・スポーツの科学
【目次】
(1) 筋肉とは何か?
「筋肉」と一言でいっても、筋肉には大きく分けて、2種類あるのはご存知でしょうか?筋肉とは、収縮性を持つ筋繊維からなる組織のことです。筋繊維は、その種類によって、「横紋筋」と「平滑筋」に区別されます。
「横紋筋」は、筋繊維を構成するタンパク質が、規則正しく並んでいる筋肉です。そのため、横紋筋は、外見上規則正しい横紋を見ることができます。さらに、横紋筋は、存在する場所によって「骨格筋」と「心筋」に区別することができます。「平滑筋」は、横紋筋と異なり、1つの筋繊維が単核細胞からできているため、横紋が確認できません。平滑筋は、消化管や血管、性器などに見られ、食物を消化するときの蠕動運動や瞳孔の拡大のような「不随意運動」を司ることで知られています。
表.1 「横紋筋」と「平滑筋」の特徴
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横紋筋 |
平滑筋 |
|
骨格筋 |
心筋 |
||
神経支配 |
随意筋 |
不随意筋 |
不随意筋 |
自動性 |
なし |
あり |
あり |
収縮力の調整 |
しやすい |
しにくい |
しにくい |
再生能 |
あり |
なし |
あり |
横紋筋の中でも「骨格筋」は、骨格に対して関節をまたぐように結びつき、走ったり、ボールを投げたりするときに骨格を動かす筋肉のことです。骨格筋は、標本を顕微鏡で覗くと、明るく見える部分と暗く見える部分が交互に並んでいて、規則正しい横紋を形成しています。明るく見える太い繊維を「ミオシンフィラメント」といい、暗く見える細い繊維を「アクチンフィラメント」といいます。「心筋」は、心臓を構成する筋肉であり、骨格筋と同じ横紋筋ですが、ミトコンドリアの数が非常に多く、骨格筋と違って「不随意筋」です。私たちが一般的にトレーニングなどをして鍛えている筋肉は、骨格筋です。「スポーツの科学」では、主にこの骨格筋について、詳しく説明していきたいと思います。
(2) 筋肉へのエネルギー供給機構
体を動かすという作業は、私たちが想像している以上に、実はずっと大変なことです。例えば、ボールを投げるという単純な行動だけでも、私たちの体の中では、複雑な化学反応が起こっているのです。筋肉は、「収縮」と「弛緩」しかできませんから、言ってしまえば、筋肉は「ゴムのようなもの」に過ぎません。私たちの体は、化学反応を起こし、筋肉の収縮を連動させることで、複雑な運動を可能にしているのですね。
骨格筋のような「随意筋」の収縮を制御しているのは、基本的に脳です。筋肉の収縮を始めさせる情報は、骨格筋では、脳から運動神経を伝わってきます。運動神経から筋繊維の細胞へ電気信号が伝わると、細胞では、刺激を受けてカルシウムイオンCa2+ が放出されます。筋肉の収縮は、筋繊維の細胞に存在するカルシウムイオンの濃度変化によって制御されているのです。カルシウムイオンは、アクチンフィラメントとミオシンフィラメントの活性を高め、アクチンフィラメントはミオシンフィラメントの間に滑り込むように引き寄せられます。その結果、両タンパク質は結合して、「アクトミオシンフィラメント」となり、筋繊維の収縮が起こります。このようなフィラメントの滑り込みによる筋収縮のメカニズムは、「ハックスレーの滑走説」と呼ばれています。
筋肉の収縮は、アクチンフィラメントとミオシンフィラメントの相互作用によって起こりますが、そのためには、エネルギー源が必要です。その筋収縮のエネルギー源は、筋肉内にある「アデノシン三リン酸(ATP)」です。ATPに含まれる「リン酸無水結合」のエネルギーは高く、この結合を切断するときに、蓄積されていた化学エネルギーが放出されます。筋肉はこのエネルギーを利用して、収縮しているのです。このように、筋肉の収縮には、ATPの存在が必要不可欠です。筋肉でATPを生産する仕組みは、「無酸素系エネルギー供給機構」と「有酸素系エネルギー供給機構」の2種類があります。
(i) 無酸素系エネルギー供給機構
「無酸素系」とは、酸素を必要としないエネルギー供給機構です。よく「有酸素運動」だとか、「無酸素運動」だとか耳にすることがあると思いますが、その「無酸素」と同じ意味です。「無酸素系エネルギー供給機構」は、いわゆる「無酸素運動」のエネルギー供給機構なので、短距離走やボール投げなどの、瞬発力が求められる競技に影響します。無酸素系エネルギー供給機構には、主に「ATP-PCr系」と「解糖系」の2種類があります。
(i-1) ATP-PCr系
実は、筋肉の中には微量ですが、「ATP」が元々存在しています。「ATP-PCr系」は、筋肉に元々存在する「ATP」と「クレアチンリン酸PCr」を利用して、エネルギーを得ようとするものです。一般的に「ATP」は、分解されるとエネルギーを放出して、「リン酸Pi」を1個分離した「アデノシン二リン酸ADP」となります。
ATP → ADP + Pi
細胞は、このエネルギーを利用するのですが、ATPは筋肉にはほとんど貯蔵されていないので、激しい運動を1〜2秒しただけで、底を尽きてしまいます。そこで、ATPを補給するため、ADPをATPに戻すという反応が起こります。このATPの再合成に必要なのが「PCr」で、これは筋肉中にたくさん含まれています。PCrは、ATPのように筋肉の収縮に直接使うことはできませんが、代わりにADPをATPに再合成することにより、エネルギーを発生させます。この系は、ATPをすぐに供給できるので、最も強度の高い運動を可能にするのですが、筋肉中に貯蔵されているPCrの量には限りがあるので、最大限に動員されると、たった7〜8秒でATP供給は停止してしまいます。ATP-PCr系は、陸上競技の短距離走や重量挙げなどといった「短い時間内に大きなパワーを発揮する運動」に適しています。このときの最大パワーは、約123 kcal/(kg・s)です。
ADP + Pi → ATP
ところで、今や人類は、100 mを10秒以下のタイムで走りますが、100 m走の要点が、「後半にいかに失速せず最高速度を維持したままゴールできるか」ということであるのはご存知ですか?オリンピックに出場するような一流の100 m走選手でも、各地点での速度を分析すると、100 m走の後半では、必ず失速しているのです。ウサイン・ボルトやカール・ルイスのような一流選手は、後半でスピードが上がっているかのように見えますが、それは他の選手が彼らよりも相対的に失速しているからであって、決して速度が上がっているわけではありません。100 m走で減速するタイミングは、スタートしてから7〜8秒後であり、これがATP-PCr系の限界なのです。
図.1 ウサイン・ボルトは、稲妻を意味する「ライトニング・ボルト」の愛称を持つスプリンター
(i-2) 解糖系
「解糖系」は、筋肉中に蓄えられている「グリコーゲン」を「グルコース」に分解し、「グルコース」を代謝して、「ATP」を得るものです。「グリコーゲン」とは、多数の「グルコース」が重合した物質のことで、複雑な網目構造をとっています。その枝分かれの数は、「植物デンプン」に含まれるアミロペクチンよりもはるかに多いため、「動物デンプン」と呼ばれて、「植物デンプン」とは区別されています。筋肉には、「グリコーゲン」が筋肉の総質量の1〜2%ほど含まれています。
解糖系では、「グリコーゲン」が「グルコース」に分解されると、酸素がないような嫌気的な条件では、「ピルビン酸」を経て「乳酸」となり、その過程でATPを生産していきます。その反応は、細胞質基質にある10種類もの酵素によって行われます。しかし、解糖系は最大限に動員されると、細胞内の乳酸濃度が高まり、pHが酸性に傾いて運動能力を低下させてしまいます。乳酸が筋量の0.3%相当量になると、筋肉は収縮不能に陥るので、解糖系は約30秒しか続きません。このときの最大パワーは、約7 kcal/(kg・s)です。
グリコーゲン → グルコース → ピルビン酸 → 乳酸
解糖系のエネルギーの供給速度は、ATP-PCr系には劣りますが、それでも短時間でATPを生産することができます。それ故に、解糖系は、有酸素系エネルギー供給機構と比べると、かなり高い強度の運動を可能にします。陸上の中距離走やサッカー、ボクシングなど、大抵のスポーツの主要なエネルギー供給機構は、解糖系になります。疲労物質である「乳酸」が特徴的で、運動をして疲労を感じるようなら、それは解糖系が働いている証拠です。スポーツにおいて解糖系は、エネルギー供給機構の中枢なのです。
図.2 「グルコース」と「グリコーゲン」の分子モデル
運動を止めると、体内に残った乳酸を分解しなければならず、酸素が必要となります。このときに体内に酸素を過剰に取り入れる現象を、イギリスの生理学者アーチボルド・ヒルは、「酸素負債」と名付けました。例えば、激しい運動をしたあとに、運動を止めてからもしばらく息切れが続くのが、酸素負債の状態です。運動の強度が大きくなるほど、大量の乳酸が生成され、疲労回復に長い時間がかかります。
疲労が溜まっているときには、食事で十分な炭水化物を補給することが不可欠です。グリコーゲンが再び貯蓄されるまでには、長い時間がかかるからです。疲労の程度にもよりますが、最低でも24時間はかかります。したがって、食事を適切に管理しない限り、きつい練習メニューを続けていると、筋肉に貯蓄されていたグリコーゲンが、数日をかけて少しずつ減ります。こうして、エネルギーの供給が減ると疲労が溜まってしまい、アスリートは「気が抜けた状態」になってしまいます。疲労を蓄積させないように、アスリートは、食事にも注意を払う必要があります。
(ii) 有酸素系エネルギー供給機構
「有酸素系」とは、酸素を必要とするエネルギー供給機構です。「有酸素系エネルギー供給機構」は、いわゆる「有酸素運動」のエネルギー供給機構のことなので、ウォーキングやジョギング、エアロビクスなどの運動がこれにあたります。「酸素」は、呼吸をして細胞内に取り込む必要があり、また有酸素系エネルギー供給機構は、複雑な代謝方法のため、エネルギー供給速度は無酸素系に劣りますが、無酸素系よりも長時間ATPを生産することができるという長所があります。有酸素系エネルギー供給機構には、主に「クエン酸回路」と「電子伝達系」の2種類があります。
(ii-1) クエン酸回路(TCA回路)
「クエン酸回路(TCA回路)」は、「アセチルCoA」を代謝して「二酸化炭素」と「水素原子」に分解し、その過程でATPを得るものです。「アセチルCoA」は、「グルコース」・「アミノ酸」・「脂肪酸」より補給されます。酸素が十分に供給され、「アセチルCoA」がなくならないような好気的な条件であれば、長時間エネルギーを供給し続けることができます。クエン酸回路では、「脂肪酸」が「アセチルCoA」の原料となるので、一般的に有酸素運動により「脂肪を燃焼させる」という仕組みは、このクエン酸回路によるものです。
しかしながら、脂肪酸だけを選択的に代謝するというのは、現実には不可能であり、通常はグルコースやアミノ酸と同時に、脂肪酸も代謝されていきます。代謝される割合は、運動強度によって一定でなく、強度の高い無酸素運動では、グルコースが主に代謝され、運動強度が低くなるにつれ、脂肪酸の割合が大きくなっていくと考えられています。アミノ酸は条件によらず、エネルギー供給には、わずかに関与するのみです。
グルコース or アミノ酸 or 脂肪酸 → アセチルCoA → 二酸化炭素 + 水素原子
運動強度が高く、酸素がないような嫌気的な条件では、「グルコース」は解糖系で「ピルビン酸」を経て、「乳酸」まで代謝が進みます。しかし、運動強度が低く、酸素が十分にあるような好気的な条件では、解糖系は「ピルビン酸」で代謝が停止して、その「ピルビン酸」が「アセチルCoA」に変換されるのです。
グルコース → ピルビン酸 → 乳酸
グルコース → ピルビン酸 → アセチルCoA
解糖系は、最大限に動員されると、ATP生産を約30秒で停止してしまいます。しかし、運動強度を落としてやれば、解糖系は、2時間以上もATPを生産することが可能になります。したがって、適度な運動強度では、「解糖系とクエン酸回路の混じった運動」となるのです。そこからさらに運動強度を下げていくと、解糖系の割合が減って、脂肪酸の代謝される割合が大きくなっていくので、脂肪を効率よく燃焼させるには、軽い運動を長時間行なうのが最適だということが分かります。
お腹が出てきたということで、仰向けに寝た状態から上半身を垂直に起こす「上体起こし運動」をする人がいます。腹筋運動によって、脂肪を燃焼させることが狙いなのだと思います。しかし、上体起こし運動は無酸素運動なので、エネルギー消費量は高くありません。上体起こしを100回したとしても、消費するエネルギー量はたかだか30 kcalです。脂肪1 gの熱量は9 kcalです。上体起こし運動で、脂肪だけがエネルギー源として使われたと仮定しても、燃焼する脂肪は30/9=約3.3 gとなります。上体起こしを100回やったとしても、脂肪は3.3 gしか減らないのです。無酸素運動をしても、エネルギー消費量は少なく、脂肪を燃焼させて痩せるのは無理なのです。ただし、無酸素運動を続けて筋量が増すと、基礎代謝が亢進して、エネルギー消費量が増加することは考えられます。
図.3 「脂肪を燃焼させる」ためには、「クエン酸回路」を働かせる必要がある
また、よくトレーニングにおいて、激しい無酸素運動のあとに、軽い有酸素運動を行うことがあります。これは、解糖系とクエン酸回路の性質を、上手に利用しているものです。激しい無酸素運動のあとでは、筋肉中に疲労物質である「乳酸」が大量に存在しています。しばらく時間が経つと、乳酸は肝臓で処理されていきますが、これでは時間が掛かって大変です。クエン酸回路では、乳酸を解糖系と「逆の経路」で、ピルビン酸に再変換してアセチルCoAとし、エネルギー源として消費することができるのです。
乳酸 → ピルビン酸 → アセチルCoA
激しい運動のあとにさらに軽い運動なんかして、逆に疲労が溜まるのではないかと思うかもしれません。しかし、この方法は、乳酸をクエン酸回路ですぐに消費することができるので、何もしないでいるよりも、むしろ疲労が緩和されるのです。この方法を「積極的休息」といい、軽い運動をすることによって、マッサージや入浴と同じように血行が促進され、乳酸濃度が低下することによります。運動生理学者であるフォックスによると、何もしない安静状態、すなわち「消極的休息」による乳酸除去の半減期が25分であるのに対して、「積極的休息」では、わずか12分に過ぎないといいます。この半減期を手掛かりにすれば、血液中から乳酸を完全に除去するには、安静状態では2時間を要しますが、軽い運動をした際には1時間以内で済むことになります。
スポーツでは、「ウォーミングアップ」の重要性はよく認知されています。しかし、「クールダウン」の重要性は、あまり認知されていないように思えます。激しい運動のあとでは、クールダウンをするのさえ、億劫になってしまう気も分かりますが、科学的にもクールダウンの有用性は確かめられていることなので、しっかり活用して欲しいものです。
さらに、別の研究によると、積極的休息は、精神的疲労にも効果があることが分かっています。例えば、繰り返し作業をするときに、休息期の間に作業で使わなかった筋肉を活動させると、次の作業量は相対的に増えてきます。これは、休息期に積極的休息を取ったためであり、気分転換だとか気晴らしの効用です。気分転換を利用した作業では、疲労していない筋肉からの情報が脳幹網様体に送られ、ついでに大脳の興奮状態を高めることに役立っていると考えられます。
一般的に疲労回復には、休養睡眠や栄養を充分に取ることが大切であるといわれます。これは、「消極的な疲労解消法」といえます。これに対して、気分転換やレクリエーションなどを利用することは、「積極的な疲労解消法」といえます。仕事などで、肉体的にも精神的にも疲れたときは、静かに体を休めるよりは、軽く体を動かす方が血行は促進され、むしろ疲労の回復は早くなります。仕事のあとに、軽いジョギングなどの身体運動を10分でもでも実行するだけで、効果はてきめんです。スポーツや身体運動などでいい汗をかくことによって、体の健康だけでなく、心の健康も得られるようになります。
(ii-2) 電子伝達系(酸化的リン酸化経路)
「電子伝達系(酸化的リン酸化経路)」は、解糖系やクエン酸回路でATPを得るときに同時に生成する「水素原子」を利用して、ATPを得るものです。水素原子は電子を抜き取られて水素イオンとなり、この電子がミトコンドリアの内側の膜に埋め込まれているタンパク質群によって処理されるときに放出されるエネルギーを利用して、ATPを生産していきます。電子伝達系の反応には酸素を消費して、有酸素運動ではクエン酸回路と併用して、ATPを生産していきます。電子伝達系は、エネルギーを生産するための代謝の最終到達点であり、グルコースやアミノ酸、脂肪酸などの代謝が、この反応に収束します。
表.2 「エネルギー供給機構」の比較
|
ATP-PCr系 |
解糖系 |
有酸素系 |
酸素 |
必要としない |
必要としない |
必要とする |
エネルギー供給速度 |
速い |
普通 |
遅い |
最大持続時間 |
約7〜8秒 |
約30秒 |
無限 |
必要な主な物質 |
クレアチンリン酸 |
糖 |
糖、脂肪 |
副産物 |
なし |
乳酸 |
なし |
これまでに、「無酸素系」と「有酸素系」のエネルギー供給機構について述べてきましたが、これらのエネルギー供給機構は、相互に働き合いながら、私たちの筋肉の動きを支えています。強度が高く、短時間で終わるような運動(例えば100 m走など)では、最もエネルギー供給速度の大きい「ATP-PCr系」から、エネルギーの大部分が供給されます。これよりも運動時間が長く、運動強度も低くなるに従い、徐々に「解糖系」の関与が大きくなっていき、さらには「クエン酸回路」や「電子伝達系」などの有酸素系に取って代わられていきます。
スポーツでは、体力の発達が求められますが、これは単純な筋肉量の増加だけではなく、エネルギー供給機構の発達でもあるのです。スポーツでは、前者ばかりが注目されがちですが、後者の与える影響も大きいと考えられます。エネルギー供給の仕組みを理解し、活用できれば、各々の場でさらなる活躍ができることでしょう。
(3) 筋繊維の種類と収縮特性
お寿司屋さんでネタを注文するとき、「赤身の魚」と「白身の魚」の2種類があることは、皆さんも知っていることでしょう。「赤身の魚」は、マグロやカツオなどの広大な範囲を泳ぎ回る「回遊魚」に多く、「白身の魚」は、ヒラメやカレイなどのあまり動かず「じっとしているタイプの魚」に多く見られます。この色の違いは、魚の筋肉を構成する筋繊維の種類が、「赤身」と「白身」で異なっているからです。
図.4 「赤身魚」や「白身魚」の寿司
マグロやカツオなどの赤身魚は、筋肉中に「ミオグロビン」という色素タンパク質が多く含まれています。ミオグロビンは、酸素との親和性が高く、筋肉中で酸素を貯蔵する役割をするタンパク質です。ミオグロビンは赤色のタンパク質なので、このタンパク質を多く含むマグロやカツオなどの筋肉は、赤く見えるのです。一般に肉100 g中のミオグロビンが10 mgを超えた辺りから、身が赤く見え始めるといいます。一方で、ヒラメやカレイなどの白身魚は、筋肉中に含まれるミオグロビンが非常に少ないため、筋肉が白く見えます。これらの違いから、赤身魚に見られるようなミオグロビンを多く含む赤い筋繊維を「遅筋」といい、白身魚に見られるようなミオグロビンの少ない白い筋繊維を「速筋」といいます。この筋繊維の違いは、魚の「生活行動」と密接な関係があります。
マグロやカツオなどの「回遊魚」は、集団生活をして高速で泳ぎ続け、たとえ寝ていようと、泳ぐことを止めません。マグロやカツオはエラ蓋を動かせないため、口を開けたまま泳ぎ、口からエラに新鮮な水を送って、呼吸をしているのです。そんな体の構造のせいで、泳ぐのを止めると、酸欠で死んでしまいます。寝ている間も泳ぎ続けているなど、信じがたいことですが、これが可能なのは、遅筋にミオグロビンが大量に存在し、有酸素系のエネルギー供給機構が非常に発達しているからです。有酸素系エネルギー供給機構には、「長時間の運動が得意」という長所があります。さらに、ミオグロビンは酸素との親和性が高いので、酸素不足にもなりにくく、長時間効率よくATPを生産することが可能になるのです。
図.5 マグロは、常に泳ぎ続けていないと死んでしまう
それに対して、ヒラメやカレイなどの魚は、海底や岩陰でひっそりとしていることが多い魚です。海底や岩陰で獲物を待ち伏せして、一気に襲い掛かるのです。このような魚は、長時間の回遊はできませんが、獲物を捉えるときなどの瞬発力に優れています。この理由は、速筋の無酸素系エネルギー供給機構が非常に発達しているからです。無酸素系エネルギー供給機構には、「強度の高い運動が得意」という長所があります。それ故に、白身の魚は、瞬間的に爆発的な力を出すことができるのですね。
図.6 獲物を待ち伏せするヒラメ
ところで、「サーモンピンク」といわれるサケは、白身魚と赤身魚のどちらでしょうか?サケの身は赤いのですが、生物学的には、速筋が発達した「白身魚」に分類されます。サケの身の赤色は、遅筋の色の原因となるミオグロビンによるものではなく、餌として摂取された、エビやカニなどの甲殻類の外殻に含まれる「アスタキサンチン」という赤色色素によるものなのです。それ故に、色もミオグロビンで赤くなっている普通の赤身魚のような色調にはならないし、焼いても赤いままです。イクラが赤いのも、この色素が原因です。
ちなみに、なぜ生きているエビやカニは、サケの身のように赤くないのでしょうか?エビやカニに含まれるアスタキサンチンは、エビやカニが生きている間は、「クラスタシアニン」と呼ばれるタンパク質と複合体を作っています。クラスタシアニンは、アスタキサンチンが吸収する光の波長を変えるので、生きている間は「黒っぽい青灰色」を呈しています。しかし、これらの甲殻類を煮たり焼いたりして熱にかけると、クラスタシアニンが変性して、アスタキサンチンとの結合が切れ、アスタキサンチンが本来持っている「赤色」を呈するのです。
図.7 「アスタキサンチン」は、エビやカニに含まれる赤色色素である
このような魚に見られる速筋と遅筋の違いは、人間の筋肉にも当てはめることができ、運動生理学に興味のある人ならば、「スプリンターは速筋が発達していて、マラソン選手は遅筋が発達している」というようなことを、一度は耳にしたことがあるかと思います。よくオリンピックの100 m走決勝で、出場選手が黒人選手ばかりなのを見て、「黒人は筋肉の質が違う」ということがあります。これは、100 m走に出場している黒人選手の速筋が、非常に発達していることを言い表しているのです。さらに、筋繊維には、「速筋」や「遅筋」の他に、その中間的な性質を持った「中間筋」の存在も認められており、次の表.3に、それぞれの筋繊維の特性を示します。
表.3 「骨格筋繊維」の特性
分類 |
遅筋繊維 |
中間筋繊維 |
速筋繊維 |
色 |
赤い |
赤い |
白い |
筋繊維径 |
小さい |
中間 |
大きい |
瞬発性 |
低い |
中間 |
高い |
持久性 |
高い |
中間 |
低い |
無酸素系 |
弱い |
中間 |
強い |
有酸素系 |
強い |
中間 |
弱い |
ミトコンドリア |
多い |
中間 |
少ない |
グリコーゲン含有量 |
少ない |
中間 |
多い |
速筋繊維は、収縮速度が速く、発揮張力も大きいですが、疲労しやすいという特徴があります。逆に遅筋繊維は、収縮速度が遅く、発揮張力も小さいですが、疲労しにくいという特徴があります。遅筋繊維には、速筋繊維の約1.5倍のミトコンドリアが含まれています。ミトコンドリアが多いということは、有酸素能力に優れていることを意味し、エネルギーを安定して供給できるので、疲労が起こりにくいのです。そして、中間筋繊維は、両方の筋繊維の特徴を併せ持った筋繊維です。一般に、身体部位を敏速に動かすことを余儀なくされた筋肉では、速筋繊維の割合が多くなります。逆に長時間に渡って、弱い筋力を発揮し続けることを余儀なくされた筋肉では、遅筋繊維の割合が多くなります。具体的には、速筋繊維は外側広筋や大腿直筋、上腕三頭筋、腓腹筋などで多いです。一方で遅筋繊維は、ヒラメ筋や大殿筋、脊柱起立筋、横隔膜などで多いです。
このように、3種の筋繊維はそれぞれ違った特性を持っており、人によって、これらの筋繊維の割合が異なります。例えば、スプリンターの筋繊維は、速筋の比率が高く、ATP供給速度が速いため、瞬発力に優れますが、乳酸が蓄積しやすいため、持久力に劣ります。逆に、マラソン選手の筋繊維は、遅筋の比率が高く、ATP供給速度が遅いため、瞬発力に劣りますが、乳酸が蓄積しにくいため、持久力に優れているのです。このような筋繊維の比率は、「遺伝」よる影響が大きいと考えられ、トレーニングによって、速筋を遅筋に変えたり、遅筋を速筋に変えたりすることは、難しいとされています。
日本人の場合は、速筋よりも遅筋が発達している民族であるといわれており、実際に高橋尚子や野口みずきを始めとして、オリンピックでマラソンの金メダリストは多いです。また、オリンピックの「花形競技」でもある100 m走では、黒人選手の中でも、西アフリカを出自とする選手の強さが目立っており、ウサイン・ボルトやマイケル・ジョンソンは、西アフリカを出自とする選手です。これらの選手は、遅筋よりも速筋が発達していると考えられています。
図.8 高橋尚子は、女子マラソンの元世界記録保持者で、女子スポーツ界で初の「国民栄誉賞」を受賞した
ただし、黒人だからといって、全員が速筋優位なのかといえば、そうでもありません。現に、長距離走やマラソンの世界記録保持者は、東アフリカを出自とする選手に多く、これらの選手は、速筋よりも遅筋が発達していると考えられます。要するに、スポーツに黒人だとか白人だとかの人種は関係なく、一番大きな要因は、その人の「筋繊維の比率」であるということです。日本人でも、伊東浩司や桐生祥秀のように速筋の比率が大きい選手は、西アフリカの短距離走選手に引けを取りません。
表.4 各スポーツ選手の「筋繊維の比率」
※参考までに、一般的なアメリカ人と日本人も加えている
上の表.4に、各スポーツ選手と一般的なアメリカ人および日本人の「筋繊維の比率」を示しました。表.4からは、速筋の割合が多いスポーツほど「瞬発力」が求められ、逆に遅筋の比率が多いスポーツほど「持久力」が求められるということが分かります。このことは、筋繊維の特徴とも一致しており、敢えて厳しいことを言うなら、筋繊維の比率がそのスポーツの理想的なバランスに従っていない場合、そのスポーツでの活躍は難しいでしょう。つまり、多くの日本人にとって、陸上短距離走で金メダルを目指すということは、あまり現実的ではないのです。ただし、表.4で示した日本人の筋繊維の比率は、全体の平均値であり、もちろん人によっては、陸上短距離走選手に近いような筋繊維バランスの人もいます。
参考までに、以下に、簡単に筋繊維の比率を求めることができる計算式を示します。50 m走のタイムをX秒、12分間走の距離をY mとすると、速筋と遅筋の割合は、次式のように求めることができます。
少し複雑な計算式ですが、上式より、速筋と遅筋の比率を、百分率で算出することができます。計算に50m走と12分間走の記録が必要なので、記録のない人にとっては、少々面倒ですが、是非とも記録を計測して、計算してみてください。表.4の統計では、日本人の平均値が「速筋:遅筋=30:70」なので、計算した多くの方は、この値に近い結果となるのではないでしょうか。
しかし、速筋の比率が低いからといって、陸上短距離走やサッカーなどのスポーツを諦める必要は、微塵もありません。現に、日本人の中でも、陸上短距離走やサッカーなどのスポーツで、世界的に活躍している選手はたくさんいます。確かに彼らの速筋は、生まれつき多くの日本人よりも発達していたかもしれません。しかし、平均的な日本人でも、筋繊維を鍛えて、瞬発力を発達させる方法があるのです。
図.9 桐生祥秀は、100 m走の公認記録で日本人史上初の9秒台の記録を出したスプリンター
一般的に筋肉トレーニングをして、速筋や遅筋を鍛える場合、その原理は、筋繊維の肥大化や、運動神経およびエネルギー供給機構の発達などによるものです。それぞれの筋繊維を鍛えることで、たとえ速筋の比率が低くても、瞬発力を発達させることができますし、遅筋の比率が低くても、持久力を発達させることができるのです。しかしながら、いくら筋繊維を鍛えようとも、遅筋を速筋に直接変えて、数を増やすことはできませんし、速筋を遅筋に直接変えて、数を増やすこともできません。つまり、速筋や遅筋のみをトレーニングによって鍛える方法には、限界があるのです。平均的な日本人のように、速筋の少ない人が瞬発力を発達させる鍵は、「中間筋」にあります。
「中間筋」は、「速筋」と「遅筋」の中間的な性質を持った筋肉のことであり、誰もが速筋や遅筋と同じように持っている筋繊維です。実は、この「中間筋」を鍛えることで、「中間筋」に「速筋」の性質を持たせることができると考えられているのです。したがって、トレーニング次第では、速筋が少ない人でも、中間筋を鍛えて、速筋の比率を大きくすることができます。逆に遅筋が少ない人は、中間筋を遅筋に変化させることはできないのかと、疑問に思うかもしれません。しかし、残念ながら、中間筋は速筋にしか変化させることができず、遅筋の数を増やすことはできないと考えられています。しかし、トレーニング次第では、速筋を中間筋に変化させることはでき、これによって、持久力を発達させることが可能になります。つまり、何事もトレーニング次第では、少ない筋繊維を中間筋で補い、各々のスポーツに適した筋繊維バランスにすることが可能になるのです。
(4) スポーツにおけるトレーニングの効果と方法
スポーツにおけるトレーニングで、よく議論になるのが、「ウエイトトレーニング」が、スポーツの競技力の向上に、果たして繋がるのかどうかということです。ウエイトトレーニングは、一般的に「速筋の肥大化」をねらうものです。筋力は、筋繊維の太さに比例して強くなり、筋の横断面積1 cm2あたり約6 kgの力が発揮されます。速筋は、無酸素系が発達した筋繊維なので、速筋を肥大化させることで、「強度の高い運動」が可能になります。多くのスポーツで、主要なエネルギー供給機構は、「ATP-PCr系」や「解糖系」などの無酸素系なので、ウエイトトレーニングをすることは、間違った方法論ではありません。
しかしながら、スポーツにおける「持久力」となると、筋肥大をねらったウエイトトレーニングをするだけでは、少し不十分です。スポーツには「瞬発力」だけではなく、「持久力」も同時に求められるものが多いからです。例えば、サッカーは瞬発力が求められるスポーツですが、トップ選手になると、1試合に10 km以上も走り続けられるような持久力も求められます。特に陸上長距離走やマラソンでは、瞬発力よりもむしろ持久力が重要視されます。このような筋肉によって生み出される瞬発力や持久力などの「筋力」は、一般的に次のように定義されています。
筋力 = 筋肥大 × 神経発達度 × 瞬発力 × 持久力
つまり、スポーツに必要な「筋力」とは、速筋や遅筋の「総合力」なのです。よく「ボディービルダーの筋肉は役に立たない筋肉だ」などと、過度に肥大化した筋肉を揶揄するものがあります。これは、彼らの筋肉が「筋肥大」の要素ばかり突出していて、「神経発達度」・「瞬発力」・「持久力」が伴っていないということを指摘するものなのです。もちろん、ボディービルダーの中にも、「筋肥大」の要素だけでなく、「神経発達度」・「瞬発力」・「持久力」の要素も優れた選手はいることでしょう。しかし、「筋力」には「筋肥大」の要素だけではなく、他の要素も同じぐらい重要であるということは、紛れもない事実です。
図.10 ボディービルダーの「筋力」は、「筋肥大」の要素が著しく突出している
すなわち、筋力トレーニングとは、「筋肥大」によって絶対的な力を増やし、「神経発達」によってその筋肉の動員量を増やし、「瞬発力」によって発揮する速度を増やして、その筋力を「持続させる力」を増やすことなのです。これらの要素の積が「筋力」なので、どれか1つの要素だけを集中的に鍛えて、他の要素を疎かにするのは、あまり良いトレーニングとはいえません。しかし、スポーツで求められる「筋力」のバランスは、各々のスポーツで異なるのが通常です。例えば、短距離走の選手が「持久力」ばかりを鍛えたり、長距離走の選手が「瞬発力」ばかりを鍛えたりしても、活躍は望めないでしょう。そのスポーツに適した「筋力」の要素を決定して、それを意識したトレーニングメニューを組むことが、効果的であり大切なことです。
(i) 無酸素運動によるトレーニング
速筋や遅筋は、「無酸素運動」によって鍛えることができます。速筋では、「筋肥大」・「神経発達度」・「瞬発力」の要素を発達させることができ、遅筋では、「神経発達度」・「持久力」の要素を発達させることができます。遅筋は、速筋とは異なり、「筋肥大」させることができません。これは、発達した遅筋を備えているはずのマラソン選手の肉体を見れば、すぐに分かることだと思います。オリンピックなどで、筋肉隆々の大柄なマラソン選手は、全くいないはずです。一方で、短距離走選手の肉体は、筋肥大を伴っていて、筋肉隆々の選手が多いことが分かります。
図.11 マラソン選手(左)と短距離走選手(右)の肉体の比較
ここで、次の表.5に、各筋繊維の鍛えることができる「筋力」の要素をまとめました。速筋と遅筋で被っている要素は、「神経発達度」だけです。したがって、神経発達度はどのスポーツにおいても、非常に重要な筋力要素になります。残りの要素は、速筋と遅筋で分かれており、各々のスポーツによって、トレーニングの仕方が異なってくるので、自分に合ったトレーニングを選択する必要があります。
表.5 無酸素運動によるトレーニングで鍛えることができる「筋力」の要素
|
筋肥大 |
神経発達度 |
瞬発力 |
持久力 |
速筋繊維 |
○ |
○ |
○ |
× |
遅筋繊維 |
× |
○ |
× |
○ |
(i-1) 速筋の筋肥大について
「筋肥大」が生じる筋繊維は、「速筋」だけです。また、トレーニングによって、「中間筋」を「速筋」に変化させて、肥大化させることもできます。なぜ、このように速筋でしか筋肥大が生じないのでしょうか?その理由は、「筋肥大の仕組み」を考えることで、理解することができます。
速筋は、ウエイトトレーニングなどで、日常生活では受けることのない強い負荷を何回も受けると、筋繊維の一部が損傷し、疲労状態になります。これは、ちょうど「筋肉痛」が生じている状態です。損傷した筋繊維に、「ヒスタミン」や「ブラジキニン」などの発痛物質が作用して、痛みを生じさせているのです。痛みは、運動後8〜24時間で現れる場合が多く、これを「遅発性筋肉痛」といいます。運動している最中ではなく、あとで痛みを感じるのは、化学物質を分泌するのに時間がかかるからです。特に歳を取るとさらに時間がかかり、2〜3日後くらいに、痛みのピークが訪れるケースが多くなります。
この状態から筋繊維が回復する際に、体の防御反応として、再び同じ負荷を受けても筋繊維が損傷しないように、筋繊維を肥大化させます。このような筋繊維の損傷と回復を繰り返すことで、徐々に筋肥大が進むのです。筋繊維が回復する際に筋肥大が見られるので、これを「超回復」といいます。超回復期間は、疲労や筋肉痛を感じていることが多いです。この状態で筋肉へ過負荷を与えるトレーニングなどを行うと、筋肥大はおろか、怪我にまで繋がる危険性もあります。筋肥大をねらうトレーニングをする場合は、筋肉を休ませる超回復期間が、非常に重要になります。
図.12 「筋肥大」を生じさせるには、「超回復」が非常に重要になる
そして、なぜ速筋でしか筋肥大が生じないのかという疑問についてですが、この理由は、運動をして疲労を感じるのは、「解糖系」によるエネルギー供給のみだからです。また、強い負荷を受けるようなトレーニングにおいては、高い強度の運動を可能にする「無酸素系エネルギー供給機構」の多い速筋が中心に収縮します。このような理由から、筋肥大は、速筋でしか見られないと考えられています。
しかしながら、筋力トレーニングによる筋肥大のメカニズムについては、現在必ずしもすべてが明らかにされているわけではありません。ただし、筋肥大には、「テストステロン」という男性ホルモンが重要な働きをすることが知られています。このホルモンは、幼児期にはほとんど分泌されませんが、思春期になると急に分泌量が増加し、特に男性では多量に分泌されます。この男性ホルモンは、男性では精巣、女性では副腎皮質から分泌され、骨格筋に対して、そのタンパク質同化作用を促進し、筋肥大を促す働きをしています。
1988年のソウルオリンピック陸上競技男子100 m種目において、ベン・ジョンソンが当時としては驚異的な記録である9秒79の世界記録で優勝しました。しかし、筋力増強剤の「アナボリックステロイド」使用のドーピングにより、世界記録と金メダルを剥奪されてしまいました。アナボリックステロイドとは、筋肉の肥大を促進するタンパク質同化作用の強いステロイド系ホルモンの一種で、筋力トレーニングとともに服用すれば、筋肉の増強は一段と強まります。しかし、その副作用として、肝機能や生殖機能の障害、心臓血管系の疾患など、健康上の危険性が極めて高いのです。そのため、国際オリンピック委員会では、アナボリックステロイドをドーピングの禁止薬物として指定し、違反したベン・ジョンソンを失格としたのです。筋肥大による筋力の向上は、やはり筋力トレーニングにおける生理的適応によるべきです。
図.13 ベン・ジョンソンは、ソウルオリンピックでドーピングの陽性反応が出たことで、金メダルを剥奪された
(i-2) 速筋と遅筋の神経発達について
筋肉は、ウエイトトレーニングなどで、自分の限界に近い強い負荷を受けると、大脳の運動中枢の興奮性が高まり、運動神経を通して電気信号が伝達される筋繊維の量が増加します。このようなトレーニングをして、筋肉の神経機能が発達すると、より多くの筋線維を動員できるようになり、より大きな力を出せるようになるのです。つまり、これは「神経伝達の効率化」であり、できるだけ少ない筋肉で、最大限の能力を引き出そうとするものです。自然な体の反応としては、筋肉を肥大化させるよりも、神経伝達の無駄をなくして、効率化を図ったほうが、代謝も少なく楽なのです。
よく「火事場の馬鹿力」とはいいますが、これも原理は一緒です。脳は緊急事態を察知して、神経伝達を活性化して、筋肉の動員量を増加させるのです。人は普段は2〜3割ほどの力しか出していないといいます。しかし、すべての骨格筋が出せる力を合わせると、その力は20〜22 tにも達するといわれています。
また、神経発達は、「反復練習」によっても発達することが分かっており、これは同じ動作を繰り返すことによって、神経伝達の無駄がなくなるためです。よく「体が覚える」という表現をしますが、これは効率化された神経発達が、「手続き記憶」になったものだと考えられています。手続き記憶は、普通の記憶とは異なり、イメージとして思い浮かべることが難しく、記憶が失われにくいという特徴があります。手続き記憶は、小脳とかなり重要な関係にあるということがよく知られています。
ウエイトトレーニングによって神経発達を狙う方法は、筋肥大を狙うウエイトトレーニングと似ています。しかし、神経発達の場合は、筋肥大よりも強い負荷を、ほんの数回だけ行うのが効果的です。また、筋力トレーニングの初心者では、トレーニングの初期に、筋力が著しく向上することがあります。このような筋力の向上は、筋繊維の肥大によるものではなく、トレーニングの重量負荷に対する筋力発揮に動員される筋繊維数が増大し、その結果として起きたものと考えられています。なお、このようなトレーニングをさらに長期間継続すると、徐々に筋肥大が生じてきます。
(i-3) 速筋の瞬発力について
ウエイトトレーニングなどのように、筋肉に負荷を掛けるトレーニングでは、「できるだけゆっくりと筋収縮させるのが効果的である」という旨の記述をよく見かけます。これは、ダンベルやバーベルを持ち上げるときに、ゆっくりと持ち上げるということです。ただし、このような場合のトレーニングは、「筋肥大」をねらったトレーニングであることが多いので、「瞬発力」を鍛えたい場合は、ゆっくりとではなく、素早く持ち上げます。このような運動をして、素早く筋収縮をさせることで、筋肉の収縮力や神経の反応力が発達し、高い瞬発力を出すことができるようになるのです。また、このようなトレーニングを繰り返すことで、ATP供給速度が速い解糖系などの無酸素系エネルギー供給機構が発達し、中間筋を速筋に変化させて、瞬発力を発達させることもできると考えられます。
(i-4) 遅筋の持久力について
「持久力」は、一般的には「スタミナ」として捉えられています。この能力は、ある状態を維持し続けたり、ある動作を連続して続けたりする能力のことです。連続して続けることができなくなると、疲労に陥ります。したがって、持久力とは、「疲労に耐える能力」といってもいいでしょう。持久力は、筋肉と心肺の2つの能力に分けることが多いですが、大抵この両者は相伴しています。筋肉の持久力は高いものの、心肺のそれは劣るということや、その逆の例は少ないです。
遅筋繊維の持久力を高めるためには、ウエイトトレーニングなどの無酸素運動で、筋肉に何回も繰り返しできるような低負荷をかけます。すると、筋肉のエネルギー供給機構が発達し、持久力を高めることができます。これは、低負荷の無酸素運動を繰り返すことで、筋肉中のグリコーゲンの貯蓄量が増加し、解糖系における乳酸の処理能力が高まるからです。
遅筋に多く存在しているのは、有酸素系エネルギー供給機構です。しかし、遅筋にも、無酸素系エネルギー供給機構は存在しています。先にも述べたことですが、適度に負荷を落とした運動においては、そのエネルギー供給機構は、解糖系と有酸素系が混ざった運動になるのです。この事実として、高い持久力が求められるマラソンの選手の運動形態を分析すると、クエン酸回路や電子伝達系などによる有酸素運動よりも、解糖系による無酸素運動の比重の方が多いそうです。マラソン選手の筋肉は、このような優れた解糖系により、速筋や遅筋で生じた乳酸が蓄積されにくく、疲労が溜まりにくい筋肉となっていることが考えられます。
長時間持続する運動の場合は、乳酸は生成されても、すぐに除去されます。しかし、生成速度が除去速度を上回るようになると、血液中に急に乳酸が蓄積されるようになります。生成速度と除去速度のバランスが崩れ、乳酸が急速に蓄積し始める臨界点は、「無酸素性作業閾値」と呼ばれ、血液中の乳酸濃度が、およそ4 mmol/Lの付近です。よくトレーニングしているマラソン選手は、脂肪を有効に燃焼させ、一般人よりも炭水化物を燃焼させる割合が相対的に少ないことが知られています。このため、マラソン選手と一般人では、同じ強度の運動をしても、そもそも生成する乳酸の量が違うということも考えられます。
また、このような低負荷の無酸素運動を繰り返すことで、乳酸を処理する速筋の有酸素系エネルギー供給機構も発達し、速筋を中間筋に変化させて、持久力を発達させることもできると考えられます。
図.14 「無酸素性作業閾値」と運動強度の関係
(i-5) 無酸素運動のトレーニング内容
実際にトレーニングをする場合、鍛えたい要素に応じて、どのくらいの負荷を掛ければ良いのかを、理解していなければなりません。ウエイトトレーニングで負荷を設定するためには、自分の「最大筋力」を知る必要があります。ここでいう「最大筋力」とは、「自分が連続して反復できない最大の負荷」のことを指します。例えば、「60 kgのバーベルを2回は持ち上げることはできないが、何とか1回は持ち上げることができる」という人の最大筋力は、バーベルでは「60 kg」となります。
最大筋力を求める方法には、例で説明したような、限界の負荷を掛けて測定する「直接法」と、最大筋力よりも弱い負荷を掛けて、できた反復回数から測定する「間接法」があります。直接法は怪我をする恐れがあるので、間接法から最大筋力を測定するのが一般的です。次の表.6に、「最大筋力」を求める表を示しました。測定したときの負荷をX〔kg〕として、最大筋力を求めてみましょう。
表.6 負荷X〔kg〕に対する反復回数と「最大筋力」の対応表
連続してできる反復回数 |
最大筋力に対する負荷率 |
最大筋力〔kg〕 |
1回 |
100% |
X |
4回 |
90% |
1.1X |
8回 |
80% |
1.3X |
12回 |
70% |
1.4X |
20回 |
60% |
1.7X |
30回 |
50% |
2X |
具体的な表の使い方としては、まず適当な負荷を設定して、普通にトレーニングをします。例えば、そのとき40 kgのバーベルを20回持ち上げるのが限界だったとしましょう。測定したときの負荷はX=40 kgなので、表.6より、最大筋力は1.7×40 kg=68 kgとなります。これは、最大筋力がバーベルで68 kgの人は、「40 kgのバーベルを20回まで持ち上げることができる」ということです。
それでは、最大筋力を求めたところで、各要素をトレーニングする方法論を紹介しましょう。次の表.7に、目的別の具体的なトレーニング方法を示しました。表.6で求めた最大筋力をY〔kg〕とすると、発達させたい要素によって、次のようなメニューでトレーニングをするのが理想的です。
表.7 目的別トレーニングメニュー
|
神経発達度 |
筋肥大 |
瞬発力 |
持久力 |
トレーニングの負荷 |
高負荷 |
中負荷 |
中負荷 |
低負荷 |
推奨負荷〔kg〕 |
0.9Y〜Y |
0.7Y〜0.8Y |
0.5Y〜Y |
0.3Y〜0.5Y |
反復回数 |
1〜3回 |
10回 |
※1 |
30回以上 |
セット数 |
3セット |
5セット |
※2 |
3セット |
セット間の休憩時間 |
3分 |
1分 |
2分 |
30秒以内 |
瞬発力のトレーニングだけは、少し特殊なので、注釈を付けました。瞬発力のトレーニング方法で気を付けなければならない点は、運動するときに、「素早く筋収縮をさせなければならない」という点です。したがって、瞬発力をトレーニングする場合は、「最大スピード」でトレーニング動作を行う必要があります。よって、※1反復回数については、最大スピードを維持できなくなる回数まで行なうのが効果的です。※2セット数については、負荷を変えて、複数回行なうのが理想的であり、負荷は最初のセットでは弱くして、徐々に強くしていくのが良いでしょう。今回は、最大筋力をバーベルなどの器具を用いて測定する場合と想定して、単位を〔kg〕としていますが、この理論は、走り込みや反復横跳びなどにも、応用することができます。
筋力トレーニングをするときには、タンパク質を十分に摂取することも大切です。骨格筋量は、パフォーマンスに大きく影響します。そのため、多くの種目の選手が、筋量を増やそうと努力しています。成人では、体の細胞を正常に保つために、体重1 kg当たり約1 gのタンパク質が1日で必要になります。筋肥大を伴うようなトレーニング時には体重1 kg当たり1.7〜1.8 gを、持久運動時には体重1 kg当たり1.2〜1.4 gを1日で摂取するのが良いとされています。また、タンパク質摂取による筋肥大の効果を高めるには、運動後にできるだけ速やかにタンパク質を摂取することが大切だということが分かってきました。さらに、運動中の筋損傷の予防には、運動前にタンパク質またはアミノ酸を補給し、血中のアミノ酸レベルを高めておくと良いとされています。
(ii) 有酸素運動によるトレーニング
エアロビクスやジョギングのような「有酸素運動」は、残念ながら、一般的に筋力の発達の効果が少ないとされています。つまり、有酸素運動によるトレーニングだけでは、運動能力の上限の底上げをすることは難しいのです。しかしながら、有酸素運動には、酸素の摂取と運搬にかかわる呼吸や循環器系などの心肺機能を活性化し、促進する効果があるとされ、結果的には、持久力を高めることができると考えられます。また、有酸素運動は、有酸素系エネルギー供給機構を主に働かせる運動形態なので、クエン酸回路により、疲労物質である乳酸を取り除いてくれる効果があります。したがって、有酸素運動によるトレーニングを、無酸素運動によるトレーニングに組み込むことで、より高いトレーニング効果が得られるのです。
図.15 「有酸素運動」には、心肺機能を改善させる効果がある
筋肉を鍛えたいという人や、様々なスポーツで活躍するアスリートの人たちにとっては、有酸素運動だけのトレーニングでは、十分な効果を望むことができません。しかし、「健康のための運動」ということなら、有酸素運動は、とても効果的な運動です。有酸素運動は、心肺機能を高め、冠動脈疾患のリスクを減少させ、ガンや糖尿病の発症率を下げ、さらには神経症や鬱病の予防にも良いとされているのです。また、有酸素運動には、脂肪を燃焼させる効果もあります。強度の高い運動である無酸素運動では、その主要なエネルギー源は炭水化物ですが、強度の低い有酸素運動では、そのエネルギー源は脂肪となるのです。健康を促進するためにも、有酸素運動は必要不可欠な運動です。
(5)「激しい運動は寿命を縮める」は本当か?
適度な運動は、健康に良い影響を与えますが、「激しい運動をしすぎると、かえって老化を早める」という説があります。多くの人は、健康管理や体型維持のために、適度な運動を心がけていると思いますが、これもやりすぎると、かえって逆効果になるのだといいます。よくいわれるのが、「活性酸素」の影響です。運動すると、非運動時に比べて、多くの酸素を消費します。酸素は、人体に欠かせない物質ですが、一部の酸素は、人体に有害な活性酸素に変わってしまいます。体の細胞は、この活性酸素によって酸化されてしまい、そうすると老化やガン、脳血管疾患、心疾患などのリスクが高まります。運動による酸素の多量摂取は、この活性酸素を体内で増やしてしまうことにもなり、むしろ体にとっては好ましくないのだといいます。
運動と寿命の関係を表す学説に、「Rate-of-living theory」というものがあります。これは、「生物が健全な状態で消費できるエネルギーの総量は決まっており、その量を超えてしまうと、健康が衰えて死に至る」というものです。この説に従えば、激しいスポーツなどでエネルギーを多く使う人は、そうでない人よりも、生涯エネルギー量に到達する時間が短いはずです。つまり、激しい運動をする人の寿命は、そうでない人よりも短くなるということです。この「Rate-of-living theory」と似たものに、哺乳類の心臓は20〜25億回拍動すると、寿命が尽きるという仮説もあります。この仮説の根拠として、ハツカネズミなどの小型哺乳類が短命なのは、拍動の速度が速いため、すぐに20〜25億に達してしまうことが挙げられます。一方で、ゾウなどの大型哺乳理は、ゆっくりとした拍動のため、中々20〜25億に達しないので、長く生きられるといいます。ということは、長生きしたいと思うなら、スポーツはなるべくしない方がいいことになります。これは本当でしょうか?
図.16 ハツカネズミは2〜3年しか生きられないが、ゾウは80〜100年の寿命を持つ
2006年、アメリカ生理学会で報告された、カリフォルニア大学リバーサイド校の生物学者であるセオドア・ガーランドらの研究では、「Rate-of-living theory」を否定する結果が出ています。研究では、次のような実験が行われました。何世代にも渡って、回し車で走ることを好むように品種改良された「ランナーマウス」を200匹用意し、100匹には回し車を与え、100匹には回し車を与えませんでした。そして、両者の寿命を比較してみたのです。回し車を与えられたマウスは、与えられていないマウスに比べて、消費エネルギーは25%も多かったです。「Rate-of-living theory」が正しければ、25%も多くエネルギーを消費しているマウスの方が、寿命が短くなるはずです。ところが結果は、回し車を与えられたマウスの平均寿命は735日、与えられていないマウスの寿命は725日で、ほとんど変わりませんでした。
また、運動不足の人とマラソンランナーとの寿命を推定したところ、マラソンランナーの方が10年も寿命が長かったという試算もあります。これは、マラソンのような持久力を付けるトレーニングを行うことで、心臓や循環器系の機能が鍛えられて強くなり、結果として、トレーニング以外のときには、一般の人よりも心拍数が下がり、心臓への負担が軽くなるのが原因ではないかと見られています。こうしてみると、運動と寿命の関係には、定説がないようです。結局は、「活性酸素がたまらない適度な運動が一番体に良い」という結論に落ち着くのかもしれません。
・参考文献
1) 朝日新聞科学グループ「今さら聞けない科学の常識」講談社(2008年発行)
2) 塚原典子/麻見直美 共著「好きになる栄養学」講談社(2008年発行)
3) 日本博学倶楽部『[決定版]「科学の謎」未解決ファイル』PHP研究所(2013年発行)
4) 萩原清文「好きになる分子生物学」講談社(2002年発行)
5) 平澤栄次「はじめての生化学」化学同人(1998年発行)
6) 船山信次「こわくない有機化合物超入門」技術評論社(2014年発行)
7) F・アッシュクロフト 著/矢葉野薫 訳「人間はどこまで耐えられるのか」河出書房新社(2008年発行)
8) 別冊宝島編集部編「新装版 スポーツ科学・入門」宝島社(2007年発行)
9) 山ア昌廣「人体の限界」SBクリエイティブ株式会社(2018年発行)