・薬物乱用の科学


【目次】

(1) 報酬系とドラッグの関係

(2) 血液脳関門(Blood-Brain Barrier)

(3) 薬物に依存する理由

(i) 精神依存

(i-1) 心理学的要因

(i-2) 生理学的要因

(ii) 身体依存

(4) タバコは「ドラッグ」なのか?

(5) いろいろなドラッグ

(i) 大麻

(ii) 覚醒剤

(iii) アヘン系

(iv) コカイン

(v) LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)


(1) 報酬系とドラッグの関係

 人は何のために生きているのだと思いますか?人はなぜ死にたくないと思うのですか?これは哲学的な問題でもあるので、答えを出すのは簡単ではありません。しかし、敢えて答えを出すなら、人は「自身の欲求が満たされたときに幸福を感じるから」生きているのです。アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローは、1962年に刊行され大きな反響を呼んだ著書「完全なる人間 魂の目指すもの」の中で、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人の欲求を5段階の階層で理論化しました。

 

.1  「マズローの欲求段階説」では、人間の欲求を5段階の階層で理論化している

 

このピラミッド型の階層は、「マズローの欲求段階説」と呼ばれています。マズローによると、人の欲求というものは、5種類の欲求に分類することができ、「生理的欲求」を最も低次の欲求として、人は「自己実現の欲求」の達成に向かって生きているのだというのです。生理的欲求は、いわゆる「本能の欲求」であり、生命維持のための「食事」・「睡眠」・「排泄」などの欲求がこれにあたります。それに対して、「自己実現の欲求」は、最も高次な欲求で、「自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならない」という欲求が、これにあたります。つまり、人間という生きものは、絶えず「欲求の達成」を行動の動機付けとして、生きているのです。

 

.1  マズローが定義した人間の欲求

1)生理的欲求

生命維持のための食事・睡眠・排泄など。ヒト以外の他の動物は、基本的にこのレベルに留まる

2)安全の欲求

身体の安全や経済的安定性、健康や生活水準などの安定性で、一般の大人はこのレベルもクリアしている

3)所属の欲求

誰かに愛されている、認められている、どこかに所属しているという感覚が満たされないと孤独を感じ、社会的不安や鬱状態になる原因となる

4)承認の欲求

所属する集団から価値のある存在と認められ尊重される欲求。妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる

5)自己実現の欲求

自分の持つ能力・可能性が十分に発揮され具現化する、つまり自分が理想とする姿になるという欲求

 

 マズローの考え方は、「生きる」ということを心理学的に解釈するものですが、これを生理学的に解釈するならば、生きるとは「脳の報酬系を活性化させること」であるということができます。「報酬系」で最も重要なのは、中脳の腹側被蓋野(様々な動機付け行動に寄与する)から側坐核(情動の調整)、偏桃体(恐怖や不安、喜びなどを司る)、前帯状皮質(情動の中枢)、背側線条体(ある種の習慣の学習形式に関連する)、海馬(事実や出来事の記憶に関係する)、前頭前皮質(判断や計画を司る)などの複数の領域に分布する神経系のことで、この中枢を特に「A10神経系」といいます。A10神経系は、人の快楽を司る神経系であり、この神経系が刺激されてニューロンが活動すると、人はそれを「快い」と感じ、その刺激をもっと手に入れたいと強く動機付けられます。

 

.2  A10神経系」は報酬系の中枢である

 

例えば、1953年にカナダのマギル大学の博士研究員だったピーター・ミルナーとジェイムズ・オールズが行った動物実験が、これを証明しています。まず、ラットに麻酔をかけ、2個の電極を中脳に埋め込みます。2個の電極には電線がつながれており、電気刺激を与えられるようになっています。ミルナーとオールズは、ラットを小さい箱に入れ、ラットがレバーを押すと、埋め込まれた電極を通じて、直接ラットの脳に電気刺激が届くようにしました。その結果生じたのは、恐らく科学実験史の中でも、最も衝撃的な出来事でした。

当初、ミルナーとオールズは、ラットが電気刺激を嫌がると予想していました。しかし、実際には自分の脳を刺激するために、ラットは1時間に7,000回ものハイペースで、何度もレバーを押し続けたのです。ラットが刺激していたのは、報酬系の中枢であるA10神経系であり、ここを活性化させることは、他のどんな自然な刺激よりも、はるかに大きな力を発揮したのです。自分の脳を刺激し続けているラットは、空腹でも喉が渇いてもレバーを押し続け、レバーにたどり着くまでに足に電気ショックを受ける場所があっても、そこを何度でも踏み越えてレバーを押しに行きました。オスのラットは、近くに発情期のメスがいても無視し、子供を産んだばかりのメスのラットは、赤ん坊を放置してレバーを押し続けました。中には他の活動を一切顧みず、1時間に2,000回のペースで24時間に渡って、自己刺激を続けたラットもいました。そのようなラットは、放っておくと餓死してしまうので、装置から外してやらなければならないほどでした。ラットにとって、レバーを押すことが世界のすべてになってしまったのです。

 

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.3  ラットがレバーを押すと、短時間の電気刺激が電線を伝わって、自分の脳に埋め込まれた電極に達する

 

この実験から分かることは何でしょうか?レバーを押し続けるラットのように、報酬系の働きが動物の行動を支配しているのなら、「人はなぜ生きるのか」という問いに対する答えは、こうなります。――つまり、「人は欲求が満たされると、報酬系が活性化し、多幸感を感じるから」生きるのです。この報酬系のA10神経系に深く関与しているといわれている物質は、「ドーパンミン」という神経伝達物質です。ドーパミンは、脳内で運動調整・ホルモン調整・快楽・意欲・学習などに関わる神経伝達物質であり、報酬系に作用することが知られています。ドーパミンの最も重要な役目は、「何に集中するか」を選択させることです。そのため、ドーパミンは「行動の動機付け」をする物質であるといわれています。

例えば、お腹が空いているときに、テーブルに美味しそうなリンゴが出てきたとします。あなたはそれを見ているだけで、ドーパミンの量が増えます。ドーパミンが増えるのは、食べている最中ではありません。食べる直前なのです。「リンゴを食べる」という選択をさせるために、ドーパミンはあなたに「さあ、これに集中しろ」とささやきます。よく「やる気がないのはドーパミンが足りないからだ」といわれることがありますが、あながち間違っていることではなく、実際にうつ病患者の脳内では、報酬系が十分に機能しておらず、ドーパミンが十分に働いていないことが指摘されているのです。

よく「ドーパミンは快楽物質である」という説明がなされますが、これは少し間違っています。ドーパミンの役割は、「快楽という報酬が貰えそうだ」ということを感知して、そのメッセージを脳の他のところに伝えることにあるのです。レバーを押すと餌が出てくるラットの実験では、ラットは時々しか餌が出てこないようにした方がレバーを押す回数が多かったのです。一番熱心にレバーを押したのは、餌が出てくる確率が37割のときでした。ある音が聞こえるとジュースが少し出てくるサルの実験でも、サルのドーパミン量は音が聞こえた時点で増加し、むしろジュースを飲んでいるときよりもずっと多かったのです。この実験で分かるのは、ドーパミンが快楽を与える「報酬物質」ではなく、「何に集中するべきか」を伝える存在だということです。音が聞こえても、時々しかジュースが出てこない方が、ドーパミン量が増えることも分かりました。さらに実験では、2回に1回という頻度のときに、最もドーパミンが放出されることも分かりました。

脳が「不確かな結果」の方に多くのドーパミンを分泌させるのは、ドーパミンの最重要課題が「人間に行動する動機を与えること」だからです。あなたの祖先が、たまにしか実のならない木の前に立っている姿を思い浮かべて下さい。果実がなっているかどうかは地上からは分からないので、面倒でも木に登らなくてはいけません。登ってみて何もなかったら、別の木にも登って探すことが大切です。ハズレを引いても諦めない人は、そのうちに高カロリーの果実という報酬を貰えます。それによって生き延びる確率も高まるのです。自然の摂理は、預言できないものが多いです。報酬が貰えるかどうかは事前には分かりません。不確かな結果でドーパミンの量が急増するのは、新しいものを前にしたときと同じ理屈なのでしょう。報酬を得られるかどうか分からなくても探し続ける――この衝動により、食料不足の世界に生きた祖先は、そこにある限られた資源を発見し活用してきたのです。

 

.4  「ドーパミン」の構造式

 

 覚醒剤や麻薬のようなドラッグが、なぜ乱用されるのかというと、これらのドラッグは、直接脳内の報酬系に対して、ドーパミンの遊離を促進し、強制的に「快楽や多幸感が得られるという期待」を感じさせるからです。つまり、ドラッグを使えば、なんの行動や努力をしなくても、欲求が満たされたときのようにドーパミンが分泌され、気持ち良くなることができるのです。人が生きる理由としているのが「報酬系の働き」ですから、報酬系に強く作用するドラッグは、強い依存を生み出し、そのために薬物を乱用する人が、あとを絶たなくなる訳です。

国連が数年おきにまとめている調査報告書によると、およそ世界の人口のうち、15歳から64歳の年齢層の人々の15%が、過去12カ月に1回は薬物を使用しているとされています。これだけの人々が、薬物の魔の手にかかり、強い快楽と引き換えに、激しい禁断症状に苦しんでいます。イギリスの詩人ジョン・ドライデンは、著書「オイディプス」の中で、人の快楽について次のように述べています。「人間にとって、快楽はまっとうに得られるものではない。天から貸し出されるのだ。非常な高利で」――ドライデンが述べているように、薬物で得る「快楽」というものは、薬物による「依存症」と引き換えに得るものなのです。

 

(2) 血液脳関門(Blood-Brain Barrier)

 ドラッグを摂取したとき、その効果は、脳内の報酬系に作用したときに初めて現れます。つまり、ドラッグを摂取しても、作用点である脳に到達しなければ、効果が期待できないということです。ドラッグは化学物質であり、体にとっては「異物」です。生体異物は体にとって毒として働く恐れもあるので、脳はこのような生体異物から、自身を護る障壁を持っているのです。この障壁は「血液脳関門(Blood-Brain Barrier)」と呼ばれ、血液と脳の組織液との間の物質の移動を、制限する「関所」のようなものです。血液脳関門は、英語の頭文字を取って「BBB」とも呼ばれ、生体異物は脳内に侵入しようと思っても、この血液脳関門に阻まれて、跳ね返されてしまうのです。

しかし、中にはこの血液脳関門を突破してしまう生体異物も存在します。このような物質は、一般的に「低分子」で「脂溶性」の物質が多いです。この理由は、脳の神経細胞が、油に溶けやすい脂溶性のリン脂質でできており、血液脳関門が、細胞の間隔が極めて狭いことによる、物理的な障壁であるためです。脳の神経に対して、神経毒性を現す生体異物は、この血液脳関門を突破してしまうので、猛毒となるのです。血液脳関門を突破できる物質としては、タバコに含まれるニコチンや酒に含まれるエタノール、コーヒーに含まれるカフェイン、脳のエネルギー源となるグルコースなどがあります。このように血液脳関門を通過できる化学物質だけが、脳の細胞と相互作用できる訳です。

 さて、ドラッグはどうなのかというと、わずかながら血液脳関門を突破できることが分かっています。例えば、麻薬の一種であるモルヒネは、脳内に侵入して、中枢神経に抑制・鎮静作用をもたらす効果があることで知られています。しかし、モルヒネの血液脳関門通過率は、わずか2%ほどであるといわれています。このたった2%が、脳内の報酬系に対して強烈に作用し、薬物乱用を生み出しているのです。次の図.5にモルヒネの構造式を示します。

 

.5  モルヒネの構造式

 

モルヒネの構造式を見ても、モルヒネが油に溶けやすい脂溶性の物質であることは、分かるかと思います。一般に、極性の小さい分子は水に溶けにくくなり、油に溶けやすくなるからです(詳細は溶液化学(溶液と溶解度)を参照)。しかし、モルヒネはヒドロキシ基(-OH)2個持っているので、その部分で水分子と水素結合を形成することができ、「分子の脂溶性」を若干低下させていることも分かるかと思います。そのため、モルヒネの血液脳関門の通過率は、2%と低くなっているのです。

しかしながら、モルヒネの構造を少し変えて、「分子の脂溶性」を向上させたらどうなるのでしょうか?このようにして、ヒドロキシ基(-OH)に無水酢酸などを反応させ、ヒドロキシ基をアセチル化して、脂溶性を向上させたドラッグが、「ドラッグの王様」たるヘロインなのです。なお、ヘロインという名称は、ドイツ語で「英雄の」を意味する「heroisch」が語源です。

 

.6  ヘロインの構造式

 

ヘロインの構造式は、ヒドロキシ基(-OH)の水素原子部分が、アセチル基(-COCH3)に置き換わったものになっています。そして、その脂溶性はモルヒネを遥かに上回り、血液脳関門の通過率は、モルヒネのなんと約30倍の65%になるともいわれています。そのため、ヘロインの薬理活性もモルヒネよりも遥かに強力で、摂取量によっては、激しい中毒症状を引き起こし、昏睡状態に陥ったり、ショック死したりすることもあるのです。

 

-OH  (CH3CO)2O  -OCOCH3    CH3COOH

 

もともとヘロインは、1898年にドイツのバイエル社によって、「鎮咳薬」として発売された薬物でした。そのときのヘロインの売り文句は、現在のイメージとは全く異なったもので、「すべてのアヘンやモルヒネ、コデインその他薬剤よりも優れており、その毒性が少ない」というものでした。ヘロインが合成された当初は、モルヒネよりも毒性が少なく、安全なものと考えられていたのです。ヘロインは大人から子供まで、乳幼児や妊娠中の女性にも、安全に服用できる薬とうたわれていました。

しかし、いざヘロインの注射器による乱用が始まると、血液脳関門通過率65%という高い脂溶性のために、桁違いの量が脳に取り込まれ、ヘロインは強烈な麻薬作用を引き起こすことが判明したのです。1960年代のベトナム戦争では、ジャングルの中での見えない敵との戦いによるストレスを紛らわすため、アメリカ軍兵士の40%以上がヘロインを使用し、ヘロイン中毒に陥ったアメリカ軍兵士が、多数出たといいます。そのため、現在ではヘロインが「鎮咳薬」として使われることは一切なく、ヘロインの製造・販売は、ともに各国で法的に厳しく禁じられています。これが、「ドラッグの王様」とヘロインが呼ばれる所以なのです。

 

(3) 薬物に依存する理由

「覚醒剤や麻薬などの薬物は依存性があって危険だ」というのは誰でも知っていることですが、「なぜ薬物は依存を形成するのか?」と問われると、答えられない人が多いのではないでしょうか?「依存」について考えるには、心理学と生理学をよく理解していないと、答えることができません。一般的に、「依存」には大きく2種類があって、それは「精神依存」と「身体依存」になります。

 

(i) 精神依存

 「精神依存」とは、薬物の使用を中止すると、「精神的離脱症状」として、不安感や焦燥感などを生じて、使用のコントロールができなくなる症状です。なにもこれは薬物だけに当てはまるものではなく、タバコやアルコール、ギャンブル、セックスなどの依存症にも、当てはまることです。この精神依存は、大きくは心理学的な要因によって説明することができますが、その背景には生理学的要因が深く関与しています。一般的に次に示す項目が多く当てはまる場合、精神依存を発症している可能性が高いです。

 

・自分や周囲の人の生活に支障をきたしているにも関わらず、当該行動を続ける

・生活上の通常のストレスに対処するために、当該行動が不可欠であると思われる

・当該行動を止めると自分で決め、他人とも約束していながら、繰り返しそれを破る

・当該行動に走ってしまったことを後悔する

 

(i-1) 心理学的要因

 心理学的に精神依存について考えると、依存とはすなわち、「その行動を強化するもの」であり、「対象行動の頻度を増加させるもの」だということができます。「行動を強化する」のには、大きく分けて次の2通りの方法があります。1つは「刺激を与えて行動を強化する」場合で、もう1つは「刺激を取り除いて行動を強化する」場合です。心理学では、前者を「正の強化」といい、後者を「負の強化」といいます。薬物依存症の場合、条件付け刺激は「薬物の摂取による快楽」ということになるので、依存の形成の主な原因は、「正の強化」によるものだということができます。

 

.2  人間の行動の分類

 

対象行動の頻度増加

対象行動の頻度減少

刺激を与える

正の強化

正の罰

刺激を取り除く

負の強化

負の罰

 

 「正の強化」とは、刺激の出現によって、行動が強化されることですが、これを薬物依存症の場合において分かりやすく言い換えたなら、「薬物の摂取によって、ドーパミンの遊離により報酬系が活性化して、再び薬物を摂取するようになること」ということになります。薬物は摂取すると、快楽や多幸感が得られるという期待を感じるので、薬物の摂取行動が強化され、その結果として、強い依存を形成することになるのです。

また、このタイプの依存には、アルコールやギャンブルなどの依存症も含まれます。特にギャンブルの場合は、依存を形成する過程が少し特殊で、刺激のあとに、必ず報酬が与えられるとは限りませんよね。すなわち、ギャンブルには勝つときもあれば、負けるときもあるということです。人は、ギャンブルのように報酬が与えられる頻度が少ない状況で身に付けた反応ほど、その反応に強く依存するという心理傾向があるのです。これは「間歇強化」と呼ばれるもので、報酬が定期的にもらえる反応よりも、不定期的にもらえる反応の方が、依存性を強くするのです。この理由は、ドーパミンが「期待していた報酬」と「実際に得られた報酬」の違(報酬の予測誤差)を伝える働きをしているからです。予測の範囲の報酬しか期待できないときは、ドーパミンは放出されません。そのため、前と同じ刺激だと報酬が予測できてしまうので、もっと多くの報酬を得られそうな強い刺激を求めるようになるのです。ギャンブルに依存すると、賭け金を増やしがちになるのはこのためです。

また、実験によると「ニアミス体験」は報酬系を活性化させ、さらに被験者が自分で何かを操作できるときには、快感が強まるということが報告されています。このような活性化が、ギャンブルを続けさせる要因になるといいます。ニアミスの最適頻度は30%であり、スロットマシーンのメーカーは、ニアミスの率を意図的にプログラムしているのです。

 

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.7  2009年の研究調査結果によると、日本には約560万人ものギャンブル依存症患者がいると推定されている。

 

間歇強化は、ギャンブルの他に、ドメスティックバイオレンス(DV)などにも当てはまることが知られています。彼女が彼氏から酷い暴力を受けていても、彼氏から決して離れようとしないのは、彼氏からたまに与えられる「優しさ」が、強く報酬系に作用するからだと思われます。「彼はちょっと暴力的だけれども、優しくしてくれることもある」とドメスティックバイオレンスの被害者はよくいいます。これはまさに、その「優しさ」に依存しているのです。ドメスティックバイオレンスの加害者は、いつも暴力的である訳ではなく、あるときに爆発的に暴力行為を行うのです。そして、その直後には、「ハネムーン期」という時期が来ることが知られています。この時期になると、加害者は突然優しくなり、プレゼントをくれたり、今までのことを謝罪したりするのです。ところが実際には、ハネムーン期のあとには、次第に緊張が高まる「緊張形成期」を経て、再び爆発期な暴力行為が行われるようになります。このようなドメスティックバイオレンスのサイクルが形成されると、「別れる」という選択肢自体が、頭の中に浮かんでこなくなってしまいます。

 

.8  ドメスティックバイオレンスのサイクル

 

 一方で、「負の強化」とは、刺激の消去によって、行動が強化されることです。しかし、これは薬物依存症の「形成初期段階」には、大きくは関与しないと考えられます。なぜなら、ここでいう刺激というのは、その人にとって「嫌なもの」であることが多いからです。例えば、「目薬を使うと目の疲れが取れるので、目薬を愛用している」という事例は、負の強化にあたります。この例では、「目の疲れ」が「嫌なもの」です。もし負の強化で依存が形成されるのであれば、巷では、「目薬依存症」の人が続出してしまいます。「目薬依存症」という人が少ないように(症例としては若干報告されていますが)、負の強化というのは、依存を形成するのには少し弱いのです。

薬物依存症の「形成初期段階」においては、正の強化の影響の方が大きいです。しかし、薬物依存症が形成されたあとでは、負の強化が依存に強い影響を及ぼすことも考えられます。例えば、薬物依存症になった人は、ドラッグが切れると、強い不安感やイライラ感が生じることがあります。この不安感やイライラ感は、ドラッグを再び摂取すると消失するため、薬物への依存が、より強固になるのです。この段階まで薬物依存が深まると、薬物依存症の人は、ドラッグで快感を得るためというよりも、むしろ不快感を取り除くためにドラッグを渇望するようになってしまいます。実際に薬物依存症になった人の話を聞くと、ほとんどの人は好きなドラッグを摂取しても、もはやあまり快感を得られないのだといいます。一度依存症になってしまうと、得られる多幸感は徐々に弱まっていき、快感よりも欲望が先に立ち、嗜好が不足感へと変化していきます。

 

(i-2) 生理学的要因

 精神依存の背景には、生理学的要因も深く関与しています。生理学的に依存を考えたとき、依存の形成は、「報酬系の働き」と「耐性の獲得」によって説明することができます。

薬物依存症の場合、多くの薬物は、脳内報酬系のA10神経系に作用して、ドーパミンの遊離を促進することで知られています。報酬系におけるドーパミンの遊離は、人に「快楽や多幸感が得られるという期待」をもたらすので、これが心理学でいう「条件付け刺激」となって、摂取行動を強化するのです。また、他の依存症についても、薬物依存と同様に、ドーパミンを介したメカニズムで報酬系に作用して、依存が形成されることが分かっています。しかし、これだけは薬物依存症における「強い依存」を説明することはできません。薬物依存症の形成は、「耐性の獲得」が大きく影響を与えているのです。

 人体における薬物は「生体異物」なので、人間の体には、過剰に摂取された生体異物から、自身を護るメカニズムが備わっています。これが「耐性」です。耐性とは、「薬物に対する抵抗性ができる」ことで、簡単にいえば、「薬物が体に効きにくくなる」ことです。薬物依存症の人は、依存が深まるにつれて、薬物の摂取量が増加していくということは有名な話ですが、これには耐性の獲得が関わっているのです。薬物の耐性は、覚醒剤や麻薬などのドラッグだけではなく、アルコールやタバコ、風邪薬、頭痛薬など、人体にとっての異物ならば、何でも耐性を獲得する可能性があります。したがって、耐性を形成するものは、依存症の危険性があるので、注意しなければなりません。

 

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.9  砂糖の過剰摂取によって、「砂糖依存症」になることもある

 

 人体が耐性を形成する仕組みには、主に2つのパターンがあると考えられています。1つは「受容体の数が変わる」こと、もう1つは「肝臓で酵素などの生産が誘導される」ことです。

「受容体」とは、化学物質を受けて、信号を中継する物質のことです。薬物などは、脳内でこの受容体に結合することで、効果を発揮するのです。例えば、脳内で薬物の受容体が減少すると、薬物がたくさん脳内に侵入してきても、効果を発揮できる薬物分子が少なくなってしまいます。このように、受容体が減ることを「ダウンレギュレーション」といい、薬物の受容体がダウンレギュレーションすることで、薬物が徐々に効きにくくなっていくのです。

 また、耐性は、肝臓で「酵素」などの生産が誘導されることでも獲得します。生体異物は、経口摂取で体内に入ると、まずは肝臓で酵素の攻撃を受けて、毒性を弱められてしまいます(毒の科学を参照)。これも、生体異物から自身を護るメカニズムの1つです。このように、肝臓は「ファイアウォール」のような役割をしているのですが、生体異物が過剰に体内に侵入してくると、体は耐性を獲得して、酵素の生産が活性化し、解毒作用が強められるのです。アルコールなどは、飲めば飲むほど強くなるといいますが、これは簡単にいえば、アルコールに対して耐性を獲得して、肝臓の酵素が活性化しているからです。特に「アルコール依存症」の人などは、酵素の生産がかなり誘導されているので、いくら飲んでも酔えなくなっているといいます。ただし、生体異物が肝臓の解毒を受けるのは、「経口摂取」したときのみで、注射や肺からの摂取だと、肝臓で解毒がされません。覚醒剤や麻薬などは、注射で摂取することが多いので、肝臓で解毒されずに、毒性が強く現れる訳です。

 薬物は投与を続けると、このように受容体の数が変わったり、酵素が誘導されたりして、耐性を獲得するに至ります。それ故に、薬物が効きにくくなり、徐々に摂取量が増えていくのです。この頃になると、もう依存症になっている場合が多いです。すなわち、薬物依存症において耐性を獲得し、ドーパミン受容体がダウンレギュレーションしているということは、ドーパミン系の神経伝達が低下しているということです。この状態では、もはや神経細胞は、組織的にも機能的にも変質しており、薬物なしでは、正常な状態が保てなくなっているのです。この結果として、薬物なしでは、不安感やイライラ感などの禁断症状が生じ、薬物を摂取したくてどうしようもないという状態に陥ってしまい、薬物依存が強化されるのです。

 

(ii) 身体依存

薬物における「身体依存」は、身体依存を伴うものと、伴わないものがあります。例えば、コカインや覚醒剤は身体依存を形成しませんが、モルヒネやヘロインは身体依存を形成することで知られています。傾向としては、身体依存は、「中枢神経を抑制する薬物」に多く見られる依存症です。身体依存症は、簡単にいえば、摂取を中断すると、手足の震えや激痛などが生じ、薬物なしでは、正常な状態を保てなくなる状態のことです。つまり、身体依存の形成も、「耐性」の獲得に大きく影響を受けるのです。

次の表.3に、薬物の依存性の評価を示します。7種類の薬物について、03の範囲で、「身体依存」・「精神依存」・「多幸感」の平均スコア尺度を示しました。ヘロインの禁断症状(体中の関節に激痛が走り、悪寒、嘔吐、失神などの症状が出る)は、薬物の中でも特に強烈であることが知られており、その痛みに耐え兼ねて、自殺をしてしまう人もいるぐらいです。

 

.3  薬物の「依存性」の評価

薬物

多幸感

精神依存

身体依存

平均

ヘロイン

3.0

3.0

2.9

3.0

コカイン

3.0

2.8

1.3

2.37

タバコ

2.3

2.6

3.0

2.23

アルコール

2.3

1.9

1.6

1.93

覚醒剤

2.0

1.9

1.1

1.67

大麻

1.9

1.7

0.8

1.47

LSD

2.2

1.1

0.3

1.23

 

 依存症が悲劇的なのは、症状が進むにつれて、薬物耐性や禁断症状、渇望が強まる一方で、得られる多幸感が徐々に弱まっていくことです。これはドラッグによる快楽だけでなく、性行為、食事、運動などから得られる日常的な快感も低下させるといいます。依存症の恐ろしさは、あらゆる幸福感を得られなくしてしまうことにあります。さらに、快感よりも欲望が先に立ち、嗜好が不足感へと変化します。重度の依存症者は、薬物が好きなのではなく、脳内報酬系のA10神経系を刺激する行動を止められないのです。そればかりでなく、ある程度の期間薬物を止めていた依存症者は、ごく少量の薬物を摂取しただけで、最初に感じたよりも激しい快感を覚えます。これが「感作(報酬過敏性)」と呼ばれる生物学的現象で、依存症からの社会復帰をより困難にしています。

 

(4) タバコは「ドラッグ」なのか?

 「タバコ」は、世界中で愛用されている嗜好品ですが、なぜタバコは、人をそれほどまでに魅了するのでしょうか?日本たばこ産業株式会社の調査によると、日本における喫煙者の割合は、1998年において、男性55.2%、女性13.3%でしたが、その15年後の2013年には、男性32.2%、女性10.5%と減少しました。1965年以降のこの調査によれば、男性の喫煙率が最高だったのは、1966年のことで、その割合は83.7%(女性は17.7%)であったといいますから、約半世紀で、男性の喫煙割合は、50%以上も減少したことになります。

日本では、年々喫煙者への風当たりが厳しくなってきており、喫煙者は、世間で肩身の狭い思いをすることが多くなってきています。しかし、それでもタバコを止めようという人があまり多くないのは、その依存性によります。禁煙の試みと失敗の繰り返しは、一番身近な禁断症状の例でしょう。タバコの依存性は、タバコに含まれる「ニコチン」という化学物質が作り出しています。タバコには、質量で28%程度の大量のニコチンが含まれており、紙巻タバコ1本に換算すると、約1624 mgのニコチンが含まれていることになります。

 

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.10  ニコチンの構造式

 

ここで、タバコの歴史について少し触れておきましょう。西洋文明がタバコと初めて出会ったのは、15世紀のことです。1492年、スペインのパロス港出港後、70日に及ぶ長い航海の末に、初めて大西洋を横断したクリストファー・コロンブス一行がたどり着いたのは、カリブ海に浮かぶ小島「サン=サルバドル島」でした。そのときに原住民は、白い肌の珍客からもらったガラス玉や鏡などの返礼品として、新鮮な野菜とともに香り高い「枯れた葉」を数枚贈ります。現地では古くから、タバコの葉を儀式の道具や薬草などとして使用していました。黄金を求めてやって来た一行は失望しましたが、これこそが、西洋文明のタバコとの最初の出会いでした。

やがて、一行のスペイン人のうち何人かが、原住民がこの葉をくゆらせて煙を吸ったり、その煙を全身に浴びたりするのを見て、見様見真似で喫煙を開始します。見かねた仲間が、原住民の真似など止めるようにと諭しましたが、喫煙者は、「もはや自分の意志でこれを止めることは難しい」と答えたといいます。タバコは、西洋とのファーストコンタクトと同時に、早くも中毒者を作り出していたのです。なお、原住民はこれを「タバコ」といいましたが、実はタバコとは、植物そのものではなく、タバコを吸うための「Y字型のパイプ」のことだったという説が有力です。

コロンブス一行が持ち帰ったタバコの種は、早速スペイン各地で栽培されました。その効果を研究したセビリアの医師ニコラス・デ・モナルデスは、1570年代に「西インド諸島からもたらされた有用医薬に関する書」という本を出版すると、ここでタバコを絶賛しました。モナルデスは、タバコを咳や喘息、頭痛、胃痙攣、果ては痛風にまで効果がある「万能薬」として認め、大いに宣伝に努めました。消毒や止血、座薬の他、歯磨きにまで用いられたといいますから、少し現代の感覚では、理解し難いことです。

 

.11  コロンブスは、キリスト教世界の白人として、最初にアメリカ海域へ到達した1人である

 

 タバコの医療使用を、初期段階から支持した人は他にもいます。フランス王アンリ二世の公使として、当時ポルトガルに駐在していたジャン・ニコは、新大陸から持ち込まれたこの植物と、ポルトガル人が早々に行ったタバコの効能実験に引き込まれました。タバコは万病に効く妙薬だと確信したニコは、タバコを携えて意気揚々とフランスに帰国します。ニコは、フランスの王妃カトリーヌ・ド・メディシスにタバコを贈り物として捧げ、タバコの葉を粉末化する方法や、タバコの煙を鼻から吸うと頭痛が治まることを教えました。ひどい頭痛に悩まされていたカトリーヌは、ニコのアドバイスに従いました。タバコを吸うと頭痛が軽減されたため、カトリーヌは瞬く間にタバコ心奉者となり、タバコは宮廷全体に広まることとなりました。間もなく、タバコはヨーロッパ貴族の間でなくてはならないものとなり、「ニコの薬」として知られるようになります。タバコの学名「Nicotiana tabacum」は、彼の名にちなむものです。そのため、タバコに含まれる「ニコチン」の名称も、元をたどれば、彼の名前が由来となります。タバコを発見したわけ訳でも、発明した訳でもないのに、ニコは史上最も悪名高い化合物に、その名を残すことになったのです。

16世紀には、タバコの栽培は、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ広まり、そして遂には、オーストラリアにまで広がっていきました。同時に伝えられた梅毒が、あっという間にヨーロッパ中に広がったのに比べると、スピードはやや遅いですが、それでも16世紀半ばには、早くもヨーロッパ全域でタバコの栽培が始まっています。中世ヨーロッパにおいては、タバコは頭痛や歯痛、疫病に効果があると信じられていました。特に17世紀のヨーロッパでは、しばしばペストやコレラが大流行し、人々は疫病への不安から逃れるために、争ってタバコを吸いました。日本へも薬として伝来し、時期は天正年間(15731592)のこととされています。

しかし、19世紀に入ると、タバコは徐々に医療目的で使われなくなっていきました。タバコからニコチンが単離され、脳や神経系に悪影響を及ぼすことが明らかになってきたからです。現在では、主に嗜好品としてのみ用いられ、さらには人体への有害性が主張され、「薬」というよりは「毒」として捉えられるようになっています。従来毒として見なされていたものが、薬として使用されるようになった例は多いですが、その逆は意外に少ないです。タバコは、当初は薬として見なされ、その後毒が喧伝されるようになった稀な例の1つなのです。

 

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.12  日本に伝わったタバコは、九州で栽培が始まり、江戸時代には各地で栽培されるようになった

 

タバコの煙に含まれる化学物質は約3,000種類もあり、そのうち有害物質は200300種類、特に有害なのが「ニコチン」、「タール」、「一酸化炭素」といわれています。ニコチンは、「アルカロイド」の一種です。ニコチンの構造式を見ると、ニコチンが脂溶性であることは分かるかと思います。そのためにニコチンは、血液脳関門を通過しやすいのです。しかも、タバコは煙を吸う嗜好品で、肺からニコチンを摂取するため、肝臓による解毒作用を一切受けません。タバコの毒性が強いといわれるのは、これが原因です。

常用すると生じる依存症は、ニコチンにより脳内報酬系の興奮を介するものです。血液脳関門を通過して、脳内に侵入したニコチンは、脳内で「アセチルコリン」という神経伝達物質の受容体に作用を及ぼします。ニコチンの分子構造は、アセチルコチンと類似しているため、ニコチンがアセチルコリンの代役となることができるのです。このようにニコチンが作用する受容体を、「ニコチン性アセチルコリン受容体」といいます。タバコのニコチンは、脳内でニコチン性アセチルコリン受容体に結合し、報酬系のA10神経系において、ドーパミンの遊離を促進する作用があるのです。このようにして、報酬系が刺激されると、人は「快楽や多幸感が得られるという期待」を感じて、気分が良くなり、これが条件付け刺激となって、ニコチン依存症を形成するに至るのです。

また、ニコチン依存症の人は、過剰なニコチンにより、耐性を獲得しているため、脳内のアセチルコリン受容体が、ダウンレギュレーションしていると考えられます。そのため、喫煙者はニコチンを外部から摂取しないと、神経伝達が低下した状態であり、普段からイライラしたり、手足が震えたりするのです。これが、いわゆる精神依存だとか、身体依存だとかいうものですね。ニコチンの精神依存は、コカインと同程度とまでいわれており、肉体的にも精神的にも、相当な依存性を発揮する正真正銘の「ドラッグ」です。

 

.4  タバコに含まれる有害物質

物質

性質

副流煙/主流煙

N -ニトロソアミン類

発ガン性

52

アンモニア

目を刺激する

46

一酸化炭素

酸素不足を招く

4.7

カドミウム

発ガン性

3.6

タール

ヤニ、発ガン性

3.4

ニコチン

血流を悪化

2.8

 

近年では、ニコチンから生成する「N -ニトロソアミン類」が、DNAへ作用することによって起こる発ガン機構が明らかにされつつあります。さらに、タバコの煙に含まれる「タール」は、煙と一緒に喉や気管の粘膜から吸収されて、ガンを引き起こすことが指摘されています。喫煙によって肺ガンに罹ったとされる人の割合は、日本では約70%、アメリカやイギリスなどでは8090%とされています。また、「一酸化炭素」は、血液中の酸素不足を引き起こし、循環器系に負担を与えます。ニコチン・一酸化炭素・タールは、生体への影響が大きく、「三大有害物質」と呼ばれています。まさに、タバコは「百害あって一利なし」なのです。

タバコの害は、肺ガンや咽頭ガン、心筋梗塞、脳卒中、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、歯周病、免疫機能低下など数多くが報告されています。英国王立内科医学界の調査結果によれば、タバコ1本につき530秒だけ寿命が短くなり、喫煙が原因で死亡する確率は、他殺によって死亡する確率の約700倍もあるそうです。これは交通事故や化学物質の害など、あらゆるリスクと比べても、ダントツの危険度です。WHO(世界保健機関)の報告書によると、毎年世界中で700万人もの人々が、タバコが原因で亡くなっているといいます。喫煙が人体の健康に与える影響は、それまでに吸ったタバコの本数と密接に関連しています。本数と喫煙していた年数を掛け合わせた数値を、「喫煙指数(ブリンクマン指数)」といいます。120本を10年続けると喫煙指数は200となり、何らかの病気を患う可能性が高まります。喫煙指数が400を超えると肺ガンに罹患する可能性が高くなり、600を超えると肺ガンとなる可能性が一段と高まります。1,200以上では、咽頭ガンの可能性が高くなります。

 

喫煙指数=1日に吸う本数×喫煙している年数

 

よくタバコを吸う人は、「タバコを吸うと頭がすっきりする」といいますが、これはニコチン不足によるイライラなどの禁断症状を、ニコチンで一時的に緩和しているにすぎません。だから、またニコチンが切れると、イライラなどが止まらなくなるのです。タバコがコカインなどの薬物に比べて手軽な点は、その作用が、喫煙開始後10秒程度で現れ、報酬系に達するまででも15秒しかかからないことです。この作用は長持ちしないので、喫煙者は吸っては吐きを繰り返しますが、その間ずっと快感の発生と喪失が繰り返されます。その回数は、タバコ1箱で200回にも及びます。こうして、最も身近な薬物依存が形成されていく訳です。現在、タバコは、世界中で規制の方向に向かっています。「タバコは危険ドラッグである」とでもいう認識を持っておいた方がいいのかもしれません。

 

(5) いろいろなドラッグ

 病から人を救う一方で、人を死に追いやることもあるドラッグは、法律によって、厳しく管理されています。医薬品は「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(旧薬事法)」によって、毒物は「毒物及び劇物取締法」によって規制されています。毒物や劇物(強い薬)の取り扱いについては、毒劇物取扱責任者として、薬剤師などの資格者が従事しなければなりません。

麻薬系のドラッグを取り締まる法律には、「大麻取締法」や「覚醒剤取締法」・「麻薬および向精神薬取締法」・「あへん法」があり、それぞれが異なったドラッグを取り締まっています。また、いわゆる「シンナー遊び」に使われ、麻薬に類似する中毒性を持つトルエンなどの有機溶剤は、毒劇物に指定され、これらの法律とは別に規制されています。

 

.5  麻薬系のドラッグの分類

分類

種類

症状

法律

大麻

・マリファナ

・ハシシュ

感覚が鋭敏になり知覚異常、幻覚作用が起こる。依存性は少ないといわれている

大麻

取締法

覚醒剤

・アンフェタミン

・メタンフェタミン

疲労感がなくなり、眠気を感じなくなる。幻覚妄想が現れ、摂取を中止しても後遺症が残る例がある

覚醒剤

取締法

麻薬

・アヘン系

(モルヒネ、ヘロイン、コデインなど)

・コカ系

(コカインなど)

・合成麻薬

(LSDMDMAなど)

(アヘン系)

精神の高揚、恍惚感、想像力の向上などが起こる。禁断症状が凄まじい

(コカ系)

精神の高揚、疲労感の消失が起こる。身体依存は少ないといわれている

(LSD)

サイケデリック体験といわれる恍惚状態、幻覚、幻視が現れる。依存性は少ない

麻薬及び向精神薬取締法

アヘン

・アヘン

陶酔感を感じる。禁断症状が凄まじい

あへん法

(宇野文博「図解中毒マニュアル」より一部改め引用)

 

これらのドラッグは、いずれも著しい薬理活性を持ちますが、ドラッグに関する日本の法体系は、科学的根拠に基づいたものではありません。そのため、覚醒剤や大麻、アヘンなどは、法的には麻薬と別々に扱われています。以前は、大麻も麻薬に含まれていたことがありましたが、その繊維や種子は、布など特定の産業で材料として利用されます。この場合は、免許制でその栽培を許可するため、大麻は麻薬から除外して、「大麻取締法」で規制されることになったのです。

 

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.13  日本国内で栽培されている大麻のほとんどは栃木県産で、陶酔成分を含まない改良品種である

 

 201411月に現法名に改称された旧薬事法は、最近急速に問題となっている脱法ハーブなどの「危険ドラッグ」を取り締まるために、相次いで改正されています。法に触れないものの、危険性があると判断される薬物は、2006年以降「指定薬物」とされ、2011年段階で68種類の物質が指定されていました。

脱法ハーブは、大麻の陶酔成分に似た化学物質を、ハーブやお香に混ぜたものです。脱法ハーブは、以前は購入も所持も違法ではなかったため、簡単に入手できました。東京や大阪などの繁華街では、販売店はすぐに見つかったし、ネット通販で日本全国どこからでも買えました。ナイトクラブに行けば、そこにはたいてい売人がいました。そして、遂には自動販売機やいわゆる「ガチャポン」で販売する業者も登場し、横浜や仙台、愛知、大阪などに設置されていました。脱法ハーブは、極めて恐ろしい薬物であるにも関わらず、その恐ろしさがほとんど認識されていません。その結果、脱法ハーブを吸引して自動車を運転し、一般人を巻き添えにするような事故が、あちこちで繰り返されています。

実は、脱法ハーブの問題は、日本で注目を集める前に、すでにヨーロッパ諸国で深刻化していました。2004年頃にドイツで広がり始めた「合法大麻」は、法に触れない大麻の代替品として、瞬く間にヨーロッパ中に蔓延しました。そして、その危険性に真っ先に気が付いたのは、皮肉なことに「大麻の愛好者」でした。純粋な大麻を吸っていた人たちも、当初は安価な合法大麻に魅かれました。ところがそのうち、合法大麻には、吸ったあとに大麻では感じたことのない強い不快感を覚えたといいます。その理由は、規制薬物に似ていながらも、化学構造が微妙に異な(そのために違法とはいえない)化合物が含まれているからです。

こうした状況を放置して良いはずもなく、厚生労働省は、これまで何度も規制を強化してきました。しかし、規制が強化されるたびに、化学構造の一部を改変して、「合法化された」新しい化合物が登場してきます。これに対して、厚生労働省は、2013年から類似する基本骨格を持つ物質群をまとめて規制対象に指定する、「骨格規制」を導入したのです。これによって、一挙に700種ほどの化合物を取締対象に含めることが可能になりました。

 

.14  R1」〜「R5」に任意の置換基を導入することで、類似のドラッグを一括して指定対象にできる

 

さらに20147月には、厚生労働省と警察庁が、脱法ハーブなどの名称を「危険ドラッグ」に改め、さらなる規制強化に乗り出しました。成分の分子構造などが分からなくても、商品の名前やパッケージが規制薬物にある程度似ていれば、規制の対象とすることになったのです。これに伴い指定薬物も増え、2015年には、約1,400種類の物質が指定対象となっています。指定薬物は、製造・販売・輸入・所持・使用・譲受が禁止されています。例えば、インターネット上で指定薬物を販売しようとして、「薬物売ります」と書き込むだけで、逮捕されるほどに規制は強化されました。

しかしながら、規制強化と新たな危険ドラッグとのイタチごっこは、やはり続いています。その結果、海外でも使われたことのない化合物が日本に入ってくるなど、新たな問題も起こっています。古典的な薬物は、「医薬品」として深く研究されたものが多く、どの程度摂取するとどのような作用が出るか、体内にどの程度留まって排出されるかなどが、詳しく調べられています。しかし、最近出回っている危険ドラッグには、そこまでの研究がなされていないものが多く含まれています。覚醒剤など、従来のドラッグに対しては、医師もある程度の予備知識があり、対処が可能です。しかし、このような危険ドラッグは、きちんとした試験が行われておらず、人体に投与したときの作用は、未知の点が多いのです。危険ドラッグを使うということは、自らの体で「人体実験」を行っているも同然といえます。

 

(i) 大麻

 「大麻」は、アサ族アサ科の一年草で、もともとは中央アジアや中東が原産とされています。その繊維はとても丈夫で、衣服からバッグやロープの原料として利用されてきました。また、大麻の実は食用にもなり、七味唐辛子には、「麻の実」として含まれています。このように、大麻は昔から人々に愛され利用されてきたのですが、その葉や花穂には、陶酔成分が含まれており、このような目的でも、古くから「幻覚剤」として用いられてきた歴史があるのです。例えば、紀元前5世紀のヘロドトスは、その著「歴史」にて、大麻を使った蒸し風呂を楽しむ人々がいたと記しています。

一般に、大麻の葉を乾燥させたものを「マリファナ」、大麻の花穂から採れる樹液を固めて樹脂にしたものを「ハシシュ」と呼びます。マリファナは、幻覚剤しての大麻の最も一般的な加工方法であり、大麻といったら、マリファナのイメージの方が強いかもしれません。マリファナは、タバコのようにパイプに詰めたり、紙で巻いたりして喫煙することが多いです。一方で、ハシシュは、マリファナと同様にパイプで吸引すると陶酔感を得られますが、攻撃性を誘発することもあります。この陶酔感と攻撃性を暗殺に利用した「山の老人(おやじ)」という暗殺教団が、かつてイラクにありました。

 11世紀、マルコポーロは東方見聞録で、イランのカスピ海に近い地方に「暗殺教団の谷」があり、「山の老人」という教団が、若者に暗殺者教育を施していたと著しています。山の老人は、腕の立つ若者をハシシュで眠らせて拉致し、楽園のような宮殿に連れてきます。目覚めると美女にかしずかれ、美酒などを振る舞われて、夢のような日々を過ごしますが、再びハシシュで眠らされ、もとの場所に運ばれます。そして、山の老人は「再びあの天国に行きたければ、こいつを殺せ。失敗しても、お前たちは天国に行ける」とけしかけ、若者を暗殺者として送り出すのです。このエピソードから、ハシシュは英語で「暗殺」を意味する「assassin(アサシン)」の語源となったといいます。

 

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.15  「山の老人」の話は、十字軍や旅行者によってヨーロッパにもたらされ、様々な言語の文献において伝説化された

 

 ほとんどの幻覚性植物の成分は「アルカロイド」ですが、大麻の幻覚作用は、アルカロイドではありません。その有効成分は、「テトラヒドロカンナビノール(THC)」と呼ばれる化学物質なのです。THCは、脳内の海馬や小脳などに作用して、視覚・聴覚の鋭敏化や、時間や空間の感覚の変化などの幻覚作用をもたらします。さらに、THCは脳内の報酬系にも作用し、ドーパミンの遊離を促進して、「快楽や多幸感が得られるという期待」を生じさせることも分かっています。

 

.16  THC」の構造式

 

THCが報酬系に作用する仕組みは、モルヒネやヘロインなどのアヘン系と同じで、中枢神経を抑制するためです。しかし、なぜ中枢神経を抑制すると、報酬系が興奮するのかという疑問が生じるかもしれません。これは、THCなどの化学物質が、脳内の「GABA(γ -アミノ酪酸)受容体」に作用して、GABAの働きを抑制するからだと考えられています。通常A10神経系では、ドーパミンが遊離しすぎて、脳が興奮状態にならないように抑制を受けているのですが、ドーパミン遊離を抑制する働きをしているのが、GABAなのです。THCなどの化学物質は、GABA受容体に作用し、GABAの働きを抑制します。その結果として、GABAによる抑制のタガが外れることになり、A10神経系で、ドーパミンの遊離が促進されることになると考えられています。

 大麻は、ヘロインやコカイン、タバコ、アルコールに比べて有害性が少なく、習慣性や禁断症状もほとんどないといわれています。ヨーロッパでは、大麻の効用に注目し、古くから不安を緩和したり、催眠を促したりするための、医薬品として処方されてきました。日本では、大麻は所持、栽培、輸出入、売買などが法律で禁止されていますが、「使用」自体は違法ではありません。

このような歴史的背景もあり、ヨーロッパでは先進国を中心に、大麻を「合法化」または実質的に「非犯罪」とする国が増えています。例えば、オランダでは、所持や栽培は規制されていますが、購入や使用は罰せられません。個人使用で少量の大麻であれば、起訴を猶予するというガイドラインがあるのです。つまり、「違法だけど公式的に容認されている」という状況です。オランダでは、住民の半数近くが大麻を使用しているともいわれており、完全な追放は不可能だという考えから、一定の管理下でコントロールするという政策が取られています。アムステルダムでは、数多くの「コーヒーショップ」と呼ばれる店舗があり、そこで大麻を購入して、その場で吸引することができます。コーヒーショップでは、大麻入りのケーキやクッキーなども購入可能だといいます。

 

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.17  アムステルダムでコーヒーを飲みたいときは、「コーヒーショップ」ではなく「カフェ」に行かなければならない

 

他のスペインやポルトガルなどのヨーロッパ諸国でも、実質的には「非犯罪」または「軽犯罪」程度の扱いです。南米のウルグアイでは、飽くまで政府の監視下という条件は付きますが、生産・流通・販売が合法的に認められています。個人での栽培も許可されている他、使用者協会や薬局を通じての購入も可能です。カナダでも、2018年に娯楽用大麻の販売と利用が、主要先進国では初めて合法化されました。カナダでは、1115歳の28%が「大麻を吸ったことがある」と答えており、この使用率は先進国の中で最悪だったので、大人の使用は合法化しつつ、未成年への譲渡などを厳しく禁じて、若者対策に力を入れる方向に切り替えた訳です。また、大麻を合法化して政府が流通を管理することで、裏社会に流れる大麻を減らして犯罪組織の資金源になるのを防ぎ、税収を上げる狙いもあります。アメリカでも、大麻合法化の動きは加速しており、2015年では、全米50州のうち23州とワシントンDCで医療用大麻が、さらにワシントン州とコロラド州では、娯楽用大麻の使用も合法化されました(21歳以上)。各種の世論調査でも、合法化に賛成する人が、約6割に達しています(201510月ギャラップ調査など)

こういうこともあって、日本でも「大麻合法化」を求める意見が多くあります。習慣性や依存性の低さが合法化論の最大の根拠ですが、「未成年者の乱用」や「ゲートウェイドラッグ」になる危険性、「暴力団の資金源」になるなどの危険性もあるため、議論は慎重にされるべきだと思います。

 

.18  市販の紙巻き型の大麻

 

(ii) 覚醒剤

日本で最も乱用されているドラッグが「覚醒剤」です。主に覚醒剤と呼ばれるものは2種類あり、それは「アンフェタミン」と「メタンフェタミン」です。この2種類のうち、日本に出回っているもののほとんどがメタンフェタミンで、逆にアメリカではアンフェタミンが多いです。これは同じ覚醒剤でも、合成法が異なるからであり、日本では中国からの密輸が多いとされています。どちらも「アミン臭」という独特な臭気を持つ無色透明な揮発性の液体です。アンフェタミンは硫酸塩に、メタンフェタミンは塩酸塩にして使われていますが、どちらも苦味を持つ無色の結晶です。

 

.19  「メタンフェタミン」と「アンフェタミン」の構造式

 

 メタンフェタミンとアンフェタミンを比べると、脂溶性の高いメタンフェタミンの方が、その薬理効果が数倍は大きいです。覚醒剤は、脳内報酬系のA10神経系に直接作用して、ドーパミンの遊離を促進し、使用者に「快楽や多幸感が得られるという期待」を生じさせます。その効果は顕著で、使用者によれば、注射の針を抜く間もなく、手足がすっと冷たくなり、同時に体が軽くなって、頭が冴えるといいます。さらに、急に目前が明るくなり、雲の上にいるような気分になって、疲労感を全く感じなくなるといいます。覚醒剤は、中枢神経を興奮させるので、このような作用も見られるのです。

 そもそも、「覚醒剤」というのは、漢方薬「麻黄」の主成分である「エフェドリン」から作られた化合物です。麻黄とは、中国に自生するマオウ科マオウ属植物から調製される生薬です。漢方では、発汗、鎮咳、解熱薬として用いられてきました。有名な漢方薬の1つである「葛根湯」にも配合されています。麻黄から抽出したエフェドリンの最初の報告は、1885717日の長井長義による、日本薬学会での講演発表です。長井長義は、「日本の近代薬学の祖」といわれる人物で、1870年の明治政府による第一回欧州派遣留学生としてドイツで学び、帰国後には、東京大学製薬学科(現在の東京大学薬学部)の初代日本人教授の一人となります。エフェドリンは「アルカロイド」の一種であり、そのあとに海外の研究者によって、気管支喘息に有効であることが発見され、気管支喘息の特効薬になりました。

しかし、このエフェドリンの化学構造研究過程で得られた誘導体の1つが、後に「覚醒剤」として名を馳せることになります。1893年、長井長義と医学者の三浦謹之助によって、エフェドリンを原料に「メタンフェタミン」が合成されます。そして、倦怠感や眠気を除去し、疲労を軽減する薬「ヒロポン」として、1941年に大日本製薬(現在の大日本住友製薬)から発売されることになります。ヒロポンの語源は、俗に「疲労をポンと飛ばすから」といわれますが、実際はギリシア語の「philopons」が正しい語源で、「仕事を好む」という意味です。分子構造が非常に簡単であり、鎮咳作用や賦活作用から、覚醒剤は「万能薬」ともてはやされました。

覚醒剤が発売された当時、日本は戦時中でした。軍は生産性を上げるために、軍需工場の作業員に覚醒剤の錠剤を配布して、10時間以上の労働を強制しました。夜間の監視任務を負った戦闘員や夜間戦闘機の搭乗員に、視力向上用として配布することもあったそうです。現在でこそ、覚醒剤の代名詞であるヒロポンですが、当時は副作用についてまだ知られていなかったため、規制が必要であるという考え方自体がなく、一種の「強壮剤」のような形で利用されていました。そのため、日本軍の兵士たちの中には、薬物依存症の人が、少なからずいたのではないかと思われます。実際にアメリカの南北戦争では、「死と向かい合わせの戦場」という極限状態のストレスが影響し、多数の兵士がモルヒネを溺愛していたといいます。日本軍があれほどまでに勇猛果敢だったのは、覚醒剤の寄与も少しはあったのでしょうか?

 

.20  戦闘機の搭乗員たちは、戦後に覚醒剤の後遺症に苦しんだとされる

 

やがて日本が敗戦すると、同時に軍部が所蔵していた大量の注射用アンプルが流出し、酒やタバコといった嗜好品の欠乏も相まって、人々が精神を昂揚させる手軽な薬物として、社会で蔓延しました。そして、その依存者いわゆる「ポン中」が大量に発生し、中毒患者が50万人を超えるなどの、大きな社会問題となったのです。こうして、薬物中毒の蔓延が社会問題化したことを受けて、1951年に「覚醒剤取締法」の制定と施行によって、覚醒剤の使用は禁止されました。つまり、日本で覚醒剤の使用が合法的だった期間が、10年ほど存在したのです。

ニュースなどで、現在でも覚醒剤の乱用が度々報じられるのは、裏社会で暴力団などが介して、取引を続けているからです。覚醒剤は、日本の薬物乱用の検挙件数で、他を圧倒して頂点に立ちます。裏社会での覚醒剤の小売価格は、1 g10万円ともいわれており、これは実に金の価格のおよそ20倍です。そのため、覚醒剤は、暴力団などの主要な資金源になっているのです。また、薬物中毒になると、まともに仕事などできません。そのため、覚醒剤を手に入れるために、強盗などの犯罪に手を染めるケースもあります。

なお、ヒロポンは、現在も大日本住友製薬で製造・販売されています。分子構造が単純なので、合成は簡単にでき、正規の値段は、なんと注射液一本で612円です。ただし、その使用は「限定的な医療・研究用途での使用」に厳しく制限されているので、一般人はまず手に入れることはできません。アメリカでも、覚醒剤は睡眠発作やADHDの治療などに使用されることがあります。

 

.21  現在でも「ヒロポン」は販売されているが、「限定的な医療・研究用途での使用」に厳しく制限されている

 

覚醒剤の本当の恐ろしさは、一度摂取すると、その影響が一生消えないことです。何とか覚醒剤と手を切ることができたとしても、数年後に、いきなり幻覚や妄想に襲われることもあります。これは「フラッシュバック」という現象で、今のところ症状を治す薬はありません。

メタンフェタミンは、かつては「シャブ」や「ヒロポン」という名で出回り、これらの名は悪名高いものとなりました。しかし、現在では、全く同じものが、「S(エス)」とか「スピード」、「アイス」などといった軽い名称で出回っています。また、注射による投与だけではなく、経口投与されるようになったことも、警戒心をなくしている一因となっているようです。さらに近年では、「MDMA」や「MDA」、「MDEA」といった、覚醒剤類似の化学構造を有する化合物も出てきています。これらの化合物は、「デザイナードラッグ」とも称され、法の規制を巧妙に逃れるために、化合物の化学構造の一部を変えて作られたものです。現在、これらは「麻薬および向精神薬取締法」の規制対象薬物となっています。

 

(iii) アヘン系

「アヘン戦争」で悪名高い「アヘン」は、天然の植物成分です。白・紅・紫などの美しい花が咲く一年生植物のケシから得られます。ケシは温暖な気候でよく育つ植物であり、東南アジアの3カ国(タイ・ラオス・ミャンマー)が「ゴールデントライアングル」と呼ばれ、ケシの栽培地として知られていました。しかし、東南アジアではアヘンの密造が国際問題となり、ケシに代わる農作物や薬用植物の栽培促進事業などが行われ、現在はかなり下火になっています。現在はアフガニスタンが主な産地で、貧しい人々の唯一の収入源としてケシの栽培が行われ、実に世界のアヘン生産の94%が、アフガニスタンに集中しています。

ケシの花が咲き、ケシの花弁が落ちて23日後には、鶏卵大のケシ坊主(花莢)が発達します。このケシ坊主が若い未熟な間だけの約810日間、ナイフで浅い切れ目を入れると、切れ目から速く凝固する「乳液状の汁」がにじみ出ます。それを竹べらなどでかきとり、凝固して固めたものが、「生のアヘン」です。そして、アヘンを精製すると「モルヒネ」が得られます。ただし、現在は製法が少し変わってきて、ケシの乳液を採取せず、ケシの花弁が散ったあとのケシ坊主を直接摘み取り、これを工場に運び込んで、「モルヒネ」を作っているといいます。アヘンが麻薬となりえるのは、そこに10%ほどの「モルヒネ」を含んでいるからです。そのため、他の麻薬に比べて、麻薬性は相対的には少ないとされていますが、過度の摂取は幻覚症状などを引き起こし、依存症や中毒に陥る可能性もあります。

 

.22  未熟なケシの実から「アヘン」を得る

 

 アヘンの歴史は非常に古く、考古学的史料によると、その起源は紀元前30004000年のメソポタミア(現在のイラク)にまで遡ります。現在の中東で最古の文明を形成したシュメール人は、すでにアヘンを知っていました。彼らの残した粘土板には、楔形文字によって、アヘンの採取方法が記されており、ケシは「喜びをもたらす植物」として用いたと記録されています。アヘンの効力は非常に強く、ジュメール人はこれを「太陽神ラーの頭痛を癒すために女神イシスが与えた贈物」だと信じていました。古代エジプトやギリシアでも、アヘンを医療用または儀式用として広く用い、そのまま食べたり、飲食物に混ぜたり、直腸に挿入したりしていました。紀元前1552年に書かれた古代エジプトの医学書「エーベルス・パピルス」でも、アヘンを小児用睡眠導入剤として推奨しています。投薬法の例として、乳母の乳首にアヘンを塗り付けるという方法や、アヘンとスズメバチの糞を混ぜ合わせたものを与えるという方法が紹介されています。

 ヨーロッパでは、アヘンを「嗜好品」として、2世紀頃から19世紀末まで、一般市民が快楽を得るために用いてきました。ローマ時代においては、皇帝から市民までがアヘンに親しんでいました。ケシはローマの象徴的な植物となり、硬貨にはローマの眠りの神ソムヌスによって称えられるケシが刻印されました。さらに、ケシは寺院の壁にも刻まれ、宗教儀式にも取り込まれました。312年の調査によると、ローマ市内にはアヘンを扱う店が793店あり、アヘン販売にかけられた税金が、皇帝が受け取る金額のかなりの部分を占めていたといいます。日本にアヘンが伝えられたのは14世紀頃で、今の青森県津軽地方にケシの栽培法が伝えられたといいます。そのため、日本では江戸時代まで、アヘンを「津軽」と呼んでいました。

17世紀後半になると、イギリスで「アヘンチンキ」が開発されます。これは、赤ワインなどの酒に、適量のアヘンとシナモン、クローブを溶かしたものでした。アヘンを直接吸引したときほど強力ではないものの、アルコールが入っていたため、多幸感と向精神作用がありました。最初は「ペストの治療薬」と宣伝されていましたが、やがて生理不順や原因不明の痛みに至るまで、幅広く処方されることとなります。17世紀のイギリスの医師トーマス・シデナムは、「全能の神が苦しみを和らげるために人間に与えた治療薬の中でも、アヘンほど万能で効き目のあるものはない」といいました。多くの医師は、アヘンの使用を推奨し、やがて乳児から老人まで、何かといえばアヘンチンキを服用するようになっていきました。

18世紀に活躍したイギリスの高名な詩人であるサミュエル・コールリッジは、アヘンチンキを飲みながら幻想的な詩「クーブラ・カーン」を書いたといいます。詩は未完ですが、彼の詩作中に突然の来訪者があり、ほんの数分中断したために、アヘンによる詩の構想が霧消したということです。イギリスの哲学者で名文家としても知られるトマス・ド・クインシーも、19世紀散文文学の最高傑作とされる著作「阿片のみの告白」で、その作用を「酒は人を酩酊させ、精神を錯乱し、知性を喪失させる。アヘンは酩酊させず、清新に精妙な調和を与え、判断力を強化する。しかも人を荘厳な知性の光で輝かせる」と述べています。このように、ヨーロッパの詩人や芸術家、作家たちは、アヘンの力を借りて、創作に励んだのです。

 

.23  「アヘンチンキ」をスプーンで飲む女性

 

しかしながら、ヨーロッパにおけるアヘンの乱用は、麻薬性の少なさが幸いして、大きな社会問題にまで発展しませんでした。ところが、中国や東南アジアでは、アヘンの乱用が、大きな社会問題になったのです。この理由は、摂取方法の違いにあり、ヨーロッパでは、アヘンは「経口摂取」が主流だったのに対し、中国や東南アジアでは、アヘンは「喫煙」によって摂取するのが主流だったからです。「経口摂取」ならば、肝臓でその大半が解毒されるので、毒性は現れにくいのですが、「肺からの吸引」になると、麻薬成分が直接血液に入り、肝臓で解毒がされないので、強く毒性が現れてしまいます。中国では、この習慣は20世紀まで続き、1930年代には成人の30%、男子だけを見ると70%以上の人たちが、アヘン喫煙の習慣を持っていたといいます。

アヘンを巡る争いは、戦争をも引き起こしました。19世紀頃、アジアに進出してインドを領土としていたイギリスは、中国(当時の清朝)との貿易不均衡で赤字に陥っていました。当時、イギリスでは清朝の茶が人気で、膨大な額の茶葉を清朝から輸入していました。清朝との貿易に用いる銀の不足に悩んだイギリスは、アヘンを清朝に密輸することを画策します。インドに大規模なケシの栽培地を作り、アヘンを「商売道具」として清朝に強引に売りつけたのです。その対価として、清朝の銀を受け取り、莫大な利益を得ようとしました。1830年代初めには、イギリスは毎年250 tものアヘンを清朝に売りつけていたといいます。「大英帝国を支えたのはアヘンであった」という言葉がありますが、これはあながち大げさな表現とはいえないでしょう。

このため、清朝ではアヘンに溺れて廃人と化す中毒者があふれ、国力が大幅に低下します。その国家的危機に対して、清朝はアヘン貿易禁止令を出し、その輸入を拒もうとするものの、多くの官僚が賄賂をもらってアヘン売買を黙認したために、なかなか上手くいきません。アヘン購入のために大量の銀が国外に流出したため、銀貨は2倍に上昇しました。そのため、税を銀で納めなくてはならない農民の生活破綻が、一挙に進行してしまいました。

1839年、とうとう清朝政府は、特務大臣の林則徐を派遣して、イギリスのアヘン商人を国外退去させ、大量のアヘンを海に廃棄します。それに反発したイギリスは、清朝政府によるアヘン没収(イギリス商人の財産権の侵害)を口実にして、軍艦16隻からなる近代的な大艦隊を派遣しました。これが、1840年に勃発した「アヘン戦争」の始まりです。この戦争は、簡単に決着がつきました。慢心していた清朝は、汽船・重砲・ロケット弾・速射銃などの強力な新型兵器を持つイギリスの敵ではありませんでした。清朝とイギリスの戦力の差は歴然としており、ある戦闘では、イギリス軍の砲弾があまりに精確に飛んでくるものだから、「これは妖術に違いない」と考え、清朝軍は対策として、「女性用の便器」を敵に向けたといいます。不浄なものには、妖術を破る力があるという迷信が信じられていたのです。こんなことでは勝てるはずもなく、近代化に遅れた清朝は成す術もなく敗北し、1842年の南京条約で多額の賠償金の支払い、香港の割譲という歴史的屈辱を余儀なくされたのでした。

アヘン戦争に敗れた清朝は、イギリスに自由貿易を認めさせられ、アヘンに加えてイギリス製の綿製品が大量に輸入されます。中国産綿布は価格競争に敗れ、伝統的な手工業が衰退します。戦争前からアヘンの密輸で貿易赤字が続いていましたが、戦後は赤字がどんどん拡大したため、貿易代金として大量の銀が清朝から流出し、貨幣不足から長期のデフレに突入。農産物価格の下落から、人口の多数を占める農民が困窮します。困窮難民は、「苦力」と呼ばれる移民労働者として、アメリカなど海外へ流出し、また南中国では太平天国の乱が起こります。清朝衰退の始まりです。

 

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.24  「アヘン戦争」は、中国側の惨敗で終わった

 

 アヘンがどのようにして麻薬性を及ぼすのかは、長い間科学上の謎でした。アヘンは個人には中毒を、社会には破滅をもたらしますが、優れた鎮静効果があることも確かです。これに匹敵する薬物は、他にはありません。科学者たちは、アヘンの中毒性をなくし、鎮静効果だけを残す方法を懸命に模索しました。1803年、ドイツに住む20歳の薬剤師フリードリッヒ・ゼルチュルナーが行った実験は、科学史に永遠に残ることになるでしょう。ゼルチュルナーは、化学を正式に学んだこともなく、16歳の頃から薬局で働く徒弟に過ぎませんでした。ゼルチュルナーは、粗末な実験用具しか持っていませんでしたが、人々を惑わすアヘンの謎を解くべく、その有効成分の単離を試みたのでした。細かく擦り潰したアヘンを酸で抽出し、続いてアンモニアを作用させると、固体が沈殿してきます。さらに、これをアルコールから再結晶することで精製し、遂には純粋な「モルヒネ」の結晶を得ました。

 ゼルチュルナーは、この実験で得られたモルヒネを、早速自分の体で確かめることにしました。ゼルチュルナーは、モルヒネがアヘンより約6倍も効果が強く、短時間で高揚感が得られ、強い鎮痛作用があることを発見しました。次に、ゼルチュルナーは、3人のティーンエイジャーたちにも飲ませてみました。ゼルチュルナーの記録には、「3人の少年からは、すぐに極端な反応が見られた。彼らはまずぐったりと疲れたあと、ひどく眠り込んで失神しそうになった」とあります。3人の中毒症があまりに酷かったため、ゼルチュルナーは彼らに酢を飲ませて、胃の内容物をすべて吐き出させました。何人かは嘔吐が止まらず、その後、何日も中毒症状が続いたといいます。

ゼルチュルナーの報告は、1805年に刊行された「Journal der Pharmacie (薬学誌)」にあります。「モルヒネ」の名は、その強力な鎮痛作用から、手にケシを持って現れるギリシア神話の眠りの神である「モルフェウス」に由来します。ゼルチュルナーの実験は、植物から薬効成分を純粋に分離した最初期の例に当たります。病を治し、人体を変える力は、神秘的な生命エネルギーなどではなく、単なる物質に宿っていることを示した点で、まさに歴史的な発見であったと思います。1827年、ドイツの製薬企業メルク社は、モルヒネの大量生産を開始します。間もなくモルヒネは、医療現場で最も重要な薬となり、痛みをたちまち消し去るその効果から、「神の薬」とさえ呼ばれるようになりました。

 

.25  ゼルチュルナーは1804年にアヘンから「モルヒネ」を単離することに成功した

 

しかし、アメリカの南北戦争(1861年〜1865)の最中、モルヒネやアヘンの「負の側面」が明らかになります。重傷を負った兵士たちに、痛み止めとしてモルヒネやアヘンチンキが、大量に投与されました。南軍はこの間、80 tものアヘンやモルヒネの製剤、1,000万個の錠剤を消費したといいます。モルヒネは、負傷による激痛を和らげ、兵士たちに幸福感や安心感を与えました。しかし、彼らの多くは、戦争が終わったときには「兵隊病」、すなわち「モルヒネ中毒」になっていました。アメリカで、これらの物質の医療目的以外での使用が禁じられたのは、ようやく20世紀になってからのことです。1911年に万国阿片条約が調印されたのを機に、国際社会に薬物を規制する動きが現れ始めました。そして、アメリカでは1914年にハリソン麻薬法が制定されて、ケシやコカを主原料とする麻薬の輸入、取引、販売が禁じられることとなったのです。

モルヒネは、中枢神経に対して強い抑制作用があるため、特に末期ガン患者などに対しては、現在でも必要不可欠な鎮痛剤です。世界で年間230 t以上が、医療現場で使われています。「末期ガン患者は依存症にならないのか」と思うかもしれませんが、モルヒネを「鎮痛剤」として、適切にコントロールしながら用いる場合には、依存症に陥る危険性は、ほとんどないとされています。アメリカのある研究では、モルヒネによる疼痛治療を受けた12,000人中、依存症に陥ったのは4人、それももともと薬物依存症の経歴を持つ患者だけだったとされています。痛みが生じている場合では、多幸感や陶酔感を生じて、依存の原因になる「μ受容体」や「δ受容体」にモルヒネが作用しにくいのです。疼痛患者の脳では、依存を形成しない「κ受容体」が活性化しており、モルヒネを用いても、多幸感や陶酔感をほとんど生じないということが分かっています。

ちなみに、モルヒネが多幸感や陶酔感をもたらすプロセスは、大麻などと同じく、GABAの働きを抑制するためです。GABAの働きが抑制されることによって、A10神経系でドーパミンの遊離が促進されるのです。しかも、モルヒネの効果は、大麻などよりも遥かに強力で、強い薬物依存を形成してしまいます。アヘンが多幸感と鎮痛作用をもたらす「人類への贈り物」だとすると、モルヒネはさらにその上を行く「天の賜物」とでも呼べるでしょうか。

 

.6  モルヒネの受容体の種類

受容体

主な発現部位

鎮痛効果

主な生理作用

μ受容体

強い

鎮痛、多幸感、身体・精神依存

δ受容体

脊髄

弱い

鎮痛、身体・精神依存、呼吸抑制

κ受容体

脊髄

弱い

鎮痛、身体違和感、気分不快

 

また、モルヒネの構造の一部を変えた「ヘロイン」になると、その毒性はより凶悪になります。ヘロインによる快楽や禁断症状による苦痛は、他の薬物の追随を許しません。ヘロインは、1874年にイギリスの化学者であるアルダー・ライトが、モルヒネよりも依存症になりにくい薬物を開発しようと、モルヒネにアセチル基を結合させることで、作り出した化合物です。ついに中毒性のない鎮痛薬を作り出すことに成功したと思ったライトは、合成した灰色の粉を飼い犬に与えましたが、犬は恐ろしいほど興奮して飛び回り、その後ひどく具合が悪くなって、今にも死にそうな状態になりました。ライトは自分の発見をロンドン化学会誌で発表しましたが、彼の論文は20年以上も注目されませんでした。

それから21年が過ぎて、ドイツのバイエル社で働く若き化学者ハインリッヒ・ドレーザーは、1898年にライトの論文を発見しました。ライトと同じく、ドレーザーもモルヒネの中毒性をなくす研究に取り組んでいました。ドレーザーは、ライトの論文に感銘を受けました。ドレーザーは、モルヒネをアセチル化すると、脳により素早く作用するようになることを知りました。つまり、ごくわずかな量で、痛みを和らげられる訳です。少量で効果が得られるのなら、中毒になる可能性も低くなるのではないかと、ドレーザーは考えました。もしドレーザーの予想が正しければ、安全で有効な鎮痛薬がついに実現することになります。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e7/Heinrich_Dreser_Laboratorium.jpg/1024px-Heinrich_Dreser_Laboratorium.jpg

.26  「ヘロイン」を合成したドレーザー(右から2番目)

 

18989月、ドレーザーは第70回ドイツ博物学・医学会で、ヘロインの研究内容を発表しました。ドレーザーは、ヘロインはモルヒネの5倍の効果があり、風邪や喉の痛み、頭痛、さらに当時の二大死因であった肺炎や結核を始めとする重度の呼吸器感染症を治療することができ、習慣性は一切ないとしました(この時点では、ドレーザーはわずかな数の人間におよそ4週間の投与を試しただけでした)。ドレーザーは、「中毒性のない完璧な薬」を発見したと確信していました。学会の参加者たちは、総立ちになって彼に拍手を送りました。

バイエル社は、この薬のサンプルを医師たちに送り、その有効性を説きました。そして1899年には、バイエル社は1 tものヘロインを合成し、錠剤や粉薬にして、世界中で売りさばきました。当時、ヘロインは安全性が高いと信じられていたため、処方箋なしで普通に買うことができました。バイエル社は、ヘロインは結核、喘息、風邪、咳を引き起こす病気全般に効くと宣伝しました。いかにも活力を与えてくれそうな売り文句――「ヘロインは肌つやを良くし、気分を明るくし、胃腸の調子を整えてくれます。まさに、健康を維持するのに欠かせない番人です」――と、消費者をあおったのです。ヘロインがベストセラーになったことから、他の製薬会社もこぞってヘロインを用いた薬を作り始めました。

しかし、ヘロインが宣伝通りの薬でないことが分かるまでに、時間はかかりませんでした。実際には、非常に強い依存性や禁断症状があることが、あとから分かってきたからです。ヘロインの構造は、血液脳関門を極めて通過しやすいため、毒性が非常に強く現れます。1902年までに、少なくとも数十件の中毒例と、数件の乳幼児の死亡例が報告されました。ヘロインは胎盤を通過するため、ヘロイン中毒になって生まれてきた乳児は、重度の離脱症状に苦しめられました。1906年の薬事および化学物質審議会では、「常習性が容易に形成され、非常に憂慮すべき結果につながる」と述べられています。20世紀初頭には、多くの医学誌で、ヘロインの恐ろしい一面が取り上げられるようになりました。バイエル社が、ヘロインの危険性を認めて製造を停止したのは、1913年のことです。各国でヘロインの製造と販売が法律で禁じられた結果、ヘロインは地下の世界で取引されるようになりました。

 

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.27  「ヘロイン」を静脈注射する男性

 

ヘロインの快楽は、「通常の人間が一生のうちに体感し得るすべての快感を、瞬時に得ることに等しい」ともいわれており、快楽を感じているときは、中枢神経を抑制しているので、うっとりとしながら、陶酔していることが多いようです。ヘロイン中毒者の動画などを見ると、地面に寝そべって、無気力でいるような様子がよく分かります。しかし、その快楽も最初だけで、依存が深まると、激しい禁断症状に悩まされるようになります。その禁断症状は、宇野文博の「図解中毒マニュアル」によれば、「全身が痙攣し、あまりの苦しさに失神する。筋肉や関節の痛みは言い表せない。痛みで精神が錯乱し、自己破壊の衝動に駆られ、床や壁に体を打ち付けるようになる。やがて失神、痙攣の発作を起こし、衰弱で死亡する」とあります。

ヘロインは、精神依存性・身体依存性がともに高く、いかなる麻薬よりも、依存を早く形成してしまうのです。中毒の末期では、1日に20回ほど摂取をしないと、禁断症状が現れてしまうといいます。大量摂取によって、中枢神経が抑制されて、呼吸が止まり、急性中毒死することもあるぐらいです。禁断症状の苦しさを逃れるために、何としてもヘロインを手に入れようとして、悪循環が加速します。ヘロインは、「史上最悪のドラッグ」といっても、過言ではありません。

 

(iv) コカイン

「コカイン」は、南米原産のコカノキ科の樹木の葉を原料としたドラッグで、「アルカロイド」の一種です。「ストリートドラッグのキャビア」と呼ばれ、地球上で最も人気の高い快楽目的のドラッグの1つに数えられます。日本では、近隣に生産国がなく密輸ルートが乏しい上、覚醒剤との競合があるため、流通量が少なく知名度は低めです。しかし、ヨーロッパやアメリカでは、犯罪組織の資金源として重宝されるドラッグです。コカノキの葉から成分を抽出し、化学的な調整を経て、塩酸塩として流通します。大半は「麻薬」としてですが、「局所麻酔薬」としても多少の需要があり、アメリカなどでは医療用で使用されることもあります。

コカの原産地である南米では、紀元前3,000年以上も前から、疲れを癒す薬や局部麻酔薬として、コカの葉が使われてきました。高山病などにも効果があることから、ペルーやボリビアの高地に住む人々の間には、現在でも日常的にコカの葉を噛んだり、乾燥させた葉に熱い湯を注いで(コカ茶)して飲んだりする習慣があります。コカインそのものではなく、葉を噛んだりコカ茶を飲んだりする程度では、中毒になる危険性はないというのが、ペルーやボリビア政府の見解です。コカインの覚醒作用によって、「恐怖感を喪失させる」、「疲労感を薄れさせる」、「空腹感を薄れさせる」、「眠気を忘れさせる」などといった効果が得られるため、ボリビアでは鉱山労働者などの重労働者が、コカの葉を噛みながら仕事をしています。彼らは、朝に入坑するときに頬いっぱいにコカの葉を詰め込み、それを飲み込みます。すると、鉱山崩落事故などの危険の恐怖を忘れ、疲労や空腹を癒しながら、昼食も摂らずに夕方まで働き続けることができるのです。

 

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.28  コカの葉の服用を継続的に行うことで、覚醒状態での注意力の欠如などにより、事故を誘発する原因となるとも考えられている

 

 インカ帝国時代のペルーでは、インカ族がごく普通に精神刺激薬としてコカの葉を噛み、そのエキスを吸っていました。しかし、16世紀にスペイン人がインカ帝国を征服すると、スペインのカトリック教会は、インカ族がコカを口に含む行為を禁じました。しかし、ペルー各地で多くの人が頻繁にコカの葉を噛んでいたため、スペイン人の統治者たちは、コカの使用を制御できませんでした。征服者の1人は、1539年に次のように書き残しています。

 

 「コカ」というのは、祖国のカスティリャに生えているウルシに似た低木の葉っぱのことだ。原住民たちは、この葉をいつも口に含んでいる。彼らは、あの葉を噛むと元気になるとか、リフレッシュするとか、太陽にさらされても暑さを感じないとすら主張している。葉っぱの価値は、金に匹敵するほど高く、十分の一の税収を占めている。

 

 当初、コカを噛むのはインカ族だけでした。ところが、禁止を命じたはずのスペイン人が、コカの葉を巻き上げて服用し、ハイな気分を味わうようになりました。さらに彼らは、コカの葉に税金をかけて、取引や使用を規制し、極めて巧妙な麻薬統治を行いました。スペイン人征服者たちは、コカの葉をヨーロッパに持ち帰ったものの、大量の金銀とともに帰国したため、コカの葉に注目が集まることはありませんでした。おまけに束ねたコカの葉は、1枚でも湿ると、すぐに束全体が凍ってしまうため、船で運ぶのは容易ではありませんでした。そんなことで、スペイン以外のヨーロッパ諸国が、コカインを研究し始めるのは、しばらくあとのことです。

 19世紀初頭になると、アルカロイドを抽出する科学技術が向上し、コカの葉に注意が向くのは時間の問題となりました。そして、1859年に大量のコカの葉がドイツに輸入されると、博士課程の学生であったアルベルト・ニーマンの目に留まりました。ちょうど論文のテーマを探しているところでもあったニーマンは、1860年にコカの葉から有効成分を抽出することにしました。その結果、コカインの結晶の単離に成功し、博士号を所得しました。ニーマンは、「極めて依存性の高いドラッグ」を生成して博士号を取得した、最初で最後の研究者となりました。

 ニーマンがコカインを抽出しようと奮闘していたころ、パオロ・マンテガッツアというイタリア人医師も、コカノキに魅了され、はるばるペルーまで旅をしました。マンテガッツアはさらに、自らコカの葉を服用し、その効果を検証する自己実験を行いました。コカの葉の服用量をごく少量から段階的に増やしていき、それぞれの服用量に応じて体がどう反応したかを、コツコツと記録しました。その結果、ごく少量か適量噛むと空腹を感じにくくなって活力が溢れてくるが、大量に噛むとハイになると、実に楽しそうに書き綴っています。

 

 コカの効果を長く維持できないなんて、こんな人間を作り出した神は不公平だ。私なら、コカなしで10万年生きるよりも、コカを噛みながら10年生きる方を選ぶだろう。

 

 マンテガッツアが、熱意を込めて「コカの健康的価値と医療的価値について」と題する小冊子を書いて発行すると、ヨーロッパの一般大衆はこれを見逃しませんでした。コカインを服用すると、自信に満ち溢れ、決断力がアップし、エネルギッシュになります。どれも、多くの職業に求められる特性ばかりです。知識人、アーティスト、作家などの人々の間で、コカインが流行り始めたのは驚くに値しないでしょう。イギリスの作家アーサー・コナン・ドイルの書いた小説「シャーロック・ホームズ」シリーズの中でも、ホームズがコカインの愛用者として描かれていることは有名です。

コカインの中枢神経系への作用は、覚醒剤と類似しており、中枢神経を興奮させ、疲労を回復させ、空腹を忘れさせるなどの作用があります。具体的には、コカインは脳内においてドーパミンの再取り込みを遮断し、興奮状態を引き起こします。その結果、脳内報酬系のA10神経系において、ドーパミン遊離が促進されることになるので、強い薬物依存を形成します。

 

.29  「コカイン」の構造式

 

 コカインの依存は、主に精神依存であり、身体依存は弱いとされています。ただし、精神依存性が極めて強いことが、コカイン中毒の特徴です。また、その快楽の強度は、覚醒剤を遥かに上回り、強い興奮作用と陶酔感を感じるものの、作用時間は長くても30分ほどで、覚醒剤よりも短いといわれています。コカインは、その強烈な快楽と短い作用時間のために、徐々に使用頻度が多くなっていくのです。身体依存による禁断症状がなく、いつでもやめられると思っていても、一週間もするとまた使用したくなり、やがて中毒になっていきます。コカイン中毒になると、幻覚や妄想などの精神障害が現れ、皮膚の下に虫が住み着いているというような「皮膚寄生虫妄想」をしたり、誰かに命を狙われているというような「被害妄想」をしたりするようになります。皮膚寄生虫妄想では、体をかきむしって傷だらけになり、実際には存在しない虫を殺そうとして、自分の体にナイフを突き立てることさえあります。これらの症状は「コカイン精神病」と呼ばれ、コカイン中毒者によく見られる症状なのです。

 日本を含む先進諸国は、ドラッグとしてのコカインはもちろん、植物としてのコカすべての持ち込みや所持・流通を禁じています。コカインの製造元は、原産地でもある南米です。ただ、やや寒冷多湿な環境を好むというニッチな性質があり、栽培地はアンデス山脈に連なる高地があるコロンビア・ペルー・ボリビアに限られます。コロンビアでは9万ヘクタール、ペルーとボリビアは合わせて7万ヘクタールほどで栽培されています。現在では、製造元で抽出精製されたコカインが、アメリカをはじめ世界各地に密輸されています。特にアメリカでは、常用者の拡大が深刻な社会問題を引き起こしており、世界のコカイン消費量の約30%が、アメリカで使われているとされています。過去には、コカイン市場を支配する犯罪組織の掃討のために、軍を派遣したほどです。

 

.30  コカの葉は楕円形で噛むとわずかに苦味を生じ、裏面には主脈に平行な2本の模様が入っているのが特徴

 

コカインをベースにして作られている「クラック」は、さらに中毒性が強く、「悪魔の薬」と呼ばれています。1985年頃にニューヨーク近郊の貧民街、ロサンゼルス、マイアミなどで初めて登場しました。クラックは、コカインに水と重曹を加えて加熱処理し、冷やして固体化させたコカインの塊です。パイプに詰めて喫煙するのが一般的です。クラックは、通常のコカインよりも揮発性が高く、クラックを炙った煙では、わずか8秒足らずで脳に達するといいます。クラックは吸収が早く、快感も強いものの、効果時間は通常のコカインよりも短いです。そのため、クラックでは、頻繁な反復吸引を行うことで、結果として中毒を生じやすいとされています。幸い、クラックは今のところ日本では出回っていませんが、アメリカや南米諸国では、その蔓延が深刻な社会問題となっています。

 

.31  「クラック」を吸引する女性

 

 ところで、精神分析学の創始者として知られるジークムント・フロイトも、コカインに大きな影響を受けています。若い頃にフロイトは、ユダヤ商人の娘であるマルタ・ベルナイスに恋をしました。しかし、フロイトの貧しさ故に、マルタの母親は、この恋を許しませんでした。できれば、一攫千金の新療法でも発見して、この恋を成就させたいと願っていたフロイトは、ある日、医学雑誌に興味深い記事が掲載されているのに気が付きました。それは、「コカインが兵士の能力を著しく高める」というものでした。さらに、「コカインにはモルヒネ中毒の禁断症状を軽減させる効果がある」というアメリカの医師の論文も見つかりました。

 フロイトの友人に、エルンスト・フォン・フライシェルという病理学者がいました。フライシェルは、若いときに行った解剖実習で病原菌に侵され、指を切断する手術を受けたことがありました。しかし、予後が悪く、フライシェルは痛さから逃れるために、13年もの間、モルヒネを服用し続けました。その結果、フライシェルは重いモルヒネ中毒にかかってしまい、モルヒネの禁断症状に苦しんでいました。そこでフロイトは、フライシェルに「コカイン療法」を勧め、フライシェルもその療法を信じ、試すことになりました。しばらくコカインを服用するうちに、モルヒネの禁断症状は快方に向かって、精神錯乱や失神も消えました。フロイトは歓喜し、コカインの効力を信じて、周囲の人たちにコカインの服用を勧めました。

 しかし、フロイトは、コカインの効力の陰に、恐ろしい中毒の罠が潜んでいるのに気が付きませんでした。モルヒネの禁断症状が治まって間もなく、フライシェルに酷いコカイン中毒の症状が現れ始めたのです。そして、フライシェルはコカインの禁断症状に苦しみながら、1年後に死んでしまいました。フロイトは、自分のせいで大切な友人を1人失ってしまったのです。この失敗がきっかけとなり、フロイトは神経病理学の分野から、薬を使わない精神医学へ転向したという逸話があります。

 

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.32  フロイトは、神経病理学者を経て精神科医となり、精神分析学の創始者として知られる

 

 「コカ・コーラ」は、1886年にアメリカで発売され、現在では、世界中で親しまれている清涼飲料水です。この飲み物は、ジョージア州アトランタの薬剤師ジョン・ペンバートンによって考案され、当初は名前の通り、コカの葉から抽出された成分が入っていました。南北戦争で負傷したペンバートンは、モルヒネ中毒に苦しんでおり、「薬物中毒を治すもの」として、当時注目され始めていたコカインを使った薬飲料の開発を思い付いたのでした。当初のコカ・コーラは、100 mLにつき2.5 mgのコカインを含んでおり、「モルヒネやアヘンの中毒を治療し、鎮痛や覚醒作用のある薬飲料」として発売されました。

1888年には、エイサ・キャンドラーがその製造権を譲り受け、ペンバートンの息子らと共にコカ・コーラ社を設立します。キャンドラーは、この飲料の医薬としての効能を一切宣伝せず、清涼飲料としてのみ広告しました。コカインを含んだコカ・コーラは、「脳を活性化させる知的な飲み物」とうたわれ、すぐにアメリカ中で人気になりました。しかし、コカインの有害性が判明すると、コカインを取り除くようにという政府からの要請があり、論争の末、1903年からはコカ・コーラにコカインは加えられなくなりました。現在では、代わりに覚醒作用のある「カフェイン」が加えられています。

現在のコカ・コーラには、コカインなどのハイになる成分は除外されているものの、実は「コカのエキス」が微量含まれています。コカ・コーラの正確なレシピは、企業秘密として公開されていませんが、コカ・コーラ社は、ペルーから合法的にコカの葉を輸入しているとされています。コカの葉からコカインを取り除いたあと、残ったコカの葉の風味を、秘密の方法でコカ・コーラに封入しているのです。

 

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非常に高い精度で生成された説明

.33  現在の「コカ・コーラ」には、コカインは全く含まれていない

 

ちなみに、「コカ飲料」は、コカ・コーラが発祥ではなく、フランスの化学者であるアンジェロ・マリアーニが発明したのが最初です。マリアーニは、良質なボルドーワインにコカの葉を数枚浸してみました。ワインに含まれるエタノールには、コカの葉からコカインを抽出する働きがあります。コカインがやがてワインに溶け込むと、人の気分を浮き立たせる飲み物ができあがるのです。その効果に満足したマリアーニは、ボルドーワインにコカの葉を入れて密封し、「マリアーニワイン」と名付けて商品化しました。マリアーニが発明したコカ飲料は、瞬く間にヨーロッパ全域に広がり、芸術家ばかりでなく、皇族や貴族も、疲労回復や精神を高揚させるためにコカ飲料を嗜んだといいます。マリアーニは、時のローマ法皇から、感謝のメダルを贈られるほどの成功を収めたのです。コカ飲料は、1906年に発売が禁止されましたが、1909年には、まだ69種類ものコカ飲料が発売されていたという記録もあります。

 

.34  「コカ飲料」の広告

 

なお、コカインの持つ「局所麻酔作用」は、表面塗布による局所麻酔の目的で、眼科における白内障の手術などに応用されてきました。この作用は、ウィーンの診療所で当時フロイトの助手として働いていた、医師カール・コラーが発見したものです。この成果は、1884年にハイデルベルクの眼科学会で発表されました。コカインは、舐めると苦味がありますが、舌を少しの間だけ無感覚にします。そのことを知ったコラーは、この不思議な効力を持つ物質を、眼科手術に応用できないかと考えたのでした。それまで、眼の手術には安全な麻酔剤がなかったので、患者と医師双方にとって、この発見は朗報となりました。

しかし、現在では、コカインが局所麻酔の目的で使用されることはありません。現在では、コカインの化学構造を参考にして開発された、キシロカインやプロカイン、リドカインなどが使われています。これらの薬物は、特に歯科領域では、お馴染みの麻酔薬となっています。これら合成局所麻酔剤の名前が、「〜カイン」となっているのは、これらがコカインの化学構造を元にデザインされたことに由来しています。

 

(v) LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)

 中世ヨーロッパでは、「突然手足が痺れて全身が痙攣し、まるで火に焼かれるように手足が黒ずんで壊疽を起こし、手足がちぎれてしまう」という原因不明の恐ろしい奇病が度々流行しました。ところが不思議なことに、この病に冒された患者が、ウィーン郊外にある聖アントニウス寺院に近付くと、なぜか症状が軽くなります。そこで、この奇病は「聖アントニウスに祈れば治る」と信じられ、「聖アントニウスの火」と呼ばれるようになります。

しばらくして、この病気の原因は、当時の人々の主食だった「ライ麦」にあると判明しました。天候不順などで生育状態のよくないライ麦には、「麦角」と呼ばれるカ(麦角菌)が生えることがあります。約15 cmほどの長さの角のような形をした麦角が、「聖アントニウスの火」の原因だったのです。麦角には「バッカクアルカロイド」と呼ばれる毒素が含まれ、これが体内に入ると、血管を強烈に収縮させる作用があります。そのために血液循環が悪くなり、手足に壊疽を引き起こします。「聖アントニウスの火」と呼ばれていたのは、組織が壊死して燃えるように激しく痛み、黒ずんだあとに手足がちぎれてしまうことがあったからです。また、神経や循環器系統にも影響するため、手足の痺れや全身の痙攣に至るのです。

 

.35  ライ麦などに麦角菌が寄生すると、キノコ状の「麦角」が生じる

 

しかし、一体なぜ「聖アントニウス」に祈ると、麦角中毒が治るのでしょうか。この症状に苦しむ人たちは、祈りを捧げるために、聖アントニウス寺院に向けて、巡礼の旅に出ました。旅に出れば、当然、日常の食生活を捨てることになるので、「麦角菌に汚染されたライ麦」を摂取しなくなり、症状が緩和されます。また、聖アントニウス寺院の修道士たちは、胚芽とふすまを取り去った小麦粉でパンを作っており、麦角が除かれていました。現在では、ライ麦パンを食べる際に、何も心配する必要はありません。たとえ穀粒が麦角菌に汚染されていたとしても、現代の製粉技術で、それを除去することができるからです。

「聖アントニウスの火」の原因は中世まで不明のままでしたが、麦角の存在自体は紀元前より知られ、紀元前7世紀頃のアッシリアの古文書にある「穀類に付着した有毒な小結節」という記述が、記録に残された麦角の最初の例であるといわれています。中世以降の「聖アントニウスの火」の記録は、1581年から1928年に渡ります。米が主食である日本では、あまり馴染みのない病気ですが、ヨーロッパなどでは流行するたびに、数千人の死者が出る重大な問題でした。当初、麦角はその毒性から恐れられていましたが、やがてその血管収縮作用に着目し、ヨーロッパ各地で子宮の収縮を促進させる「分娩促進剤」として用いられるようになります。そして、20世紀になると、麦角アルカロイドの分子構造が解明され、似たような化合物が人工で合成されるようになります。麦角の作用を薬に応用するため、化学的な改変を加えて開発されたものが「LSD」なのです。

 

.36  麦角中毒者(左下)を描いたグリューネヴァルトの「聖アントニウスの誘惑」

 

LSD」を開発したのは、スイスのバーゼルにある製薬会社AGサンド社にいた研究員のアルバート・ホフマンです。しかし、ホフマンは、幻覚剤の開発を目指していたのではなく、当初の目的は、医療上の研究でした。ホフマンは、麦角の持つ「血管収縮作用」を利用した、分娩促進剤を開発しようとしていたのです。ホフマンは、まずバッカクアルカロイドから頭痛薬や止血剤を開発することに成功します。そして、193811月、さらに研究を進めて様々な物質を合成する過程で、「リゼルグ酸ジエチルアミド(LSD)」と呼ばれる新しい化合物が精製されます。この化合物は、リゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質であったことから、当初「LSD-25」と命名されました。ところが、ホフマンの合成したLSDは、動物実験においても医療上の効果はなく、一度は研究が中止されました。

しかし、19434月になって、ホフマンはもう一度、この物質を検討しようとして取り出しました。そのときに偶然、精製中のLSDがホフマンの指先の皮膚を通じて吸収され、ホフマンは突然めまいを覚え、酒に酔った感覚の中で、鮮やかな色彩や形にあふれた万華鏡のような幻覚を見たのです。ホフマンは実験を中断せざるを得ない状態に陥ってしまい、帰宅して横になっていましたが、その後も幻想的な世界が目の前に展開していました。そんな状態が2時間ほど続き、ホフマンはこの鮮明な幻覚が、LSDによってもたらされたことを知りました。このときの出来事を、ホフマンは日記にこう書いています。――「目を閉じて横になっていると、幻想的なイメージが次から次へとくるくる変わりながら浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。どのイメージも実にありありと立体感にあふれ、カレイドスコープのように鮮烈な色彩が交互に入り乱れていた」――このような作用は、バッカクアルカロイドには全くありません。つまり、今まで自然界に存在しなかった薬物が、偶然に化学的に合成されたのです。

 

.37  LSD」の構造式

 

 ホフマンはその3日後に、自分の体を実験台にして、LSDの効果を確かめてみました。このとき服用したのは、250 µgという微量だったにも関わらず、ホフマンは一昼夜に渡って幻覚の世界をさまよい、幽体離脱でソファに横たわる自分の姿を眺めました。LSDの体験が非常に印象的であったため、ホフマンはLSDが精神医療の研究に役立つのではないかと考えました。LSDのトリップによって、覚醒したまま自我の防衛を緩め、体験の追走や再体験が可能になるからです。

ホフマンが勤務していたAGサンド社は、LSDが極めて安価に製造できるということもあって、世界中の研究者に無償で提供するという、大胆な手段に打って出ました。1949年から1966年まで、大学や研究機関だけでなく、CIAからセラピストまで、LSDは広く行き渡り、詳細に研究されました。その幻覚体験から、当初、LSDは統合失調症などの精神疾患の謎を解く鍵になるのではないかと期待されました。しかし、さしたる成果をあげることはできませんでした。CIALSDを自白剤に使えないかと試みましたが、時間や空間の著しい歪曲や奇怪な幻覚のために被験者は大混乱を起こし、全能の神になったかのように妄想を喋るか、内に引きこもって貝のように口を閉ざしてしまいました。

LSDを誰よりも熱狂的に歓迎したのは、研究者やCIAよりも、むしろ画家や音楽家といった芸術家たちでした。LSDがもたらす「幻覚体験」を芸術創造のヒントとする「サイケデリック・アート」が生まれ、画家たちはLSD影響下で書いた自分の絵を、「技術は損なわれているが、線が大胆になり、色が鮮やかになり、情緒的により拡張されたものである」と評価し、サイケデリック・アートは、大衆の間で人気を集めました。音楽家たちの間でもLSDは人気を集め、LSDを使用した音楽家たちから「サイケデリック・ロック」が生み出されました。ジミ・ヘンドリックスやビートルズなどの1960年代の音楽家たちは、LSDから測り知れない影響を受けたのです。ビートルズの名作アルバム「サージャント・ペッパーズ」には青、赤、黄、紫などの鮮やかな色の衣装を身に纏った4人の姿が見えますが、これはメンバー全員が、LSDで実際に見た桃源郷の世界だったといわれています。

 

.38  ビートルズの名作アルバム「サージャント・ペッパーズ」のジャケット

 

 LSDは、その構造が神経伝達物質である「セロトニン」の構造によく似ています。LSDが脳内に入り、大脳皮質に存在するセロトニン受容体(5-HT2A)に結合することで、神経伝達物質のセロトニンの働きを抑制し、ドーパミンやノルアドレナリンの遊離を促進します。セロトニンは、ドーパミンやノルアドレナリンの働きをコントロールし、精神を安定させる作用があると考えられています。LSDの幻覚喚起作用は極めて強く、体重1 kg当たりわずか0.0005mg程度の服用によって、精神状態に変化をもたらし、色彩に満ちた幻覚が数時間に渡って持続します。しかも、依存性はほとんどなく、服用後短時間でLSDは代謝され、脳にも後遺症を残さないといわれています。

ハーバード大学の行動心理学者であるティモシー・リアリーは、大学内でLSDの使用を学生に積極的に薦めることさえありました。リアリーは、自分のゼミで学生たちをトリップさせ、「ミスターLSD」としてハーバードの人気教授になりました。しかし、服用する際の環境や精神状態に、その体験は強い影響を受けるとされており、グッドトリップになることもあれば、バッドトリップになることもあるといいます。ストレスや不快な環境は、バッドトリップに繋がりやすいとされています。バッドトリップになると、不安や抑鬱状態に見舞われ、最終的には自殺に行きつく可能性もあります。リアリーがハーバードの学生たちをLSDでトリップさせていることが新聞で大きく報じられると、教授会は19635月にリアリーを解雇しました。

千回以上のトリップを経験したといわれるジョン・レノンも、グッドトリップばかりを見ていたはずもなく、「結局LSDは苦痛を増すだけで、自己の内面を覗くことはできない」と悟りました。現在では、LSDは法律で禁止されている薬物ですが、LSDに酔いながら、そして苦しみながら、彼らが生み出した作品や文化は、今でも私たちを楽しませてくれます。


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・参考文献

1) 宇野文博「図解中毒マニュアル」同文書院(1995年発行)

2) 黒蜷ウ典「人の暮らしを変えた植物の化学戦略 香り・味・色・薬効」築地書館(2020年発行)

3) 佐藤健太郎「世界史を変えた薬」講談社(2015年発行)

4) 佐藤健太郎「炭素文明論」新潮社(2013年発行)

5) 左巻健男「絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている」ダイヤモンド社(2021年発行)

6) 鈴木勉「毒と薬【すべての毒は「薬」になる!?】」新星出版社(2015年発行)

7) 田中真知「へんな毒すごい毒」技術評論社(2006年発行)

8) David J.Linden/岩坂彰訳「報酬回路なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか」河出書房新社(2012年発行)

9) 中野信子「脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」幻冬社(2014年発行)

10) 浜村良久「面白いほどよくわかる心理学のすべて」日本文芸社(2007年発行)

11) 船山信次「こわくない有機化合物超入門」技術評論社(2014年発行)

12) 船山信次「毒の科学毒と人間のかかわり」ナツメ社(2013年発行)

13) ポール・A・オフィット「禍いの科学 正義が愚行に変わるとき」日経ナショナルジオグラフィック社(2020年発行)

14) 薬理凶室「アリエナイ理科」三才ブックス(2012年発行)

15) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書」三才ブックス(2004年発行)

16) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書UB」三才ブックス(2006年発行)

17) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書VC」三才ブックス(2009年発行)

18) 山ア昌廣「人体の限界 人はどこまで耐えられるのか 人の能力はどこまで伸ばせるか」SBクリエイティブ株式会社(2018年発行)

19) 山崎幹夫「面白いほどよくわかる 毒と薬」日本文芸社(2004年発行)

20) 山崎幹夫「新化学読本化ける、変わるを学ぶ」白日社(2005年発行)

21) リディア・ケイン/ネイト・ピーダーセン「世にも危険な医療の世界史」文藝春秋(2019年発行)