・生活と高分子化合物
【目次】
(1) 繊維とは何か?
「繊維(fiber)」とは、動物の毛・皮革・植物などから得られる、自然に伸びた、または人工的に伸ばされた、細くしなやかで、凝集性のある紐状の素材のことです。一般には、直径が数十µm以下のものを指します。長さは、生糸(絹)のように数百mにも及ぶものから、短いものでは綿花(コットン)のように数cmのものまであり、それぞれが得られた際の原料によって様々です。主に衣料として用いられる繊維には、「天然繊維(natural fiber)」と「化学繊維(chemical fiber)」があります。
「天然繊維」の歴史は古く、ヨーロッパで発見された古代都市から出土した織布の解析から、1万年以上前から使われていたことが判明しています。先人たちは古くから、天然繊維を生活の道具として使っていたのでしょう。種々ある天然繊維の中でも、木綿・麻・絹・羊毛は「四大天然繊維」と呼ばれ、現在の私たちの生活においても、欠かすことのできないものです。木綿や麻は、糖が直鎖状に繋がった「セルロース」を構成成分とする「植物繊維(vegetable fiber)」です。これに対して、絹や羊毛は、どちらも「タンパク質」を構成成分とする「動物繊維(animal fiber)」です。すなわち、天然繊維は、自然界に存在する草木・動物・昆虫から分け与えられた物質であり、いわば「自然界からの恵み」といえるものです。
一方で、天然繊維の歴史と比べると、「化学繊維」の歴史は極めて浅いです。19世紀後半になって、自然界から得られた植物繊維を原料にして、これを化学処理することにより、絹のように細長い繊維に加工する技術が開発されました。それが、「再生繊維(regenerated fiber)」であるレーヨン、「半合成繊維(semisynthetic fiber)」であるアセテート繊維です。再生繊維は、天然高分子化合物を一度溶媒に溶解して、紡糸により繊維を再生したものです。また、半合成繊維は、天然繊維に置換基を結合させて、繊維状にしたものです。ナイロンやポリエステルなどの「合成繊維(synthetic fiber)」の登場は、20世紀になってからのことで、まだ100年弱の歴史しかありません。合成繊維は、合成高分子化合物を繊維状にしたものです。次の表.1に、「繊維」の分類とその例を示します。
表.1 繊維の分類とその例
分類 |
例 |
繊維を構成する高分子化合物 |
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天然繊維 |
植物繊維 |
木綿、麻 |
セルロース |
動物繊維 |
羊毛、羽毛、絹 |
タンパク質 |
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化学繊維 |
再生繊維 |
レーヨン |
セルロース |
半合成繊維 |
アセテート繊維 |
ジアセチルセルロース |
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合成繊維 |
ナイロン |
ポリアミド |
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合成繊維 |
ポリエステル |
ポリエチレンテレフタレートなど |
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合成繊維 |
アクリル |
ポリアクリロニトリル |
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合成繊維 |
ビニロン |
ポリビニルアルコールを一部アセタール化したもの |
(2) 植物繊維
「植物繊維」は、植物から取れる繊維であり、その主成分は、植物細胞壁の主成分である「セルロース」です。セルロースは、分子中にヒドロキシ基(-OH)を多数持つため、植物繊維は一般的に吸湿性に優れます。そのため、高温多湿の地域では、植物繊維は衣類の材料として好んで使われることが多いです。しかし、逆に動物繊維のような撥水効果はないため、寒冷な地域での風雨に晒されるような防寒着には不適です。また、植物繊維は塩基には比較的強いものの、酸には弱く、点火すると速やかに燃えて、灰が残ります。さらに、シロアリをはじめとする昆虫の食害に遭う場合もあります。
(i) 木綿
「木綿」は、綿(ワタ)の種子の表皮細胞が成長して、繊維状になったものです。日本では、英語の「コットン(cotton)」という呼び方も定着しています。綿が栽培されていたという最も古い記録は、約8000年前のメキシコにあります。約7000年前のインダス文明にも、栽培の痕跡があります。南米のペルーでは、紀元前1500年頃から綿が利用されていました。そして、18〜19世紀頃には、世界各地で栽培されるようになりました。18世紀中頃、アメリカ南部は「綿花王国」と呼ばれました。綿の栽培には、多数の労働力を必要とします。収穫時期の綿は、水に濡れるとしぼんでしまったりカビが生えたりするので、急いで収穫しなければならないからです。19世紀には、アメリカ南部の「コットンベルト(綿花地帯)」は世界最大の綿生産地となりましたが、その背景には、黒人奴隷の過酷な重労働がありました。
綿はもともと熱帯から亜熱帯にかけての植物で、生育には25℃以上が必要とされます。この条件さえ満たすなら、温帯でも綿を育てることは可能です。本来は多年草なので、毎年花を咲かせる植物ですが、温帯では冬になると寒さで枯れるので、一年草として育てることになります。実際、アメリカ南部の「コットンベルト」は北緯37〜39度で、日本では東北地方に相当します。ヨーロッパでも南欧なら問題なく育てることができるし、日本でも冷帯である北海道などを除けば育てられます。
図.1 収穫期の綿(ワタ)
収穫期の綿は、種子の表面に密生した2〜4 cmの種子毛を摘み取り、繊維として利用します。その主成分は、ほぼ純粋な「セルロース」です。繊維としては、伸びにくく丈夫であり、吸湿性や保温性があって、肌触りも良いです。しかも、他の繊維と混紡することも容易なので、理想的な繊維といえます。この性質のため、下着などの衣類によく使われますが、縮みやすくシワになりやすいという欠点もあります。
また、綿は土壌の栄養を大量消費する作物です。このため、綿を連続して栽培していると、土壌がみるみる痩せてきます。また、基本的に単一栽培のため、病虫害にも弱くなります。実際、綿栽培には、大量の肥料と農薬が投入されています。現在では、綿の栽培面積は、全耕作地の3%ほどでしかありませんが、その3%に農業用殺虫剤の約25%が消費されています。遺伝子組み換えの綿が主流になったのも、この大量の殺虫剤の使用量を減らして、コストダウンを図るためです。
(ii) 麻
「麻」は、生育が速い一年草であり、「大麻」あるいは「大麻草」とも呼ばれます。エジプトやメソポタミアでは、紀元前2000〜3000年頃から栽培されており、エジプトの紀元前2700年頃の壁画には、麻の収穫風景が描かれています。エジプトで発見された三千年前のミイラが、亜麻布(麻の一種)で包まれていたことは、よく知られた事実です。産業革命で綿が主流になるまで、麻はヨーロッパの基本繊維であり、下着やシーツ、枕カバーなどすべてに用いられました。現在、麻で織ったリンネルは、綿よりも品質が優れていて、高級品とされています。
図.2 麻は、人類が栽培してきた最も古い植物の1つとして、1万年を超える付き合いがある
日本においては、第二次世界大戦の終戦前までは、麻は米と並んで作付け量を指定されて、盛んに栽培されていた主要農作物です。4カ月で4 mの背丈になるほど成長が早く、茎などから繊維が得られ、実は食用となる他、油も取れるなど、利用価値が非常に高い植物です。大豆に匹敵する高い栄養価を持つ「麻の実」を、食用として料理に使うことは違法ではありません。しかし、国内では許可なく育てることはできないため、食用の種子は、輸入に頼っているのが現状です。
このように、麻の栽培が規制されている理由は、麻の葉や花穂には、「テトラヒドロカンナビノール(THC)」と呼ばれる化学物質が含まれているからです。これを摂取すると、陶酔感や多幸感がもたらされ、食欲や睡眠欲が増進したりするなどの「向精神作用」が現れます (薬物乱用の科学を参照)。日本においても、昔から生産者の間では、収穫期の麻畑では「麻酔い」することが経験的に知られており、この陶酔作用は農家から嫌われていたようです。
図.3 「THC」の構造式
麻は、茎の内側にある師部繊維を利用します。皮を剥ぎ、アルカリで煮たり、水に浸して発酵させたりして、不純物を除きます。そして、これをより合わせながら糸にします。繊維としては強靭で硬いため、衣類や履物の他に、バッグやロープなどにも使われます。麻で作られた衣類は、通気性に優れるので、日本を含め、暑い気候の地域で多く使用されています。しかし、木綿や絹とは異なり、繊維が少し木化しているので、独特のざらざらとした触感や起伏があり、肌着には向きません。麻の特徴は、よく熱を伝えることで、体温を奪って冷感を与え、吸水性が大きく乾きも速いので、夏用の衣料には最適です。
(3) 動物繊維
「動物繊維」は、動物全般から得られる繊維であり、昆虫であるカイコから得られる「絹」や、哺乳類のヒツジから得られる「羊毛」まで、その種類は様々です。動物繊維の多くは、「タンパク質」が主な材料になるため、燃やすとコゲ臭いです。酸には比較的強いですが、塩基には弱いです。また、昆虫の中には、乾燥した動物性タンパク質を主食とするものが多く、それらの昆虫による食害を受けやすいという欠点もあります。動物繊維は、その長所として、繊維が弾力に富み、空気を多く含んだ布地を作りやすいことがあげられます。これは、肌触りが良いだけでなく、断熱材として機能することから、暑さや寒さから身体を保護するために有効です。防寒着だけでなく、強い直射日光を遮断するためにも、動物繊維は有効です。また、哺乳類の毛は、適度に油分を含むために、撥水性に優れています。
(i) 羊毛
「羊毛」は「ウール」とも呼ばれ、現在の動物繊維の主役です。その主成分は、タンパク質の一種である「ケラチン」です。ケラチンは、構成アミノ酸に硫黄Sを含む「システイン」が多く含まれるため、燃やすと特有の強い刺激臭がします。羊毛の繊維は、長さ数cmの短繊維で、断面はほぼ円形です。親水性の繊維本体を、疎水性で鱗状の「キューティクル」が覆っています。繊維にするときには、よく洗浄して、脂肪分を取り除いたあと、繊維の束によりをかけながら引き延ばして糸にします。羊毛は、根本から先端まで、緩やかな波状に折れ曲がっており、糸を紡ぐとき、繊維同士が絡み合いやすいです。
羊毛は、キューティクルが水をはじく撥水性がある一方、キューティクルの間にはわずかな隙間があり、ここを水蒸気が出入りするため、天然繊維中では最大の吸湿性を示すという、相反する性質を持ちます。繊維の内部には無数の隙間があり、ここに多量の空気を含むことができるため、保温性に優れます。また、羊毛のキューティクルは、乾燥時には閉じて、高湿時には開きます。したがって、キューティクルが開いている水中で、羊毛の繊維を揉み洗いすると、キューティクルが絡み合い、縮んだり固くなったりすることがあります。また、熱湯や塩基性溶液に晒されたあと、光に当たると、少しずつ黄色に変色する性質があります。
図.4 刈り取られた羊毛
(ii) 絹
昆虫にも家畜がおり、その代表が「カイコ」です。カイコは、「カイコガ」という蛾の幼虫です。カイコガの繭から取り出される動物繊維が「絹(シルク)」です。絹は紀元前3000年頃には、中国ですでに利用されていました。中国は絹を独占するため、「カイコから絹が採れる」ということを長らく秘密にしていました。秘密を守るため、カイコの密輸は死罪とされました。その製法がばれたあとも、カイコの育て方自体が特殊なので、他国ではほとんど生産はできませんでした。カイコがクワの葉しか食べないことが分からず、幼虫を死なせてしまうことも多かったでしょう。ヨーロッパでは、キリスト教の司祭が6世紀頃にカイコを秘密裏に持ち帰ったのが、養蚕の始まりとされています。ただし、ヨーロッパでその秘密を手に入れた者も、他者には教えようとしなかったので、秘密は中々広まりませんでした。日本では、福岡県の有田遺跡(紀元前100〜150年頃)から絹織物が出土しているので、少なくとも弥生時代までには中国大陸から伝わったとされ、「魏志倭人伝」に日本の養蚕技術に関する記述が見られます。
図.5 絹は、カイコの吐き出す繭から作られる天然繊維である
絹は、その肌触りのなめらかさ、冬暖かく夏涼しい温度調整能力、伸び縮みする便利さ、色鮮やかに染められることなど、いずれも衣料用繊維として得難い性質です。紀元前200年頃、絹織物は同じ重さの金に交換されるほど、大変貴重な物として扱われていました。こうして、絹を求める商人とそれを運ぶ交易路は、中国からはるかヨーロッパまで延びることになりました。それが有名な「シルクロード(絹の道)」です。シルクロードの全長は6,400 kmにもなり、東西文化の交流に中心的な役割を果たしました。例えば、中近東では、細やかな織り、鮮やかな染色、エキゾチックな文様が特長の「ペルシャ絨毯」が発展しました。
図.6 シルクロードは、紀元前2世紀から15世紀半ばまで活躍したユーラシア大陸の交易路である
カイコが作る繭は1本の糸からなり、糸の太さは12 µm程度、長さは1,000〜1,500 mほどです。その糸の断面は、2本の「フィブロン」という繊維状タンパク質の外側を、「セリシン」というニカワ質のタンパク質が覆った構造をしています。セリシンは、糸同士を貼り合わせ、繭の形を保つ働きがあります。ちなみに、3,000匹のカイコからは900 gほどの絹糸ができて、これで服が1着作れます。3,000匹のカイコを育てるのに必要なクワの葉は70 kgほどです。
得られた繭は、工場で選別され、汚れのない良質なものだけを湯でよく煮ます。これは、中の蛹を殺して、せっかくの繭を破って出てくるのを防ぐためと、糸同士を貼り合わせているセリシンを煮溶かして、繭をほぐれやすくするためです。セリシンを溶かして除くと、フィブロンだけからなる絹繊維が得られます。通常、1本の糸では細すぎるので、十数個の繭から引き出した絹繊維をより合わせ、1本の「生糸」にします。生糸には、セリシンが少し残っているため、光沢が少ないです。そこで、生糸をセッケン水などのアルカリ性の薬品で処理して、セリシンをさらに除いて精錬すると、光沢や柔軟さに富む「練糸」ができ上がります。実に手間のかかる工程ではありますが、得られる絹糸の持つ艶と風合いは、他のどんな繊維も及ぶところではありません。
図.7 絹に含まれる「フィブロン」と「セリシン」
絹繊維の内部には、無数の空間があります。ここに湿気が入り込むために、絹は吸湿性に優れます。また、含まれた空気が熱を遮断するために、保温性にも優れます。内部の空間に染料が入り込むので、美しく染め上げることもできます。また、特有の光沢や、絹鳴りなどの絹糸の特徴は、フィブロンの断面が不規則な三角形をしているために生じます。これが、光を屈折・反射させるために、美しい光沢を示します。「絹鳴り」というのは、絹の布や糸をすり合わせるときに「キュッキュッ」と音が鳴る現象ですが、凹凸のないナイロン繊維では起こりません。また、絹の構成アミノ酸には、チロシンやフェニルアラニンなどのベンゼン環を持つものが十数%も含まれており、光によって酸化されやすく、黄変しやすいという特徴もあります。
図.8 絹糸は、特有の光沢を持つ
ちなみに、カイコは完全に家畜化された昆虫で、野生には生息していません。原種は野生にいる「クワゴ」という蛾で、クワゴを品種改良して、繭が大きくて上質な生糸が得られるカイコを作ったのです。カイコは、「野生回帰能力」を完全に失った唯一の家畜化動物として知られます。餌が無くなっても逃げ出さず、人間による管理なしでは、生存することができません。幼虫を野生のクワの木に止まらせても、ほぼ一昼夜のうちに鳥などに捕食されるか、地面に落ちて、全滅してしまうといいます。幼虫は、腹脚の把握力が弱いため、木の幹に自力で付着し続けることができず、風が吹いたりすると、容易に落下してしまうのです。成虫には翅がありますが、飛翔に必要な筋肉が退化していることなどにより、羽ばたくことはできますが、空を飛ぶこともできません。繰り返される品種改良により、現代のカイコは、摂取したタンパク質の6〜7割を絹糸へと変換する、超効率の「製糸マシーン」と化しているのです。
図.9 カイコは、家畜化された昆虫で、野生には生息しない
最近では、「スパイダーシルク」と呼ばれる繊維が登場しています。クモはカイコと同じく、タンパク質性の糸を吐き出す虫として知られています。その糸の強度は、防弾チョッキに用いられるケブラー繊維の3倍ともいわれ、伸縮性も高いです。しかし、絹とは異なり、クモの糸の実用化は進んできませんでした。カイコと異なり、一匹のクモが作る糸の量が少ないこと、またクモは共食いを始めてしまうため、大量養殖ができないことなどがその理由です。そこで、カイコにクモの遺伝子を組み込み、絹糸の代わりにクモの糸を作らせる研究が進んでいます。これが、スパイダーシルクです。極めて強靭で軽く、アレルギーなども引き起こさないスパイダーシルクは、軍事から再生医療まで、幅広い応用が期待されています。
2016年、中国の清華大学の研究グループは、夢の炭素材料といわれるカーボンナノチューブやグラフィンを、水に分散させて餌のクワの葉に噴霧し、これをカイコに食べさせる実験を行いました。結果、できた絹糸は高い強度を示し、高温処理すると電気伝導性も示すようになったといいます。正直に言って、にわかには信じ難い研究結果ではありますが、こうした研究によって、伝統的な材料である絹が、新たな可能性を引き出されることは十分にあり得るでしょう。
(4) 化学繊維
「化学繊維」は、化学的プロセスにより製造される繊維の総称で、「人造繊維」とも呼ばれます。化学繊維が広く普及するようになったのは、アメリカのデュポン社のウォーレス・カロザースによって開発されたナイロンからです。これは、絹への憧れから絹糸の代用を目指して作られ、スットキングにおける需要を完全に塗り替えました。これを機に、高分子有機化合物における合成繊維は、様々なものが作られるようになったのです(合成高分子化合物を参照)。
(i) レーヨン
絹が高価だった1800年代後半、フランスのシャルドンネ伯が、一般の市民でも絹に似たような素材が手に入らないかと考え、発明したのが「レーヨン」です。この名称は、美しい光沢を持つことから、「ray(光)」にちなんだものです。レーヨンは、植物のセルロースを化学的に取り出し、繊維にしたものです。絹に似せて作られた再生繊維なので、昔は「人造絹糸」あるいは「人絹」とも呼ばれていました。レーヨンの原料には、主に木材パルプが用いられます。それまでは、有効活用が難しかったために破棄していた木材パルプを、化学的に処理して繊維にしようと試みた訳です。
レーヨンを作るためには、まず原料パルプに含まれるセルロースを約18%の濃い水酸化ナトリウムNaOH水溶液に浸して、アルカリセルロースとします。これを老成させたあと、圧搾・粉砕して、二硫化炭素CS2と反応させます。その後、約5%の薄い水酸化ナトリウムNaOH水溶液に溶かすと、赤橙色で粘性のあるコロイド溶液ができ、これを「ビスコース(viscose)」といいます。このビスコースを細孔から希硫酸H2SO4中に押し出すと、ビスコースが希硫酸H2SO4によって加水分解され、セルロースが再生します。この繊維を「ビスコースレーヨン」といいます。ビスコースレーヨンは代表的なレーヨンであり、単にレーヨンと言えば、一般にはビスコースレーヨンを指します。また、ビスコースからセルロースを薄膜状に再生させると「セロハン」が得られ、テープや包装材料などに利用されます。セロハンテープが薄い橙色をしているのは、ビスコースから製造しているからです。
図.10 ビスコースレーヨンの製法
(ii) 銅アンモニアレーヨン
「銅アンモニレーヨン」と呼ばれるレーヨンもあります。これは、「キュプラ」あるいは「銅シルク」とも呼ばれ、一般的なビスコースレーヨンに比べて、耐久性や耐摩耗性などに優れます。銅アンモニアレーヨンの生産には、水酸化銅(II) Cu(OH)2を濃アンモニア水に溶かした深青色の溶液が必要であり、この溶液を「シュバイツァー試薬(Schweizer's reagent)」といいます。この溶液中では、テトラアンミン銅(II)イオン[Cu(NH3)4]2+ が生じており、これにセルロースがアンモニアNH3に代わって配位して錯体を作ることで、セルロースが溶解します。
Cu(OH)2 + 4NH3 → [Cu(NH3)4](OH)2
このセルロースを溶解させたシュバイツァー試薬を、細孔から希硫酸H2SO4中に押し出すことでセルロースが再生し、絹のような美しい光沢を持った銅アンモニアレーヨンが得られます。銅アンモニアレーヨンも、再生繊維に分類されます。銅アンモニレーヨンは、非常に細い糸であるために薄地で肌触りの良い布を織ることができ、洋服の裏地やネクタイなどの絹の代用として用いられる他、近年では人工腎臓用透析装置の中空糸などにも用いられています。
図.11 銅アンモニアレーヨンの製法
(iii) アセテート繊維
半合成繊維の主なものに、「アセテート繊維(アセテートレーヨン)」があります。これは、木材パルプを原料にして、置換基としてアセチル基を結合させた繊維です。セルロースに無水酢酸(CH3CO)2Oと少量の濃硫酸H2SO4を作用させると、セルロースのヒドロキシ基がアセチル化されて、トリアセチルセルロースが生成します。
[C6H7O2(OH)3]n + 3n(CH3CO)2O → [C6H7O2(OCOCH3)3]n + 3nCH3COOH
トリアセチルセルロースは、溶媒に溶けにくいのですが、エステル結合の一部を穏やかに加水分解して、ジアセチルセルロース[C6H7O2(OH)(OCOCH3)2]nにすると、アセトンなどの極性溶媒に溶けるようになります。このアセトン溶液を細孔から空気中に噴射して、熱風を用いて乾燥させることで、アセテート繊維が得られます。アセテート繊維は、より合わせて糸にすることで、適度な吸湿性と絹のような美しい光沢を持つようになります。難燃性なので、不特定多数が利用する公共施設のカーテンの材料として使用されます。また、軟らかい素材感が得られることから、衣類の素材としてもしばしば利用されます。
[C6H7O2(OCOCH3)3]n + nH2O → [C6H7O2(OH)(OCOCH3)2]n + nCH3COOH
(5) 衣料
「繊維」は、細長い鎖状高分子であり、一般的には液体にしてから、小さな細孔より押し出して、延ばしながら固めて作ります。これを「紡糸」といいますが、この過程で、分子が平行に並んだ密な部分と、分子が乱れている疎の部分が交互にできます。密な部分が多い繊維は、力学的に強く、融点が高く、薬品に強くなります。一方で、疎な部分が多い繊維は、伸びやすく、吸湿しやすく、染まりやすくなります。この繊維をより合わせて「糸」にし、その糸を織ったり編んだりして作るのが「布」です。
「布」は、繊維の種類や、布の構造を変えることにより、色々な性能が得られます。例えば、フィット性の良い布を作るには、よく伸び縮みする繊維を使い、編構造にすれば良いです。また、汗をよく吸う布を作るには、濡れやすい親水性の繊維を使い、布の隙間を増やせば良いです。ただし、親水性の繊維は、水を取り込みやすいので、どうしても乾きが遅くなってしまいます。そのため、濡れにくい疎水性の繊維を使い、糸や布の構造を工夫して大量の隙間を作ると、「よく汗を吸ってすぐ乾く」優れた布を作ることができます。次の表.2に、主な繊維の種類と特徴を示します。
表.2 主な繊維の性質と特徴
繊維の分類 |
名称 |
特徴 |
主な用途 |
天然繊維 |
木綿 |
吸湿性に優れ、中空構造のため保温性がある 繊維がよじれているため、軟らかく弾力性がある シワになりやすいが、肌触りが良い |
下着、タオル、洋服 |
麻 |
吸湿性と放湿性に優れ、肌にまとわり付きにくい 繊維が太く強靭で、洗濯に強い シワになりやすいが、はりと光沢がある |
夏物衣料 |
|
羊毛 |
表皮のクチクラが水をはじく 隙間から空気や水蒸気を通すので、保温性や吸湿性に優れる シワになりにくく、伸縮性が良い |
冬物衣料、セーター |
|
絹 |
熱を伝えにくく、保温性に優れる 特有の光沢がある しなやかで肌触りが良い |
和服、ネクタイ |
|
再生繊維 |
レーヨン |
絹に似た肌触りで、光沢がある 吸湿性と放湿性に優れる 濡れると強度が低下し、洗濯で縮みやすい |
高級洋服の裏地、下着 |
半合成繊維 |
アセテート繊維 |
吸湿性と耐熱性に優れ、光沢がある 伸びやすく、引っ掛けると破れやすい アセトンに溶ける |
衣類、タバコのフィルター |
合成繊維 |
ナイロン |
絹に似た肌触りで、光沢がある 引っ張り強度、耐摩耗性、耐久性に優れる 吸湿性に劣る |
衣類、傘地、ストッキング、釣糸、ラケットガット、歯ブラシ |
PET |
シワになりにくく、型崩れしにくい 汚れると落ちにくい 吸湿性に劣る |
Yシャツ、Tシャツ、水着 |
|
アクリル繊維 |
羊毛に似た肌触りで、保温性に優れる シワになりにくく、軽い 吸湿性に劣る |
毛布、セーター、靴下 |
|
ビニロン |
木綿に似た風合いで、吸湿性に優れる 化学変化や熱に強く、耐摩耗性に優れる 染色しにくく、ごわごわする |
ロープ、作業着、漁網、軍手 |
(6) 高分子化合物の利用
高分子化合物は、構造材料として用いられるだけでなく、種々の官能基を付け加えることにより、特別な機能を持った「機能性高分子(functional polymer)」としても利用されています。機能性高分子は、機械・電気工学や農学、医学、薬学など、多方面で利用されています。
(i) イオン交換樹脂
溶液中にあるイオンを、別の種類のイオンと取り換える働きを持つ樹脂を、「イオン交換樹脂(ion-exchange resin)」といいます。最も一般的なイオン交換樹脂の構造は、スチレンやp-ジビニルベンゼンの共重合からなる母体を持つものであり、そのベンゼン環の水素原子を、酸性や塩基性の基で置換した構造をしています。
スチレンにp-ジビニルベンゼンを混ぜて共重合を行うと、立体網目状の高分子が得られます。これを0.5〜1.0 mm程度の細粒に加工して、濃硫酸でスルホン化すると、ベンゼン環に強い酸性を持つスルホ基(-SO3H)が導入された樹脂が得られます。分子中にスルホ基(-SO3H)のような酸性基を多く含んだ水に不溶な合成樹脂は、これらの基が電離して生じた水素イオンH+ と、水溶液中の他の陽イオンとを交換することができます。このような樹脂を、「陽イオン交換樹脂(cation-exchenge resin)」といいます。
イオン交換樹脂は、カラムに詰めて、その中に処理液を流す形で使用されます。例えば、粒状の陽イオン交換樹脂をカラムに詰め、上から塩化ナトリウムNaCl水溶液をゆっくり流すと、樹脂表面では、ナトリウムイオンNa+ が吸着される代わりに水素イオンH+ が脱離して、下から希塩酸HClが溶出してきます。
図.12 陽イオン交換樹脂の仕組み
また、架橋構造を持つポリスチレン分子中に、トリメチルアンモニウム基(-N(CH3)3+)のような塩基性の原子団を導入し、さらにアルカリで処理して、-N(CH3)3(OH)のような状態にしておきます。これに電解質水溶液を通すと、樹脂中の水酸化物イオンOH- と、水溶液中の陰イオンが交換されます。このような樹脂を、「陰イオン交換樹脂(anion-exchange resin)」といいます。
例えば、粒状の陰イオン交換樹脂をカラムに詰め、上から塩化ナトリウムNaCl水溶液をゆっくり流すと、樹脂表面では、塩化物イオンCl- が吸着される代わりに水酸化物イオンOH- が脱離して、下から水酸化ナトリウムNaOH水溶液が溶出してきます。
図.13 陰イオン交換樹脂の仕組み
陽イオン交換樹脂と陰イオン交換樹脂を混合してカラムに詰め、上部から水道水を少しずつ流し込みます。すると、水道水中の陽イオンは陽イオン交換樹脂に、陰イオンは陰イオン交換樹脂に吸着され、またイオン交換によって生じた水素イオンH+ と水酸化物イオンOH- は、直ちに中和されて水H2Oとなるから、下部からは純水が得られます。このようにイオン交換樹脂を用いて、水素イオンH+ と水酸化物イオンOH- 以外の陽イオンや陰イオンを除いた水を、「イオン交換水(ion-exchanged water)」といいます。イオン交換水は、化学実験や研究所、工場などで使われています。陽イオン交換樹脂や陰イオン交換樹脂は、使用後、それぞれに希塩酸HClや薄い水酸化ナトリウムNaOH水溶液で処理することで、元のイオン交換樹脂に再生されます。
(ii) 導電性高分子
「導電性」は、自由電子を持つ金属固有の性質であり、自由電子を持たない有機材料である高分子は、導電性をほとんど示さないとかつては考えられていました。しかし、1970年代に当時東京工業大学の助手をしていた白川英樹らが、良質な「ポリアセチレンフィルム」を合成し、これが大きなブレイクスルーとなりました。そこから、「導電性高分子(conductive polymer)」に関する研究が、飛躍的に発展していったのです。
実は、ポリアセチレン自体は、白川が発見したものではなく、すでに1955年には合成が報告されていました。しかし、当時合成されていたポリアセチレンは、黒色粉末状の不溶・不融の物質で、熱を加えても軟化しないし溶媒にも溶けないとあって、自由に成形する手段がなく、化学者たちの興味を引くには至っていませんでした。ポリアセチレンフィルムの合成は、まさにセレンディピティでした。1967年の秋、韓国原子力研究所から来ていた留学生から、「ポリアセチレンの合成をしてみたい」という申し出がありました。ポリアセチレンは、触媒を溶かした溶液にアセチレンC2H2を吹き込み、溶液の中で重合させて合成します。白川は、報告されていた方法を紙に書いて渡し、実験を行わせてみました。ところが、でき上がったものは、予期された粉末状の物質ではなく、ラップのようにしなやかで薄膜状の物質でした。原因は、留学生が文献の「m」の文字に気付かず、触媒の濃度を1,000倍にしてしまったことでした。このため、普通は溶液の中でゆっくり進む反応が、溶液の表面で一気に起こり、薄い膜ができ上がったのです。
図.14 筑波大学名誉教授である白川英樹は、ポリアセチレンフィルムを偶然に発見した
粉末状と異なり、フィルム状の高分子なら、様々な物性が測定しやすくなります。しかも、このポリアセチレンフィルムは、金属のような光沢を持っていたので、金属に近い性質があるのかもしれません。白川らは、ペンシルべニア大学との共同研究の中で、ポリアセチレンフィルムにヨウ素I2などのハロゲンを数パーセント添加することによって、電気伝導度が飛躍的に向上することを見出しました。このように、物性を変化させるために少量の不純物を添加することを、「ドーピング(doping)」といいます。電子求引性のヨウ素I2をドーピングすることで、ポリアセチレンからπ電子の一部が取り除かれ、正電荷が発生します。そして、電子がこの正電荷を中和するように移動することによって、電気が流れるのです。発見時には、「流れる電流は微量だ」と予測して、微量な電流が計測できる非常に高価な電流計を購入して使っていたのですが、予想以上の電流が流れてしまったために、爆発音とともに白煙を上げて、大切な電流計が壊れてしまったといいます。白川の共同研究者の第一声は、実験をしていた助手に対して、「何て事をしてくれたんだ!!」という、電流計が壊れたことに対する罵声だったといいます。
現在では、ドーピングの技術の向上により、金属に匹敵する導電性を有するプラスチックが開発され、ATMなどの透明タッチパネルや、電解コンデンサや電子機器のバックアップ用電池、スマートフォンやノート型パソコンに使用されているリチウムイオン電池の電極などに応用されています。導電性高分子は、共役した二重結合を多数持っており、これが導電性を示すと考えられています。π電子が次々と隣の炭素原子に移動することで、電気伝導性を示すようになるのです。白川は、この「導電性高分子の発見と発展」の業績により、2000年のノーベル化学賞を受賞しました。
図.15 導電性高分子であるポリアセチレン
(iii) 生分解性高分子
植物の葉や動物の死体が、自然界でやがて消滅してしまうのは、「微生物」の働きによるものです。この現象を、私たちは「腐る」と称しています。しかし、実際には、微生物がこれらのものを栄養として摂取して、分解している生命の営みです。生体内や自然環境中で微生物により分解され、最終的に水H2Oと二酸化炭素CO2に完全に分解される高分子化合物を、「生分解性高分子(biodegradable)」といいます。
人工合成された高分子化合物は、耐久性や耐薬品性が大きいという長所を持ちますが、廃棄物になると自然界ではなかなか分解されず、環境汚染を引き起こすことが社会問題となっています。日本での年間プラスチック生産量は1,100万tに上り、そのうち900万tが廃棄されています。廃棄されたプラスチックは、回収・リサイクルが進み、埋め立て地も適切に管理されているものの、河川からマイクロプラスチック(長さ5 mm以下の微細なプラスチック片)が検出されるなど、環境中に放出されているプラスチックも多いです。その環境汚染対策の一環として、このような自然界で分解されやすい生分解性高分子に注目が集まっています。
生分解性の合成高分子化合物には、「ポリ乳酸」や「ポリグリコール酸」などがあります。一般的に高分子化合物は、その親水性が大きくなるほど、生分解されやすくなることが知られています。生分解性高分子には、植物に含まれるデンプンを原料とするものが多いです。植物は、光合成をして大気中の二酸化炭素CO2を吸収して成長しているため、使用後に処分する段階で排出する二酸化炭素CO2と差引がゼロになる「カーボンニュートラル(carbon neutral)」な材料といえます。このような生分解性高分子で作られた外科手術用の縫合糸は、傷口が癒着したあと、約3〜6カ月で完全に分解されて消滅するので、抜糸する必要がありません。生分解性高分子は、包装やBB弾といった、使い捨てにされることを前提にして作られたものに適しています。
図.16 生分解性高分子からできたBB弾
(iv) イオン交換膜
「イオン交換膜(ion-exchange membrane)」は、イオン交換樹脂を膜状にしたもので、異符号のイオンの通過を阻止し、同符号のイオンのみを通過させる性質を持ちます。イオン交換膜には、陽イオンだけを通過させる「陽イオン交換膜」と、陰イオンだけを通過させる「陰イオン交換膜」があります。異符号のイオンが通過できない理由は、膜に固定されているイオン基との、クーロン力による反発があるためです。イオン交換膜は、イオン交換樹脂と違ってイオンの交換が目的ではないため、イオン交換樹脂のように再生処理を必要とせず、長時間連続使用できる性質を持ちます。
用途が似ている「半透膜」との違いは、イオン交換膜はイオンを通過させますが、水分子はほとんど通過させない点にあります。一方で、半透膜は、一定の大きさ以下の分子またはイオンのみを通過させる膜なので、ほとんどの半透膜は、水分子が通過できるように作られています。
(v) 吸水性高分子
短時間で、自重の数百倍から数千倍までの水H2Oを吸水・保持して膨らむ高分子化合物を、「吸水性高分子(water-absorbing polymer)」といいます。代表的な吸水性高分子は、アクリル酸ナトリウムCH2=CH-COONaやアクリル酸CH2=CH-COOHに架橋剤を加えて共重合させ、高分子鎖を分子間架橋させた三次元網目構造を持つ「ポリアクリル酸系」の吸水性高分子です。
乾燥状態において、この高分子鎖は互いに絡み合っており、吸水性高分子は高度に結晶化した硬い粒子として存在しています。表層において水H2Oと接触すると、側鎖の-COONaは電離し、高分子陰イオン(-COO- )とナトリウムイオンNa+ を生成します。すると、吸水性高分子内部と外部の間でイオン濃度に差が生じるため、浸透圧が発生して、水H2Oが吸水性高分子内部へと浸透してきます。このイオン濃度差が消失するまで、水H2Oは内部に浸透してくるため、ナトリウムイオンNa+ は水H2Oを取り込む役割を果たしているといえます。一方で、陰イオン化した高分子鎖は、分子鎖間で静電反発を生じ、吸水性高分子粒子を膨張させる役割を果たしています。また、この高分子陰イオンの親水性は、粒子内部への水H2Oの浸透を助ける働きを持ちます。内部へ浸透した水H2Oは、三次元網目構造の中に完全に閉じ込められてゲル化しているため、加圧しても水H2Oは容易には外へ出てきません。
図.17 吸水性高分子は、吸水すると数百倍にまで膨張する
ポリアクリル酸系の吸水性高分子を顆粒状にしたものが、紙おむつや生理用品、保冷剤などに多く使用されています。1 gのポリアクリル酸系の吸水性高分子は、約500 mLの水H2Oを吸収する能力を持ちます。また、ポリアクリル酸系の吸水性高分子のジェルは熱を遮断するので、火だるまのスタントなどにも使われています。しかし、使用後の吸水性高分子は、大量の水H2Oを含んでいることが多いため、使用後の焼却処分には、大量の燃焼エネルギーを必要とし、二酸化炭素CO2排出などの問題があります。埋め立て処理では、生分解性が低いことから、土壌汚染など環境問題の要因となる可能性があります。今後は、新興国で紙おむつの需要が急速に増大することが予想され、生分解性を有する吸水性高分子の開発が必要となっています。
また、ポリアクリル酸系の吸水性高分子は、海水などの高電解質水溶液や酸性水溶液を吸水することを得意としません。高電解質水溶液に対しては、吸水性高分子内部とのイオン濃度差が急激に低下し、吸水量は低下します。例えば、純水では自重の数百倍の水H2Oを吸水しても、塩を含んでいる尿に対しては数十倍程度のものが多いです。また、酸性水溶液中では、高分子陰イオンに水素イオンH+ が付加することで、電気的に中性となり、高分子鎖の静電反発が発生しなくなります。その結果、ゲル膨張が抑制され、吸水性高分子の吸水力が急激な低下を示します。よって、ポリアクリル酸系の吸水性高分子に必要な技術的課題として、生分解性の付与の他、電解質および酸性水溶液に対する吸水性能の改善が求められています。
図.18 乾燥状態と吸水後の吸水性高分子の比較
ところで、納豆に含まれる納豆菌が分泌する粘質物の主成分は、最低でも5,000個以上のグルタミン酸がペプチド結合した「ポリグルタミン酸」という物質です。この納豆のポリグルタミン酸に放射線(コバルト60, γ線)を照射すると、「納豆樹脂」と称されるものができます。納豆樹脂は、1 gでなんと自重の約5,000倍に相当する5 Lもの水H2Oを蓄えることができるといいます。このような納豆樹脂の性質は、例えば、砂漠緑化のための土壌保水剤にも適するのではないかと考えられています。
・参考文献
1) 卜部吉庸「化学の新研究」三省堂(2013年発行)
2) 甲野裕之「水を持ち運ぶ化学―木質を用いた高吸水性樹脂の開発―」化学と教育66巻8号(2018年)
3) 齊藤烈/藤嶋昭/山本隆一/他19名「化学基礎」啓林館(2012年発行)
4) 佐藤健太郎「世界史を変えた新素材」新潮社(2018年発行)
5) 芝原寛泰/後藤景子 共著「身の回りから見た化学の基礎」化学同人(2010年発行)
6) 白川英樹「導電性高分子の発見と導電機構」化学と教育67巻2号(2019年)
7) 船山信次「こわくない有機化合物超入門」技術評論社(2014年発行)
8) 宮沢哲「天然繊維と合成繊維の化学―自然界からの恵みと, 科学技術の成果―」化学と教育66巻9号(2018年)
9) 山北篤「現代知識チートマニュアル」新紀元社(2017年)