・代謝とダイエットの科学
【目次】
(1) カロリーとは何か?
皆さんは、「カロリー」という言葉はご存知でしょうか?「カロリーが高い」とか「カロリー控えめ」などのように日常生活で使っている「カロリー」ですが、カロリーとは、実は「エネルギーの単位」なのです。学校で勉強する理科では、エネルギーの単位として、一般的には「カロリーcal」は使用せず、「ジュールJ」という単位を使用します。「1 J」はどのくらいの大きさのエネルギーなのかというと、「1 Nの力で物体を1 m動かすときの仕事」が1 Jです。また、「1 Wの仕事率を1秒間行ったときの仕事」も1 Jです。私たちにとっては、後者の定義の方が日常的かもしれませんね。
さて、「カロリー」の定義はというと、「1 gの水の温度を標準大気圧下で1℃上げるのに必要な熱量」が1 calです。それでは、この熱量を簡単に計算してみましょう。ある物質1 gの温度を1℃だけ上昇させるのに必要な熱量を、「比熱」といいます。水の比熱は、約4.2 J/g・℃です。これより、1 gの水を1℃上げるのに必要な熱量は、次のように求められます。
4.2〔J/g・℃〕× 1〔g〕× 1〔℃〕= 4.2 J
これより、だいたい「1 cal=4.2 J」だということが分かります。かつてはエネルギーの単位として広く用いられてきた「カロリー」ですが、現在は、栄養学などの狭い領域でしか使用されていません。自然科学におけるエネルギーの単位は、現在ではジュールが主流なのです。
(2) 人間に必要なエネルギー
人間などの生物にとって、「三大栄養素」と呼ばれているものがあります。それは、「炭水化物」・「タンパク質」・「脂質」の3つです。これに「無機質(ミネラル)」と「ビタミン」を加えたものは、「五大栄養素」と呼ばれることがあります。特に、「炭水化物」・「タンパク質」・「脂質」の3つの栄養素をそれぞれどういった割合で摂るのかを、「PFCバランス」といいます。英語だとタンパク質は「Protein」、脂肪は「Fat」、炭水化物は「Carbohydrate」となるので、その頭文字を取って「PFCバランス」という名前が付きました。これらの栄養素をバランスよく摂取することが、健康な体を築く基本になります。
(i) 炭水化物
私たちが、普段最も多く摂取している栄養素は、一体何でしょうか?それは、「炭水化物」です。私たちは、炭水化物から、総カロリーの半分以上を得ています。もちろん、牛肉や豚肉などは、炭水化物ではありません。しかし、食肉となる牛や豚の飼料にも、炭水化物が使われているので、私たちが体を動かすエネルギーは、元をたどれば大半が炭水化物から来ているといっても、過言ではありません。
炭水化物の一般式は、「CnH2nOn」あるいは「Cm(H2O)n」と表すことができます。「Cm(H2O)n」という表し方は、炭素Cに水H2Oが結合しているように見えるので、「炭水化物」という名前が付いています。そのため、かつては「含水炭素」と呼ばれることもありました。炭水化物の多くは、植物が二酸化炭素と水から、太陽光線のエネルギーを利用して作り出し、蓄えているものです。例えば、植物は「光合成」によって、二酸化炭素CO2と水H2Oから、グルコース(ブドウ糖)C6H12O6を生成します。
6CO2 + 6H2O → C6H12O6 + 6O2
ときに、「炭水化物」と「糖質」を同意語のように使うことがありますが、厳密には異なります。炭水化物は糖質の「必要条件」ですが、「十分条件」ではないからです。つまり、炭水化物の方が糖質よりも、広い定義なのです。糖質とは、炭水化物のうち、人間の消化酵素で消化することができ、その後吸収され、エネルギー源として利用される物質のことです。したがって、食物繊維などの「難消化性糖類」は、炭水化物には含まれますが、糖質には含まれません。
人間は、約1,500 kcalのエネルギーを、炭水化物として蓄えています。「グルコース」や「スクロース」はもちろんですが、お米やパン、麺などの穀物に含まれる「デンプン」も、糖質の仲間です。デンプンは、グルコース分子が長くつながり、らせん構造になった巨大分子です。グルコースは、水に溶けやすく貯蔵性が悪いので、デンプンの形にして、植物は種子や地下茎などにグルコースを蓄えています。炭水化物の中でも、グルコースは代表的なエネルギー供給物質であり、脳はグルコースから得られるエネルギーを中心に活動しています。炭水化物は、体に最も必要とされる栄養素なので、多くの国や文化で、炭水化物を多く含む食品が主食となっています。
図.1 グルコースの分子モデル
デンプンは、そのままの生の状態では、食べてもおいしくありません。消化酵素である「アミラーゼ」の作用も受けにくいです。したがって、通常は水を加えて加熱し、吸水させて、軟らかくしてから食べます。加熱することで、デンプン分子間の水素結合が離れてバラバラになり、デンプン分子の間に水分子が入り込みやすくなり、膨潤してふっくらとします。炊いた米やふかした芋は、ちょうどこの状態です。こうなると、デンプン分子の結晶構造は破壊されるので、消化酵素の働きを受けやすくなり、同時に味も良くなるのです。このことを、デンプンの「糊化」あるいは「α化」といいます。そして、このようなデンプンを「αデンプン」といいます。
これに対して、加熱前のデンプンを「βデンプン」といいます。そして、いったんα化させたデンプンも、そのまま放置すると、徐々に生の「βデンプン」に近い状態に戻ってしまいます。このことを、デンプンの「老化」といいます。これは、デンプン分子が水素結合によって再び会合し、部分的に密な集合状態が出来るためと考えられています。しばらく放置した冷や飯やパンを食べたとき、ザラザラと舌触りが悪いのはそのためです。
また、80℃以上の高温、または0℃以下の低温で、αデンプンを急速に脱水すると、αデンプンの状態が保たれます。これは、水または熱湯を加えることで、容易に膨潤するので、インスタントラーメンなどのインスタント食品に広く応用されています。
図.2 インスタントラーメンに熱湯を加えると、すぐに膨潤しておいしく食べられる
(ii) タンパク質
「タンパク質」は、皮膚や筋肉などを構成している物質です。その正体は、分子量が数千から数万以上にまでなる巨大分子です。タンパク質は、多数の「アミノ酸」がいくつも脱水縮合して、アミノ酸が連なった構造になっています。アミノ酸は20種類存在していて、人間はそのうち11種類を、他のアミノ酸または中間代謝物から合成することができます。残りの9種類は、食事によって摂取しなければならず、それらを「必須アミノ酸」といいます。
食事で摂取した肉や魚などのタンパク質は、胃や小腸などの消化管でいったん「アミノ酸」にまで分解され、体に吸収されます。吸収されたアミノ酸は、そのまま使われたり、新たにタンパク質を作る材料になったりします。体の中で再合成されたタンパク質は、酵素やホルモンとして代謝調整、ヘモグロビンやアルブミンとして物質輸送、抗体として生体防御に関わっています。
次の図.3に、「アルコールデヒドロゲナーゼ」という巨大なタンパク質の分子モデルを示しました。アルコールデヒドロゲナーゼは、体内のアルコールをアルデヒドに酸化処理する酵素です。この酵素は、実に508個ものアミノ酸が連なった巨大分子なのです。この酵素があるお陰で、私たちは、嗜好品としてアルコールを楽しむことができます。もし人間にアルコールデヒドロゲナーゼがなかったら、アルコールによって脳の活動が強力に抑制されてしまい、アルコールを楽しむどころではなくなってしまいます。
図.3 「アルコールデヒドロゲナーゼ」の分子モデル
なお、ヒトは1日に約60〜80 gのタンパク質を食事から摂取していますが、体の中では、1日に160〜200 gものタンパク質が作られています。これは、自分自身のタンパク質をアミノ酸に分解して、それをタンパク質の合成材料として、「リサイクル」しているからです。つまり、タンパク質の材料のほとんどは、外部から摂取する「食事」ではなく、自分自身の「分解産物」ということになります。この機構に関わっているのが、「オートファジー」あるいは「自食」と呼ばれる仕組みです。オートファジーは、「プログラム細胞死」の1つで、細胞内での異常なタンパク質の蓄積を防いだり、過剰にタンパク質合成したときや栄養環境が悪化したときに、タンパク質のリサイクルを行ったりしてします。また、細胞質内に侵入した病原微生物を排除することで、生体の恒常性維持にも関与しています。オートファジーは、酵母からヒトに至るまでの真核生物に見られる機構であり、細胞のガン化抑制にも関与することが知られています。東京工業大学の名誉教授である大隅良典は、オートファジーの仕組みを解明した功績により、2016年に「ノーベル生理学・医学賞」を受賞しました。
図.4 「オートファジー」の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典
(iii) 脂質
「脂質」は、簡単にいえば「油」のことで、その基本構造は、「高級脂肪酸」と「グリセリン」が結合した「エステル」です。油は、常温で固体である「脂肪」と、常温で液体である「脂肪油」に分けられます。脂質は、動植物の生体成分となっており、人間は体全体で、約70,000 kcalものエネルギーを脂質として蓄えています。フルマラソンでも、消費するエネルギーはたったの2,400 kcal程度です。これは、単純計算でフルマラソンを約29回も走れる膨大なエネルギー量です。
脂質は、エネルギー効率が三大栄養素の中で最も優れており、脂質を多く含む食材や料理は、必然的に高カロリーとなります。炭水化物やタンパク質は、1 g当たりで約4 kcalのエネルギーにしかなりませんが、脂質は、1 g当たりで約9 kcalのエネルギーになります。
図.5 ジャンクフードには、脂肪分が多く含まれ、高カロリーである
脂肪組織の量が、体全体に占める割合を、「体脂肪率」といいます。適正な体脂肪率は、男性の場合は10〜20%、女性は20〜30%と考えられています。この体脂肪率が高い人を、「肥満」といいます。筋肉量の多い人は体重が重くなるので、単に体重が重いだけでは、肥満と断定できません。また、体脂肪率は低ければ低いほど良いというものでもなく、低すぎると体温の低下や筋力の低下を招くことがあります。女性の場合は、ホルモンバランスの異常から、生理不順や早発性閉経を招くこともあります。
しかしながら、体脂肪の量を正確に測定するとなると、結構難しいものがあります。昔から行われていて信頼できるといわれている方法は、体の比重を測定し、そこから脂肪の量を予想する方法です。体の比重を測定するには、全身を水の中に沈めて体重を量り……と、かなり専門的な設備と手間が必要になります。そこで、簡便な方法として、超音波や近赤外線を使って皮下脂肪量から推定する方法、電気抵抗による方法などが考案されています。
表.1 体脂肪率による肥満の基準
|
軽度の肥満 |
中程度の肥満 |
重度の肥満 |
男性 |
20%以上 |
25%以上 |
30%以上 |
女性 |
30%以上 |
35%以上 |
40%以上 |
※ 男性は全年齢、女性は15歳以上の値
もっと荒っぽく、身長と体重だけから肥満を判定する方法もあります。1835年にベルギーの統計学者アドルフ・ケトレーが考案した「体格指数(body mass index:BMI)」という方法で、次のように求めます。BMIは体脂肪率とよく相関することが知られていますが、プロスポーツ選手のように筋肉量が多い人は、体脂肪率が低くても高い値になることがあります。また、体型が似たような人同士だと、身長の高い人の方がBMIは大きくなります。これは、体重が身長の3乗にほぼ比例するために、BMIが長さの次元を持つからです。
BMIの計算式は世界共通ですが、肥満の判定基準は国により異なります。例えば、アメリカやイギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどの欧米諸国では、BMI:30以上を肥満としています。2016年の世界保健機関(WHO)の調査によると、世界の6億4,100万人がBMI:30を超え、肥満体と判定されています。一方で、日本肥満学会(JASSO)では、統計的に最も病気にかかりにくいBMI:22を理想値としており、その体重を日本人の標準体重としています。日本では、BMI:25以上を肥満として、肥満度を4つの段階に分けています。
表.2 日本肥満学会の肥満基準(2011年)
BMI |
判定 |
18.5未満 |
低体重(痩せ型) |
18.5以上25未満 |
普通体重 |
25以上30未満 |
肥満(1度) |
30以上35未満 |
肥満(2度) |
35以上40未満 |
肥満(3度) |
40以上 |
肥満(3度) |
体の中で脂質といえば、「皮下脂肪」や「内蔵脂肪」などのような、いわゆる「中性脂肪」のイメージがあります。しかし、脂質の中でも、「リン脂質」や「コレステロール」は、細胞膜などの構成成分として、あるいはホルモンとして、生体機能調整において重要な役割を果たしています。例えば、人間は「コレステロール」を、体重の約0.2%も有しています。つまり、体重60 kgの成人であれば、約120 gものコレステロールを持っているということになります。体内のコレステロールのうち、食事から摂取しているのは一部に過ぎず、8割程度は主に肝臓で作られています。
コレステロール値が高いと、反射的に「卵の摂取を控えなければ」と思う人は少なくありません。しかし、鶏卵1個(50 g)に含まれるコレステロールは、たったの0.2 g程度に過ぎません。ということは、体に持っている全コレステロール量と比較すれば、たとえ卵を食べるのを控えたとしても、コレステロール量にはほとんど影響がないということになります。それに、肝臓は体内のコレステロールを一定の値に保つため、食事から摂取したコレステロールが多いと、調整して生成量を減らしています。こうして、肝臓は体内でのコレステロールのバランスを取っているのです。2015年には、厚生労働省から「食事摂取基準」の改訂版が発表されましたが、そこにはコレステロール値が高い食材として敬遠されていた鶏卵は、毎日摂取しても問題ないことが明らかにされました。
図.6 コレステロール値を気にして、鶏卵の摂取を控える必要は全くない
ただし、もし体内のコレステロール量を心配するのであれば、脂肪分の多い食べ物を大量に摂取することは、禁物かもしれません。なぜなら、水に溶けない脂肪を消化するために「胆汁酸」が作られますが、この胆汁酸の原料が、コレステロールだからです。そこで、胆汁酸が体内で必要となれば、肝臓が胆汁酸を作るために、コレステロールをせっせと作り出し、余った分を血液に入れてしまうことになります。そのため、脂肪を大量に摂ると、体内のコレステロール値が上がるという訳です。
(3) 人間の仕事率
人間が生活していく上で1日に必要なカロリーは、性別や年齢によって変わってきますが、およそ2,000 kcal程度だといわれています。しかしながら、同じ年代でも、1日に必要なカロリーは、その人の「身体活動レベル」によって大きく変わってきます。「1日に必要なカロリー」は、一般的に次のようにして求めることができます。
1日に必要なカロリー〔kcal/日〕= 1日の基礎代謝量〔kcal/日〕× 身体活動レベル
ここで「基礎代謝」というのは、何もせずにじっとしていても、生命活動を維持するために消費されるエネルギーのことです。「何もせず」というのは、快適な環境で横になって、安静に過ごすということです。したがって、一般的な健康で文化的な生活していれば、普通は基礎代謝よりも、多くのエネルギーを1日で消費します。
基礎代謝は、成人男性で約1,500 kcal/日、成人女性で約1,200 kcal/日となっています。一般的に体重が多い人ほど、基礎代謝は大きくなります。次の表.3より、自分の年代の基礎代謝基準値〔kcal/(kg・日)〕に自分の体重〔kg〕をかけたものが、自分の「基礎代謝量」となります。
基礎代謝量〔kcal/日〕= 基礎代謝基準値〔kcal/(kg・日)〕× 体重〔kg〕
表.3 基礎代謝(厚生労働省HP「日本人の食事摂取基準」より引用)
年齢 |
男性 |
女性 |
||||
基礎代謝 基準値 |
基準体重
|
平均基礎 代謝量 |
基礎代謝 基準値 |
基準体重
|
平均基礎 代謝量 |
|
10〜11歳 |
37.4 |
35.5 |
1,330 |
34.8 |
35.7 |
1,240 |
12〜14歳 |
31.0 |
50.0 |
1,550 |
29.6 |
45.6 |
1,350 |
15〜17歳 |
27.0 |
58.3 |
1,570 |
25.3 |
50.0 |
1,270 |
18〜29歳 |
24.0 |
63.5 |
1,520 |
23.6 |
50.0 |
1,180 |
30〜49歳 |
22.3 |
68.0 |
1,520 |
21.7 |
52.7 |
1,140 |
50〜69歳 |
21.5 |
64.0 |
1,380 |
20.7 |
53.2 |
1,100 |
70歳以上 |
21.5 |
57.2 |
1,230 |
20.7 |
49.7 |
1,030 |
「身体活動レベル」は、その人の活動レベルによって、大きく3段階に分類することができます。次の表.4からも分かるように、一日中机に向かって座っているだけでも、基礎代謝の1.5倍ものエネルギーを消費するのです。立ち仕事や日常的に運動をする人は身体活動レベル2で、どちらにも該当しない方は身体活動レベル1.75となります。ただし、これは飽くまで目安であることを念頭に置いてください。
表.4 身体活動レベル(厚生労働省HP「日本人の食事摂取基準」より引用)
身体活動 レベル |
低い |
普通 |
高い |
1.5 |
1.75 |
2.0 |
|
日常生活内容 |
生活の大部分が座位で、静的な活動が中心 |
座位中心の仕事だが、職場内での移動や立位での作業・接客業等、あるいは通勤・買い物・家事・軽いスポーツ等をする |
移動や立位の多い仕事への従事者。あるいはスポーツ等余暇における活発な運動習慣を持っている |
これより、1日に必要なカロリーは、基礎代謝に身体活動レベルを掛けることで求めることができるのです。ここで例として、25歳の男性(体重63.5 kg、身体活動レベル1.75)の1日に必要なカロリーを求めてみましょう。上記男性で1日に必要なカロリーは、
1日に必要なカロリー〔kcal/日〕= 1,520〔kcal/日〕× 1.75 = 2,660〔kcal/日〕
2,660 kcal/日とは、どのくらいのカロリーかというと、茶碗ご飯1杯(150 g)が約240 kcalなので、だいたい「ご飯11杯分のカロリー」になります。ご飯11杯分と考えると、大層なカロリーですね。また、2,660 kcal/日の単位を、「kJ/日」に変換すると、
2,660〔kcal/日〕× 4.2〔J/cal〕= 11,172kJ/日
これより、「2,660 kcal/日=11,172 kJ/日」ということが分かります。また、折角ですから、この値から人間の仕事率〔W〕を計算してみましょう。「1 W=1 J/秒」なので、人間の仕事率は次のようになります。
人間の仕事率〔W〕= 11,172×1,000〔J/日〕× 1/(24×60×60)〔日/秒〕= 約129〔W〕
これより、人間の仕事率は、約129 Wということが分かります。よく雑学などで、「人間のパワーは100 W電球と同じである」と耳にしますが、独立変数である基礎代謝量や身体活動レベルを変えてみても、仕事率はだいたい100 W前後の値になるので、あながち間違っているわけではありません。人間のパワーが100 W電球と同じと考えると、少し虚しくもなります。しかし、人間の仕事率は、寝ているときも含めて、1日の平均で算出しているので、実際に活動しているときは、もう少し高い仕事率になるかと思われます。
図.7 人間のエネルギー効率とほぼ等しい「100W」の電球
ちなみに、馬一頭が発揮する仕事率は「1馬力」と呼ばれ、輓馬(荷を引く馬)が継続的に荷を引っ張る際の仕事率を基準にしています。「馬力」を決めたのは、イギリスの発明家ジェームズ・ワットです。ワットは、蒸気機関を改良して、産業革命の進展に大きく貢献した人物です。蒸気機関のパワーを世間に知らしめるため、馬の力を引き合いに出したのです。なお、「1馬力」の大きさは「約740 W」に相当しますが、イギリスとフランスで値が少し異なります。ヤード・ポンド法に基づくイギリスの英馬力は約745.7 Wで、メートル法に基づくフランスの仏馬力では約735.5 Wとなっています。日本では、メートル法の仏馬力を採用しています。
「馬力」の単位がよく使われるのは、乗り物のエンジンです。エンジンのパワーを表すのに、直感的に大きさが分かりやすいからです。人間の仕事率を馬力にすると約0.2馬力であり、四輪自動車では100〜200馬力、F1マシンでは720〜740馬力、ジェット機では7万〜10万馬力、H2Aロケットでは1,100万馬力にもなります。ただし、1馬力は輓馬の仕事率を参考にして決めただけなので、単純に「馬の最高出力=1馬力」を表す訳ではないということに、注意しなければなりません。実際に、全力で加速しているサラブレッドは、数十馬力ものパワーを出していますし、人間でも、100 m走などにおける瞬間的な最大出力では、1馬力程度のパワーを出すことができます。
図.8 1馬力はだいたい「740 W」の仕事率である
(4) エネルギーの作り方
私たちが生命活動を維持できているのは、体内でエネルギーを作り出しているからです。生物が摂取した物質を分解して、エネルギーを作り出せるような栄養素にすることを、「消化」といいます。私たちは、食べ物を消化することで、食物を「炭水化物」・「タンパク質」・「脂質」などに分解しているのです。これらの栄養素は、消化の過程を経て、さらに分解され、糖質は「グルコース」、タンパク質は「アミノ酸」、脂質は「脂肪酸」や「モノグリセリド」などに分解されていきます。この過程は、人間だけでなく、ほとんどの動物に共通して見られることです。そして、私たちの細胞が、これらの栄養物質を分解してエネルギーを得る過程を、「細胞呼吸」といいます。
それでは、私たちが消化することで得た「グルコース」や「アミノ酸」、「脂肪酸」が、どのようにエネルギーを作り出していくのか、簡単に説明していきましょう。まず、私たちは、エネルギーを得るために、体内で化学反応を起こしています。また、外部にエネルギーを取り出すためには、その化学反応は「発熱反応」でなくてはなりません。例として、AとBが化学反応して、CとDが生成するという気体反応を考えます。
A(気) + B(気) = C(気) + D(気) + Q〔kJ〕
この熱化学方程式の反応熱をQ〔kJ〕とすると、Q >0なら発熱反応です。そして、この反応熱は、A, B, C, Dそれぞれの分子の「結合エネルギー」の総和から求めることができます。結合エネルギーは、気体状態の2原子間の「共有結合」1 molを切って、ばらばらの状態にするのに必要なエネルギーなので、その分子の結合エネルギーの総和が大きいほど、分子全体の結合が強固で安定であるということになります。一般的に化学反応は、「不安定な状態」から「安定な状態」に変化した時に発熱をします。よって、
CとDの結合エネルギーの総和 > AとBの結合エネルギーの総和
ならば、この反応は発熱反応であるということになります。また、反応熱Qは、両辺の結合エネルギーの差より求めることができますが、これは反応物と生成物が気体のときにしか定義できないので、体内の化学反応には単純に適用することはできません。しかし、考え方としてはこの考え方が非常に大切なのです(熱化学を参照)。
私たちがエネルギーを得たいとき、エネルギーを取り出すたびに、体内で色々な化学反応を起こしているのでは、非常に大変です。そこで、生物の体は、エネルギーを取り出しやすいような化合物を合成して、エネルギーを得たいときに、その化合物を化学反応させることで、エネルギーを取り出しているのです。私たちの体でその役割を果たしている化合物は、「アデノシン三リン酸(ATP)」です。
図.9 「アデノシン三リン酸(ATP)」の構造式
ATPの分子構造は特殊で、1個の「アデノシン」に3個の「リン酸基」が結合しています。ATPのPとOの部分を「リン酸無水結合」といいますが、この結合はエネルギー的に不安定であり、結合エネルギーが小さいです。この理由は、リン酸無水結合の負電荷の反発が大きいことによります。私たちの体は、このATPの末端のリン酸基を切り離して、安定な物質にすることにより、エネルギーを外部に取り出しています。具体的には、次のように「ATP」が、「アデノシン二リン酸(ADP)」と「リン酸(Pi)」に分解される際に、生じるエネルギーを利用しています。
ATP → ADP + Pi
つまり、私たちが摂取した食物の栄養の行方は、まずはATPを合成することなのです。体内でATPを合成する経路はたくさんありますが、その中でも主要な「解糖系」・「クエン酸回路(TCA回路)」・「電子伝達系(酸化的リン酸化経路)」の3つの経路について、簡単に説明したいと思います。
(i) 解糖系
「解糖系」とは、その名の通り、「グルコース(ブドウ糖)」を代謝して、ATPを得る経路のことです。その反応は、細胞質気質にある10種類もの酵素によって行われます。解糖系は、酸素がないような嫌気的条件でも反応が進み、「グルコース」から「ピルビン酸」を経て、最終的には「乳酸」に代謝されます。ただし、このときに酸素があるような好気的条件であるならば、「グルコース」は「乳酸」まで代謝されずに、「ピルビン酸」で停止し、ミトコンドリア内で「アセチルCoA」となります。解糖系では、このような過程によって、1分子の「グルコース」から、2分子のATPを生産していきます。
グルコース → ピルビン酸 → 乳酸
グルコース → ピルビン酸 → アセチルCoA
解糖系で蓄積する乳酸は、「疲労物質」として知られています。そして、体内の乳酸は、間接的に暴飲とも関係があることが分かっています。エタノールを大量に摂取して、肝臓の代謝機能が飽和してしまうと、乳酸を効率良く除去できなくなってしまうのです。そうすると、乳酸が血液内に蓄積され、筋肉のpHを下げるので、理由は全く異なるのですが、運動選手と同様の疲労感を持つようになります。
また、乳酸は、「プリン体」の沈積にも影響することが分かっています。プリン体とは、「プリン骨格」を持つ生体物質のことです。プリン体は、尿の中へ分泌されるのですが、この分泌が乳酸によって阻害されると、関節のところへ沈積してしまい、痛風の原因となってしまいます。最初は小さな関節、特に親指の中骨頭部で沈積が始まりますが、アルコールやプリン体の多い食事を取ると、沈積が促進されていきます。
図.10 「プリン骨格」を持つ物質には、うま味を持つ「イノシン酸」や「グアニル酸」などがある
痛風は、古くから「帝王病」と呼ばれてきたように、美食家にしばしば見られる病気です。エビやカニ、魚卵、レバーなどに多く含まれる「プリン体」が、体内で酸化代謝を受け、「尿酸」に変化します。尿酸は、水に溶けにくい物質であるため、これが関節に鋭く尖った結晶として蓄積してしまうのです。この状態で関節を動かすと、尿酸がギザギザと擦れ、猛烈な痛みを生じさせます。痛風の痛みは骨折以上ともいわれ、一説によると「風が吹いただけでも痛む」ことから、その名が名付けられたといいます。
図.11 「尿酸」は、痛風の原因物質である
人口の上位2%の知能指数を持つ人しか入会できないという「メンサ」。その会員に対して、様々な特徴を一般の人と比較した調査結果から、知能指数の特別高い人では、痛風になる人の割合が、通常の2〜3倍も多いことが分かっています。歴史にその名を刻んでいる痛風患者は、文学者ではダンテやゲーテ、学者ではニュートンやダーウィン、政治家ではナポレオンやチャーチル、宗教家ではルター、芸術家ではミケランジェロやダヴィンチといった世界史の巨星たちが、揃いも揃って痛風に苦しんでいます。このことから、どうも「尿酸の量が知能の高さと相関しているのではないか」ということがいわれ始めました。ほとんどの哺乳類は、「尿酸オキシダーゼ」を持っており、体内で発生した尿酸を処理できます。しかし、人間はこの酵素を持っていないのです。「進化の過程で、人間は尿酸を溜め込むようになり、その結果として、動物にない高い知能を獲得した」と考えれば、上手く説明できそうです。かくして「尿酸天才物質説」は、科学者の間で様々に議論されましたが、1970年代になって、突然「似非科学」の扱いを受け、研究費が下りなくなってしまいました。これは、当時盛んであったウーマンリブ運動と関連があるといわれています。尿酸値を測ってみると、男性の方が女性より平均値が高いのです。「男性の方が女性より知能が高い」という結果が出てしまうかもしれない研究には、予算が付けられないということです。別に尿酸値だけですべてが決まってしまうという訳ではないのだろうに、これ以上研究が進まないのは残念なことです。
(ii) クエン酸回路(TCA回路)
「クエン酸回路」は、「アセチルCoA」を代謝して、ATPを得る経路のことです。その反応は、細胞のミトコンドリアで行われます。反応は、酸素を必要とする好気的条件で進み、「アセチルCoA」が「クエン酸」になる反応から開始されます。クエン酸回路では、「クエン酸」が様々な酵素の処理を受けて、「二酸化炭素」と「水素原子」にまで分解されます。その過程で、ATPが生産されるのです。クエン酸回路の源である「アセチルCoA」は、「グルコース」・「アミノ酸」・「脂肪酸」より補給されます。特に、「アセチルCoA」の原料が「グルコース」の場合は、酸素のある好気的条件の解糖系で生じた「ピルビン酸」を「アセチルCoA」に変換することで、代謝を解糖系と連鎖的に行うことができます。解糖系と連鎖的に反応を行うことで、クエン酸回路では、1分子の「グルコース」から2分子のATPを得ることができます。アミノ酸の場合は、「ロイシン」のようなアミノ酸が、「アセチルCoA」に直接変換されます。脂肪酸の場合は、「脂肪酸」がβ酸化されて、大量の「アセチルCoA」を生じます。
グルコース or アミノ酸 or 脂肪酸 → アセチルCoA → 二酸化炭素 + 水素原子
(iii) 電子伝達系(酸化的リン酸化経路)
クエン酸回路で生産された大量の「水素原子」は、さらに「電子」が抜き取られて、「水素イオン」となります。「水素原子」から分離した「電子」は、ミトコンドリアの内側の膜に埋め込まれている「電子伝達系」のタンパク質群によって処理されて、最終的に「酸素分子」に渡されて「酸化物イオン」となり、そして「水素イオン」と反応して「水分子」となります。このような一連の反応を「電子伝達系」といいます。
一方で、「電子」が膜上のタンパク質群によって処理されていくときに放出するエネルギーによって、ミトコンドリアの中の「水素イオン」が、二重膜の膜間にどんどん汲み出されていきます。「水素イオン」はプラスの電荷を持った粒子なので、狭い空間にいっぱいになると、互いに反発し合って不安定になります。そこで、ある出口から広々としたミトコンドリアの中に逃げ出します。その出口とは、ミトコンドリアの内膜に埋め込まれている「ATP合成酵素」というタンパク質です。内膜と外膜の間でいっぱいになった「水素イオン」が「ATP合成酵素」を通過するとき、「ATP合成酵素」は1秒間に30回という速度で回転しながら、ATPを合成していきます。それはまるで、ダムの水が落ちるときにタービンを回して仕事をする様子にそっくりなので、「ATP合成酵素」はよく「分子タービン」と呼ばれたりします。電子伝達系では、解糖系やクエン酸回路と連鎖的に反応を行うことで、1分子の「グルコース」から34分子のATPを得ることができます。
水素原子 → 水分子
表.5 細胞呼吸の比較
解糖系 |
クエン酸回路 |
電子伝達系 |
|
場所 |
細胞質基質 |
ミトコンドリアの中 |
ミトコンドリアの内膜 |
化学反応 |
グルコース→ピルビン酸 |
アセチルCoA→二酸化炭素+水素原子 |
水素原子→水分子 |
※ATP |
2分子のATPが産生 |
2分子のATPが産生 |
34分子のATPが産生 |
酸素分子 |
必要としない |
必要としないが、酸素がないと電子伝達系が止まるので、クエン酸回路も止まる |
必要とする |
※ ATPは1分子のグルコースが代謝されたときの量
(iv) ATPのエネルギー効率
私たちの体では、主にこれら3つの経路から、ATPを作り出しているのです。もし1分子のグルコースが、酸素のある好気的条件でこれら3つの経路で代謝されたとすると、解糖系では2分子のATP、クエン酸回路では2分子のATP、電子伝達系では34分子のATPが得られ、最大で38分子のATPを得ることができます。また、グルコースC6H12O6は、代謝の過程を経て二酸化炭素CO2と水H2Oに分解されますが、この反応を熱化学方程式で表すと、次のようになります。
C6H12O6 + 6O2 = 6CO2 + 6H2O + 2,820 kJ
この熱化学方程式の反応熱2,820 kJは、1 molのグルコースが完全燃焼したときに放出される熱量、すなわち「燃焼熱」を表しています。「ヘスの法則」より、化学変化に伴う熱の収支は、どのような反応経路を取っても同じになるので、この反応熱が、私たちの体のエネルギーのもとになるのです(熱化学を参照)。私たちの体では、この燃焼の過程で、ATPを生産していきます。1 molのATPからは、30.5 kJのエネルギーを取り出すことができるので、私たちの体の「エネルギー効率」を求めてみると、次のようになります。
この41%というエネルギー効率は、化石燃料の燃焼熱を大いに利用する「火力発電」とほぼ等しい数値です。また、代謝の過程では、何十段階もの反応を重ねています。例えば、1つの反応のエネルギー効率が90%であったとしても、これを5回繰り返すだけで、エネルギー効率は0.90×0.90×0.90×0.90×0.90=0.59となり、59%にまでエネルギー効率は落ちてしまいます。このことを考慮すると、私たちの体は、非常に無駄のない熱機関であるといえるでしょう。なお、使われなかった残りのエネルギーはどうなるのかというと、体内で「熱」として分散されます。運動すると体が熱くなるのは、このためです。
図.12 人間のエネルギー効率は、「火力発電」とほぼ等しい
(5) 脂肪の役割
一般的なダイエットの目的といえば、ずばり「中性脂肪」を減らすことだということができます。脂肪は、他の栄養素と比較してもエネルギー効率が良いため、生物の「エネルギーの貯蔵庫」としての役割を果たしています。そのため、過剰に摂取したエネルギーは、脂肪として蓄えられるのです。脂肪を蓄えないようにするためには、単純に脂質を抑えた食事をすればいいではないかと思うかもしれません。しかし、脂質を抑えていても、脂肪は増えます。その理由は、摂取したエネルギーが過剰なとき、アセチルCoAが「β酸化」のほぼ逆のルートで、脂肪酸になるからです。クエン酸回路で活躍するアセチルCoAですが、アセチルCoAは「脂肪酸」だけでなく、「グルコース」や「アミノ酸」からも変換されます。したがって、どんな食生活をしていようと、食べ過ぎた分は、アセチルCoAを経て脂肪となるのです。
現代人にとっては、目の敵にされている脂肪ですが、野生動物にとっては、脂肪はとても重要な役割を果たしています。例えば、クマやリスなどの野生動物は、餌の少ない冬期間に、皮下脂肪をたっぷりと蓄えて、「冬眠」をします。冬眠中は、恒温動物であることを中断し、体温は周囲の気温まで下がります。組織が冷えると、必要なエネルギーの量が減るので、代謝を抑制することができ、心拍数や呼吸、組織の生化学反応が減ります。冬眠は高度に発達したシステムで、途中で外気が2℃より下がると、体が凍らないように、能動的に熱を生成して、体温を2〜5℃に保ちます。冬眠中は一切の摂食行動をせずに、脂肪だけを分解してエネルギーを得ているのです。そして、冬眠から醒める頃には、皮下脂肪がほとんど使い切られた状態になっています。
図.13 「冬眠」するアメリカグマの親子
このような現象は、ヒトにも当てはめることができ、ヒトの体は、食物の摂食が絶たれて飢餓状態に陥ると、脂肪を分解して、なんとか延命を図ろうとします。野生動物は、冬眠中では基礎代謝を減らして、消費カロリーを抑えようとしますが、ヒトが飢餓状態に陥っても、同じような働きが起きます。基礎代謝は、基礎代謝基準値に体重を掛けた値なので、体重が多いほど、基礎代謝は大きくなります。それ故、ヒトは飢餓状態に陥ると、まずは体重を減らして、基礎代謝を減らそうとします。最初に優先的に分解されるのは「筋肉」です。肝臓や筋肉に糖として蓄えられている「グリコーゲン」は、絶食後、わずか1日で「グルコース」に分解され、全身で使い果たされます。基本的に脳は、グルコース以外の栄養素を通常は利用できないので、体は筋肉を分解して「アミノ酸」を作り出し、そのアミノ酸を「糖新生」によって、グルコースに変換していきます。このようにして、筋肉量が減少して体重が少なくなり、内蔵の活動も低下した状態では、基礎代謝は通常の3/4ほどにまで減少すると考えられます。
アミノ酸 → オキザロ酢酸 → ホスホエノールピルビン酸 → トリオースリン酸 → グルコース
筋肉が分解できなくなってからは、いよいよ脂肪の出番です。脂肪を分解する「β酸化」が活性化し、脂肪酸が大量のアセチルCoAに分解されていきます。アセチルCoAは、このままでは分子量が大きすぎて血中へ移動できないので、アセト酢酸や3-ヒドロキシ酪酸などの様々な「ケトン体」に変換され、全身の細胞に運ばれていきます。ケトン体は、各細胞に到達すると、再びアセチルCoAに変換され、クエン酸回路により、エネルギーを生産していきます。特に脳では、糖不足のときは、このケトン体がグルコースに代わるエネルギー源として、消費されることが分かっています。
図.14 飢餓状態では、脂肪酸の「β酸化」によって、「ケトン体」が生成する
このような代謝をすることで、ヒトは理論上、水分の補給さえあれば、絶食状態でも2〜3ヶ月程度の生存が可能になり、この限界を越えれば、餓死に至ることになります。例えば、先の25歳男性(体重63.5 kg)の飢餓状態の1日に必要なカロリーは、飢餓状態の身体活動レベルを1とすると、
1日に必要なカロリー〔kcal/日〕= 1,520 × 0.75〔kcal/日〕× 1 = 1,140〔kcal/日〕
通常時の消費カロリーは2,660 kcal/日なので、飢餓状態では、およそ半分程度の消費カロリーで済むことになります。この男性の体脂肪率を20%、脂肪のカロリーを9 kcal/gとすると、この男性が生存できる日数は、
63.5 × 1,000〔g〕× 0.2 × 9〔kcal/g〕× 1/1,140〔日/kcal〕= 約100〔日〕
このように、計算上は絶食後、エネルギー的には約3ヶ月間は生存可能であるということになります。ただし、これはエネルギーの計算上可能であるというだけであって、身体活動レベル1であるならば、健康で文化的な生活とは、程遠い暮らしになることは間違いありません。
(6) 極限状態でヒトはどのくらい生きられるのか?
健康なヒトが、飢餓により絶命した例といえば、1942年に勃発した、「ガダルカナル島の戦い」があります。日本軍とアメリカ軍が、島内およびその近海で激突し、ガダルカナル島は、太平洋戦争有数の激戦地となりました。半年間の激戦の末に、日本軍は惨敗しましたが、ガダルカナル島に上陸した総兵力約30,000名のうち、死者・行方不明者は、約20,000名であったといわれています。そして、このうち直接の戦闘での戦死者は、わずか約5,000名であり、残りの約15,000名は、餓死と戦病死であったと推定されているのです。ガダルカナル島の戦いでは、日本軍は極限まで追いつめられており、戦闘が始まって3ヶ月後には、ある将校が「そこら中でからっぽの飯盒を手にしたまま兵隊が死んで蛆がわいている」といった旨を、大本営に報告していたといわれています。
その1ヶ月後になって、日本軍はようやく撤退に向けて動き始めましたが、この間にも、多くの将兵が餓死していきました。そして、ちょうどこの頃に、島内の将兵たちの間で、ある「生命判断」が流行り出したのです。「立つことのできる人間は寿命30日。体を起こして座れる人間は3週間。寝たきり起きられない人間は1週間。寝たまま小便をするものは3日間。ものを言わなくなった者は2日間。まばたきしなくなった者は明日」――というものです。このような生命判断が流行り出すほどに、島内は飢餓に苦しむ将兵たちで溢れていたのです。ガダルカナル島で、健康なヒトが約30日しか生きることができなかった理由としては、極限状態におけるストレスや、不衛生な環境などが考えられます。また、戦いの末期では、軍紀の荒廃は極まり、餓えた兵士の中から、「カニバリズム」も発生したといわれています。
図.15 「ガダルカナル島の戦い」は、第二次世界大戦において、日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである
なお、無人島などで遭難した際に、水分の補給は、必要不可欠です。そのときに、あなたは、「水分」をどのように補給するでしょうか。一般的には、「海水は飲むべきではない」とされています。海水の塩分濃度は、細胞外液の約3倍です。海水を飲むと、余計な塩分を体外に排出するために、飲んだ海水の量よりさらに多くの水が必要になり、脱水がかえって早まってしまうと考えられているからです。そこで、カナダの研究グループは、海水を飲むことが人体に与える影響を、実験によって検証することにしました。
実験の参加者全員が、救命ボートに用意されている非常用食糧(1日800 kcal)のみを食べ、そのうち半数は、1日に450 mLの真水に280 mLの海水を混ぜて飲むことにより、真水の不足分を補いました。すると何ということか、実験終了時、海水を混ぜて飲んだグループは、真水だけを飲んだグループよりも、体重の落ち方が25%少なかったのです。摂取された余分な塩分はすべて排出されており、血液にも尿にも、何ら有害な影響は見られませんでした。つまり、「海水は飲むべきでない」という定説は、実は誤りだったのです。人体は「ナトリウム」を必要としていますし、その大部分を「塩化ナトリウム」から得ているのですから、1日に必要な塩分摂取量を超える量の海水を飲みさえしなければ、害はないに決まっているのです。
ただし、大量の海水を飲めば、致命的な腎炎につながる危険性があることは、間違いのない事実です。大切なことは、喉が渇いて、死にそうになってから海水を飲むのではなく、飲用に適した真水の供給源を調達できるまでの間、体力を維持するために、海水を少量ずつ飲むことです。また、「飲用に適した真水の供給源」には、魚がいいかもしれません。魚には、60〜80%の割合で水分が含まれていますし、実際に漂流した人が語ったところによれば、魚の目は「真水の塊」だといいます。また、実際に漂流中に海水を飲んで助かったという話は、何例か知られています。例えば、テエフ・マキマレは、6人の仲間と漂流し、途中で2人が溺死しましたが、9 Lの真水だけで、64日間も生き抜きました。漂流期間のおよそ半分は、海水を飲んでしのいでいたといいます。
さらに、フランスの海洋生物学者であるアラン・ボンバールは、食糧も水も持たずに漂流し、海上で調達できるものだけで生き延びるという、大胆な自己実験を計画しました。そして1952年、ボンバールは、「異端者号」と名付けられた中古のゴムボートで、65日間かけて、大西洋を単独で横断することに成功したのです。実験後、ボンバールの体重は25 kg減少し、赤血球数は50%減少し、体中に吹き出物ができ、視力にも一時的に障害が見られたといいます。ボンバールが、ビタミンC不足により引き起こされる「壊血病」にならなかったのは、海水中の「プランクトン」を毎日小さじ2杯分摂取していたからです。ボンバールは、人間と同じようにビタミンCを合成できないはずのクジラが、壊血病にならないことを知っていたのです。クジラの中には、プランクトンだけを餌にしている種類があり、ボンバールは、「プランクトンにビタミンCが含まれているに違いない」と考えたのでした。ボンバールは、43日間魚の搾り汁だけを飲み、14日間は海水だけを飲んで、生き延びました。ボンバールの苦労にもかかわらず、医療の専門家は現在でも、「漂流中に海水を飲むのは危険だ」と忠告しています。
図.16 ボンバールは、中古のゴムボート「異端者号」で、65日間かけて大西洋を単独で横断することに成功した
(7) 生化学的に考えた効果的なダイエット
生化学的には、体にとって最も重要な栄養素は、「炭水化物」でした。炭水化物の中でも、特に重要なのがグルコースで、各組織で酸化され、細胞が活動するエネルギー源として利用されます。グルコースは脳のエネルギー源となり、脳は体重の2%ほどの重量しかありませんが、基礎代謝の約20%ものエネルギーを消費することが分かっています。1日に必要なカロリーを2,500 kcalとすると、脳のエネルギー消費量は2,500×0.20=500 kcalとなります。グルコースは約4 kcal/gのエネルギーを産生するので、500 kcalのエネルギーはグルコース125 g分に相当します。なお、脳以外の組織もグルコースをエネルギー源とするので、実際のグルコースの必要量はそれ以上となります。
厚生労働省が定めた「食事摂取基準」によると、人間が1日に摂取すべき炭水化物は、総エネルギー必要量の50〜70%が理想的であるとされています。これは、およそ「茶碗ご飯5杯分(750 g)」のカロリーに相当します。また、タンパク質については、総エネルギー量必要量の10〜15%、脂肪については、総エネルギー量必要量の15〜30%が理想であるとされています。
図.17 ご飯1杯(約150 g)で、約240 kcalである
以上のことを踏まえると、私たちの体は、いかに炭水化物に依存しているかが分かるかと思います。現在、様々なダイエット方法が、メディアに紹介されてはブームになったりしています。その中のダイエット方法の1つに、「ローカーボダイエット(ロカボダイエット)」というものがあります。「ローカーボダイエット」は、「炭水化物抜きダイエット」とも呼ばれるダイエット方法であり、これは名前の通り、炭水化物をできるだけ摂取しないように食事制限をするダイエット方法です。炭水化物を抜くということは、すなわち脳のエネルギー源であるグルコースを抜くということにもなります。この方法は、体の健康的に大丈夫なのでしょうか?生化学的に、このダイエットの仕組みを、簡単に説明してみましょう。
(i) ローカーボダイエットのメリット
ヒトの脳では、通常は主にグルコースを代謝して、エネルギーを生産しています。グルコースは、デンプンを多く含む炭水化物を摂取することによって、得ることができます。しかし、ローカーボダイエットでは、炭水化物を制限しているので、ヒトの脳は糖不足になります。すると、何とかして糖を補おうとする働きが、体内で起こります。最初に起こる働きは、「糖新生」です。まずは糖新生により、アミノ酸をグルコースに変換して、脳の糖不足を補おうとします。しかし、糖新生だけでは、脳の糖不足を100%補うことはできません。それ故に、ヒトの体は緊急非常措置として、脂肪酸を「β酸化」してアセチルCoAを作り出し、さらにアセチルCoAを変換して、「ケトン体」を大量に生産します。「ケトン体」は、脳が糖不足のときは、グルコースに代わるエネルギー源として、脳で消費されます。このとき、脳ではグルコースの消費量がかなり減少しているので、脳の活動が鈍くなり、体の機能もそれに伴って不活性化して、基礎代謝は大幅に減少すると考えられます。つまり、ローカーボダイエットでは、基礎代謝が減少しているので、1日に必要なカロリー量が減り、少量の食事でも満足する上、炭水化物を控えているので、代わりに脂肪酸がどんどんと燃焼されていくのです。
イスラエルのネゲフ・ベングリオン大学のアイリス・シャイらの研究グループは、肥満に悩む322人の被験者を対象に、脂肪を中心に摂取カロリーを減らす従来型のダイエット法と、炭水化物だけを集中的に減らすダイエット法を比較する研究を行いました。2年後に成果を比較したところ、従来型のダイエット法では平均して3.3 kgしか減量できなかったのに対し、炭水化物を集中的に減らすダイエット法では平均して5.5 kgも体重が低下していました。ローカーボダイエットには、体重を減らす効果が期待できるというのは確かなようです。
図.18 ローカーボダイエットのメカニズム
さらに、最近の研究では、糖質の摂取量が多いほど死亡率が高く、老化も促進されることが報告されています。余分な糖が、「糖化現象(糖とタンパク質が結合する現象)」を引き起こすことが、その主な原因だと考えられています。糖化でできた「糖化最終生成物(Advanced glycation end products:AGEs)」は、体内で分解されにくく、これが蓄積することによって、老化が進行します。皮膚にAGEsが増えると、肌は弾力を失って固くなります。骨にAGEsが蓄積すると、骨がもろくなって骨粗鬆症になります。さらに、糖質の摂取量が食物全体の60.8%を超えると、死亡率が上昇するともいわれています。特に中高年の場合は、糖質を摂り過ぎると糖尿病になりやすく、現在のように食事が豊かになり摂取カロリーが増加している時代には、糖質はできるだけ減らすべきだとする研究者もいます。
図.19 老化の原因となるAGEs
人類学の研究からも、「炭水化物を減らしてタンパク質を増やした方がいいのではないか」という示唆が得られています。アメリカのエモリー大学のボイド・イートンは、旧石器時代の遺跡の発掘を通して得られたデータを元に、当時の食生活を推定し、それを現在でも狩猟や採取をして暮らしている少数民族の食生活に照らし合わせることで、旧石器時代のPFCバランスを求めました。それによれば、タンパク質が30%、脂肪が35%、炭水化物が35%で、やはり現在の食生活より炭水化物が大幅に低く、タンパク質は高いという結果でした。
私たち人類は、種のほぼ全歴史を通じて狩猟採集民でした。過去200年間は、次第に多くの人々が都市労働者やオフィスワーカーとして、日々の糧を手に入れるようになったし、それ以前の1万年前は、ほとんどの人々が農耕を行ったり動物を飼育したりして暮らしていました。しかし、こうした年月は、私たちの祖先が狩猟と採集をして過ごした膨大な時間と比べれば、ほんの一瞬に過ぎません。進化心理学の分野では、私たちの現在の社会的特徴や心理的特徴の多くは、農耕以前のこの長い時代に形成されたと考えられています。私たち人類は200万年前に誕生して以来、長い間こうした「高タンパク・低炭水化物」の食生活を続けており、炭水化物を豊富に摂るようになったのは、約1万年前に人類が農耕を始めてからあとに過ぎないのです。一方、私たちの遺伝子は、200万年の間、ほとんど変わっていません。私たちの健康を守る上でも、「高タンパク・低炭水化物」だった祖先の食生活を見習うべきだと、イートンは訴えています。
図.20 ホモ属の人類は今から200万年前に誕生した
(ii) ローカーボダイエットのデメリット
ローカーボダイエットの長所は、空腹感を感じにくい上に、何の運動をしなくても、脂肪がどんどんと燃焼されていくことです。しかし、短所をあげるとするならば、これは一種の「飢餓状態」でもあり、脳の活動が低下する上に、体の抵抗力も減り、血中でケトン体の濃度が高くなると、脱水や中枢障害のような症状が引き起こされることもあるということです。これは、ケトン体である「アセト酢酸」や「3-ヒドロキシ酪酸」の液性が酸性であり、血中濃度が大きくなると、血液のpHが酸性に傾いてしまうためです。アメリカのタフツ大学のホリー・テイラーらが2008年に発表した研究によれば、炭水化物を極端に制限した食事を続けると、わずか1週間で脳機能にダメージが及び、記憶力の低下を招くといいます。また、ケトン体の血中濃度が大きくなると、体臭が甘酸っぱくなるため、このケトン臭は「ダイエット臭」などと呼ばれることもあります。
さらに、ローカーボダイエットは、リバウンドしやすいという報告もされています。体は飢餓状態などでストレスを感じると、「コルチゾール」というホルモンを分泌します。コルチゾールは、血圧や血糖レベルを高め、免疫機能の低下や不妊をもたらします。コルチゾールは脂肪を蓄積させやすく、その上に食欲抑制ホルモンである「レプチン」を減少させるため、食欲を増進させてしまうのです。コルチゾールの分泌は、ローカーボダイエットを止めてもしばらく続くので、リバウンドしやすいのだと思われます。
表.6 「ローカーボダイエット」の長所と短所
長所 |
短所 |
・短期間でダイエット効果が出る ・無理な運動は必要ない ・肉類や大豆製品などは自由に食べられる |
・リバウンドしやすい ・体の様々な機能が低下する ・便秘や頭痛などが引き起こされる |
ローカーボダイエットは、体重が200 kg以上ある超肥満体の人や、糖尿病患者の為に開発されたものであり、もともと健康な人が行うダイエットではありませんでした。しかし、生化学的には、最も効果的に脂肪を減らすことができるダイエットであり、正しい知識を持っている医師や栄養士などの指導の下で実行する分には、かなり有効なダイエット方法だと思います。ただし、注意していただきたいのは、巷で行われているローカーボダイエットは、こうした医師や研究者が推奨している食事のあり方から、かけ離れた実態になっているということです。穀物やパンなど主食を全く摂らず、おかずを好きなだけ食べるという過激なケースが多くみられます。この場合は、脂肪とタンパク質の摂り過ぎを招き、脂肪の摂り過ぎはメタボの原因になり、タンパク質の摂り過ぎは肝臓や腎臓に負担をかけることになります。
炭水化物を全く摂らないというローカーボダイエットが、健康にとってプラスに働くということはあり得ません。何の知識を持たずに、過度な糖質制限をするローカーボダイエットを行うのはリスクがあります。半端な雑誌などでは、「ご飯を抜くだけで痩せる」などの記述がありますが、ご飯を抜くだけでは、ローカーボダイエットにはなりません。「糖質」すなわち「糖類」は、お菓子や果物、清涼飲料水など、ありとあらゆる食品に含まれているので、徹底した管理が必要となります。また、ローカーボダイエット中では、絶えず糖新生により、アミノ酸がグルコースに変換されていきます。それ故に、アミノ酸の補給を怠ってはいけません。タンパク質を多く含む食品を摂取し、アミノ酸を補給しないと、脂肪だけでなく、筋肉まで一緒に分解されてしまいます。ローカーボダイエットを行う際は、健康にリスクがあるということを理解し、自己責任の下で、よく注意して行うようにしてください。
(8) 肥満は生活習慣病ではない?
少し前のアメリカでは、「太っている人は管理職になれない」といわれていました。「肥満は自己管理ができない証拠」とされ、「そんな人に他人を管理する能力はない」といったレッテルが貼られたのです。ところが1990年代、米ロックフェラー大学の分子遺伝学者であるジェフリー・フリードマンが「肥満遺伝子」を発見し、肥満のメカニズムを解明していくと、「肥満は生活習慣病とは言い切れない」ことが分かってきたのです。フリードマンが発見した肥満遺伝子は、エネルギー代謝に大きな影響を与えるため、この遺伝子を持つ人は、持たない人に比べて太りやすい体質になります。つまり、同じような生活習慣をしていても、太る人とそうでない人がいるのです。現在、報告されているだけで、人の肥満遺伝子は50種類を超えているといいます。
図.21 フリードマンは「肥満遺伝子」を発見し、肥満のメカニズムを解明した
京都府立医科大学の吉田俊秀によると、50種類を超える肥満遺伝子の中で、日本人の肥満に関係するのは、主に3つだといいます。まず、日本人の34%が持つとされる肥満遺伝子が、「β3アドレナリン受容体」です。β3アドレナリン受容体は、通常は体内に蓄えられた中性脂肪を分解し、熱を産生する働きをしています。動物の冬眠時によく見られる、運動を伴わない熱産生の手段でもあります。この遺伝子が変異してしまうと、熱を産生することができなくなって、脂肪が分解されにくくなるので、太りやすくなってしまいます。その結果、1日の基礎代謝量が、約200 kcalも下がることになります。この遺伝子の変異で太ってしまうタイプの体系が、いわゆる「リンゴ型」という腹部に脂肪が付く体型で、日本人男性に多く見られます。内臓脂肪が付いて、糖尿病や心臓病を誘発しやすくなります。リンゴ型は、糖分の代謝が特に悪いので、ご飯やパンなどの炭水化物を食べるとより太ります。そのため、炭水化物をなるべく摂らないようにして、内臓脂肪を燃焼させる有酸素運動を行うことが大切です。
次に、日本人の約25%が持つとされる肥満遺伝子が、「脱共役タンパク質1」です。脱共役タンパク質1は、中性脂肪が分解されてできた遊離脂肪酸を代謝し、熱を産生する働きをしています。この遺伝子も、動物の冬眠時の運動を伴わない熱産生のような、正常な生理機能を果たしています。この遺伝子が変異してしまうと、脂肪酸が代謝されにくくなるので、太りやすくなってしまいます。その結果、1日の基礎代謝量が、約100 kcalも下がることになります。この遺伝子の変異で太ってしまうタイプの体系が、いわゆる「洋ナシ型」という下半身に脂肪が付く体型で、皮下脂肪が付きやすいです。日本人女性に多い肥満で、脂肪酸の代謝が特に苦手なので、揚げ物やクリームなど、脂肪分の多い食品を食べるとより太ります。中々痩せないのが特徴ですが、できるだけ油分を控えるようにすると、皮下脂肪の燃焼率が上がるので、肥満を抑えられます。
最後に、日本人の約16%が持つとされる肥満遺伝子が、「β2アドレナリン受容体」です。こちらは、肥満遺伝子とはいえ、太りにくいのが特徴で、痩せてひょろっとした「バナナ型」の体系になります。太りにくいのと同時に筋肉も付きにくいため、一度太ってしまうと、中々痩せないのが難点です。体重100 kgを超えるといった重度の肥満に陥りやすいのもこのタイプに多く、太らないように気を付けるとともに、なるべく筋力を付けるように努力することが大切です。
表.7 日本人に多い肥満のタイプ
タイプ |
リンゴ型 |
洋ナシ型 |
バナナ型 |
日本人の割合 |
約34% |
約25% |
約16% |
肥満遺伝子 |
β3アドレナリン受容体 |
脱共役タンパク質1 |
β2アドレナリン受容体 |
特徴 |
・男性に多い ・内臓脂肪が付きやすい ・お腹回りがぽっこり出る |
・女性に多い ・下半身に皮下脂肪が付きやすい |
・一度太ると痩せにくい ・ほっそりとした体型 |
基礎代謝 |
約200 kcal低い |
約100 kcal低い |
約200 kcal高い |
影響因子 |
糖分 |
脂質 |
脂質 |
・参考文献
1) 朝日新聞科学グループ編「今さら聞けない科学の常識」講談社(2008年発行)
2) 厚生労働省「日本人の食事摂取基準」
3) 五味川純平「ガダルカナル」文春文庫(1983年発行)
4) 佐藤健太郎「化学物質はなぜ嫌われるのか」技術評論社(2008年発行)
5) 佐藤健太郎「炭素文明論」新潮社(2013年発行)
6) 塚原典子/麻見直美「好きになる栄養学」講談社(2008年発行)
7) トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」文藝春秋(2012年発行)
8) 日本博学倶楽部『[決定版]「科学の謎」未解決ファイル』PHP研究所(2013年発行)
9) 萩原清文「好きになる分子生物学」講談社(2002年発行)
10) 平澤栄次「はじめての生化学」化学同人(1998年発行)
11) 船山信次「こわくない有機化合物超入門」技術評論社(2014年発行)
12) F・アッシュクロフト 著/矢葉野薫 訳「人間はどこまで耐えられるのか」河出書房新社(2008年発行)
13) 別冊宝島編集部編「新装版 スポーツ科学・入門」宝島社(2007年発行)
14) P.W.ATKINS「分子と人間」東京化学同人(1990年発行)
15) 吉田たかよし『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』講談社(2013年発行)
16) Yuval Noah Harari 著/柴田裕之 訳「サピエンス全史(上)―文明の構造と人類の幸福」河出書房新社(2016年発行)
17) Reto U.Schneider「狂気の科学」東京化学同人(2015年発行)