・有機反応機構(芳香族求電子置換反応)


【目次】

(1) 芳香族性

(2) 芳香族求電子置換反応

(i) 芳香族求電子置換反応の反応機構

(ii) ハロゲン化

(iii) ニトロ化

(iv) スルホン化

(v) アルキル化

(vi) アシル化

(3) 配向効果と活性化効果

(i) オルト-パラ配向性

(ii) メタ配向性


(1) 芳香族性

「芳香族化合物(aromatic compounds)」は、ベンゼンC6H6を代表とする環状不飽和有機化合物の一群です。特に炭化水素だけで構成されるものを、「芳香族炭化水素(aromatic hydrocarbon)」といいます。分子内にベンゼンの構造を持ついくつかの化合物が、特有の芳香を持つことから「芳香族(aromatic)」と名付けられたのですが、必ずしもベンゼンの構造を持つ化合物が「芳香(aroma)」を持つとは限りません。現在は、その特色ある化学物質とその化学的安定性を表す意味として、「芳香族」という言葉を使っています。すなわち、分子中にベンゼンの構造を持つ化合物は熱力学的に安定であり、その特別な安定性を一般的に「芳香族性(aromaticity)」といいます。なぜ芳香族化合物は、特異的に安定なのでしょうか?

 

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.1  様々な芳香族化合物

 

.1に示すように、芳香族性と呼ばれる特別の安定性を有する化合物が、ベンゼン以外にも多く存在しています。そこで、そのような化合物を定義付ける一般則を見出すために、まずは原型となるベンゼンの構造的特徴をまとめてみましょう。

第一に、ベンゼンは「環状構造」を取ります。したがって、芳香族性は、環状化合物が持つ性質であるといえます。そして第二に、ベンゼンは「完全共役(fully conjugated)」しています。完全共役とは、ベンゼンの環状の各炭素が2p軌道を1つずつ持ち、隣接する2p軌道がすべて繋がっている状態を指します。例えば、次の図.2に示す1,3,5-シクロヘプタトリエンを見てみると、環の端で2p軌道の重なり合いが途切れているので、このような化合物は芳香族性を示しません。

 

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.2  芳香族性を示すベンゼンと、芳香族性を示さない1,3,5-シクロヘプタトリエン

 

第三に、ベンゼンは「平面構造」を持ちます。この平面性により、2p軌道の重なり合いが最大となるのです。もしベンゼンの環構造が平面でないならば、2p軌道の重なり合いが十分でなく、2p軌道間の重なり合いにより得られる安定性が、幾分か失われてしまいます。平面構造から大きくずれると、2p軌道同士の環状の重なり合いが、ほとんど切れてしまうのです。その良い例が、次の図.3に示すシクロオクタテトラエンです。この分子は浴槽のような形をしており、2p軌道が直交しているために、2p軌道間の重なり合いがほとんどありません。

 

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.3  平面分子でないシクロオクタテトラエン

 

それでは、環状の平面構造を持ち、完全共役しているすべての分子は、ベンゼンのような芳香族性や安定性を持つのでしょうか?答えは、明らかに否です。例えば、シクロブタジエンは、この3つの規準をすべて満たしていますが、−200という低温でも反応してしまうほど、極めて不安定な分子であることが知られています。シクロブタジエンは、ごくシンプルな構造ながら、作り出すことは大変に難しく、20世紀後半には「有機化学の聖杯」とさえ呼ばれ、多くの科学者が合成を競い合ったことで知られています。シクロブタジエンは、環状平面構造で完全共役でありながら、芳香族性を全く示さない化合物(反芳香族性)です。

 

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.4  環状平面構造で完全共役でありながら、非常に不安定なシクロブタジエン

 

つまり、芳香族性の条件としては、まだ何か欠けているのです。その条件を見つけるには、ベンゼンとシクロブタジエンの違いを考える必要があります。その最終的な一般則が、1931年にドイツの物理化学者であるエーリヒ・ヒュッケルによって提案されました。ヒュッケルは、ベンゼン分子全体のπ電子の軌道を近似的に算出する方法を編み出したのです。その結論だけを言ってしまえば、「環を成しているπ電子の数が4n2(n0,1,2,・・・・・・)個のとき、その分子は芳香族性を示して安定化する」ということになります。これを「ヒュッケル則(Huckel’s rule)」といいます。ベンゼンは、まさにこのn1の場合に当てはまるため、非常に安定な分子として存在できるのです。なお、nは環内の原子数とは、全く関係がないことに注意して下さい。環内の原子数は関係なしに、π電子の数だけを考えれば良いのです。

 

ヒュッケル則(Huckel’s rule)

@ 環状構造である

A 連続した2p軌道を持ち、完全共役している

B 平面構造である

C 4n2個のπ電子を持つ

 

ヒュッケル則を適用すると、ベンゼンは環上π電子を6個持つので、n1の芳香族化合物であり、環上π電子を10個持つナフタレンはn2、環上π電子を14個持つアントラセンはn3の芳香族化合物です。これらの分子は、ヒュッケル則を完璧に満たしていることが分かります。

 

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.5  芳香族化合物は、π電子を4n2個持つ

 

しかしながら、なぜπ電子の数が重要なのでしょうか?ヒュッケル則の「4n2」は、一体どのような意味を持つのでしょうか?これは簡単に言えば、平面環状構造を持ち、完全共役した4n2個のπ電子を持つ分子のみが、ベンゼンと同様の「分子軌道(molecular orbital)」を持つからです。つまり、結合を安定にする「結合性分子軌道(bonding molecular orbital)」に、すべてのπ電子が収まり、不安定化に寄与する「反結合性分子軌道(antibonding molecular orbital)」にも、安定化や不安定化に関与しない「非結合性分子軌道(nonbonding molecular orbital)」にも、π電子が全く入らないのが、4n2個のπ電子を持つ場合なのです。次の図.6に、ベンゼンのπ分子軌道を示します。ベンゼンの6つのπ電子軌道が相互作用すると、6つの分子軌道ができあがりますが、その軌道は、3つの結合性軌道と3つの反結合性軌道です。

 

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.6  ベンゼンのπ分子軌道

 

ベンゼンにおいては、結合性の分子軌道は最大限使われており、結合を弱める働きをする反結合性軌道には、全く電子が入っていません。それ故に、ベンゼンは非常に安定な構造なのです。同様に芳香族性を示すナフタレンでは、そのπ分子軌道は、次の図.7のようになります。ナフタレンは10個の環上π電子を持ち、それらはベンゼンと同じように、すべて安定な結合性軌道に入ります。また、図.7で示すように、芳香族性を示さないシクロブタジエンには、4個の環上π電子があり、そのうち2個は安定な結合性軌道に収まりますが、残りの2個は非結合性軌道に入ります。非結合性軌道は、分子の安定化には寄与しないので、シクロブタジエンの性質は、ベンゼンとは全く異なってきます。それどころか、シクロブタジエンは結合間の内角が90°であることから、大きな歪みを持っており、むしろ不安定な化合物です。

 

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.7  ナフタレンとシクロブタジエンのπ分子軌道

 

(2) 芳香族求電子置換反応

芳香族化合物の反応性は、安定な芳香族性の「6π電子系」を保とうとする性質に支配されています。この芳香族性を破壊するには、非常に大きなエネルギーを必要とし、逆に芳香族性を取り戻すことは、非常に容易なことです。芳香族化合物の最も一般的な反応は、芳香環上の水素を、他の原子や置換基で置き換えるタイプのものです。ベンゼンの代表的な「置換反応(substitution reaction)」のいくつかを、次の図.8に示します。

 

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.8  ベンゼンの代表的な置換反応

 

これらの反応のほとんどは、050℃の反応温度で順調に進行します。しかし、ベンゼン環上にあらかじめ置換基が存在するときは、置換基に応じて、反応条件をゆるやかにしたり、あるいは過酷に調節したりしなければなりません。また、同じ置換基を2つ以上導入するときにも、反応条件を変更しなければなりません。これらの反応の起こり方や、付加反応よりも置換反応が起こりやすい理由、触媒の役割などについては、次で述べます。

 

(i) 芳香族求電子置換反応の反応機構

.8で示した反応のすべてが、ベンゼン環に対する強力な「求電子剤(electrophilic reagent)」の攻撃で始まることは、多くの証拠により分かっています。強力な求電子剤は、ベンゼン環のπ電子雲から与えられるπ電子2個を使ってベンゼン環に付加し、ベンゼン環の1つの炭素原子とσ結合を形成します。その結果、この炭素原子はsp2混成からsp3混成となり、安定な芳香族性を示す6π電子系は破壊されるので、ベンゼン環の安定化エネルギーは失われてしまいます。このように、求電子剤がベンゼン環に付加して、6π電子系を破壊するためには、それだけのエネルギーと強力な求電子剤が必要となるのです。また、ここではベンゼン環が、求電子剤に対する「π電子供与体(ルイス塩基)」として働いていることになります。

 

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.9  ベンゼン環に対する求電子剤の付加

 

この反応の結果生じる炭素陽イオンを、「フェノニウムイオン(phenonium ion)」と呼んでいます。この炭素陽イオンの正電荷は、求電子剤が付加したsp3炭素から見たo -およびp -の位置に、共鳴により非局在化することができます。フェノニウムイオンは共鳴により安定化していますが、この陽イオンが生成することにより失われる芳香族性の安定化エネルギーは、図.9のような共鳴安定化によっても、ほんの一部しか取り戻せません。そこで、ベンゼノニウムイオンは、求電子剤が付加した炭素原子上の水素原子HをプロトンH+ として放出することにより、6π電子系のベンゼン環を再成させて、反応を完結させます。

 

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.10  ベンゼン環の再成

 

.9に示した求電子剤の付加は、芳香族性の破壊にかなりの活性化エネルギーが必要となります。そのため、この段階の反応速度は通常遅く、ここが反応の「律速段階(rate-limiting step)」となります。図.10に示したベンゼン環の再成は、6π電子系が再生されるので、低い活性化エネルギーを持つことになり、反応速度は通常速いです。これらの反応は、置換する求電子剤を強調して、一般的に「芳香族求電子置換反応(electrophilic aromatic substitution)」と呼ばれます。

 

(ii) ハロゲン化

単純なアルケンとは異なり、ベンゼンは、臭素Br2や塩素Cl2とは無条件で反応しません。「ハロゲン化反応(halogenation reaction)」を起こすためには、通常、臭化鉄(III) FeBr3や塩化鉄(III) FeCl3などのような、対応したハロゲン化鉄触媒が必要となります。その理由は、塩素Cl2は、ルイス塩基性の弱いベンゼンと反応するほどの、強力な求電子剤(ルイス酸)ではないからです。そこで、鉄触媒は、塩素Cl2を芳香族化合物と反応する強力な求電子剤に変える働きをします。すなわち、塩化鉄(III) FeCl3は、塩素Cl2と錯体を形成することで、塩素Cl2を活性化するのです。

 

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.11  塩化鉄(III) FeCl3と塩素Cl2の錯体形成

 

ベンゼンは、Cl2-FeCl3錯体の優れた脱離基であるFeCl4- と置換するのに、十分なルイス塩基性を持ちます。その置換により、フェノニウムイオン中間体が生じて、続いてプロトンH+ が脱離し、クロロベンゼンが生成します(塩素化:chlorination)。この反応は、少し奇妙に見えるかもしれませんが、アルコールのヒドロキシ基(-OH)をプロトン化して、優れた脱離基である+OH2基に変える反応に似ています。塩化鉄(III) FeCl3は、アルコールが反応する際のプロトンH+ と同様の役割をしているといえます。臭素Br2と臭化鉄(III) FeBr3を用いる「臭素化(bromination)」の反応機構も同じです。

 

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.12  ベンゼンの塩素化

 

(iii) ニトロ化

ニトロ基(-NO2)を芳香環に導入するためには、硫酸酸性条件下で硝酸HNO3を作用させ、芳香族求電子置換反応を起こします。硫酸H2SO4(Ka108)は、硝酸HNO3(Ka102)より強い酸であるから、硫酸中では硝酸HNO3はプロトン化され、H2O-NO2+ を生じます。そして、これから水H2Oが取れると、強力なルイス酸であるニトロニウムイオンNO2+ が発生し、これが芳香族求電子置換反応における求電子剤として働くのです。この反応は、一般的に「ニトロ化(nitration)」と呼ばれます。

 

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.13  ベンゼンのニトロ化

 

(iv) スルホン化

 スルホ基(-SO3H)を芳香環に導入するためには、濃硫酸H2SO4あるいは濃硫酸に過剰の三酸化硫黄SO3を吸収させた発煙硫酸が使用されます。ここで反応にあずかる求電子剤は、三酸化硫黄SO3またはプロトン化された三酸化硫黄SO3H+ です。SO3は求電子性が十分に高いので、プロトン化されなくても、ベンゼンと反応します。この反応は、一般的に「スルホン化(sulfonation)」と呼ばれ、生成物のスルホン酸は、強い有機酸です。

 

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.14  ベンゼンのスルホン化

 

(v) アルキル化

芳香族化合物の「アルキル化(alkylation)」は、一般的に「フリーデル・クラフツ反応(Friedel-Crafts reaction)」と呼ばれます。この名称は、フランスの化学者であるシャルル・フリーデルと、アメリカの化学者であるジェームズ・クラフツの2人が、1877年に初めてこの反応を見出したことにちなんで、名付けられています。この反応の求電子剤は、炭素陽イオンであり、(a)ハロゲン化アルキルにルイス酸触媒(塩化アルミニウムAlCl3など)を働かせて、ハロゲン化物イオンを脱離させる方法や、(b)アルケンにプロトンH+ を付加させる方法により発生させます。次の図.15に、エチルベンゼンの合成を例にとって、その反応経路を詳しく示しておきましょう。

 

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.15  ベンゼンのアルキル化

 

ただし、フリーデル・クラフツアルキル化反応の適用には、限度があります。この反応は、普通ニトロ基(-NO2)やスルホ基(-SO3H)などがベンゼン環上に存在する場合には、用いることができません。その理由は、これらの置換基が、触媒の塩化アルミニウムAlCl3と錯体を形成すると、反応活性を失うからです。

 

(vi) アシル化

フリーデル・クラフツアルキル化反応の変形である「フリーデル・クラフツアシル化」によって、アシル基(-COR)を芳香環に導入することができます。塩化アシルは、塩化アルミニウムAlCl3存在下で、ベンゼンと反応します。この場合、「触媒量」ではなく、「等モル量」の塩化アルミニウムAlCl3が必要となります。塩化アシルは、塩化アルミニウムAlCl3と錯体を形成し、共鳴安定化されたアシリウムイオンを生成します。その次に、アシリウムイオンはベンゼン環に付加し、フェノニウムイオン中間体を生成します。そして、ルイス塩基がプロトンH+ を脱離させると反応は完結し、生成物のアシルベンゼンを与えます。例として、次の図.16に、アセトフェノンの合成反応を示します。

 

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.16  ベンゼンのアシル化

 

先にも述べたように、フリーデル・クラフツアルキル化反応と異なり、フリーデル・クラフツアシル化反応は、触媒反応ではありません。生成物のアシルベンゼンも、塩化アルミニウムAlCl3に対して反応性があるので、生成するやいなや、11錯体を形成するのです。つまり、反応で生成したアシルベンゼンと同量の塩化アルミニウムAlCl3が、錯体形成で使われます。したがって、反応を完結させるためには、化学量論量の塩化アルミニウムAlCl3が必要となります。反応終了後に水H2Oを加えると、錯体は分解され、アシルベンゼンが遊離します。反応機構が複雑であるにもかかわらず、フリーデル・クラフツアシル化反応は有用な反応であり、種々の芳香族ケトンが、収率よく生成します。

 

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.17  加水分解により、アシルベンゼンが遊離する

 

(3) 配向効果と活性化効果

「一置換ベンゼン」は、求電子剤と反応すると、一般的にどのような生成物を与えるでしょうか?また、生成物には、どのような可能性があるでしょうか?「二置換ベンゼン」には、「オルト(ortho1,2-二置換)体」や「メタ(meta1,3-二置換)体」、「パラ(para1,4-二置換)体」の3種類の異性体が存在します。

 

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.18  3種類の二置換ベンゼン

 

ベンゼン環上の置換基の種類によって、生成する二置換ベンゼンの異性体比が、大きく変わります。一置換ベンゼンの置換によって生成する二置換ベンゼンの、オルトメタパラの異性体比は、221の統計的な分布にはなりません。多くの一置換ベンゼンの反応性を調べると、「オルト二置換体とパラ二置換体を主に与えるもの(オルト-パラ配向性)」と、「メタ二置換体を優先して与えるもの(メタ配向性)」に分類されます。

また、新しく入ってくる置換基の位置とその反応速度にも、相関があります。すなわち、「オルト体」と「パラ体」を主に与える一置換ベンゼンは、ベンゼン自身に比べて反応速度が速いです。逆に、「メタ体」を与える一置換ベンゼンは、ベンゼン自身に比べて反応速度が遅いです。

 

.1  置換ベンゼンの配向効果と活性化効果

 

置換基の種類

置換基の名称

相対反応速度

 

H(ベンゼン)

 

1

オルト-パラ配向性

-NH2-NHR-NR2

アミノ基

非常に速い

-OH

ヒドロキシ基

非常に速い

-OR

アルコキシ基

非常に速い

-R

アルキル基

速い

-NHCOR

アシルアミノ基

速い

-F--Cl-Br-I

ハロゲノ基

遅い

メタ配向性

-COR

アシル基

遅い

-COOH

カルボキシ基

遅い

-CONH2

アミド

遅い

-COOR

エステル

遅い

-SO3H

スルホ基

遅い

-CN

シアノ基

遅い

-NO2

ニトロ基

遅い

 

ベンゼンを基準にして比べると、ヒドロキシ基(-OH)やメチル基(-CH3)のような置換基は、芳香環の反応性をベンゼンよりも高めますが、クロロ基(-Cl)やニトロ基(-NO2)のような置換基は、逆に反応性を低下させます。メチル基(-CH3)は、水素(-H)に比べて電子供与的であり、クロロ基(-Cl)やニトロ基(-NO2)は、水素(-H)に比べて電子求引的であることは、すでに数多くの証拠から分かっていることです。一般的に電子供与性の置換基は、芳香環上のπ電子供与能力を高めます。一方で、電子求引性の置換基は、芳香環上のπ電子供与能力を低下させます。

置換ベンゼンの反応は、芳香族求電子置換反応の機構と完全に一致しています。すなわち、反応速度が芳香環への求電子剤の攻撃段階で決まるのなら、環上に存在する電子供与性の置換基は反応を加速し、反対に電子求引性の置換基は反応を遅くするはずです。置換基の性質によって、芳香環の反応性が、このように2通りの影響を受けることは、表.1で示したように、すべての芳香族置換反応でも観測されています。

 

(i) オルト-パラ配向性

トルエンをニトロ化すると、「o -ニトロトルエン」ならびに「p -ニトロトルエン」が主に生成しますが、「m -ニトロトルエン」はほとんど生成しません。このように、トルエンのメチル基(-CH3)は、「オルト-パラ配向性」の置換基です。この理由を、求電子芳香族置換反応の反応機構を適用して、説明しましょう。反応機構の初めの段階で、ニトロニウムイオンが、メチル基(-CH3)に対して、o -, m -, p -の各位置を攻撃したときの様子を、次の図.19に示します。

 

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.19  トルエンのオルト-パラ配向性

 

ここで、反応中間体であるフェノニウムイオンの正電荷を帯びた炭素に注目すると、m -攻撃で生じる反応中間体の正電荷は、すべて第二級炭素上に存在します。一方で、o -攻撃とp -攻撃で生じる反応中間体では、正電荷を帯びた3つの炭素のうち1つは第三級炭素であり、正電荷の安定化に特に適しています(.19赤枠の構造)第三級炭素陽イオンは、最も安定な炭素陽イオンであり、この反応は、最も安定な炭素陽イオン中間体を経由して進行します。その結果として、メチル基(-CH3)は、「オルト-パラ配向性」を示すのです。また、これと同様に、他のアルキル基も、すべてオルト-パラ配向性を示します。

 さらに、表.1で示した、他のオルト-パラ配向性置換基についても考えてみましょう。アミノ基(-NH)、ヒドロキシ基(-OH)、アルコキシ基(-OR)、アミド(-NHCOR)、クロロ基(-Cl)などの置換基は、すべて芳香環に直結した原子上に非共有電子対を持っているので、これが共鳴することによって、隣接位の正電荷を安定化できます。ここでは例として、フェノールのメチル化を取り上げて、考察してみましょう。

 

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.20  フェノールのオルト-パラ配向性

 

o -攻撃とp -攻撃で生じるフェノニウム中間体の共鳴構造の1つが、ヒドロキシ基(-OH)の結合した炭素上に正電荷を存在させています。そこで、この構造の酸素原子の持つ非共有電子対を、隣接する正電荷を持った炭素原子上に移動させると、正電荷が酸素原子に移動した構造を書くことができます(.20赤枠の構造)。この構造は、オクテット則を満たす構造であり、他の6電子種の共鳴構造に比べて、非常に安定化されています。このようなオクッテト則を満たす構造は、m -攻撃において書くことができません。その結果として、ヒドロキシ基(-OH)は、「オルト-パラ配向性」を示すのです。ここで述べた考察は一般性を持っており、芳香環に直結した原子上に非共有電子対を持っている置換基は、すべてオルト-パラ配向性です。

 

(ii) メタ配向性

ニトロベンゼンのニトロ化反応についても、ニトロ基(-NO2)の「m -配向効果」が、同じように説明できるでしょうか?ニトロベンゼンでは、窒素原子上に形式電荷+1が存在するので、これを考慮に入れて、反応が起こるそれぞれの位置について、フェノニウムイオン中間体を書いてみると、次の図.21のようになります。

 

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.21  ニトロベンゼンのメタ配向性

 

o -攻撃ならびにp -攻撃で生じるフェノニウム中間体について書かれた共鳴構造式のうち、赤枠で囲った構造は、2つの正電荷を隣り合わせに持っており、同じ電荷同士が反発しあうために、極めて好ましくない配置です。これに対して、m -攻撃で生じるフェノニウムイオン中間体は、このような好ましくない共鳴構造式を書くことができないので、結果として、o -攻撃ならびにp -攻撃と比較して、m -攻撃が有利になる訳です。

これと同じ説明を、表.1に記載したすべての官能基に当てはめることができます。これらメタ配向性置換基を眺めて気付くことは、芳香環に直結する原子が、不飽和結合を構成する原子の1つであり、それに隣接する原子は、大きな電気陰性度を持つもの(例えばON)であるということです。これらの置換基では、ニトロ基(-NO2)の窒素原子のように、芳香環に直結した原子は部分的に正電荷を持っており、o -攻撃ならびにp -攻撃で生じるフェノニウムイオン中間体の構造を書いたときに、正電荷が隣り合う不安定な構造が生じるために、結果として「メタ配向性」を示すのです。


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・参考文献

1) 佐藤健太郎「すごい分子 世界は六角形でできている」講談社(2019年発行)

2) H.ハート/L.E.クレーン/D.J.ハート 共著「ハート基礎有機化学」培風館(1986年発行)

3) メートランド・ジョーンズ「ジョーンズ有機化学()」東京化学同人(2000年発行)