・おいしさの科学
【目次】
(1) おいしさとは何か?
私たちが食べ物を口に含んだとき、「おいしい」と感じる要因は何でしょうか?「おいしさ」とは、「味」・「香り」・「食感」・「音」・「記憶」など、様々な要因によって決定される、複雑な感覚です。例えば、私たちは鼻をつまんでリンゴジュースとオレンジジュースを飲むと、その違いがほとんど分かりません。かき氷のシロップも、実は味はほとんど同じで、違いは着色料と香料だけです。ポテトチップスを食べるときも、ヘッドホンを着けて噛み砕いたときの音を増幅させると、そのサクサク感が上昇して、おいしさが増すことが分かっています。
図.1 ポテトチップスを噛み砕いたときの音を増幅させると、実際よりもサクサクで新鮮であると感じる
さらに、おいしさは、そのような直接的な要因だけではなく、「経験」・「状態」・「知識」・「文化」などの間接的な要因にも左右されることが分かっています。例えば、小さい頃から薄い塩味の味噌汁を飲んできた人は、濃い塩味の味噌汁をしょっぱいと感じて、おいしく感じません。また、私たちは激しい運動のあとでは、塩味や甘味の強い食べ物が、普段よりも格段においしく感じられます。その他には、海外旅行中に、和食がとてもおいしく感じられたり、テレビや雑誌で評判の食べ物がおいしく感じられたり、病気のときに栄養のある食べ物がおいしく感じられたりなど、様々な要因が考えられます。この「おいしさの科学」では、複雑な感覚である「おいしさ」について、科学的な視点から説明をしたいと思います。
(2) 味の基本5要素
皆さんは、「味」というものは、一体いくつあるのかご存知ですか?味の質をいくつかの基本的な成分(基本味)に分解しようという試みは、古くから行なわれてきました。中国に現存する最古の医学者「黄帝内経素問」においては、「5味」という分類がなされています。それらは、「塩味」・「甘味」・「酸味」・「苦味」・「辛味」の5種類です。また、西洋では、古代ギリシアのアリストテレス(BC4世紀)が、味を「塩味」・「甘味」・「酸味」・「苦味」・「厳しさ」・「鋭さ」・「荒さ」の7種類に分類しています。このうち最初の4種類は、その後も生き残り、ドイツの心理学者であるヘニングの「4原味説」に至っています。
1916年、ドイツの心理学者であるハンス・ヘニングは、世界のどこの人々でも感じる味覚として、「甘味」・「塩味」・「酸味」・「苦味」の4基本味を提唱しました。これは、味の5基本味の中から、「うま味」を除いた4基本味です。なぜヘニングは、「うま味」を基本味に加えなかったのでしょうか?これには、文化的な理由があったのです。
欧米では、土壌や川の水が、カルシウムなどの「ミネラル」を多量に含む硬水であり、古くから硬水を料理などに用いてきた欧米人は、基本味以外に「金属味」を感じることができると考えられています。それに対して、私たち東洋人は、古くから味噌や鰹節などの「アミノ酸」を多く含む発酵食品を食べてきたので、「うま味」をよく感じることができると考えられています。
特に日本では、「出汁」を使う料理が多く、このうま味なしでは、日本食は考えられないといっても過言ではありません。日本では、1908年に東京帝国大学(現在の東京大学)の池田菊苗が、「グルタミン酸塩を主成分とせる調味料製造法」の特許を取得。翌1909年、東京化学会誌に「新調味料に就きて」という題の論文(池田菊苗、東京化学会誌、30、820-836(1909))を発表しました。この論文で、池田は昆布のうま味成分として、「グルタミン酸塩」の抽出に成功したことを述べたのです。このとき取り出された「グルタミン酸ナトリウム」は、今も大切に保管されており、2010年には、日本化学会によって、「第一回化学遺産」に認定されています。そして、この1909年には「味の素」が売り出され、世界的にもユニークなアミノ酸工業が誕生しました。これが、現在の味の素株式会社の発端です(グルタミン酸ナトリウムの科学を参照)。
図.2 池田菊苗は、「グルタミン酸ナトリウム」が「うま味」を持つことを世界で初めて発見した
このため、「うま味」は、「甘味」・「塩味」・「酸味」・「苦味」のどれにも属さないとして、日本では、古くから「うま味」を基本味に加えて認識していました。しかし、欧米では、ブイヨンやコンソメのように、出汁によってうま味を増加させる料理法も一部は存在したものの、多くの料理では、トマトやチーズのような酸味が強い食材によってうま味を補給したり、何より肉料理では、肉の煮汁自体がうま味の供給源となったため、「うま味」そのものを増すことに多くの意識は向けられませんでした。そのため、日本の学者の主張するうま味の存在は、多くの欧米の学者には懐疑的に受け止められ、「グルタミン酸は単に他の味を強めるだけの物質であり、単独の味覚ではない」と、長らくうま味を除く4基本味が支持され続けました。そして、うま味の存在が認められたのは、つい最近のことなのです。
2000年、マイアミ大学のグループが、舌上の「味蕾細胞」にグルタミン酸を感知する受容体があることを証明しました。これにより、うま味が甘味や酸味などと並ぶ基本味であることが確定しました。「受容体」とは、特定の化学物質と結合して、信号を中継する物質のことです。化学物質はこの受容体に結合することで、生理学的な効果を発揮します。これら「甘味」・「塩味」・「酸味」・「苦味」・「うま味」の5基本味は、舌上にある味蕾細胞を介して感じる味であり、生理学的には、この5つが味覚であるといえます。そのため、ヘニングの説にうま味を加えた5つの味を、現在では「基本味」としています。以前は、欧米人に昆布出汁を味わわせても、「味がしない」とか「磯臭い」などのコメントしか返ってきませんでした。しかし、和食の普及とともに、出汁に対する理解も深まり、欧米人も、うま味を正しく表現することができるようになってきています。
しかし、私たちには、普段感じる味覚として、「辛味」・「渋味」・「冷味」・「刺激味」などの味があります。これらと5基本味の違いは、一体何なのでしょうか?「辛味」・「渋味」・「冷味」・「刺激味」と5基本味との決定的な違いは、これらの味覚は、味蕾細胞を介することなく、直接「神経」を刺激して、大脳新皮質味覚野に伝達される感覚ということです。誤解を恐れずにいうなら、これらは「味覚」というよりも「痛覚」なのです。例えば、辛味成分である「カプサイシン」を、目などの粘膜に触れさせると、ヒリヒリと痛みます。この感覚は「熱い」という感覚であり、辛味が英語で「hot taste」といわれるのも納得できます。辛味は、味覚神経ではなく、「温度」・「痛み」・「圧力」などを感じる三叉神経によって感じるのです。
ちなみに、「カプサイシンの辛さ」を量る単位というものが存在し、これを「スコヴィル値」といいます。スコヴィル値は、トウガラシのエキスの溶解物を砂糖水で薄めて、辛味を感じなくなるまで薄めたときの希釈倍率で決めます。例えば、カプサイシンを含まないピーマンのスコヴィル値は0、タバスコは5,000、ハラペーニョは8,0000、鷹の爪は5万、ハバネロは35万、ジョロキアは100万、キャロライナ・リーパーは220万、純粋なカプサイシンは1,600万ともいわれています。キャロライナ・リーパーは、ギネスブックに「世界で最も辛いトウガラシ」として、2013年に登録されたトウガラシです。キャロライナ・リーパーを迂闊に素手で触ると、手が熱を帯び、翌日いっぱいまで保冷剤を握っていないと痛くて何もできないという状態になるといいます。ちなみに、鳥はカプサイシンの辛味を感じないらしく、キャロライナ・リーパーを平気で食べます。
図.3 キャロライナ・リーパーを調理する際には、防護服を着る必要があるという
なお、「渋味」については、「苦味」と似ていますが、どちらも「タンニン」や「カテキン」などが、味蕾細胞のタンパク質を変性させることで感じる味覚であり、生理学的には、同一の味覚を指します。味覚の差は、苦味物質の混合比率や濃度により変化するので、「渋味」も5基本味に加えて、第6の味とすることもあります。
図.4 食味の関係(図はこちらより引用しました)
(i) 甘味
「糖分」は、人間に最も必要とされるエネルギー源であり、これが含まれる食べ物は、大体おいしく感じます。この理由は、甘いものを食べたときに、その刺激により、脳内で「β -エンドルフィン」などの麻薬様物質が分泌され、報酬系に働きかけて、快の感覚を生じさせるからです。β -エンドルフィンは、神経に対して、「モルヒネ」の6.5倍の鎮静作用があり、長距離を走っているうちに快感を覚える「ランナーズ・ハイ」の高揚感は、このβ -エンドルフィンによるものであるということが分かっています。このため、5基本味の中でも、「甘味」は特殊な味覚となっているということができます。
甘味を感じる代表的な物質としては、砂糖などの「糖類」があります。砂糖の原料であるサトウキビは、すでに紀元前2000年頃には、インドで栽培されていました。その後、貴重な甘味資源として、次第に世界中に広まっていきました。砂糖の主成分は「スクロース(ショ糖)」であり、スクロースは世界中で広く、また大量に使用されています。無数にある糖類の中で、なぜスクロースが最も広く使用されているのかというと、これには理由があります。普通の糖は、温度が変わると、甘味が変化することが多いのですが、スクロースは温度変化に関わらず、甘味が安定しています。これは、調理において優れた特性であり、また甘味の質が良いことも、古くから甘味料として最もよく使用されている理由となっています。私たちはスクロースの甘味に慣れているので、一般的にスクロースと甘味の質に差異が感じられるとき、「クセのある甘味」と表現されます。
「甘味の強さ」を客観的に表すには、官能試験によって測定される「甘味度」という尺度が用いられます。スクロースが「標準物質」として使用され、任意の濃度のスクロースと同等の甘味強度を示す濃度の比率、あるいは同条件で求めたスクロースの閾値との比率から、甘味度が判定されます。ただし、甘味と濃度は、常に直線関係とは限らないため、基準とするスクロースの濃度が違えば、甘味度は異なった値となります。次の表.1に、主な「糖類」の甘味度を示します。このように、スクロースは甘味の強さにも優れているので、その結晶である「砂糖」は、糖類の代名詞になっています。
表.1 主な「糖類」の甘味度
糖類 |
甘味度※ |
ラクトース |
0.2 |
ガラクトース |
0.32 |
イソマルトース |
0.4 |
マンニトール |
0.5 |
ソルビトール |
0.5〜0.7 |
グルコース |
0.64〜0.74 |
キシリトール |
0.65〜1 |
スクロース |
1 |
フルクトース |
1.15〜1.73 |
※ スクロースを1としたときの甘味度
ところで、砂糖が日本へ伝わったのは、唐僧の鑑真によるとされています。756年(天平勝宝八歳)、奈良東大寺の正倉院に奉納された60種の薬物の中に、約630 gほどの砂糖があったことが、その薬物のリストである「種々薬張」に記載があります。今でこそ、砂糖は安価な甘味料ですが、昔は非常に貴重なものであり、当時は「医薬品」としての用途がありました。栄養状態の悪かったこの時代においては、カロリーの高い砂糖を与えるだけで、病人が元気を回復したケースが多かったのでしょう。砂糖は高級品であり、ごく一部の支配者貴族層だけが使うことができました。比較的安価な甘味料として、砂糖が庶民の間に広まったのは、江戸時代からになります。薩摩藩の支配下にあった琉球奄美諸島などで、サトウキビの栽培とショ糖の製造が行われました。
図.5 正倉院は、大規模な高床式倉庫で、聖武天皇などのゆかりの品をはじめとして、多数の美術工芸品を収蔵していた
スクロースの他、「麦芽糖(マルトース)」や「ブドウ糖(グルコース)」、「果糖(フルクトース)」なども、甘味を呈する糖類です。近年では、「キシリトール」や「ソルビトール」といった「糖アルコール類」も注目され、甘味度はスクロースより弱いものの、甘味の質が良いことや、体内に吸収されにくいことから、低カロリー食品などに利用されています。特にキシリトールは、ガムや歯磨き粉などに配合され、口腔内で酸発酵されず、しかも一般に虫歯菌として知られる「ミュータンス菌」の代謝を阻害することで、虫歯になりにくくする効果があります。ただし、キシリトールは虫歯の「予防効果」はあるものの、「治療効果」はないので、キシリトールで虫歯が治るということはありません。
キシリトールなどの糖アルコール類は、溶解する際の吸熱反応で、「冷感」を生じさせるため、清涼飲料水や氷菓子に使用されることが多いです。最近では、キシリトール加工をした繊維を用いて、汗をかいてキシリトールが溶解すると冷感を生じさせる衣類も発売されています。これらの糖アルコール類は、天然にも存在しますが、甘味料としては、主に糖類の還元反応により合成されます。
図.6 「キシリトール」は、甘味の質が良く、カロリーはグルコースより約4割も低い
糖類以外では、何種類かの「アミノ酸」に甘味があります。例えば、「グリシン」は、すっきりとした甘味を持つアミノ酸で、エビやカニなどの主要な甘味成分になっています。グリシンには、細菌類の芽胞の発育を阻害する作用もあることから、甘味料としてだけでなく、日持向上剤として、食品に添加されることがあります。例えば、ご飯を炊くときに1合につき1 g程度グリシンを添加すると、ご飯に自然な甘味が付加され、腐敗しにくくなります。アラニン」は、甘味とうま味を持つアミノ酸で、シジミやハマグリなどの貝類に多く含まれています。次の表.2に、代表的な「アミノ酸」の呈味を示します。
表.2 代表的な「アミノ酸」の呈味
アミノ酸 |
閾値※ [mg/dL] |
甘味 |
苦味 |
うま味 |
酸味 |
グリシン(Gly) |
110 |
◎ |
− |
− |
− |
アラニン(Ala) |
60 |
◎ |
− |
− |
− |
セリン(Ser) |
150 |
◎ |
− |
− |
△ |
スレオニン(Thr) |
260 |
◎ |
△ |
− |
△ |
プロリン(Pro) |
300 |
◎ |
〇 |
− |
− |
オキシプロリン(Hyp) |
50 |
〇 |
△ |
− |
− |
リジン塩酸塩 |
50 |
〇 |
〇 |
△ |
− |
グルタミン(Gln) |
250 |
△ |
− |
△ |
− |
アスパラギン酸(Asp) |
3 |
− |
− |
△ |
◎ |
※ 閾値は味を感知できる最低濃度
スクロースよりも甘い化合物は、1879年に偶然発見されました。ジョンズ・ホプキンス大学で、コールタールの研究に従事していた研究員コンスタンチン・ファールバーグが、たまたま自分の合成した物質を口に入れてしまい、これが異常に甘いことに気が付いたのです。当時は、化学物質の害がよく知られておらず、合成したものを舐めることに、抵抗のない時代でした。今では考えられない――といいたいところですが、このような偶然で発見された化合物は、他にもたくさんあります。ファールバーグは、この化合物の特許を取得し、量産方法も確立して、「サッカリン」の名で発売します。スクロースの300倍も甘く、体内で吸収されないので、カロリーはほとんどないという、夢のような甘味料の登場でした。彼の研究室の教授が、「自分に無断で特許を取って儲けたのはけしからん」と激怒したほどに、その売り上げは莫大でした。
サッカリンの成功を追うようにして、「チクロ」や「ズルチン」、「アスパルテーム」、「アセスルファムカリウム」のような、化学合成された甘味物質が相次いで登場しました。これらは、いずれもスクロースの数十倍から数百倍の甘味を有し、「合成甘味料」と総称されています。合成甘味料は、食品に添加する量が少量で済む、カロリーが少ない、貯蔵性が向上するなどの、天然甘味料にはない優れた性質があります。これらの合成甘味料の中で、チクロとズルチンは、安全性に関する疑問から、日本では使用禁止になっています。しかし、サッカリンやアスパルテーム、アセスルファムカリウムは、食品添加物としての使用が認められています。サッカリンは独特の苦味を伴い、アスパルテームはスクロースに近い甘味を持つとされています。また、アセスルファムカリウムもスクロースに近い甘味を持っており、食品添加物として有望視されています。なお、チクロは日本では許可されていませんが、EUや中国では許可されています(合成甘味料の科学を参照)。
表.3 主な「合成甘味料」の甘味度
糖類 |
甘味度※ |
チクロ |
30〜80 |
アスパルテーム |
200 |
アセスルファムカリウム |
200 |
ズルチン |
280 |
サッカリン |
300 |
スクラロース |
600 |
ネオテーム |
10,000 |
ラグドゥーム |
220,000 |
※ スクロースを1としたときの甘味度
一方で、植物由来の糖類以外の甘味物質も、種々発見されています。例えば、その1つは、中国原産のマメ科植物の「カンゾウ(甘草)」の根に含まれる「グリチルリチン酸」です。グリチルリチン酸には、スクロースの約170倍の甘味があります。日本には、奈良時代に渡来し、古くから甘味料として用いられてきました。その甘味は独特で、口腔に含むと、最初は甘味を感じませんが、次第に甘味を増し、そして甘味が消えるまでかなりの時間がかかります。グリチルリチン酸は、アミノ酸系の調味料とよく調和し、「相乗効果」を発揮するので、醤油の甘味料として利用されている例が見られます。
南米パラグアイ原産のキク科植物の「ステビア」は、強い甘味を持つことが知られており、現地の先住民によって、マテ茶の甘味付けなどに用いられていました。ステビアからは甘味物質として、スクロースの約300倍の甘味を呈する「ステビオシド」が分離されています。ステビオシドは、現在実用化されている天然甘味料の中では、最高の甘味を持つとされています。ステビオシドには、整腸作用や抗ガン作用を持つ可能性が指摘されており、日本では、ポカリスエットなどの清涼飲料水の甘味料などに応用されています。ステビアは、庭での栽培も簡単で、春先になると、苗木を買うこともできます。ステビオシドは、葉中に9〜10%ほど含まれており、生の葉をハーブティーなどに入れると、おいしく飲めるといいます。
図.7 原産国のパラグアイでは、古くから「ステビア」をマテ茶などに甘味を付与するために加えていたという
さらに、近年では、甘味を有する「タンパク質」の研究も、盛んに進められています。一般的には、タンパク質のような巨大分子は、「味覚受容体」に結合できないため、味覚刺激を示さず、これを分解して低分子化することで、初めて呈味を示すと考えられていました。タンパク質ではありませんが、糖類である「デンプン」が甘味を示さないのも、これが理由です。分子があまりに大きすぎて、そのままでは、「味覚受容体」に結合できないのです。デンプンを分解することによって生成する「マルトース」や「グルコース」は、分子が小さいので「味覚受容体」に結合することができ、甘味を示します。
ところが、強力な甘味を有するタンパク質が発見されたことによって、その定説は覆されました。甘味を呈するタンパク質として、「モネリン」や「ソーマチン」などが知られています。これらの「タンパク質甘味料」は、糖尿病などにより、糖分の摂取を制限されている患者向けの卓上用の甘味料として、有用である可能性があります。しかし、タンパク質は、pHや温度が極端に変化すると、立体構造が破壊されて変性してしまうため、加工食品への用途は限られてしまいます。
「モネリン」は、西アフリカ原産のツヅラフジ科植物の果実「セレンディピティ・ベリー」に含まれる、分子量10,700の塩基性タンパク質です。「モネリン」の名は、これを発見したアメリカのフィラデルフィアにある「モネル研究所」に由来します。甘味度は、重量比でスクロースの約3,000倍あり、天然の甘味物質としては、最も甘味が強いです。甘味の発現は遅く、長時間に渡って甘味が生じる特徴があります。モネリンとその他の強い甘味料を併用することにより、後味を軽減させ、甘味の「相乗効果」を得ることができます。
「ソーマチン」は、西アフリカ原産のクズウコン科の果実「カタンフ」に含まれる、分子量22,000の塩基性タンパク質です。タンパク質でありながら比較的熱に安定で、水によく溶けます。1840年にイギリスの軍医によって発見され、世界中に紹介されました。甘味度は、6〜8%スクロース水溶液の甘味相当濃度のときの2,000〜3,000倍にもなりますが、甘味の質はスクロースほど良質ではありません。「マスキング効果」や「フレーバー増強作用」を持つことから、主に食品添加物として使用されています。麹菌による大量生産に成功している他、トマトやジャガイモなどの遺伝子操作した植物による生産実験も行われています。
「モネリン」や「ソーマチン」のような「甘味タンパク質」に共通の性質として、「塩基性タンパク質」であることが注目され、塩基性アミノ酸残基を中心とした変異タンパク質の甘味の調査から、甘味活性に必要な部位が現在研究されています。
図.8 「ソーマチン」が含まれる西アフリカ原産のクズウコン科の果実「カタンフ」
こうして見ると、甘味を持つ物質というのは、糖類以外にもたくさんあることが分かります。「甘味」と「化学構造」の関係は、現在でも完全に解明できていません。経験的にある種の「官能基」が存在する場合、甘味を感じることが知られています。これは、1967年に提唱された「AH-B説」と呼ばれる仮説です。例えば、甘味物質には、プロトンH+ を他に与える「供与基AH」と、プロトンH+ を他から受け取る「受容器B」とがあって、これらは互いに平均0.3 nmの距離に位置しています。
一方で、甘味受容体の方にも、同様の「供与基AH」と「受容器B」があって、甘味物質と受容体との間に2つの「水素結合」が生じることで、甘味刺激が引き起こされると考えられています。「供与基AH」としては、ヒドロキシ基(-OH)、イミノ基(-NH-)、アミノ基(-NH2)、フェニル基(-C6H5)などがあり、「受容器B」としては、カルボニル基(-CO-)、エステル結合(-COO-)、クロロ基(-Cl)などがあります。
しかし、天然甘味料の中にも、構造が未知のものが多くあり、一概に官能基だけでの説明は難しいです。また、糖尿病の発症メカニズム、体内で糖が果たしている役割などについても、まだまだ未解明の部分が大きいです。「甘味」というものは、生化学に残された、重要なフロンティアの1つなのです。
(ii) 塩味
「塩味」は、イオンが味蕾細胞の「チャネル」を通過することによって感じます。塩味の代表といえば、「塩化ナトリウムNaCl」ですが、塩化ナトリウム以外は、塩味と認識しにくいです。「減塩」としてよく「塩化カリウムKCl」が使用されますが、塩化ナトリウムと比べると苦味があって、あまりおいしくはありません。他にも塩味を示す化合物は数多くありますが、どれも違和感が残ります。
ただ、不純物を含む食塩の方が、純粋な塩化ナトリウムよりも、味がまろやかに感じられます。これは、複雑に絡み合った不純物による雑味が、深い味わいを作り出すからだと思われます。例えば、日本料理でも山菜なんかを扱う場合、普通は調理する前に塩で揉んで、えぐ味や渋味を取り除いたりします。しかし、逆にそれこそが素材のもつ味わいと考え、まったくしない料理人もいます。また、お菓子に使う餡子を作る際にも、小豆を煮るときに灰汁を取る人と、逆にそれが味わいと考えて、あえて取らない人がいます。
また、塩化ナトリウムNaClでは、「ナトリウムイオンNa+」か、それとも「塩化物イオンCl−」か、どちらが「塩味の主役」なのかが長年論じられてきました。しかし、今ではやはり、「ナトリウムイオンNa+」が主役であると結論されています。しかし、「塩化物イオンCl−」などの陰イオンも、塩味に影響を与えることが分かっており、陰イオンが「塩化物イオンCl−」であるとき、つまり構造が「塩化ナトリウムNaCl」のときに、塩味を一番強く感じることが分かっています。
図.9 「塩化ナトリウム」が結晶化して、鉱物として産出するものは「岩塩」と呼ばれる
食物を味わうときは、多数の味要素が互いに作用しあうため、同じ味質や味強度でも、単一の味覚の場合とは異なる場合が多いです。これを「味の相互作用」と呼びます。例えば、甘味と塩味の「対比効果」というものがあり、甘味を持つ食物に少量の塩を添加すると、甘味が際立って、より明瞭に甘味が感じられるようになります。スイカやトマト、お汁粉などに少量の塩を加えることがあるのは、甘味と塩味を同時に味わうことによって、塩味が甘味を強めることを狙ったものであり、これを「同時対比」と呼びます。また、甘いものを食べたあとに塩味のものを食べる、あるいは塩味のものを食べたあとに甘いものを食べることによって、より明瞭に甘味が感じられることがありますが、これは「経時効果」と呼ばれます。甘いお菓子と塩辛いお菓子を交互に食べて楽しむのは、この好例です。
(iii) 酸味
「酸味」は、塩味と同様に、イオンが味蕾細胞の「チャネル」を通過することによって感じます。酸味を感じるイオンは、「水素イオンH+」です。したがって、酸味は、食材の発酵や腐敗によって生じた「酢酸」、あるいは果物などに含まれる「クエン酸」などの、酸性を示す化合物で感じます。他には、「乳酸」や「コハク酸」、「フマル酸」、「アスコルビン酸(ビタミンC)」、「リン酸」などが酸味を呈し、「食品添加物(酸味料)」として応用されています。以上で取り上げた中で、リン酸は無機化合物ですが、他の酸はいずれも有機化合物です。コハク酸は、貝類のうま味成分としても知られています。なお、学校の化学で習う「塩酸」や「硫酸」などの酸も、毒性はありますが、味わえばきちんと酸味を感じるはずです。
図.10 レモンの酸味の原因は、「クエン酸」の味によるものが多い
「シュウ酸」は、「スカンポ」とも称されるタデ科のオオイタドリやスイバの酸味成分として知られていますが、私たちの体内に入ると、カリウムイオンK+ と結合してしまうことから、カリウム欠乏症を呈します。そのため、シュウ酸は、山菜などをたべるときには、灰汁抜きによって捨て去られるべき化合物の1つです。
また、梅干などの酸味の強い食べ物を食べると、唾液が大量に分泌されますが、これにはきちんとした理由があります。唾液には、炭酸水素イオンHCO3−などのイオンが含まれており、唾液は、酸性を弱める「緩衝液」になっているのです。そのため、酸を含んだ食べ物を食べると、唾液が大量に分泌され、唾液の緩衝作用により、中和反応が進行して、酸味が和らぐのです。よく夏みかんを食べるときに、「重曹(炭酸水素ナトリウムNaHCO3)」を夏みかんに振り掛けて食べたりしますが、これは、重曹の緩衝作用を利用したものです。
HCO3− + H+ → CO2 + H2O
なお、酸味に関する面白い研究としては、「ミラクルフルーツ」という西アフリカ原産のアカテツ科の果実に含まれる「ミラクリン(miraclin)」というタンパク質を舐めておくと、どんなに酸っぱいものでも、甘く感じてしまうということが知られています。例えば、ミラクリンを舐めてレモンを味わうと、甘いオレンジのような味になります。現地の人たちが、食事の前にミラクルフルーツを食べることから、この不思議な性質が明らかになりました。
ミラクリンそのものは甘くないのですが、ミラクリンの活性中心がヒトの甘味受容体に結合すると、酸性条件下で味細胞膜の構造が変化し、ミラクリンの活性中心が甘味受容体と結合できるようになり、強い甘味が誘導されるためだと考えられています。その結果、どんなに酸っぱいものでも、甘く感じることになるのです。ミラクリンの効果は、果実をかじってから1時間ほど続きます。カロリーを摂らなくても甘く感じる訳ですから、この成分を上手く利用して商品化すれば、甘いものへの依存が和らぎ、肥満や生活習慣病に悩む人々の体質改善にも、役立てられるかもしれません(ミラクルフルーツで味覚実験!を参照)。ちなみに、ミラクルフルーツをかじったあとは、ビールが酷くまずくなるとのことです。
図.11 「ミラクルフルーツ」を利用して商品化すれば、肥満や生活習慣病に悩む人々の体質改善に役立つかもしれない
(iv) 苦味
「苦味」は、他の4つの基本味と異なり、「危険信号」の意味合いが強いです。子供が苦い食べ物を初めて口にしたときに、思わず口から吐き出してしまうように、もともと苦味というものは、多くの毒物や有害な物質の持つ味であり、「毒の味」と認識されていたのです。
例えば、毒として有名なトリカブトには「アコニチン」が、ジャガイモの芽には「ソラニン」などのような、「アルカロイド」と呼ばれる種類の毒が含まれています(毒の科学を参照)。ほとんどのアルカロイドは苦味を持ち、植物は動物から自身を防御するために、アルカロイドを生産する能力を、進化の過程で身に付けたといわれています。タバコに含まれる「ニコチン」や、茶やコーヒーに含まれる「カフェイン」も、すべてアルカロイドの仲間であり、いずれも苦味を持つ物質です。子供の嫌いな野菜の代表と言えばピーマンですが、ピーマンの苦味も、「アトロピン」と呼ばれるアルカロイドが原因であるといわれています。ただし、ピーマンに含まれるアトロピンは微量なので、普通に食べる分には、何も心配する必要はありません。つまり、子供のピーマン嫌いは、動物としては自然な反応であり、苦味は、「毒を予測するセンサー」でもあったのです。
実際にそういう役割もあり、苦味を感じる舌の感度は、甘味の1,000倍以上です。しかし、コーヒーや魚の内蔵などの苦味を持つ食品を愛好する人も多く、適度な苦味は、逆においしいと親しまれる場合もあります。これは、人間が成長して経験を積むとともに、苦くても毒ではないと、学習できるからだと考えられます。苦い食べ物が苦手な人でも、訓練すれば、食べられるかもしれません。
図.12 子供のピーマン嫌いは、「アルカロイド」の苦味が原因である
なお、アルカロイド以外にも苦味を持つ物質があり、ビールに含まれるホップの成分である「フムロン」や、サフランの成分である「ピクロクロシン」が代表的です。ホップは、アサ科のホップの花を集めたもので、ビールの製造に使用されます。フムロンは、ビールに独特の芳香と爽快な苦味を与え、ビールの泡を安定化させる性質を持ちます。また、雑菌の増殖を抑え、ビールの保存性を高める働きもあります。ビールは褐色の瓶に入れられますが、これはフムロンが紫外線に弱いためです。一方で、サフランとは、アヤメ科のサフランのおしべを集めて、乾燥させたものです。サフランは、医薬品あるいはハーブとして使用される他、パエリアなどの料理にも使われ、さらに、天然の「黄色色素」としても使用されています。
仕事終わりに飲むビールは、特においしく感じます。これには、実は科学的な理由があります。仕事などでストレスがかかると、苦味を抑制する物質が、唾液中に分泌されるからです。それ故に、通常では「苦い」と敬遠するような食物でも、仕事終わりでは、おいしく食べられるようになるのです。
苦い食べ物が苦手な人でも、工夫次第で、おいしく食べられるようになります。例えば、苦い食べ物に高濃度の甘味を加えると、苦味が抑制されることが知られています。コーヒーに砂糖を入れて甘くすることで、苦味は著しく抑制され、ほとんど感じないか、あるいは苦味が和らいで、おいしく感じられるようになります。チョコレートや抹茶の苦味も、砂糖の甘味によって、穏やかなおいしい苦味として、楽しむことができるようになります。
図.13 ホップに含まれる「フムロン」は、ビールに爽快な苦味を与える
現在、ギネスブックに最も苦味の強い物質として記載されているのが、「安息香酸デナトニウム」という化合物です。1億倍に薄めても苦味を感じられることから、誤飲防止の目的で殺虫剤・洗剤・不凍液・工業用アルコールなどに添加されています。幼児用玩具やmicroSDカード等の小型製品においても、誤飲などの防止を目的として、表面に塗布されることがあります。このため日本では、安息香酸デナトニウムが「食品添加物」として認可されています。Nintendo Switchのゲームカードを舐めると苦味を感じますが、これも安息香酸デナトニウムの苦味です。
図.14 強烈な苦味を持つ安息香酸デナトニウム
(v) うま味
「うま味」は、昆布やトマトなどに含まれる「グルタミン酸」の他に、干しシイタケや乾燥ポルチーニなどに含まれる「グアニル酸」や、鰹節や豚肉などに含まれる「イノシン酸」、貝類に含まれる「コハク酸」、玉露などの茶に含まれる「テアニン」などによって感じます。特にグルタミン酸・イノシン酸・グアニル酸の3つを「三大うま味物質」と呼ぶことがあります。
グルタミン酸は、タンパク質の原料になる「アミノ酸」の一種で、アミノ酸の中では自然界で最も多く存在しています。動物性タンパク質では約15%、植物性タンパク質では小麦グルテンのように40%以上含んでいるものもあります。イノシン酸やグアニル酸は、DNAの原料となる「ヌクレオチド」の一種です。グルタミン酸が植物性食材と動物性食材の両方に満遍なく含まれているのに対し、イノシン酸は魚や肉などの動物性食材に、グアニル酸は干しシイタケのようなキノコ類のみに含まれています。このようにうま味物質は、特定の食材だけでなく、多くの食材に広く含まれています。
表.4 食品中のうま味物質含有量(mg/100 g)
グルタミン酸 |
イノシン酸 |
グアニル酸 |
|||||
植物性 |
動物性 |
動物性 |
キノコ類 |
||||
コンブ |
2,240 |
チーズ |
1,200 |
煮干し |
863 |
干しシイタケ |
157 |
一番茶 |
668 |
イワシ |
280 |
鰹節 |
687 |
マツタケ |
65 |
アサクサ海苔 |
640 |
スルメイカ |
146 |
シラス干し |
439 |
生シイタケ |
30 |
トマト |
260 |
ホタテ貝 |
140 |
カツオ |
285 |
エノキダケ |
22 |
ジャガイモ |
102 |
バフンウニ |
103 |
アジ |
265 |
|
|
白菜 |
100 |
|
|
豚肉 |
122 |
|
|
|
|
|
|
牛肉 |
107 |
|
|
「うま味」は、日本の食品化学者である並木満夫が、世界食品科学工学会で「umami」と世界中に宣言して以来、日本だけではなく、世界中で「うま味」をそのまま「umami」と表記して使用することが、現在でもあります。しかし、「うま味」を英語における「savory(肉料理の風味がある)」や「brothy(肉の煮汁の風味がある)」と表現する場合もあるように、うま味物質というものは、もともとタンパク質をふんだんに含む肉類に多く含まれているものです。つまり、うま味物質は、「タンパク質の存在を知らせるセンサー」にもなっており、タンパク質やDNAの原料となる非常に重要な物質なので、うま味を感じると「おいしい」と感じるのでしょうね。
しかし、うま味物質の中には、毒性のあるものもあり、ベニテングタケやイボテングタケなどのキノコに含まれる「イボテン酸」は、グルタミン酸よりも一層強いうま味を感じさせますが、中枢神経系に存在するグルタミン酸受容体に作用して、強い毒性を示します。食べ過ぎなければ死ぬことはないので、裂いて火に炙り、醤油を付けて食べたり、天ぷらにして食べたりする人もいるようです。イボテン酸を含むキノコは、うま味調味料を振りかけたような食味で、非常に美味であるといわれています。しかし、10本程度で酒乱状態になり、手足が引きつって幻覚を見るというので、知識のない人は食べない方が無難でしょう。
図.15 ベニテングタケの傘の表面のイボは、うま味成分である「イボテン酸」の塊
一方で、動物の中には、好んでベニテングタケを摂取するものもいます。シベリアに生息するトナカイは、ベニテングタケを好んで摂取するらしく、野生のベニテングタケを見つけると丸呑みし、方向感覚を失ってふらふらと歩き回り、頭をひくつかせながら数時間群れを離れてさまようといいます。ベニテングタケに含まれるイボテン酸は、体内でその一部が「ムッシモール」に変化します。これが実際に幻覚を生み出す成分です。イボテン酸は、体内でごく一部だけがムッシモールに変化し、約80%はそのまま尿として排出されます。トナカイは、このイボテン酸を含む尿を舐めると、ベニテングタケを食べたときと同じように酔えることを知っています。実際、このイボテン酸混じりの尿は、遠くからでもトナカイを引き付け、その魅力的な「黄色い雪のシミ」を巡って、トナカイ同士で争いが起こるほどだといいます。
スカンジナビア半島北部からコラ半島に至るラップランドの牧夫たちも、トナカイを集めるときには、粉々に砕いたベニテングタケをばら撒きました。面白いことに、ラップランドの文化には、空を飛ぶトナカイの物語がたくさんあります。恐らく、ここからサンタクロースの寓話が生まれたのでしょう。トナカイの餌を試食した牧夫たちが、トナカイの群れが空高く飛んで行くような幻覚を見たのかもしれません。
図.16 トナカイは、好んでベニテングタケを摂取するという
ちなみに、グルタミン酸を単量体として、グルタミン酸がいくつもつながった重合体のことを「ポリグルタミン酸」といいます。この物質は、納豆の粘質物の主成分であることが知られています。農林水産省食品総合研究所が行った実験によると、納豆に含まれる「遊離アミノ酸」の量は、かき混ぜる回数が多いほど、増加することが分かったそうです。ただし、遊離アミノ酸の量は、かき混ぜる回数が300回になったところでピークとなり、それ以上ではかき混ぜても、遊離アミノ酸の量はほとんど変わらなかったそうです。これは、納豆をかき混ぜることで、納豆に含まれるタンパク質分解酵素である「プロテアーゼ」によるポグルタミン酸の加水分解反応が進行し、「グルタミン酸」が遊離するようになるからだと考えられます。また、納豆に含まれる遊離グルタミン酸の量は、保存期間が長くなるほど多くなり、納豆は製造日直後よりも、賞味期限切れ間近に食べる方がうま味が強いそうです。
図.17 納豆は300回かき混ぜて食べると、うま味が強くなっておいしく食べられる
また、ヒトの母乳中に含まれる遊離アミノ酸の組成を調べると、グルタミン酸が非常に多く含まれていることが分かります。その含有量は、「昆布出汁」に匹敵するほど高いです。母乳中に含まれているグルタミン酸の生理学的役割については、現在研究が進められていますが、1つの可能性としては、グルタミン酸によるうま味は、食欲をコントロールし、「満足感」に関与している可能性があることが指摘されています。米国モネル化学感覚センターによる乳児を対象とした研究によれば、「グルタミン酸を多く含む粉ミルク」と「通常の粉ミルク」を摂取している乳児の体重増加を比較したところ、通常の粉ミルクを摂取している乳児の方が、過体重傾向にあることが分かったそうです。これは、グルタミン酸を多く含む食事を摂取すると、少量でも「満足感」が得られるためだと考えられます。乳児期の過体重や肥満は、成人後の肥満やそれに伴う様々な疾患の原因となることから、WHO(世界保健機関)では、生後6カ月までの間は、グルタミン酸を多く含む母乳の摂取を推奨しています。
(3) 味蕾細胞
つい最近まで、「舌の先端に甘味や塩味を感じる部分があり、舌の奥に苦味を感じる部分がある」というような、舌の上には「味覚地図」があるという誤った説が、学校の教科書だけではなく、医学の専門書にまで掲載されて、信じられていました。そもそも、この説を世に広めたのが、栄養学者でも生理学者でもないエドウィン・ボーリングという心理学者であり、誰でも簡単な実験をすれば誤りであると分かることなのですが、一度権威のある専門書に載ってしまうと、なかなかそれを疑うことができなかったのです。ボーリングが、アメリカ心理学会の学長を務めるほどの大物であったことも、その一因かもしれません。
1974年には、化学者のヴァージニア・コリングスが、ボーリングの実験データを再確認する実験を行い、「舌の部位によって感じる基本味の感度には変化が認められたものの、それは非常に小さく取るに足らないものである」と結論付けています。しかし、ワイングラスメーカーは、感度の変化があるという部分のみを強調し、それ以外の実験データを、敢えて「無視」したのです。ワイングラスメーカーによると、ワイングラスはその独特的な形状のために、ワインを飲むときは顔を垂直以上に傾ける必要があり、そうすることで舌の奥までスッとワインが届き、ワインを舌の両側にある酸味を感じる部分に触れさせずに楽しむことができるというのです。つまり、ワイングラスメーカーは、その形状の「科学的な裏付け」が欲しかったのだと思われます。このような影響もあって、未だに味覚地図を信じている人がいるのも事実です。
図.18 エドウィン・ボーリングの提唱した「味覚地図」は誤りだった
舌は、場所によって感じる味が違うことはなく、舌全体ですべての味を感じています。人間が味覚として感じることのできる化学物質を、「味物質」といいます。人間は味物質を、舌の表面にある乳首の形をした3種類の「乳頭(有郭乳頭、葉状乳頭、茸状乳頭)」で検知しています。乳頭は舌だけではなく、喉や軟口蓋にも存在しており、ビールや水などの喉越しのうまさは、この部分で感じることが分かっています。乳頭のそれぞれには、細長い形態の「味細胞」が50〜100個ほど密着して蕾状になった「味蕾細胞」があります。食べ物を口に入れて噛むと、咀嚼運動によって味分子は唾液中に溶解し、それが味細胞の「受容体」に結合することで、大脳皮質味覚野に味覚情報が伝わって、味を感じると考えられています。味分子の溶解性が悪い場合は、味を感じにくくなり、後味が強くなる原因となります。
ただし、舌には、味に敏感である場所とそうでない場所があります。これは、味細胞の量の違いによるもので、舌の奥は味細胞が多いため、舌先よりも味に敏感であることが突き止められています。味細胞は、熱や物理的な刺激によって損傷しやすく、10日あまりで死滅し、新しい味細胞に置き換わります。
図.19 人間の舌には、約10,000個の「味蕾細胞」がある
5基本味のうち、甘味とうま味には、それぞれに対応した専用の「受容体」があり、塩味と酸味は、イオンが「イオンチャネル」を通過することによって、味を感じます。うま味受容体には、「mGluR4」や「T1R1/T1R3」などがあり、甘味受容体には、「T1R2」や「T1R3」があります。甘味受容体は、どちらも「T1R」という受容体のグループに属しますが、興味深いことに、同じグループの甘味受容体「T1R1」と「T1R3」が組み合わさると、うま味受容体「T1R1/T1R3」として働くことが分かっています。様々な行動実験の結果も含めると、T1R1/T1R3受容体はうま味の嗜好性に関与すると考えられ、mGluR受容体はうま味の弁別などに関わると考えられています。
一方で、苦味の受容体は、「T2R」という受容体のグループに属しています。甘味に関わる「T1R」は、3種類(T1R1〜T1R3)しか発見されていませんが、苦味に関わる「T2R」は、ヒトでは25種類も存在していることが分かっています。苦味はアルカロイドなどの「毒」を連想させる味覚であるため、敏感に感知できるようになっているのです。受容体ごとに受け取る物質は少しずつ違っていて、それぞれの比率によって、私たちの脳が「これはちょっと苦い」とか「先程とは別の苦味だ」とか「コーヒーの苦味だ」といった風に感じています。この25種類の受容体で、多様な構造の毒物の苦味をもらさず検出して、身を守っているものと考えられています。
表.5 主な味覚受容体とそのリガンド
味覚 |
受容体 |
味物質 |
甘味 |
T1R2 |
糖類、人工甘味料、甘味タンパク質 |
T1R3 |
||
うま味 |
T1R1/T1R3 |
グルタミン酸 |
mGluR4 |
||
苦味 |
T2R4 |
デナトニウム |
T2R16 |
サリシン |
|
T2R38 |
フェニルチオカルバミド |
ちなみに、ブロッコリーの苦味に関しては、ある1種類の受容体「T2R38」が受け取るということが判明しています。この遺伝子を調べると、人によって苦味の感じ方が、ハッキリと違うことが分かります。ブロッコリーを非常に苦く感じる人とあまり苦く感じない人とでは、その遺伝子の配列が違っているのです。例えば、日本人の場合では、ブロッコリーを非常に苦く感じる人が、10%くらいいるといわれています。つまり、そうした遺伝子を持った子供が、「ブロッコリー嫌い」になるということになります。
また、最近の研究では、胃にもうま味受容体があることが判明しています。胃には、脳神経の1つである「迷走神経」が延びています。この迷走神経は、グルタミン酸のような「うま味物質」だけに反応します。つまり、おいしいものを食べると、胃でもうま味をキャッチし、脳にその情報が伝わります。その結果、脳からの指令によって、胃液や膵液などの分泌が促進され、食物の消化が進みます。胃から脳への情報伝達の役割を果たしたグルタミン酸の約95%は、小腸でエネルギー源として使われます。うま味の強いおいしいものを食べることは、食物の消化を促してくれる面もある訳です。
図.20 日本人の10%は、遺伝的にブロッコリーを非常に苦く感じる
味蕾細胞の数は、成人でおよそ5,000〜7,500個であり、ウサギでは約17,000個、ウシでは約25,000個、体全体で味を感じるナマズに至っては、味蕾細胞が体表面にも存在するので、その数は約100,000個にも達するといわれています。また、チョウやハエは、脚の先端部分に生えている毛に味蕾細胞があり、そこで味を感じることができます。イヌやネコは、味蕾細胞の数が1,000〜2,000個と少なく、人間ほどには敏感な味覚はもっていないようです。
ちなみに、人間の乳児では、味蕾細胞は約12,000個も存在するといわれており、乳児は成人より敏感に味覚を感じ取っていると思われます。母乳には、グルタミン酸ナトリウムが多く含まれていることが分かっており、母乳は私たちにとって、初めてのうま味との出会いといえるでしょう。乳児は、「腐敗」や「毒」を連想させる酸味や苦味を嫌います。しかし、甘味やうま味を含んだ野菜スープなどの料理は、その心地良い味を好むことが知られています。
図.21 乳児は、成人よりも敏感に味覚を感じ取っている
他の人が気付かない苦味を、食べ物や飲み物に感じる人もいて、そうした人々は「超味覚者」と呼ばれています。超味覚者の舌には、普通の人の16倍もの数の味蕾細胞があるとされています。男性より女性の方が、超味覚者である割合が高く、人種的にはヨーロッパ系よりアジア・アフリカ系で割合が高いです。苦味だけでなく、塩味、甘味、酸味、うま味、そして食感の感受性も、人によってばらつきがあります。しかし、苦味ほど大きな開きがある訳ではありません。味に対する感度は、主に遺伝によって決まりますが、1930年代には、学者たちが味覚検査を親子鑑定に利用することを検討していたほど、基本味に対する感度だけでなく、嗜好反応の点でも、人それぞれで大きく異なっています。
苦味の感度で大きな個人差が見られる理由は、「苦味」が私たちの祖先にとって非常に重要な味だったからです。食べ物が豊かにある時代には、超味覚者が有利でした。彼らは苦い食べ物、つまり有毒である可能性があるものを、食べるのを避けることができたからです。一方で、食べ物の少ない時代では、普通の人々の方が少し有利だったと思われます。苦味があっても、無毒なものはたくさんあります。少しばかり苦いものでも、無毒で食べることができれば、生き残ることができたのです。甘味など他の味覚に対して、同じような説明をするのは難しいです。
図.22 「超味覚者」は通常の人よりも苦味を強く感じるので、ホウレンソウやキャベツなどの緑の野菜を嫌うことが多い
近年では、より豊かな食生活を送れるように、味覚感度の向上についての研究も進んでいます。最近では、食生活の乱れなどから、味覚障害に悩む人たちが増えていますが、味覚が鈍くなる原因の1つには、舌の表面が白くなる「舌苔」があげられます。これは、舌の表面に細菌や食べかすなどのタンパク質の汚れが溜まり、味蕾細胞を覆い隠して、味覚を鈍らせてしまうものです。近年では、舌苔を取り除く方法も研究が進み、舌ブラシなどを使った機械的な舌清掃の他、タンパク質分解酵素である「プロテアーゼ」を含んだタブレットを使った生化学的清掃もできるようになりました。最近、何だか味をあまり感じないなと思う人は、まずは舌の掃除をしてみてはどうでしょうか。
図.23 舌苔は、ストレスなどの心身系の原因の他、免疫力の低下や消化器系の疾患によっても見られる
ところで、2008年に、米国モネル化学感覚センターの研究チームは、「カルシウム」に反応する2種類の受容体が、マウスにあることを学会で発表しました。遺伝的に系統が異なる40種類のマウスに、カルシウムを含む溶液を飲ませたところ、多くのマウスがカルシウムの溶液を嫌う中で、それを好んで摂取する系統が発見されたといいます。遺伝子を比較した結果、「カルシウム味」を認識するのに、2種類の遺伝子が使われていることが特定されました。この受容体の遺伝子と似た遺伝子が、人間にもあることから、「カルシウム味」が基本味の1つになる可能性があります。なお、研究チームのマイケル・トルドフは、「カルシウム味は苦味に少し酸味が加わったようなものだ」と述べており、「カルシウムっぽい味としか言いようがない」とも話しています。
さらに、2010年には、オーストラリアのディーキン大学の研究チームが、「脂肪味」も基本味に加えるべきだと主張しています。研究によると、脂肪味には閾値があり、脂肪味に対して敏感な人もいれば、そうでない人もいて、人によって様々であることが分かったそうです。この研究の面白いところは、脂肪味に対して敏感な人は、脂肪の少ない食品でも満足でき、体重増や肥満が少ない傾向にあるということです。肥満傾向にある人は、脂肪味を感じにくくなっているために、つい脂肪分を摂りすぎているのかもしれません。
(4) うま味調味料は危険なのか?
日本語で、「おいしい!」というところを「うまい!」ということもあるように、日本人にとって、「おいしさ」と「うま味」というものは、切っても切り離せない関係にあります。しかし、「おいしさ」と「うま味」というものは、同じものではありません。「うま味」は味覚の1つであり、「おいしさ」とは、味覚などを統合した感覚なのですから。
今や「うま味」というものは、「味の素」や「ハイミー」などの化学調味料の普及によって、私たちの食卓に身近なものとなっています。うま味調味料の代表格といえば、味の素株式会社が販売している「味の素」ですが、味の素をはじめとして、多くの化学調味料は、その安全性に疑問を持たれていることが多いです。例えば、うま味物質には発ガン性があるとか、神経毒性があるとか・・・・・・。世間には、そのようなぞっとする記述が目立ちます。まず先に断言しておきますが、うま味調味料は普通に使用する分には、何の危険性もありません。むしろ、うま味調味料を上手く活用することによって、料理のレベルは何段階も上がるのです。うま味は、他の味覚と比べて長く味が持続することが分かっており、食べ物の「コク」の形成に関与しています。そのため、うま味調味料を料理に添加すると、風味が全体に広がり、風味の持続性が感じられるようになることが知られています。
図.24 「味の素」は、世界で初めて販売されたうま味調味料である
うま味物質の中でも、一番有名なのは、アミノ酸の一種である「グルタミン酸」です。味の素は、グルタミン酸のナトリウム塩である「グルタミン酸ナトリウム」が主成分(97.5wt%)であり、ほぼ純粋なグルタミン酸ナトリウムと考えることができます。味の素の残りの成分(2.5wt%)は、「イノシン酸」や「グアニル酸」などの核酸系なので、味の素はその成分すべてがうま味物質であるということができます。
なお、うま味には「相乗効果」があり、グルタミン酸ナトリウムにイノシン酸ナトリウムをごく少量加えるだけで、そのうま味が飛躍的に増すことが知られています。うま味の相乗効果は、昔から料理に利用されています。例えば、日本料理の出汁を取る場合、グルタミン酸ナトリウムの昆布とイノシン酸ナトリウムの鰹節の両方を入れて「合わせ出汁」とすることで、料理のうま味が飛躍的に増します。西洋料理でも、スープには肉と野菜の両方を使います。これも、豚肉などから出るイノシン酸ナトリウムとトマトなどから出るグルタミン酸ナトリウムの相乗効果を利用しています。うま味1の昆布とうま味1の鰹節を合わせると、その出汁のうま味は8倍にもなるといいます。
ところで、なぜ味の素は、わざわざグルタミン酸の「ナトリウム塩」を使用しているのかご存知ですか?私たちの舌は、「グルタミン酸」であろうと「グルタミン酸ナトリウム」であろうと、同じようにうま味を感じることができます。ほとんどのうま味調味料で使われているグルタミン酸は「ナトリウム塩」ですが、わざわざ「ナトリウム塩」にしている理由は、グルタミン酸のままでは、「うま味」の他に「酸味」も感じてしまうからです。グルタミン酸を舐めてみると分かりますが、酸っぱい味がしておいしくありません。
グルタミン酸は、「カルボキシル基(-COOH)」を持つため、水素イオンH+ を電離して、酸味を感じさせてしまいます。したがって、グルタミン酸をナトリウム塩にすることによって酸味を消し、グルタミン酸のうま味を、最大限に引き出しているのです。しかし、ナトリウム塩にすると、塩味も出てしまうのではないかと思う人もいるかもしれません。確かに、グルタミン酸はナトリウム塩にすると、電離するナトリウムイオンNa+ によって、塩味も出てしまいます。しかし、塩味とうま味の相性は、抜群に良いことが分かっているので、ナトリウム塩でも、調味料として成立しているのです。実際に、味の素をそのまま舐めたことがある人は分かると思いますが、味の素には、食塩は一切含まれていないはずなのに、ほんのり塩味がすると思います。これは、味の素に含まれるナトリウムイオンNa+ の影響であると考えられます。
図.25 「グルタミン酸」と「グルタミン酸ナトリウム」の構造式
このように、うま味調味料には、グルタミン酸をナトリウム塩として使用する理由がきちんとあるのですが、それを逆手に取って、「グルタミン酸は天然に存在するうま味分子だから安全である。しかし、うま味調味料は人工的に製造したナトリウム塩だから危険だ」などと非難する人がいます。確かに、天然の昆布やトマトなどには、グルタミン酸が豊富に含まれています。しかし、本質的には、グルタミン酸もグルタミン酸ナトリウムも、どちらも同じ「うま味物質」なのです。水素イオンH+ やナトリウムイオンNa+ などの陽イオンを電離した状態の「グルタミン酸イオン」が、うま味を感じさせる物質なのですから、この議論は全くの無意味なのです。
ただ、グルタミン酸を「ナトリウム塩」にして何か弊害があるとすれば、それは、「塩分の摂り過ぎ」に繋がりかねないということです。「グルタミン酸ナトリウム」のモル質量(M=169.1)は、食塩(M=58.4)の約2.9倍なので、グルタミン酸ナトリウムを29 g摂取すれば、それは食塩10 gの塩分を摂取したことと同じになります。また、グルタミン酸ナトリウムの性質として、味覚から「過剰摂取」を感知できないという問題もあります。通常、食塩などの調味料は、投入量過剰状態になると、「塩辛すぎる」状態となり、過剰摂取に気が付きます。しかし、グルタミン酸ナトリウムは、ある程度の分量を超えると、味覚の感受性が飽和状態になり、味の濃さが変わらず、同じような味になってしまうため、過剰摂取に気が付きにくくなってしまうのです。そのため、飲食店も過剰量を投入してしまいがちになってしまい、調味料として、通常の使用では考えられないような分量のグルタミン酸ナトリウムを摂取してしまう場合があり、注意を要します。
1972年、味付け昆布にグルタミン酸ナトリウムを「増量剤」として使用し、健康被害が起きた事故がありました。その症状は、1960年以降から社会問題となっている「チャイニーズレストランシンドローム(グルタミン酸ナトリウム症候群)」に、似たものだったといいます。問題の味付け昆布からは、製品の質量の25.92〜43.60%もの大量のグルタミン酸ナトリウムが検出されました。このグルタミン酸ナトリウムの量は、「調味料としての一般的な使用量」とは、程遠いものです。これだけの量を一度に摂取すれば、体に何か異常が出るのも当然でしょう。「グルタミン酸ナトリウム」だから害があったのではなく、他の調味料でも、これだけの量を摂取すれば、何らかの害が現れるに違いありません。
このような事故が度々報道されるため、未だにグルタミン酸ナトリウムを摂取すると、体に異常が出ると信じている人が多いです。しかし、「応用生物学アメリカ協会(FASEB)」が行った研究で、「調味料としての一般的なの使用量では、グルタミン酸ナトリウムに害はない」ということが、明らかになっています。チャイニーズレストランシンドロームも、「グルタミン酸」の摂り過ぎによるものではなく、グルタミン酸ナトリウムに含まれる「塩分」の摂り過ぎによるものなのではないかと、私は思っています。食塩の半数致死量LD50値は3.5 g/kgですが、グルタミン酸のLD50値は20 g/kgです。LD50値は、値が小さいほど危険性が高まるので、「グルタミン酸」よりも「食塩」の方が、むしろ毒性が強いとも考えられます。ちなみに、グルタミン酸のLD50値は20 g/kgなので、体重60 kgの人が1,200 gのグルタミン酸を一度に摂取すると、その半数が死亡する計算になります。しかし、これほどの量を一度に摂取するというのは、まず考えられません。実際に何度も行われた厳密な試験で、チャイニーズレストランシンドロームとグルタミン酸の摂取には、何の関連もないことが示されています。各国の食品科学委員会などでも検討が行われ、結局のところ、グルタミン酸は無実であるという結論が出されました(グルタミン酸ナトリウムの科学を参照)。
(5) グルタミン酸ナトリウム(MSG)
「グルタミン酸ナトリウム」は、英語だと「Monosodium Glutamate」と発音し、食品業界では、頭文字を取って「MSG」と呼んでいます。また、グルタミン酸はアミノ酸なので、「調味料(アミノ酸)」と表記されることも多いです。
グルタミン酸ナトリウムの製造法については、当初は、小麦粉や石油由来成分である「アクリロニトリル」からの合成で試行錯誤していましたが、現在は、サトウキビを原料として、含まれる炭水化物を、「ミクロコッカス・グルタミカス」という微生物の働きで、発酵させて製造しているようです。昭和29年に取得された免許によると、100 gのグルコースから、約40 gのグルタミン酸を得ることができるとあります。現在の製造法の詳細は不明ですが、基本は同じ方法で製造していると思われます。
また、グルタミン酸はうま味物質ですが、神経系では神経伝達物質の1つであり、記憶や学習などの高次機能に重要な役割を果たしていることが知られています。そのため、1960年に出版された林髞著「頭のよくなる本」(光文社)で、「グルタミン酸を食べれば頭が良くなる」という噂が広がり、それを信じた母親たちが、子供にグルタミン酸ナトリウムをご飯にまぶして食べさせる、といった社会現象まで一時起こりました。この噂の真偽はすぐに否定されましたが、現在でも「グルタミン酸が脳の代謝を促す」とか、「グルタミン酸が鬱を改善する」とかいう俗説を聞くことがあります。グルタミン酸は、経口摂取しても脳には入り込まないことが分かっているので、少なくともそのような効果があるとは思えません。ただし、最近では、入院中の高齢者にグルタミン酸を多く含む食事を与えたところ、認知症の症状が改善したという報告もあります。もちろん、食事がおいしく感じるから、たくさん食べられるようになって、元気が出ただけという可能性もありますが。
グルタミン酸ナトリウムを料理に添加するとき、グルタミン酸ナトリウムは多ければ多いほどうまいと、食塩のようにダバダバと振り掛ける人がいます。しかし、それは間違っています。一般的にあらゆる感覚の強さは、与えられた刺激の強さに比例しないのです。これを心理学では、「スティーヴンスのべき法則」といい、次式のように表せます。
ここで、Sは物理的刺激量、Rは刺激による心理的推定量(感覚量)、nは刺激の種類によって定まる指数で、kは刺激の種類と使用する単位によって決まる比例定数です。スティーヴンスの論文によると、「電気ショック」ではn=3.5、「冷たさ」ではn=1.7、「長さの見た目」ではn=1、「暑さ」ではn=0.7、「明るさ」ではn=0.5になることが分かっています。「味覚」の場合は、nが1より小さくなることが多く、そのために、料理で加える調味料を増やしていっても、感覚量は必ずしも比例せず、ある感覚量に収束していきます。特に「うま味」は、他の味覚よりも値が小さく、大量に摂取しても、感覚量が増加しにくいのです。
図.26 「スティーヴンスのべき法則」 (Stevens,S.S「The psychophysics of sensory function」より一部改め引用)
グルタミン酸ナトリウムは、わずか0.03wt%の水溶液でも、うま味を感じる化学物質です。グルタミン酸ナトリウムを大量に加えるのは、塩分の摂り過ぎにもなり、体の健康に良くありません。グルタミン酸ナトリウムのようなうま味調味料は、料理にほんの少し、隠し味程度に加えるだけで良いのです。また、グルタミン酸ナトリウムは、だ液にも少量含まれており、甘味や塩味などの味を際立てたり、抑えたり、まろやかにしたりする側面も持っています。唾液が少ないときに、味が薄く感じることがあるのはそのためです。だ液を洗い流す作用があるアルコールの肴が、塩辛い味にならざるを得ないのも理解できます。それでは、具体的にグルタミン酸ナトリウムは、料理にどのくらい添加すれば、一番「おいしく」感じるのでしょうか?
図.27 グルタミン酸ナトリウム(MSG)と「甘味」・「塩味」・「酸味」・「苦味」の関係(太田静行「うま味調味料の知識」幸書房より一部改め引用)
スクロースは「甘味」、塩化ナトリウムは「塩味」、酒石酸は「酸味」、キニーネは「苦味」を感じる物質です。グラフは、それぞれの濃度について、グルタミン酸ナトリウムが100%のときの「うま味」の強さを100として、相対的に「うま味」の強さを示しています。4つのグラフからいえることは、塩化ナトリウムとグルタミン酸ナトリウムの相性が、抜群に良いということです。他の物質については、いずれの濃度でも、グルタミン酸ナトリウムの「うま味」が弱くなってしまいます。しかし、塩化ナトリウムだけは、ある濃度においては、逆に「うま味」を強めていることが分かります。このように「塩味」には、「うま味」の「相乗効果」をもたらす性質があるのです。
また、グルタミン酸ナトリウムの量が多すぎても少なすぎても、強いうま味が得られないというのは、大変興味深いです。これは、単純にグルタミン酸ナトリウムの量が、うま味に相関しないということを、如実に示しています。つまり、グルタミン酸ナトリウムのうま味を最大限に引き出すには、塩化ナトリウムすなわち食塩の濃度に合わせて、グルタミン酸ナトリウムの分量を決めてやれば良いのです。
図.28 食塩の「塩味」は、「うま味」の「相乗効果」をもたらす
それでは、いったいどのくらいの比率で、グルタミン酸ナトリウムと食塩を使用すれば良いのでしょうか?80 mmolのグルタミン酸ナトリウムの質量は約14 g、50 mmolは約8.5 g、20 mmolは約3.4 gなので、一般の家庭料理に使用するのには、減塩のことも考えて、グルタミン酸ナトリウムは20 mmolスケールで考えて良いでしょう。図.27のグラフを見ると、20 mmolのグルタミン酸ナトリウムに対して、うま味が増加しているポイントは、塩化ナトリウムが0〜230 mmolの範囲です。塩化ナトリウムのモル質量は58.5 g/molなので、塩化ナトリウムの質量が約13.4 g以下の範囲で、うま味が増加するということが分かります。つまり、グルタミン酸ナトリウムを料理に添加する際には、食塩約13.4 gに対して、3.4 gを加えれば十分であるということです。5人分ぐらいの料理を作るときは、この比率で作れば、問題ありません。
ただし、これは計算上のことであって、実際は、食材自体にもグルタミン酸が含まれていますし、他の調味料にも食塩が含まれているので、料理によっては、若干の補正が必要になります。結局のところ、グルタミン酸ナトリウムはどの程度加えるのが最適なのかというと、味付けとして加える食塩の質量の20%ほどを加えるだけで十分だと思います。それ以上は、うま味の増加も少ないですし、塩分の摂り過ぎにも繋がってしまいます。グルタミン酸ナトリウムは、このように上手く使えば、いつもの料理をさらにおいしくすることができます。化学調味料だからといって、毛嫌いしないで、いろいろな料理に、是非とも活用してみてください。
・参考文献
1) 石浦章一「タンパク質はすごい!」技術評論社(2014年発行)
2) 石川伸一『「スイーツや料理をおいしく感じる」科学』化学と教育67巻8号(2019年)
3) 太田静行「うま味調味料の知識」幸書房(1992年発行)
4) 黒蜷ウ典「人の暮らしを変えた植物の化学戦略 香り・味・色・薬効」築地書館(2020年発行)
5) 齊藤勝裕「最強の「毒物」はどれだ?」技術評論社(2014年発行)
6) 佐藤健太郎「炭素文明論」新潮社(2013年発行)
7) ジョー・シュワルツ「シュワルツ博士の化学はこんなに面白い」主婦の友社(2002年発行)
8) Stevens,S.S「The psychophysics of sensory function」Sigma Xi, The Scientific Research Socirty(1960)
9) 高村一知「天然および合成甘味料について」聖徳栄養短期大学紀要6,34-44,1975-03-20
10) チャールズ・スペンス 著/長谷川圭 訳『「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実』株式会社KADOKAWA(2018年発行)
11) デイヴィッド・J・リンデン 著/岩坂彰 訳「快感回路―なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか」河出書房新社(2012年発行)
12) 都甲潔/飯山悟 共著「トコトン追究 食品・料理・味覚の科学」講談社(2011年発行)
13) 西村敏英/江草愛 共著『食べ物の「コク」を科学する』日本農芸化学会 化学と生物54(2):102-108(2016)
14) 二宮くみ子「だしとうま味の食品化学」薬学雑誌2016;136(10):1327-1334
15) 韮沢悟/栗原良枝 共著「味覚と高分子 甘味タンパク質および甘味誘導タンパク質の構造と機能」高分子45巻6月号(1996年発行)
16) 船山信次「こわくない有機化合物超入門」技術評論社(2014年発行)
17) 前橋健二「甘味の基礎知識」日本醸造協会誌106(12),818-825,2011-12-15
18) 薬理凶室「悪魔が教える 願いが叶う毒と薬」三才ブックス(2016年発行)
19) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書VC」三才ブックス(2009年発行)