大成的な作品である

 

(4)水銀

「水銀(mercury)」は、古代からよく知られていた金属の1つです。ヨーロッパで紀元前14世紀に書かれた本には、すでに水銀Hgに関する記述があったといいます。元素名の「mercury」は、ローマ神話の商売の神「メルクリウス(mercurius)」に由来します。この神は翼を持ち、神々の使者として、天地を自在に駆け巡ります。また、「水星(Mercury)」は太陽に最も近く、天空を速く運行するため、俊足の神の名前が与えられています。水銀Hgは流動性に富み、生物のように駆け巡るため、これらに由来して命名されました。元素記号の「Hg」は、ラテン語の「hydrargyrum(水のような銀)」に由来します。日本語名の「水銀」という語は、中国古代から使用されていたものであり、元素記号と同じ由来です。

 

.9  水銀Hgの単体

 

水銀Hgは、室温で液体の状態にある唯一の金属です。表面張力が大きいため、机の上でこぼすと、均一に広がらずに球形となって散らばります。液体の金属水銀は、消化器からの吸収が遅いので、弱い毒性を持つにとどまります。しかし、水銀蒸気や水銀化合物は、非常に吸収されやすいので毒性が強く、多くの生物にとって猛毒です。特に水銀原子にメチル基(-CH3)が結合したメチル水銀は、1950年代半ばに熊本県水俣湾周辺地域で、1965年に新潟県阿賀野川下流地域で、「水俣病」や「新潟水俣病」を引き起こした原因物質として有名です。

 

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.10  メチル水銀は、「水俣病」や「新潟水俣病」を引き起こした原因物質である

 

工場からの廃液に含まれていたメチル水銀は、水中の諸生物間の食物連鎖を経由することによって、魚介類へ高度に再濃縮されます。そして、その有毒化魚介を反復大量に摂取した人々の中から、水俣病や新潟水俣病を発病する人が現れました。1971年にはイラクでも、小麦の種子の防腐剤に含まれていたメチル水銀により、これを用いて作ったパンを食べた人に、多くの中毒患者が出ました。メチル水銀は、脂溶性の化合物であるため、「血液脳関門」(脳の働きに大切な神経細胞を有害物質から守るバリア)の透過性が非常に高いです。中毒した際には、脳組織に蓄積して、中枢神経系に対して、不可逆的な損傷を与えます。また、メチル水銀には、胎盤透過性もあり、母親が妊娠中にメチル水銀を摂取したとき、母親に症状が現れなくとも、胎児に重篤な症状(胎児性水俣病)が現れることがあります。なお、メチル水銀は、単一の化合物の名称ではなく、水銀原子にメチル基(-CH3)が結合している化合物の総称です。

 

.11  胎児性水俣病の患者を抱きかかえる女性

 

 2003年に「海洋の高次捕食者であるマグロの体内には、食物連鎖によって生物濃縮されたメチル水銀が多量蓄積されている」と厚生労働省が発表し、一時話題になりました。マグロの体内のメチル水銀と同じ濃度のメチル水銀を、ラットに注射すると死んでしまいます。しかし、マグロは悠々と生きているし、人がマグロを食べても別に何ともありません。研究を続けると、マグロの体内には、セレンSeがメチル水銀とほぼ同じ濃度で存在していることが分かりました。セレンSeには、メチル水銀の解毒作用があることが明らかになっています。ラットにメチル水銀と同時にセレンSeを与えてみると、100%生き残るという結果が出ているのです。セレンSeは必須元素ではありますが、過度に摂取すれば、毒にもなります。セレンSeとメチル水銀との関係は、「毒を以て毒を制す」の例の1つでしょう。

 

.12  マグロの体内には高濃度のメチル水銀が濃縮されている

 

水銀Hgの単体は、まれに天然に遊離状態で見出されますが、主に天然に産出する赤色鉱物の「辰砂」から製造されています。辰砂の主成分は、赤色の硫化水(II)HgSあり、辰砂に空気を通じながら500700加熱すると、水銀Hgの蒸気と二酸化硫黄SO2が生じます。そして、この水銀Hgの蒸気を冷却して、凝縮させることで、単体の水銀Hgを精製するのです。辰砂は、鮮やかな赤色をしているため、朱肉や神社などに使われる赤色顔料として利用されてきました。

 

HgS + O2 (加熱) Hg + SO2

 

その一方で、辰砂は血の色を持ち、長年姿を変えることがないことから、古代中国では「不老不死」の象徴として考えられ、漢方薬としても利用されていました。辰砂の人気は非常に高かったようで、司馬遷の「史記」巻128貨殖列伝にも、その鉱脈を発見した者が、数代にも渡る金持ちになったという記述があります。古代中国では、仙人は「丹薬」という薬を飲み、不老不死の体を手にしていると信じられていました。そして、丹薬を作るために、辰砂などの水銀化合物が使われました。しかし、現代化学から見れば、この丹薬は、不老不死の薬であるどころか、毒物の類に等しいものでした。

 

.13 辰砂の名前の由来は、中国の辰州(現在の湖南省近辺)で多く産出したことによる

 

中国の唐の時代(618年〜907)には、歴代の皇帝21世のうち6人が、不老不死を追い求め、丹薬を飲み続けていたという記録が残っています。彼らは、遂には水銀中毒になって、命を落としていきました。例えば、11代皇帝の憲宗は、安史の乱によって傾いた国勢を立て直すべく、手腕を力を振るいましたが、丹薬の飲み過ぎが原因と見られる精神異常をきたし、宦官によって暗殺されています。16代皇帝の武宗などは、81人もの道士に呪術を行わせて丹薬を飲み、そのために肌艶が消え、喜怒の表現もままならず、言葉も話せなくなって死んだとされています。史上空前の繁栄を誇った唐が、最後はあっけなく滅亡した陰には、丹薬という毒物の存在が、少なからず影響しているのではないでしょうか。

それにしても、なぜ水銀化合物を不老不死の薬などと、彼らは勘違いしたのでしょうか。それは、水銀化合物の特殊性にあると考えられます。水銀Hgは、美しい銀色の光沢を持ち、流動性に富んで、まさしく活力溢れる「生命」のようです。しかし、水銀Hg300℃以上で長時間加熱すると、赤い酸化水銀(II)HgOに変わります。さらに焼くと黒くなりますが、放置して温度が下がれば、再び赤くなります。水銀Hgが一度「死んだ」のです。ところが、酸化水銀(II)HgO365℃以上に加熱すると、再び液体水銀Hgに戻って蒸留されます。すなわち、水銀Hgが「再生」したのです。

 

2Hg + O2 (加熱) 2HgO

2HgO (加熱) 2Hg + O2

 

これは、まさしく「フェニックス(不死鳥)の再生」です。輝く水銀Hgが醜い固体になり、再度輝く水銀Hgに戻る――水銀Hgは「フェニックス」そのものに違いない。これを飲めば、自分もフェニックスのようになれると考えたのでしょう。悲しいほどに愚かで、単純な思い込みです。中国の皇帝たちは、その不思議な力を妄信し、迷わずこの丹薬を飲み続けました。その結果、皮膚は茶色に皺が寄り、目は生気を失い、声はしわがれ、時折発作的に凶暴性を発揮するという、まさしく人間離れした「皇帝らしい」性質を発現することになったのです。

 

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.14  唐の11代皇帝の憲宗は、明晰かつ決断力に富んだ人物であったと伝えられているが、丹薬による中毒で、33歳で崩御した

 

水銀Hgは、室温で液体であるという特異な性質を持つため、この性質を生かした製品が、古くから利用されてきました。ガラスへのぬれ性が悪く、膨張係数が広い温度範囲に渡ってほぼ一定であるため、温度計や体温計などに昔から利用されています。また、内面に蛍光塗料を塗ったガラス管に、微量の水銀蒸気とアルゴンArを封入して放電すると、放電により流れる電子が、水銀原子に衝突して、水銀原子を励起状態にします。そして、励起状態から基底状態に戻ろうとするときに、余分なエネルギーを紫外線として放射して、蛍光塗料を光らせるのです。これが、蛍光灯の仕組みです。

 

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.15  蛍光灯の内部には、水銀Hgの蒸気が封入されている

 

水銀Hgは、多くの金属を溶かして、「アマルガム(amalgam)」と呼ばれる合金を作ります。アマルガムにすると軟らかいペースト状になることが多いことから、この名称はギリシア語の「malagma (軟らかい物質)」に由来します。アマルガムは、水銀Hgが大半を占める場合には液体、水銀Hgの量が少なければ固体という性質があります。Pb、スズSn、ビスマスBiのアマルガムは鏡面、亜鉛ZnやカドミウムCdのアマルガムは標準電池、銀AgやスズSnのアマルガムは歯科用に用いられています。アマルガムは金属精錬にも利用されており、砂金採掘の際に、水銀Hgを用いてアマルガム化して金Auを抽出し、これを加熱して水銀Hgだけを蒸発させることによって、高純度の金Auを得ることが行われています。ブラジルのアマゾン川流域では、1970年代の終わり頃から、川底やジャングルの堆積土中の砂金採掘が盛んに行われ、金Auの精錬に使用された水銀Hgによる汚染が深刻化しているといいます。タンザニア、フィリピン、インドネシア、中国などの国々でも、同様な汚染が起きています。

 

.16  砂金から金Auを取り出す際に、水銀Hgが使われている

 

奈良の東大寺の大仏建立は、もしかしたら日本の公害の最初の例かもしれません。奈良の大仏は青銅製ですが、完成した当初は、全身が金めっきで覆われていました。そのめっき方法として、金アマルガムが使われたのです。まず、金アマルガムを製造して、大仏の表面に均一に塗ります。そして、金アマルガムを炭火で加熱して、水銀Hgだけを蒸発させることで、大仏を金めっきにするのです。続群書類従完成会の「東大寺大仏記」によれば、水銀58,620(50 t)と金10,446(9 t)を用いたとあります。そのため、この大仏工事では、水銀蒸気による中毒患者が多く出たといわれています。水銀蒸気は、体内に取り込まれると、気管支炎や肺炎、腎細尿肝障害、むくみ、場合によっては尿毒症も発症し、全身のだるさ、手の震え、運動失調などを引き起こします。大仏建立は752年ですが、その後ほどなくの784年の平城京から長岡京への遷都理由の1つには、水銀中毒蔓延があるという説もあります。

 

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.17  奈良の大仏の金めっきには、金アマルガムが使用された

 

また、水銀Hgでは、水銀(II)イオンHg2+ に加えて、水銀(I)イオンHg22+ ([Hg-Hg]2+)という状態も見られます。[Hg-Hg]2+ のような結合が安定であるのは、Hg+ の電子親和力が大きいことに関連すると考えられています。すなわち、Hg+ 同士が不対電子を1個ずつ出し合って、共有結合を形成することで、電子親和力の分だけ安定化することができるのです。

水銀(II)イオンHg2+ と水銀(I)イオンHg22+ の酸化還元反応は容易であり、スズ(II)イオン Sn2+ を還元剤として用いることで、塩化水銀(II) HgCl2を単体の水銀Hgまで還元することができます。塩化水銀(I) Hg2Cl2は水に溶けにくいのに対し、塩化水銀(II) HgCl2は水によく溶けます。それ故に、塩化水銀(II) HgCl2は、体内に取り込んだ際の吸収率が高く、強い毒性があります。

 

2HgCl2 + SnCl2  Hg2Cl2() + SnCl4

Hg2Cl2 + SnCl2  2Hg + SnCl4


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・参考文献

1) 齋藤勝裕「へんな金属すごい金属」技術評論社(2009年発行)

2) 齊藤烈/藤嶋昭/山本隆一/19名「化学」啓林館(2012年発行)

3) 桜井弘「元素118の新知識 引いて重宝、読んでおもしろい」講談社(2017年発行)

4) 佐藤健太郎「世界史を変えた薬」講談社(2015年発行)

5) 左巻健男「面白くて眠れなくなる元素」PHP研究所 (2016年発行)

6) 鈴木勉「毒と薬【すべての毒は「薬」になる!?】」新星出版社(2015年発行)

7) セオドア・グレイ「世界で一番美しい元素図巻」創元社(2011年発行)

8) 平尾一之/田中勝久/中平敦「無機化学」東京化学同人(2013年発行)

9) 船山信次「毒の科学-毒と人間のかかわり-」ナツメ社(2013年発行)

10) 山崎幹夫「面白いほどよくわかる 毒と薬」日本文社(2004年発行)

11) 山崎幹夫「新化学読本-化ける、変わるを学ぶ」白日社(2005年発行)