・ビタミンCの科学


(1)海の男たちの職業病

 15世紀に始まる大航海時代は、世界各地の歴史と文化に巨大な衝撃を与えました。人類の文化は、各地の事物や発見を互いに共有し合うことで発展してきたのです。しかし、何世紀にも渡って、船乗りたちの生活は楽しいものではありませんでした。彼らのほとんどは、自分の意志とは関係なく船に乗せられ、溺死という危険性に怯えながら、「遠洋航海船」という牢獄に閉じ込められた人々でした。そんな彼らが最も恐れたものは、一体何だったのでしょうか?それは、大嵐や難破、海賊による襲撃や伝染病でもありません。船内では、大人数が長期に渡って狭い空間にひしめいていたので、伝染病でも発生すれば、あっという間に蔓延してしまいます。しかし、ペストや結核などの伝染病よりはるかに深刻であったのは、現代ではあまり聞き慣れない「壊血病」という船乗り特有の病気でした。

実際、「壊血病」で死んだ船乗りの数は、戦闘や伝染病による死者を合わせた数よりも、はるかに多かったのです。例えば、七年戦争の死者の内訳は、戦死者1,500人余りに対して、病死者は約13万人、そのほとんどが「壊血病」による死者でした。初めて海路でインドに到達したことで有名なヴァスコ・ダ・ガマの航海では、アフリカ最南端の喜望峰を回った時点で、すでに160人の乗組員のうち、96人を「壊血病」で失っていました。クリミア戦争でも、ナイチンゲールは「イギリス軍は戦闘の傷よりも壊血病のために死んだ兵士の方が多い」と指摘しています。コロンブスの航海から19世紀の蒸気船の時代まで、少なく見積もっても200万人以上の船乗りが、この恐ろしい病によって命を落としたといわれています。漂流している船を発見して乗り込んでみたところ、船員が「壊血病」で全滅していたケースも少なくありませんでした。

「壊血病」は、非常に恐ろしい病気でした。強い疲労感と衰弱に悩まされ、皮膚は押すとずっとへこんだままになるほど張りを失います。毛細血管が破れて皮下出血が起こり、膨れたスポンジのようになった歯茎からは腐った血がにじみ出し、歯が次々と脱落しました。こういった症状に苦しみながら、遂には衰弱して死んでいくことになります。こうして「壊血病」は、長きに渡って遠距離を航海する船乗りたちの最大の敵であり続けました。このため、各国海軍は強制徴募によって船員を補充し、その大半が途中で死んでも航海が続けられるよう、多数の人員を乗船させていました。

 1740年、イギリスの海軍軍人であるジョージ・アンソンは、太平洋のスペイン艦隊を「悩ませ、苦しめよ」との命令を受けました。この航海の目的は、スペインが発見したフィリピンのマニラ港から、メキシコのアカプルコ港へと向かう積み荷満載のスパニッシュ・ガレオン船を拿捕して、積み荷を奪うことでした。しかし、この航海は出だしでつまずきました。乗組員が足りなかったのです。イギリス海軍は、チェルシー王立病院に隠居していたボロボロの老人で不足分を埋め合わせました。巷で酒を飲んでいた船乗りの頭をいきなり殴りつけて、気絶させて連れてくることもありました。この呪われた航海を生き延びるのは、頑健な身体の持ち主でも困難でした。4年間の世界周航で、戦死者はわずか3名でしたが、出航時1,854名いた乗組員のうち、帰還したのはたったの188名に過ぎませんでした。そのほとんどが「壊血病」で死亡していました。

 アンソンの艦隊の悲劇にショックを受け、政府は「壊血病」の治療法の調査に乗り出しました。しかし、「壊血病」の治療法は、実は1世紀以上も前から知られていました。1601年にイギリスを出港した東インド会社の艦隊は、旗艦にレモン果汁を積み込んでおり、「壊血病」の症状を発した者は、さじ3杯これを飲むよう指示が下されていました。それどころか、主な航路の寄港地に、柑橘類の木を植林することまでしていました。しかし、30年も経たないうちに、船長たちは果物の代金を出し渋るようになりました。「壊血病」の症例がほんの時たましか見られなくなっていたので、そんなことのために大金を払いたくないと思ったのです。「単に乗組員が怠けているだけだから、強制労働させればよい」「異国の地の果物は、壊血病などの病気の原因になる」と主張する専門家もいました。予防薬は忘れられ、インチキ薬に取って代わられました。こうして、恐ろしい病は舞い戻って来たのです。

 

.1  「壊血病」の治療法には、レモンやオレンジなどの柑橘類が効くと経験的に知られていた

 

(2)「壊血病」には何が有効なのか

 1753年、若きスコットランドの海軍軍医であるジェームズ・リンドは、瀉血・水銀・塩水・酢・硫酸など、あらゆる「壊血病」の治療法に対して、「各々の著者の思い付きやそのときどきに流行している理念に従って発案されたものである」と異議を唱えました。リンドは、イギリス海軍軍艦ソールズベリーの艦上である実験を行いました。これは、管理された条件下で行われた医学史上初めての臨床試験でした。まず、リンドは同じような「壊血病」の症状を示している乗組員24名を選び出しました。そして、半数の12名を2人ずつの6グループに分け、その各グループにそれぞれ異なる治療法(アルコールと硫酸を混ぜた硫酸薬、酢、海水、リンゴ果汁、ニンニクなどから作ったペースト、オレンジ2個とレモン1)を処方しました。そして、もう半数の12名には何の治療もせず、治療を受けた12名と比較するための対照群としました。24名全員に同じ食事をさせ、管理が行き届くように、他の乗組員から隔離して生活させました。

結果はわずか6日で出ました。オレンジとレモンを与えられた乗組員はほぼ完治し、リンゴ果汁を飲んだ者はわずかに回復が見られましたが、他の者は全く症状の改善が見られませんでした。わずか2名というサンプル数ではありましたが、リンドは、実験した治療法のうち「オレンジとレモンがこの病気には最も効果的である」と結論付けました。他の条件をなるべく一定に揃え、比較対照群とともに実験を行って、何が有効なのかをはっきりさせたリンドの手法は、当時は全く画期的なものでした。現代の臨床試験は、この考え方を基礎としており、あらゆる医薬や医療器具などは、この試験を通過したものだけが広く認められることになっています。このため、リンドは現在「航海医学の父」と呼ばれています。しかし、リンドが実験結果を200項にも及ぶ「壊血病論」として1753年に発表したにも関わらず、当時は誰一人として気にも留めなかったのです。

 1768年、イギリスの海洋探検家であるジェームズ・クックは、南太平洋への第一回航海に乗り出しました。クックの任務の1つは、「壊血病」に有効だとされる様々な治療法を試してみることでした。験を担ぐ乗組員たちは、「新奇な」食材を毛嫌いしていましたが、クックはその利用を強行しました。ゾウムシに穴だらけにされた乾パンや蛆の湧いた塩漬け肉にも文句をいわなかった乗組員たちは、マデイラ諸島で積み込まれた「新鮮な」肉を食べることには抵抗しました。命令を拒否した罰として、数人が鞭打ちを食らいました。乗組員たちがザワークラウトを拒否すると、クックはザワークラウトを士官専用の食品とし、自分たちだけで独占して食べて見せました。「上官らが好んで食べるところを見せれば、それは最も高級な食べ物になる」と知ってのことでした。すると、1週間もしないうちに「我々にもザワークラウトを提供せよ」と、乗組員たちの方から迫ってきたといいます。レモンジュースの苦味は乗組員たちに不評でしたが、それは飲むだけの価値がありました。クックが食事内容を厳しく管理し、上陸の度に新鮮な肉や野菜を積み込んだお陰で、クックは史上初めて「壊血病」による死者を出さずに、世界周航を成し遂げることができました。

 

.2  ザワークラウトは、キャベツを乳酸発酵させて作る漬物である

 

 イギリス海軍はクックの探検には満足していましたが、「壊血病」予防に関するクックの結論には納得しませんでした。クックは、航海中に麦芽汁や濃縮オレンジジュースなど、「壊血病」に効果があるとされていた様々なものを試していたため、その中のどれが「壊血病」の発生を抑えたのかははっきりしませんでした。海軍本部は、船舶の乗組員を対象とする実験を数回行った結果、各船舶の軍医は全員、「レモンやオレンジの濃縮液には、この病気を予防あるいは治療する効果はない」と述べました。問題は、リンドらが「濃縮液」の使用を勧めたことでした。「濃縮液」とは、レモンやオレンジの果汁を高温で加熱して、水分を飛ばした果汁のことでした。加熱によって殺菌処理ができるので、果汁の保存性は高まりますが、これによって果汁の効能は半減し、時間の経過とともにそれはさらに急激に低下しました。効果を示すのは、「新鮮な」果物だけでした。これは、有効成分が加熱や乾燥によって変性してしまうからです。当時、アカデミズムの権威であった王立協会の会長ジョン・プリングルが、「壊血病」の治療薬として麦芽汁を推奨していたこともあって、イギリス海軍ではそのまま麦芽汁が治療薬として利用されることになりました。

 唯一の効果的な治療法を却下してしまったために、「壊血病」はイギリス海軍に対して、疫病並みの猛威を振るうことになりました。他国の海軍も、同様に苦しめられました。1770年、スペイン・フランス海軍がイギリスへの侵攻を企てました。予定よりも7週間遅れてスペイン艦隊が到着したころ、たったそれだけの間に、フランス海軍兵士の60%以上が「壊血病」で戦闘不能に陥っていました。イギリスまでたどり着いたフランス海軍兵士は、船から投げ捨てられてイングランド南岸に打ち上げられたおびただしい数の死体だけでした。

それから10年後、イギリスのあるフリゲート艦の乗組員全員が「壊血病」で苦しんでいました。通りかかったアメリカ船の船長から、新鮮な肉と野菜を与えられ、彼らは命拾いしました。フリゲート艦の艦長は、アメリカ独立戦争やナポレオン戦争などで活躍し、後に「イギリス最大の英雄」と称される当時22歳のホレーショ・ネルソンでした。もしネルソンがそのとき死んでいたら、最も偉大な司令官を失ったイギリスは、一体どうなっていたことでしょう。

 同じ年、イギリス海軍提督のジョージ・ロドニーの主治医ギルバート・ブレーンは、イギリス海軍兵士の健康状態について危惧の念を抱きました。ブレーンは、「海軍兵士の健康と生命を守るためにできることは、一般に考えられていることよりも多い」と考えました。リンドとクックの報告書の内容を知っていたブレーンは、ロドニーの艦隊の乗組員全員に、オレンジ果汁を配給するように提言しました。その結果、「壊血病」で死亡する乗組員の割合は、年に25%から5%にまで激減しました。後にイギリス海軍傷病兵担当委員に任命されると、ブレーンは医療の改善に尽力し、柑橘類の果汁を海軍兵士全員に支給させました。間もなく、イギリスは「世界で最も健康な海軍兵士を擁する国」となり、やがてナポレオンもそれを思い知ることになります。

 七年戦争やアメリカ独立戦争の時代、ハスラーの王立海軍病院では、1日に3501,000人の壊血病患者が治療を受けていました。1780年には、ポーツマスに着いた船から1日に2,400人もの患者が運び込まれました。それが1815年には、すでに王立海軍病院で治療を受けた壊血病患者は、4年間でわずか2人になっていました。リンドが実験を行ってから40年の間に、何十万人もの海軍兵士が、あたら失わなくていい命を落としていったのです。

 

(3)ビタミンCの発見

 「壊血病」で死んだのは、船乗りだけではありませんでした。ウィリアム・スタークという若い医師が、当時ロンドンに住んでいたベンジャミン・フランクリンと知り合いになりました。フランクリンから、「以前、パンと水だけで2週間過ごしたことがあるが、健康に何ら異常は来さなかった」と聞かされたスタークは、何かだけを食べるとしたら、何が最も有益で、何が有益でないかを、実験して確かめてみようと決意しました。若気の至りなのか、スタークはそれから9カ月間に渡る制限食を開始しました。10週間、パンと水だけで過ごした後、小麦粉とパンと油を断ち、それから赤身の肉だけ、脂身だけを食べて、それぞれの効果を比較しました。その後、果物と緑の野菜に移る予定だったのですが、不幸にも、スタークは予定を変更し、チーズとハチミツを選んでしまいました。その後、スタークは、急速に「壊血病」の魔手の中に落ちていきました。「壊血病」に詳しいある著名な医師は、「塩分の摂取を減らすように」とスタークにアドバイスしただけでした。アドバイスの甲斐もなく、スタークは衰弱していき、29歳の若さで死亡しました。

 柑橘類に含まれている「何か」が壊血病に効くということは一般に認められてはいましたが、「その何かが不足すること」が壊血病の原因だとは、壊血病治療の先駆者たちも思い至りませんでした。当時、古代ギリシアのヒポクラテスやガレノスが唱えた「体液学説」の影響が根強く、有害なものの摂取によって病気が起こることはあっても、必要なものの不足で体調を崩す可能性はないと考えられていました。船乗りや貧しい人々が「壊血病」になったのは、その食生活が原因でした。炭水化物やタンパク質などの主要な栄養素だけでは、仮にその量が十分であっても、人間は絶対に生きていけません。健康のためには、現代の私たちが「ビタミンC」と呼んでいる成分が必須なのです。

 ビタミンCは水溶性ビタミンの一種であり、化学的にはL-アスコルビン酸という有機化合物のことを指します。アスコルビン酸(ascorbic acid)の名前の由来は、英語の「壊血病にかからない」という意味の言葉に因ります。「スコルブティック」(scorbutic)は「壊血病にかかった」という意味で、「ア」(a)は否定の接頭語です。つまり、ビタミンCは壊血病を防ぐために必要な成分なのです。ビタミンCは柑橘類だけでなく、パパイヤやキウイ、イチゴ、ブロッコリー、芽キャベツ、トマト、パセリ、ホウレン草、ジャガイモなどにも豊富に含まれていますが、野菜や果物なら何でもビタミンCが豊富という訳ではありません。また、肝臓や腎臓を除けば、肉類にはほとんどあるいは全く含まれていません。

 

.3  ビタミンCの構造を解明したイギリスの化学者ウォルター・ハースは、1937年にノーベル化学賞を受賞した

 

ビタミンCは、コラーゲンの合成に深く関与しています。コラーゲンは細胞と細胞を貼り合わせる他、骨や腱の主要成分であり、私たちの肉体はこれなしに形を保てません。このため、体内に存在しているコラーゲンの総量は、ヒトでは全タンパク質のほぼ30%を占めるほど多いのです。コラーゲンがないと、私たちの肉体は文字通りバラバラになってしまいます。

コラーゲンは、通常のタンパク質とは異なり、3本のポリペプチド鎖が絡まり合った三重らせん構造を取ります。この構造を保つため、コラーゲンの鎖には、特別な仕掛けが施されています。コラーゲンを構成するアミノ酸の1つである「ヒドロキシプロリン」というアミノ酸がそれです。ヒドロキシプロリンは、水素結合によってポリペプチド鎖を結び、コラーゲンの三重らせん構造を保つ働きがあります。ビタミンCは、このヒドロキシプロリンの合成に必須であるため、ビタミンCを欠いた食事を続けていると、正常なコラーゲンの合成ができなくなります。一般的には、ビタミンCを含まない食事を約6090日間続けると、体内のビタミンCの蓄積総量が300 mg以下になり、壊血病を発症するといわれています。

 

.4  ヒドロキシプロリンはコラーゲンの主要な成分であり、コラーゲンの安定性を担っている

 

 壊血病にかかる危険性があるのは、ほとんど人類だけです。人類は、ブドウ糖をビタミンCに変換する酵素を持っておらず、そのためにビタミンCを体内で合成できません。一方で、大半のサルを含めて、ほとんどの動物がビタミンCを体内で合成することができるため、外部からビタミンCを取り込む必要がないのです。人類がビタミンCを合成できないにも関わらず、継続的に生存しえた最大の理由は、人類が果物や野菜などのビタミンCを豊富に含む食餌を、日常的に得られる環境にあったためです。

1907年、ノルウェーの細菌学者であるアクセル・ホルストは、モルモットを使って脚気(ビタミンB1の欠乏によって引き起こされる疾患)を起こす研究をしていましたが、一部のモルモットが壊血病のような症状にかかっていることに気が付きました。そして、モルモットにビタミンCが含まれていない穀類だけを与えて飼育すると、ほとんどのモルモットに壊血病の症状が現れ、その後、ビタミンCを与えると、その症状が消えることを実証したのです。研究者たちは幸運でした。モルモットは、人間と同じように体内でビタミンCを合成することができず、飲食物からビタミンCを摂取する必要があるのですが、そのような動物は、ほんの数種類しか存在しないのです。現在では、通常の食生活を送ってさえいれば、十分なビタミンCが得られるので、壊血病を恐れる必要はありません。

 

.5  モルモットはブドウ糖をビタミンCに変換する酵素を持っておらず、ビタミンCを体内で生成できない

 

 ビタミンCの働きは、その多くが動物実験や人間のボランティアを対象とする実験によって明らかにされました。1939年、ボストン市立病院の外科研修医であるジョン・クランドンは、「なぜ栄養状態の悪い人は、そうでない人よりも怪我の治癒に時間がかかるのか」という問題に興味を持ちました。壊血病にかかると古傷が開きますが、このことが手掛かりになるのではないかと考えたクランドンは、「被験者にビタミンCが不足した食事を摂らせた上で、実験的に傷を作り、その傷が治癒するまでの時間を測定する」という実験を計画しました。

実験開始から3カ月後、クランドンは自分の背中の片側を切開して、長さ6 cmほどの深い傷を付け、その後、もう片側にも傷を付けました。クランドンは、相変わらずほとんどチーズとクラッカーとコーヒーだけの食事を続けていました。クランドンの体重は14 kgも減り、疲労困憊していました。研究所長は、このままではクランドンが死んでしまうと心配しました。実際、クランドンはもう少しで死ぬところでした。

 体調を保つためにジムで運動していたところ、クランドンは突然激しい動悸を感じ、これでは死んでしまうと思った瞬間に気を失いました。当時、壊血病患者が、心膜内出血を起こして突然死する例があることが知られていました。クランドンは、8歳のときに虫唾の切除手術を受けていましたが、そのときの手術痕が再び開いてしまうほど、壊血病は悪化していました。ビタミンCの注射を11回、1週間に渡って受けるまで、実験のために人為的に付けた傷は、全く治癒の兆しを見せませんでした。クランドンは「貧しい人々は治癒能力が低く、そのために感染症にかかる危険性が高いが、ビタミンCをより多く摂取することによって治癒能力を改善することができる」と実証したのです。

 

(4)ビタミンCに傾倒した大化学者

 ビタミンCの正体が判明し、大量生産が可能になったことで、一般への普及の道が開かれました。さらに、ビタミンCは、壊血病を防ぐだけの物質でないことも徐々に明らかになってきました。ビタミンCは、酸化を受けやすい性質があり、体内の有害な活性酸素などと反応し、これを取り除いてくれるのです。マウスを使った動物実験では、壊血病を発症しない程度のビタミンCの欠乏で、約4倍の速さで老化が進行し、半年で半数が死んでしまいました。これをヒトに換算すると、1日に2.5 mgのビタミンCしか摂取しない場合、10人中1人が3年後に死亡し、13年後には半数が死亡することに相当します。ビタミンCを少量しか摂らないと、寿命が短くなります。

また、ビタミンCには、食品などを空気中の酸素による酸化から守る働きもあります。清涼飲料水にビタミンCが添加されているのは、こういった理由からです。このため、ビタミンCは健康食品、サプリメント、添加物などとして、大いにもてはやされることになります。現代にまで続くこうした「ビタミンCブーム」に大きく貢献したのは、ビタミンCに不可解なまでに傾倒したある偉大な化学者でした。

 アメリカの化学者であるライナス・ポーリングは、20世紀最大の偉人の1人として広く認められています。ポーリングは、量子力学を化学に応用した先駆者であり、「原子と原子はなぜ結合するのか」という化学結合の本性を記述した功績により、1954年にノーベル化学賞を受賞しています。一方で、1962年には地上核実験に対する反対運動の業績により、ノーベル平和賞も受賞しています。生涯にノーベル賞を2回単独受賞したのは、後にも先にもポーリングだけです。また、結晶構造決定やタンパク質構造決定においても重要な業績を残し、分子生物学の草分けの1人としても考えられています。ワトソンとクリックが1953年にDNAの生体内構造である「二重らせん構造」を発表する前、ポーリングはそれに近い「三重らせん構造」を提唱していました。無機化学、有機化学、金属学、免疫学、麻酔学、心理学、弁論術、放射性崩壊、核戦争のもたらす影響など、ポーリングは多方面の分野の研究に多大なる影響を与えたことで知られています。

 

.6  ポーリングは20世紀における最も重要な化学者の1人として広く認められている(画像はこちらからお借りしました)

 

この誰もが認める20世紀最高の化学者は、65歳頃になって、どうしたことかビタミンCの研究に傾倒し始めました。1966年、ポーリングは生化学者のアーウィン・ストーンから高用量ビタミンCの概念を知り、風邪の予防のために毎日数千ミリグラムのビタミンCを摂り始めました。その効果に興奮したポーリングは、早速臨床文献を調査し、1970年に「ビタミンCと感冒」を発表しました。さらに1970年には、イギリスのガン外科医ユアン・キャメロンと長期間の臨床協力を開始し、末期ガン患者の治療にビタミンCを点滴および経口投与しました。それから、ポーリングとキャメロンは多くの論文を発表し、その研究成果を扱った一般書「癌とビタミンC」を執筆しました。

ポーリングは、それまで栄養素の研究をしたことはありませんでしたが、大量のビタミンCを摂り続ければ、風邪も引かずインフルエンザにもならず、ガンにかかることもないと主張しました。ポーリングの著によれば、風邪を引いた直後から1時間に15001,000 mgずつビタミンCを数時間分摂取すれば、風邪の症状を軽くすることができるといいます。通常、ビタミンCの必要量は1日に100 mg程度とされていますが、彼は6,00018,000 mgを摂取することを勧め、また自身も大量摂取を続けました。さらに、ビタミンCはウイルス性疾患、精神病に至るまで、あらゆる病気の救世主となるとし、ポーリングの著書はベストセラーとなりました。

 しかし、他の研究者が行った多くの臨床試験の結果は、すべてポーリングの期待を裏切るものであり、超高用量のビタミンCの投与がガン患者に効果があるという確証も得られませんでした。これに対して、ポーリングは臨床試験の結果について、「詐欺にして意図的な誤りである」と公然に非難しましたが、それで実験結果が変わることはありませんでした。こうしてポーリングは、その前半生で築き上げた信頼と栄誉を、自らの手で少しずつ打ち壊していったのです。

 ポーリングが後年に行ったビタミンCの研究は論議を呼び、一部の医療専門家からは似非療法と見なされました。ポーリングはそれ以降、機関資金源や学術的な支援、一般社会の評判を失いました。結局、ビタミンCでガンを防げるという主張とは裏腹に、ポーリングは妻エヴァを胃ガンで亡くし、自身も前立腺ガンでその生涯を終えています。もっとも、ポーリングは93歳で亡くなる直前まで、ビタミンCの研究のみならず、化学や物理の理論的研究も続けるほど元気であったから、少なくともビタミンCの大量摂取が健康に害を及ぼすということはないのかもしれません。

 ところで、ポーリングの死後10年以上を経た2006年、高用量ビタミンCの効能に関する新事実が、カナダの研究グループによって提示されました。同グループは、高用量ビタミンCを点滴投与した3人の患者が、予想よりも長く生存していたことを確認したのです。大量投与による副作用は少なく、ガン治療の副作用を軽減させる効果が見られたといいます。今後の臨床試験では、ガン患者に対する静脈内高用量ビタミンC治療の実用性と安全性の究明が、最終的な課題となっています。


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・参考文献

1) トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」文藝春秋(2012年発行)

2) ジョーシュワルツ「シュワルツ博士の化学はこんなに面白い」主婦の友社(2002年発行)

3) 佐藤健太郎「炭素文明論」新潮社(2013年発行)

4) 佐藤健太郎「化学物質はなぜ嫌われるのか」技術評論社(2008年発行)

5) 船山信次「こわくない有機化合物超入門」技術評論社(2014年発行)

6) 佐藤健太郎「世界史を変えた薬」講談社(2015年発行)

7) 深井良祐「なぜ、あなたの薬は効かないのか?」光文社(2014年発行)