・周期律を調べてみよう!
【目次】
(1) 実験操作
@ 元素や単体に関する資料を準備し、元素の情報をまとめたカード(元素カード)を作成する。
・元素カードは、原子番号1〜20番までの元素とSr, Ba, Br, I, Fe, Co, Niの計27種類とする。
・元素カードには、次の7種類の情報を記載する。
@ 元素記号、A 元素の名称、B 金属・非金属の区別、C 原子量、D 単体の密度、E 酸化物の化学式、F 水素化合物の化学式
・酸化物の化学式は、酸素原子が最も多く結合したものを書く。例えば、COとCO2があったらCO2と書く。
A 元素カードを原子量の小さい順に、左から右へ一列に並べる。
B Aで並べた元素の列を適当な場所で折り返して、縦の列に項目「6.酸化物の化学式」と「7.水素化合物の化学式」の似ているものが並ぶようにする。このとき、並べることができない元素は、脇に取り除いておく。
図.1 元素カードの例
(2) 理論
元素の「周期律(periodic
law)」は、原子構造が明らかになる以前から発見されていました。原子構造が明らかになるまでの歴史をたどると、まず電子(トムソン、1897年)と原子核(ラザフォード、1911年)が発見され、量子論に基づく原子模型の提唱(ボーア、1913年)があり、陽子(ラザフォード、1917年)と中性子(チャドウィック、1932年)が発見されて、原子構造が明らかになりました。原子についてほぼ何も分かっていない状態で、周期律を発見した意義はかなり大きいと言えるでしょう。
元素の周期律を発見したのは、ロシアの化学者であるドミトリ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフです。1869年2月、メンデレーエフはロシア化学会に参加している多くの化学者に1枚の紙を配りました。その紙は「元素の諸特性とその原子量との関係」という論文で、メンデレーエフは「元素は原子量の順に並べると、化学的性質が周期的に現れる」と述べました。メンデレーエフは、ロシア語の化学入門の教科書「化学の原理」を執筆していた際、当時63種類まで発見数が増えていた元素を説明する方法に悩んでいました。メンデレーエフは、自身が好きなカードゲームのソリティアから発案し、元素名や性質を書き込んだカードを何度も原子量順に並べ替えることを繰り返す内に、1つの表を作り上げたのでした。メンデレーエフの提案した「周期表(periodic table)」は、当時知られていた63種類の元素を原子量の小さい順に並べ、さらに性質の似ているものを同じ横の列に並べたものでした(現在の周期表とは縦横の使い方が逆)。
図.2
メンデレーエフが1869年2月のロシア化学会で参加者に配布した周期表のメモ
この探究活動は、それぞれの元素の性質を調べて元素カードを作り、それを並び替えることで、メンデレーエフが成し遂げた周期律発見の過程を再現しようというものです(メンデレーエフの時代には、まだ貴ガスは発見されていなかったので、完全に同じ作業ではありません)。メンデレーエフは、周期表の意義について、次のように語っています。「元素表は教育的な意義を持ち、また様々な事実を整理し、関係付けることによってその研究をたやすくさせるばかりでなく、類似元素を発見して元素研究に新しい道を示すという点で純然たる科学性を持つ」さらに「今まで我々は未知の元素の性質を予言する何の手掛かりも持たず、その元素のどれが足りないか、あるいは存在しないかを推定することもできなかった」と。
メンデレーエフの時代の周期表にはいくつかの空欄(Sc,
Ge, Gaなど)がありましたが、そこには未だ発見されていない元素が当てはまるはずだと、メンデレーエフは考えました。そして、空欄に入るべき元素の存在とその性質を、周期表での上下左右の元素の性質から予言したのです。例えば、メンデレーエフは、周期表でアルミニウムの下に位置する未知の元素を「エカアルミニウム」、ケイ素の下に位置する未知の元素を「エカケイ素」と名付けて、それらの性質を予言しました。ちなみに、「エカ」とはサンスクリット語で「1」を表します。メンデレーエフは、周期表でアルミニウムの1つ下という意味で「エカアルミニウム」、ケイ素の1つ下という意味で「エカケイ素」という名前にした訳です。
その後、「エカアルミニウム」や「エカケイ素」が実際に発見されました。まず1875年には、フランスの化学者であるポール・ボアボードランが、ピレネー山脈で採掘された亜鉛の硫化鉱物の中から、ガリウムGaを発見しました。その性質から、メンデレーエフが「エカアルミニウム」と名付けていた、周期表でアルミニウムの下に位置する未知の元素であることが分かりました。さらに1886年には、ドイツの化学者クレメンス・ヴィンクラーが、アルジロダイトという銀鉱石の中から、ゲルマニウムGeの単離に成功しました。これは、メンデレーエフが「エカケイ素」と名付けていた、周期表でケイ素の下に位置する未知の元素であることが確認されました。メンデレーエフが予測した性質は、発見された元素の性質とかなり近かったので、メンデレーエフの名声と周期表の地位は、不動のものとなったのです。
表.1 メンデレーエフの予言と実際の元素の比較
元素 |
原子量 |
原子価 |
密度 |
色 |
融点 |
酸化物 |
塩化物 |
エカケイ素Es |
72 |
4 |
5.5 g/cm3 |
灰色 |
高い |
EsO2 |
EsCl4 |
ゲルマニウムGe |
72.6 |
4 |
5.3 g/cm3 |
灰白色 |
937.4 |
GeO2 |
GeCl4 |
メンデレーエフが未発見元素を予測したことで、当然のことながら、それらを発見し、自ら命名しようという化学者たちの競争が始まりました。その後、貴ガス元素やレアアース元素、放射性元素の発見が相次ぎ、周期表に当てはまらないとして一時は窮地に追い込まれましたが、貴ガス元素には新しい枠を設け、レアアース元素や放射性元素は正確な原子量が決定されるに従って表に加えて、周期表は基本的な形を変えることなく発展し続けました。メンデレーエフが「視界を広げる望遠鏡」と呼んだ周期表は、元素の分類のみならず、化学結合の展開などを含む、自然の法則を認識させる極めて大きな道具となったのです。
表.2 メンデレーエフが予測した元素の一覧
メンデレーエフの命名 |
実際の元素名 |
発見年 |
エカアルミニウム |
ガリウム |
1875年 |
エカボロン |
スカンジウム |
1879年 |
エカケイ素 |
ゲルマニウム |
1886年 |
エカテルル |
ポロニウム |
1898年 |
エカタンタル |
プロトアクチニウム |
1917年 |
*ドビマンガン |
レニウム |
1925年 |
エカマンガン |
テクネチウム |
1937年 |
エカセシウム |
フランシウム |
1939年 |
* 「ドビ」はサンスクリット語で「2」を意味する言葉
(3) 問い
問1 並べた表が実際の周期表と同じかどうかを確認し、異なる箇所があればその理由を考えよ。
原子量の順に並べると、ArとK、およびCoとNiの場所で、原子番号順とは逆転が起きる。これは、原子量が同位体の平均値で求められるため、その存在比によって平均値の逆転が起きるからである。
表.3 原子量と主な同位体
|
18Ar |
19K |
27Co |
28Ni |
原子量 |
39.95 |
39.91 |
58.93 |
58.69 |
主な同位体 |
36Ar:84.2% 38Ar:15.8% 40Ar:0.026% |
39K:93.2% 41K:6.73% 40K:0.012% |
59Co:ほぼ100% |
58Ni:68.1% 60Ni:26.2% 62Ni:3.63% |
問2 操作Bで取り除かれたカードの元素には、どのような共通点があるか。
グループ化できないのは遷移元素(Fe, Co, Ni)であり、酸化物を形成する際の原子の価数が他より大きかったり、数種類の酸化物が安定して存在できたりする、などの違いが見られる。また水素化物が容易に得られないなども指摘できる。
問3 今回調べたもの以外で、元素の周期律が確認できるような元素の性質には、どのようなものがあるか。
価電子の数、原子半径、イオン化エネルギー、電子親和力、電気陰性度などにより確認できる。また、単体の融点・沸点なども明瞭ではないが、ある程度の周期律の根拠とすることができる。
問4 次の(a)〜(c)のグループの元素の原子量にはどのような関係があるか。19世紀の科学者が推測したルールを考え、元素の周期律と一致しない例もあげよ。
(a) Li,Na,K (b) Be,Mg,Ca (c) Cl,Br,I
これらのグループは、19世紀に「三つ組元素説」としてグループ化されたものである。類似の性質を持つことは当然だが、それらの原子量に着目すると、両端の2つの平均値が、真ん中の元素の原子量に近くなるのが特徴である。
(a){Li(M=6.9) + K(M=39)}÷ 2 ≒ Na(M=23)
(b){Be(M=9.0) + Ca(M=40)}÷ 2 ≒ Mg(M=24)
(c){Cl(M=35.5) + I(M=127)}÷ 2 ≒ Br(M=80)
これらは、ほぼ等しいと考えられたが、一致しない組み合わせも多く見られた。
ex)Mg・Ca・Srの場合
{Mg(M=24) + Sr(M=88)}÷ 2 ≒
56
Caの原子量は40で一致しない。
問5 元素の周期律の発見の歴史について調べよ。
上記のデベライナーの「三つ組元素説」以外にも、ニューランズの「オクターブ則」、メンデレーエフと同時期に同様の周期律表を発表したマイヤーの業績など、枚挙にいとまがないほど多数の試みがあった。
・参考文献
1) 梶雅範「メンデレーエフと周期律発見」化学と教育63巻2号(2015年)
2) 桜井弘「メンデレーエフの元素周期表誕生150年」化学と教育67巻6号(2019年)