・タミフルの科学


(1)インフルエンザとは何か?

インフルエンザは、主に呼吸器に感染するウイルスで、13日の潜伏期間の後、関節痛や筋肉痛、全身倦怠感などを伴う風邪症状を引き起こします。症状が似ているため、風邪の一種だと思われがちですが、普通の風邪とは同列に語れないほどの危険性を持つ病気です。一般的な風邪とは異なり、インフルエンザはいきなり38℃以上の高熱が出ますから、症状の出始めから激しい全身症状が表れ、寝込んでしまうことが多いのです。まれに通常の風邪程度で済むこともありますが、たいしたことないと思って外を出歩くと、ウイルスを周囲にばら撒いて、感染を拡大させることになります。

気温が低くなると、ウイルスは活性化し、特に気温が15℃よりも低い場所では、感染力が強くなります。これが冬季にインフルエンザが流行する理由です。さらにこの時期は、気温が下がって人間の免疫機能も低下するので、なおさらインフルエンザにかかりやすくなるのです。体温が1℃下がると、ウイルスや細菌に対する免疫機能は、30%以上も下がってしまうといいます。

 

.1  インフルエンザウイルスの表面には突起が付いており、これで宿主細胞の表面に吸着する(画像はこちらからお借りしました)

 

インフルエンザの危険な点は、その感染力にあります。「電車に30分程いたとして、そこに発病中の人が乗っていて、その人が1回クシャミをしただけで、8割以上の乗客が感染してしまう」というぐらいに、強力な感染力を持ちます。インフルエンザにかかった人の体内、特に気道粘膜などの呼吸に関係するところには、インフルエンザウイルスが増殖しています。そのウイルスは、咳やクシャミに乗って、周囲の空気にばら撒かれます。咳やクシャミの唾液が、そのまま周囲の人の粘膜に付着し、そこに含まれていたウイルスに感染する。これを「飛沫感染」といいます。

一方で、直接ではないにしろ、咳やクシャミでばら撒かれたウイルスが空気中に浮遊し、それを近くの人が吸い込めば、「空気感染」です。空気中に唾液にエアロゾルとして放出されたウイルス(クシャミ1回で10万個)は、空気中で30分近く高い感染力を保ちます。そして、ウイルスが数個ほど侵入しただけで、感染する危険性を持っています。呼吸器だけでなく、目や鼻の粘膜などからも侵入するので、インフルエンザに感染している人が近くにいる場合、感染を防ぐ手段はほとんどありません。1個のインフルエンザウイルスは8時間で100倍に、24時間で100万倍になり、感染から13日ほどで、感染可能な発病状態になります。このように、インフルエンザは極めて高い感染力を持ち、ヒトの遺伝子の突然変異の1,000倍という驚異的な速度で変異するため、兵器としては危険すぎて使用できないともいわれています。

1918年から1919年にかけて世界中で大流行した「スペイン風邪」では、地球の人口の半分とも、10億人ともいわれる人が感染し、数千万人が死亡、日本でも39万人以上が死亡しました。当時は第一次世界大戦の最中で、まず連合国軍の、次いでドイツ軍の陣地をインフルエンザウイルスが襲い、戦局に重大な影響を及ぼすほど多くの患者と死者を生み出しました。アメリカの記録では、この「スペイン風邪」によるアメリカ軍兵士の死亡者数は、戦闘による死亡者数を上回っていたといいます。そして、第一次世界大戦そのものも、この大惨事によって終結が早まったほどでした。1919年に終息を見るまでに、感染者が北極圏から南太平洋の小島にまで出現し、人類の感染症の歴史上最大の世界的大流行(パンデミック)となりました。

 

.2  第一次世界大戦下、「スペイン風邪」は史上最大のパンデミックとなった(画像はこちらからお借りしました)

 

インフルエンザの病原体はウイルスですが、インフルエンザ菌というものもあります。これは、まだインフルエンザウイルスが発見されていなかったころ、重症のインフルエンザ患者の体内から検出された細菌で、「これがインフルエンザの病原体なのではないか」ということで、インフルエンザ菌と命名されました。この菌を感染させた動物が、咳や発熱などの症状を示すことも、誤解を深める原因となったようです。何だかややこしいようですが、インフルエンザはインフルエンザウイルスによる感染症で、インフルエンザ菌はインフルエンザの患者に二次感染するものです。

 インフルエンザウイルスは、ヒトの他に、ウマやニワトリ、ブタ、クジラ、アザラシなどにも感染します。突然変異を繰り返しながら、数々の哺乳類を巡回するように感染していくのです。インフルエンザウイルスには、遺伝子複製の際に起こるエラーの修復機構が存在しないので、動物での感染が拡大するほど、新型インフルエンザが発生する可能性は高くなります。ヒトに感染する前にニワトリで大規模な被害が出ることが多いので、鳥インフルエンザの蔓延には、随分と慎重になっている訳です。現在では、東南アジア付近を中心にして発生している毒性の強い新型インフルエンザウイルスが、近い将来突然変異を起こし、ヒトからヒトへの感染能を獲得してしまうのではないかと恐れられています。

 

.3  鳥インフルエンザから新型インフルエンザが発生する危険性がある

 

 インフルエンザウイルスは、核タンパク質の免疫原性によって、大きくA型、B型、C型の3種類に分けられます。普通に「インフルエンザ」という場合は、たいていA型のことです。A型は、カモなどの野生の水鳥を第一宿主とするウイルスであり、アマンタジンという薬が有効なことが昔から知られています。A型は、流行性が最も強く、症状が重いものの、治療薬が安価に存在する、比較的治しやすいタイプだと考えていいでしょう。しかし、このウイルスの遺伝子が突然変異を起こしたり、ニワトリやブタの体内で他のタイプのA型ウイルスと出会って遺伝子が混じり合ったりすると、パンデミックを引き起こすような危険なウイルスに姿を変えることがあります。

B型は、ヒトだけに感染し、流行性がやや強く、タミフルが出てくるまで、なかなか有効な薬がありませんでした。A型では、アマンタジンに耐性を持つウイルスがすでに出現しているので、十数年もすれば、タミフルの効かないB型が出てくる可能性もあります。B型は、高熱にはなりにくいものの、体内にウイルスが残留する期間が長いため、身近な人に移してしまう危険性が懸念されます。

C型は、あまり耳にすることがないかもしれませんが、ヒトだけに感染し、流行性が低いものの、免疫力の弱い子供が感染する危険性があるウイルスです。A型とB型が季節性インフルエンザなのに対し、C型は通年性インフルエンザです。大人にはあまり感染せず、感染したとしても、インフルエンザと認識せずに風邪と間違える程度です。C型は、感染力の弱さや症状の気付きにくさから、流行性はほとんどありません。さらに、免疫はほぼ一生持続するため、人生で2回かかることもまれとされています。

 

.4  アマンタジンはA型インフルエンザ治療薬として知られている

 

 ほとんど特効薬のないインフルエンザウイルスですが、化学の目で見ると、弱点もあります。まず、インフルエンザウイルスの膜(エンベローブ)は、70%が脂質でできています。つまり、インフルエンザウイルスは油の膜で守られているのです。そこで、有機溶媒はもちろん、洗剤のような界面活性剤にも弱いのです。セッケンで洗ったり、アルコールで洗浄したりすると、インフルエンザウイルスは油の膜が剥がれて即死します。また、高温にはやや強く、60℃まで耐えますが、酸には弱いので、pHが低い環境では、あっという間に死んでしまいます。ちなみに、インフルエンザウイルスは-70℃で保存すれば、数年間は感染性を保ったまま保存できるといいます。

 

(2)恐怖の新型インフルエンザ

 2009年の新型インフルエンザ(H1N1)は、瞬く間に世界中に感染拡大してパンデミックとなり、大騒ぎになりました。振り返ると、あのウイルスはほとんどの人が軽症で回復し、致死率も季節性インフルエンザと同じぐらいのものだったので、そこまで大騒ぎする必要はなかったように思えます。それでは、なぜあのような大騒ぎになったのでしょうか。それは、インフルエンザの中には「H5N1型」というウイルスがいるからです。

 1918年から1919年にかけて大流行した「スペイン風邪」では、世界中で数千万人が死亡しました。これは、結局「H1N1型」のインフルエンザでしたが、当時はインフルエンザではなく、一種の「風邪」であると考えられていました。スペイン風邪は、弱毒性のインフルエンザだったからです。それでも、スペイン風邪では致死率が約2%と非常に高く、多くの人が死亡しました。そして、「H5N1型」のインフルエンザは、スペイン風邪よりもかなり強い毒性を持っていると考えられているのです。

弱毒性インフルエンザは、主に呼吸器疾患を引き起こします。喉が痛くなり、鼻が詰まります。そして、気管支炎になり、酷い場合には肺炎になります。ダメージを受けるのは呼吸器系だけですが、それでも人は死ぬことがあります。ところが、強毒性インフルエンザは、呼吸器感染に止まらず、血液中にウイルスが侵入して、全身感染を引き起こします。さらに、ウイルス感染に対する過剰な生体防御反応、すなわち「サイトカインストーム」が起こり、その結果、様々な臓器が障害を受け、多臓器不全がもたらされる可能性があると考えられています。強毒性インフルエンザの致死率は非常に高く、途上国では1015%、先進国では510%程度になると想定されています。アメリカでは、最悪の場合である20%の致死率を想定して、計画や訓練を行っているといいます。

 

.1  新型インフルエンザと季節性インフルエンザの違い

 

 かつては、どこかで疫病が流行しても、その地域で封じ込めることで、パンデミックを回避することができました。ところが、現在は飛行機や新幹線などの交通手段が発達しているため、仮に新型インフルエンザ(H5N1)が流行した場合、ものの45日でウイルスは世界中に伝播すると考えられています。そして、これを食い止めることは、ほぼ不可能なのです。なぜなら、インフルエンザの感染期間は発熱前にもあるので、疫病が判明して、感染が広がっていると判明した時点では、もうすでに感染者が移動しているからです。新型インフルエンザ(H5N1)の流行が明らかになった時点で、感染者が飛行機でもう日本に来ている――それくらい現代人の移動速度は速いのです。こういう意味で、2010年のインフルエンザ流行時に行われた空港の体温検査などは、全く効果がないと主張する研究者さえいました。

新型インフルエンザ(H5N1)が流行すると、最悪の場合では、64万〜210万人が死亡すると想定されています。これは日本だけの死亡者で、日本の国内総生産(GDP)の実に4%が失われる恐れがあるとされています。かなり控え目に見ても、関東大震災の数倍――自分の直接の知り合いが何人か亡くなる程度の被害は想定されています。もちろん、ライフラインの寸断など、生活にも大きな影響が予想され、経済的損失は世界で500兆円を超えるという試算もなされています。新型インフルエンザ(H5N1)は、現在人類が直面する最も大きなリスクといっても過言ではありません。

日本で新型インフルエンザ(H5N1)が流行しそうになった場合、鳥インフルエンザを基にして、厚生労働省が予防のためのプレパンデミックワクチンを製造し、1,000万人分規模の備蓄をするそうです。このワクチンは、新型インフルエンザ(H5N1)の発症を完全に防ぐことはできませんが、重症化を防いで、致死率を大幅に下げると考えられています。しかし、1,000万人分規模の予防ワクチンの使用優先順位は、まず医療従事者である医師と看護師です。医療従事者は感染する可能性が高く、医療体制を維持するためにも、これは当然のことと考えられます。それから、国会議員とライフライン従事者にも優先的に予防ワクチンを打ちます。残念ながら、一般市民には予防ワクチンは回ってこないのです。

残りの1億人以上への対応としては、厚生労働省は発症後にタミフルを服用することで対応しようとしています。ただし、ウイルスは突然変異を起こすこともあり得ます。そして、タミフル耐性を持ったインフルエンザも現れると考えられています。新型インフルエンザ(H5N1)に関しては、まだ人間の間では広まっていないので、当初はタミフルで対応できると予想されていますが、実際にはどうなるか分かりません。

タミフルで応急対策した後では、厚生労働省は実際に流行している新型インフルエンザウイルスを基にして、パンデミックワクチンを製造します。このワクチンは、実際に新型インフルエンザ(H5N1)が発生しなければ製造できないため、新型インフルエンザ(H5N1)が発生してから少なくとも6カ月かかり、全国民分を用意するのには1年以上かかると予測されます。2009年の新型インフルエンザ(H1N1)では、発生から約6カ月後にパンデミックワクチンの接種が開始されました。

 

.2  パンデミックワクチンとプレパンデミックワクチンの違い

 

 インフルエンザ(H5N1)は、現在は「H5N1型の鳥インフルエンザ」といわれています。まだ、ニワトリの間でしか感染が広まっていないからです。ただし、ニワトリから人間に感染することもあります。インフルエンザは、ニワトリからブタを経由してヒトに感染することが多いのですが、ブタを介さずにヒトに直接感染するという事例も数多く報告されているからです。ただし、ヒトからヒトへと感染したという事例は未だ報告されていません。疑われた例はあるにはあるのですが、途上国は情報を隠蔽しますし、少なくとも日本では発見されていないのです。もしインフルエンザ(H5N1)がヒトからヒトへと普通に感染するところまで突然変異した場合、瞬く間にウイルスは広がり、大勢の死者が出てくると想定されます。

日本では、養鶏場で鳥インフルエンザが発生した場合、発生地点の510 km範囲のニワトリなどをすべて殺処分しています。「やりすぎじゃないか?」と思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。感染を防いでおくためにできることをしておかないと、すぐに人間の世界で蔓延してしまうからです。ただ、地球の裏から表にすぐに感染者が広がってしまう時代ですから、他国もきちんと対策を取らないと、結局はパンデミックが起こってしまいます。先進国は、感染者が出たときには公表して封じ込めますが、途上国は必ずしもそうではありません。新型インフルエンザ(H5N1)の流行を防ぐためには、一地域に留まらない世界的な対応が不可欠なのです。

 

(3)タミフルは安全なのか?

 インフルエンザ対応の基本はワクチン療法ですが、これはウイルスが出現してからでないと作成できず、また供給に半年ほどの時間を必要とします。その間のつなぎとして期待されているのが、抗ウイルス剤「タミフル」(化合物名:リン酸オセルタミブル)です。タミフルは、ウイルスが持つ「ノイラミニダーゼ」という酵素の働きを抑え、その増殖を抑制する薬です。従来の抗ウイルス剤が、いずれも注射や吸入という投与法を取るのに対し、この薬は初の服用薬として登場しました。

 タミフルは、B型には効きにくく、C型には無効ですが、A型のインフルエンザには有効であるとされています。タミフルは、ウイルスの増殖を抑制する作用を持つので、感染直後のウイルスがまだ少数のうちに服用すれば、症状の悪化を防ぐことができます。十分な量のタミフルを確保することができれば、新型インフルエンザ(H5N1)による死者・入院患者は、3分の1にまで減らせるという予想もあり、現在最も効果が期待できる薬剤と考えられています。

 

.5  タミフルは新型インフルエンザ(H5N1)にもある程度有効であると考えられている

 

 そのタミフルに副作用の問題が浮上してきたのは、200511月のことでした。インフルエンザの患者の少年が、タミフル服用後に自らトラックに飛び込むなどの異常行動を起こし、2名が死亡したというものです。その後、10代の患者を中心に異常行動などの報告例が増え続け、マスコミの報道もそれに合わせてヒートアップしていきました。発売元の製薬会社や厚生労働省は、ニュースや週刊誌で集中砲火を浴び、「悪魔の薬」「薬害エイズ事件の再来」といった過激な論調の記事も少なくありませんでした。厚生労働省では、しばらく「タミフルとの因果関係の特定は困難」としてきましたが、世論の高まりを受けて、20073月に「因果関係は不明であるものの、10代の患者のタミフル使用を差し控えるよう」通告する事態となりました。こうして使用制限がなされるまでの間に、タミフル服用後に異常行動(ベッドの上で飛び上がった程度のものまで)を起こした人数は211名にも及び、その8割が10代でした。うち十数名が、窓からの転落などによって亡くなっています。

 

.6  200511月、タミフルを服用していた2名の患者が異常行動の結果、事故死していたことが報道された

 

 世間では、こうしたタミフルに対する批判的なイメージが根強く、インフルエンザの治療にタミフルが使用されることを支持しないという人も、少なからず存在します。しかし、タミフルの服用者は延べ3,500万人〜4,500万人ほどと見られていますが、軽度な異常行動の報告は200件前後、転落死などの重度な異常行動の報告は20人弱に過ぎません。つまり、そのすべての原因がタミフルによるものであったとしても、異常行動を起こす確率は約20万分の1、転落死する確率は約200万分の1程度ということになるのです。この200万分の1という確率は、交通事故で死ぬ確率1万分の1、航空事故で死ぬ確率20万分の1よりも、十分に小さい数字です。そして、航空事故はいくら気を付けていても避けようがありませんが、異常行動による転落死は、周囲で気を付けていれば、かなりの割合で防げるリスクです。「1万分の1以下のリスクなら、受け入れるのが現代人の姿勢だろう」と述べたジョン・エムズリーのように、私たちはこの程度のリスクは、許容して然るべきだと思います。

 しかし、いくらリスクが小さくても、利益がそれを上回らなくては、何もなりません。そして、各種のデータを見る限り、タミフルによるインフルエンザの治療は、十分有効であると考えられるのです。流行する型によっても異なりますが、インフルエンザはいったん流行し始めると、国内だけで毎冬1,000万人もの人々が感染し、そのうちの1,000人ぐらいが死亡することは珍しくありません。タミフルは、この死者数を大幅に減少させることができるのです。きちんとタミフルを服用することにより、インフルエンザによる致死率が大幅に低下したという報告が、欧米の複数のグループからなされています。すなわち、タミフルの承認を取り消すということは、こうした恐ろしい病気であるインフルエンザの有効な治療手段を奪い去ってしまうということになるのです。もちろん、単純に罹患期間が短くなることで、他人に感染させる確率が下がること、患者の身体的、経済的負担が減るなどの効果も見逃せません。

 そもそも、タミフルを服用した際の異常行動が、タミフルが原因であると簡単に帰結することはできないのです。まず、こうした異常行動は、インフルエンザ単独の症状(インフルエンザ脳症)として、まれに起こることが以前から知られていました。つまり、異常行動はタミフルのせいなのか、インフルエンザそのもののせいなのか、区別を付けるのは非常に困難なのです。実際、三重県のある病院では、異常行動を起こしたインフルエンザ患者が一冬に14人入院しましたが、うち6例はタミフルの投与前に異常行動が起こっていたということです。また、厚生労働省の調査班は200712月、「18歳以下のインフルエンザ患者1万人を対象とした大規模調査の結果、タミフル使用者の方が非服用者に比べて異常行動は少なかった」という結果を発表しています。扁桃腺炎で高熱を出した小児が異常行動を起こしたという例もあり、こうした異常行動は、いわゆる「熱に浮かされた」状態ではまれに起こり得ることなのです。

 そして、タミフルが直接脳に作用して異常行動を引き起こすという説もありますが、実際にはタミフルが脳内に入り込むことはありません。摂取した薬剤は、血液に乗って全身に運ばれますが、脳と血管の間には「血液脳関門」と呼ばれる物質の移動を制限する関所のようなものがあり、タミフルのような極性の高い分子は、これを通過できないようになっているのです。20067月にタミフルを飲んだ後で転落死した少年の遺体を解剖した結果、血液中には十分な量のタミフルが存在したのに、脳からは全く検出されませんでした。また、脳内の主要なタンパク質155種について、タミフルと相互作用するものがあるかどうかの試験が行われていますが、強く結合して影響を与えるものは見つかっていません。

新型インフルエンザ(H1N1)の致死率は、途上国では1015%、先進国では510%程度になると想定されています。季節性インフルエンザによる死亡者は、小児と老年層に多いのですが、新型インフルエンザ(H1N1)では、10代から30代までの若年層の致死率も高くなると想定されています。新型インフルエンザ(H1N1)のパンデミックが発生してしまったとき、「異常行動が怖い」とタミフルを拒否する若者が出てきたら、それは安易な刺激や数字だけを求め、危険を煽るだけ煽ったマスコミの責任です。総合的にリスクと利益を考えた場合、現時点では新型インフルエンザ(H1N1)に対して、10代であろうとタミフル服用をためらう理由は何もありません。どんな物事にもいえることですが、私たちはリスクと利益を正確に見定め、その是非を判断しなければならないのです。


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・参考文献

1) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書」三才ブックス(2004年発行)

2) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書UB」三才ブックス(2006年発行)

3) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書VC」三才ブックス(2009年発行)

4) 薬理凶室「アリエナイ理科」三才ブックス(2012年発行)

5) 竹内薫「怖くて眠れなくなる科学」PHP研究所(2012年発行)

6) 左巻健男「面白くて眠れなくなる化学」PHP研究所(2012年発行)

7) 佐藤健太郎「化学物質はなぜ嫌われるのか」技術評論社(2008年発行)

8) 船山信次「こわくない有機化合物超入門」技術評論社(2014年発行)

9) 枝川義邦「身近なクスリの効くしくみ」技術評論社(2010年発行)

10) 矢沢サイエンスオフィス編「薬は体に何をするか」技術評論社(2006年発行)

11) 佐藤健太郎『「ゼロリスク社会」の罠』光文社(2012年発行)

12) 深井良祐「なぜ、あなたの薬は効かないのか?」光文社(2014年発行)