・有機反応機構(カルボニル化合物におけるα位の反応)


【目次】

(1) ケト-エノール互変異性

(2) エノラートアニオンの生成

(3) アルドール反応

(4) マイケル付加反応


(1) ケト-エノール互変異性

 アルデヒドやケトンは、「ケト形(keto form)」と「エノール形(enol form)」と呼ばれる2種の構造の平衡混合物として存在していることがあります。この2種の形では、プロトンH+ と二重結合の位置が、それぞれで異なっています。

 

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.1  ケト-エノール互変異性

 

この種の構造異性は、「互変異性(tautomerism)」と呼ばれます。互変異性体では、それらの異性体同士が互いに変換する速度が速く、どちらの異性体も共存する平衡状態となっています。異性化の速度や平衡定数は、物質の種類や温度、pH、溶媒の種類などによって変化し、アルデヒドやケトンにおけるこの2種の形は、特に「ケト-エノール互変異性(keto-enol tautomerism)」と呼ばれます。また、互変異性体は、原子の位置が変化している「構造異性体」であり、「共鳴混成体」とは似ていますが、全く別の概念です。共鳴混成体は、量子力学的な電子配置の重ね合わせを表しており、共鳴とは「原子の動き」ではなく、「電子の動き」に関する理論なのです。

 カルボニル化合物をケト形からエノール形に変換するためには、カルボニル基(-CO-)に隣接する炭素原子上に、水素原子が結合している必要があります。この水素は「α水素」と呼ばれ、カルボニル化合物の有機反応では、このα水素の挙動が非常に重要になってきます。さらに、カルボニル基(-CO-)から遠ざかるにつれて、β水素、γ水素、δ水素、ε水素・・・・・・などと呼ばれます。

 

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.2  置換基の位置

 

また、ほとんどの簡単なアルデヒドやケトンは、優先的にケト形で存在していることが多いです。例えば、アセトアルデヒドの99.9997%はケト形であり、エノール形はわずか0.0003%しか存在しません。通常ケト形が安定である主な理由は、ケト形における結合エネルギーの和が、エノール形の結合エネルギーの和よりも大きいからです。一般的に結合エネルギーの和が大きいほど、その化合物は安定になります。

 

.3  アセトアルデヒドのケト-エノール互変異性

 

しかしながら、複雑な構造を持つカルボニル化合物には、互変異性において、エノール形の割合がずっと大きいものがあります。このような分子では、エノール形よりケト形が有利になるという一般的なエネルギー差よりも、エノール形を取ったときに得られる何らかの安定化の寄与の方が大きいのです。例えば、次の図4に示すβ -ジカルボニル化合物(1,3-ジカルボニル化合物)では、ケト形よりもエノール形の割合の方が大きいです。

 

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.4  複雑な構造を持つカルボニル化合物のケト-エノール互変異性

 

β -ジカルボニル化合物のエノール形では、分子内で水素結合を形成することが可能であり、これがエノール形を安定化している1つの理由となっています。さらに、エノール形では、CC結合と残ったカルボニル基(-CO-)が共役しており、2p軌道による共役系が長くなっていることが分ります。一般的に共役系は長くなるほど、分子全体のエネルギーが下がるので、分子の安定性が高まるのです。β -ジカルボニル化合物では、これらが原因となり、平衡の位置が、ケト形からエノール形へ大きくずれています。

さらに、究極のエノール形は、フェノールです。芳香族ケトンから芳香族エノール形の生成の平衡定数は、1013以上であると見積もられています。フェノールでは、エノール形を取ったときに得られる芳香族環による共鳴安定化の寄与が大きく、仮にケト形を取った場合では、芳香族性が破壊されてしまうので、エノール形が非常に有利になるのです。

 

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.5  フェノールのケト-エノール互変異性

 

(2) エノラートアニオンの生成

カルボニル化合物に関して、注目すべきことの1つは、それがルイス酸であるばかりでなく、プロトン供与体にもなりうるという点です。プロトンH+ として塩基により引き抜かれるのは、カルボニル基(-CO-)に隣接するα位の水素です。カルボニル基のα水素は、通常の炭素原子に結合した水素に比べると、はるかに高い酸性を示します。次の表.1に、代表的なアルデヒドおよびケトン、そして標準化合物のpKa値を示しておきます。

 

.1  α水素の酸性度

化合物

名称

pKa

CH3CH2CH3

プロパン

50

CH3COCH3

アセトン

19

CH3CHO

アセトアルデヒド

17

CH3CH2OH

エタノール

16

 

メチル基(-CH3)の隣にカルボニル基(-CO-)が結合したときの効果は著しく、プロパンのpKa値は約50で、アセトンおよびアセトアルデヒドのpKa値は約20です。つまり、カルボニル基(-CO-)の影響によって、メチル基(-CH3)の水素の酸性度は、1030倍以上も上昇するのです。実際にこれらの化合物は、アルコールのヒドロキシ基(-OH)とほぼ同等の酸性度を示します。その理由は何でしょうか?それには、2つの理由があると考えられています。

第一に、カルボニル基(-CO-)は電子吸引性の官能基です。電気的に陰性なカルボニル酸素により、α位の共有電子対は、カルボニル炭素の方向へ引き寄せられます。その結果、α水素は、プロトンH+ として塩基により引き抜かれやすくなるのです。そして第二には、α水素が引き抜かれて生じる陰イオンが、カルボニル酸素が負電荷を持つような共鳴によって安定化されることです。共鳴安定化が起こるのはα位だけであり、α水素がプロトン源となったときのみに起こります。

 

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.6  エノラートアニオンの生成

 

この陰イオンは、アルケン部分(ene)とアルコラート部分(olate)からなるので、「エノラートアニオン(enolate anion)」と呼ばれます。アニオン(anion)は、「陰イオン」という意味です。エノラートアニオンは、あるときはアルコキシドイオンとして、またあるときはカルボアニオンとして存在するのではなく、常に1つの共鳴安定化された化学種として存在していることに十分注意して下さい。エノラートアニオンの負電荷は、α炭素とカルボニル酸素に分散しているのです。

そして、このエノラートアニオンは、水H2Oのようなプロトン源と酸素上で反応すると、中性のエノールが生成します。これが、塩基性条件下でのケト-エノール互変異性です。ちなみに、ケト-エノール互変異性は酸性条件下でも起こり、酸触媒の場合では、カルボニル酸素にプロトン化が起こって、炭素陽イオン中間体が生成し、続いてα炭素がプロトンH+ を失って、エノールを与えます。

 

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.7  ケト-エノール互変異性の反応機構

 

(3) アルドール反応

エノラートアニオンは、炭素系の求核剤として働き、別のアルデヒドやケトンのカルボニル基(-CO-)へ付加します。この反応の生成物は、β -ヒドロキシカルボニル化合物であり、アルデヒドでもアルコールでもあることから、一般的に「アルドール(aldol)」と呼ばれています。そして、このアルドールを合成する反応は、反応生成物の名を取って、「アルドール反応(aldol reaction)」といいます。アルドール反応は、α水素を持つカルボニル化合物にとって極めて一般的な反応であり、有用な「炭素-炭素結合生成反応」として知られています。最も単純なアルドール反応は、アセトアルデヒドCH3CHO2分子間の反応であり、アセトアルデヒドCH3CHOの水溶液を少量の塩基触媒の下で処理すると起こります。

 

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.8  塩基触媒によるアセトアルデヒドCH3CHOのアルドール反応

 

反応の第一段階では、塩基がα水素を引き抜いて、エノラートアニオンが生成します。第二段階では、このエノラートアニオンが、他のアセトアルデヒドCH3CHOのカルボニル炭素を求核攻撃し、新しい炭素-炭素結合を作ります。触媒量の塩基では、カルボニル化合物はほんの少ししかエノラートアニオンに変換されないので、この反応系中には、カルボニル化合物の多くがイオン化していないケト形で残っており、この段階が有利に進行するのです。そして最終的には、生じたアルコキシドイオンが溶媒からプロトンH+ を受け取り、アルドールを生成します。

 また、他の反応と同じように、この塩基によって触媒される反応は、酸によっても触媒されます。酸で触媒される反応では、触媒はプロトンH+ であり、活性成分はエノラートアニオンではなく、エノールになります。例として、次の図.9に、酸触媒によるアセトアルデヒドCH3CHOのアルドール反応を示します。

 

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.9  酸触媒によるアセトアルデヒドCH3CHOのアルドール反応

 

この反応の第一段階では、酸触媒により、エノールが生成します。このエノールは求核性を示しますが、エノラートアニオンと同じような強い求核剤ではありません。しかし、存在しているルイス酸は、プロトン化されたカルボニル化合物であり、それはカルボニル化合物自身よりも、はるかに強いルイス酸です。そして、エノールがプロトン化されたカルボニル化合物を求核攻撃し、反応の最終段階で脱プロトンすると、アルドールを生成します。

アセトアルデヒドCH3CHOの酸あるいは塩基触媒によるアルドール反応では、どちらも同じアルドールを与えることが分かります。しかし、酸性条件下では、続いて第二の反応が起こり、アルドールは「α,β -不飽和カルボニル化合物」に変化します。この反応は脱水反応であり、一般的に脱水生成物であるα,β -不飽和カルボニル化合物が単離されます。

 

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.10  アルドールの酸触媒による脱水反応

 

一方で、水H2Oと違って、強塩基である水酸化物イオンOH- は、脱離能に乏しいです。そのため、脱水反応は塩基性条件では起こりにくく、塩基触媒で反応させた場合は、α,β -不飽和カルボニル化合物ではなく、アルドールが単離できます。しかし、たとえ塩基性条件であっても、比較的高温であれば、脱水反応が進行します。まず、共鳴安定化されたエノラートアニオンが生成するため、α水素の脱離が比較的容易に起こります。第二段階で、水酸化物イオンOH- が失われ、α,β -不飽和カルボニル化合物が生成します。

 

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.11  アルドールの塩基触媒による脱水反応

 

すべてのβ -ヒドロキシカルボニル化合物(アルドール)は、原理的にはアルドール反応によって合成することができます。β -ヒドロキシカルボニル化合物を見たときには、その合成方法として、まずアルドール反応を考えてみる必要があります。また、同じことが脱水生成物であるα,β -不飽和カルボニル化合物についてもいえます。新しく生じた結合を速やかに見つけ出し、反応によって生成した結合を探し出して、その分子を2つの部分に分けることができるようになることは、有機化合物の逆合成解析において、非常に重要なことです。

 

(4) マイケル付加反応

アルドール反応によって生成するα,β -不飽和カルボニル化合物には、それに関連する特に重要な化学反応があります。その反応は、発見者である米国化学者アーサー・マイケルの名を取って、「マイケル付加反応(Michael addition reaction)」と呼ばれています。エチレンCH2CH2のような通常のアルケンは、一般的には求核剤と反応を起こしません。アルケンで求核付加反応が進行しない理由は、求核剤の付加によって、不安定なアルカンの炭素陰イオンが生成するからです。アルカンは非常に弱い酸であり、そのpKa値の測定は困難ですが、60以上の値が示唆されています。一般的に弱酸の共役塩基は強塩基なので、弱酸であるアルカンの炭素陰イオンは、強塩基で非常に不安定です。

 

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.12  アルケンと求核剤の反応

 

これに対して、α,β -不飽和カルボニル化合物の炭素-炭素二重結合には、多くの求核剤が簡単に付加します。α,β -不飽和カルボニル化合物では、生じるエノラートアニオンが、共鳴によって安定化されます。

 

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.13  α,β -不飽和カルボニル化合物と求核剤の反応

 

α,β -不飽和カルボニル化合物の炭素-炭素二重結合で、このような付加反応が進行する理由は、図.12の場合のような不安定な炭素陰イオンが生成するのではなく、十分に共鳴安定化された化学種がまず生成するからです。アニオンがどのように生成したかということと関係なく、電子吸引性基であるカルボニル基(-CO-)は、どんなαアニオンでも安定化します。このようにα,β -不飽和カルボニル化合物に求核剤を反応させると、エノラートアニオンが生成するのです。

α,β -不飽和カルボニル化合物に付加する求核剤がエノラートである場合、これを「マイケル付加反応」と呼びます。しかし、エノラート以外の求核剤が付加するもっと単純な反応も、しばしばこの名前のもとにひとまとめにされ、マイケル付加反応と呼ばれることが多いです。

 

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.14  塩基触媒によるマイケル付加反応

 

マイケル付加反応では、まずβ -ジカルボニル化合物などの活性水素を持った物質が、塩基によって脱プロトン化され、求核的なエノラートアニオンになります。続いて、これと求電子的なα,β -不飽和カルボニル化合物が求核共役付加反応を起こし、炭素-炭素σ結合を形成したエノラートアニオンを生成します。そして最終的には、生成したエノラートアニオンが、溶媒や試薬からプロトンH+ を受け取り、マイケル付加体を得るのです。

また、酸触媒によるマイケル付加反応も知られており、α,β -不飽和カルボニル化合物への1,4付加が初めに起こります。すなわち、カルボニル化合物がまずプロトン化され、次に炭素-炭素二重結合が求核剤によって攻撃され、エノールを得るのです。このエノールは、より安定なケト形の化合物と平衡状態にあり、最終生成物となるマイケル付加体を与えます。

 

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.15  酸触媒によるマイケル付加反応

 

しかしながら、これらのα,β -不飽和カルボニル化合物には、普遍的な問題が存在しています。それは、実に多くの反応が起こる可能性を持っているということです。例えば、求核剤がカルボニル基と二重結合のどちらに付加するかを、どのようにして決めれば良いでしょうか?

少なくとも、マイケル付加反応については、合理的な答えがあります。 それは、マイケル付加反応の生成物が、カルボニル基(-CO-)への付加生成物より安定であるということです。マイケル付加反応の生成物には、強いCO結合が残っていますが、カルボニル基(-CO-)への付加生成物には、残っていません。

 

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.16  求核剤とα,β -不飽和カルボニル化合物との間に可能な2つの付加反応

 

しかし、どちらの生成物が安定だとか不安定だとかいう見方は、反応速度を考慮していない熱力学的な議論です。反応が起こる箇所は、反応全体の「熱力学」ではなく、多くの場合は「速度論」によって決まります。つまり、たとえ生成物が不安定であっても、活性化エネルギーが小さくて速やかに起こる反応ならば、熱力学的な安定性よりも、速度論的な支配を受けて、不安定な生成物が優先的に生成することもあるのです。

 

.2  カルボニル基(-CO-)への付加と二重結合(CC)への付加の違い

 

カルボニル基(-CO-)への付加

二重結合(CC)への付加

活性化エネルギー

小さい

大きい

熱力学的な安定性

小さい

大きい

 

ところで、ほとんどの求核剤は、カルボニル基(-CO-)に可逆的に付加しますが、これはα,β -不飽和カルボニル化合物でも同じことです。つまり、α,β -不飽和カルボニル化合物への付加反応は、活性化エネルギーが小さくて、速度論的に有利なカルボニル基(-CO-)で起こりやすいのです。しかし、カルボニル基(-CO-)への付加が起こったとしても、これが「平衡反応」ならば、たとえ反応速度が遅くても、最終的には熱力学的に有利なマイケル付加反応が優勢になります。この考え方は、「不可逆的」に付加するヒドリドイオンH- のような強い求核剤の場合には、熱力学的に有利な二重結合(CC)への付加よりも、速度論的に有利なカルボニル基(-CO-)へ付加した生成物が優勢になることを示唆しており、事実その通りです。LAH還元のように平衡反応が成立しないのであれば、反応は熱力学よりも速度論の支配を受けて、たとえ生成物が不安定であっても、活性化エネルギーの小さい速やかに起こる反応生成物が優勢になるのです。

 

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.17  α,β -不飽和カルボニル化合物のカルボニル基(-CO-)への不可逆的な反応

 

.3  熱力学的支配と速度論的支配

 

熱力学的支配

速度論的支配

支配要因

物質の安定性

活性化エネルギーの大きさ

与える生成物

最も安定な生成物

最も早く生成する生成物

優勢になる条件

平衡反応、高温、長時間

不可逆的反応、低温、短時間

 


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・参考文献

1) H.ハート/L.E.クレーン/D.J.ハート 共著「ハート基礎有機化学」培風館(1986年発行)

2) メートランド・ジョーンズ「ジョーンズ有機化学()」東京化学同人(2000年発行)