・DDTの科学


【目次】

(1)「沈黙の春」でやり玉にあげられたDDT

(2) DDTの復活


(1)「沈黙の春」でやり玉にあげられたDDT

 1962年、アメリカの生物学者であるレイチェル・カーソンは、著書「沈黙の春」の中で、農薬で利用されている化学物質が引き起こす「環境問題」に警鐘を鳴らしました。カーソンは、「ジクロロジフェニルトリクロロエタン(dichloro-diphenyl-trichloroethaneDDT)」を始めとする農薬などの「化学物質の危険性」を、「鳥達が鳴かなくなった春」という出来事を通して、世間に訴えたのでした。米国農務省は、「沈黙の春」が出版される数年前から、「水質汚染」を理由に、農薬の使用に若干の制限をかけていましたが、カーソンの「沈黙の春」は、最終的に地上から殺虫剤をなくそうという運動に火をつけました。

 

レインボーアイル (RAINBOW AISLE) ٹوئٹر پر: "5/27は、レイチェル カーソン (Rachel  Carson)さんのお誕生日。アメリカの生物学者。農薬の危険性を説いた著作『沈黙の春』などで知られ、環境保護問題を語る際には欠かせぬ存在として、アースデイ誕生のきっかけに。私生活  ...

.1  レイチェル・カーソンは、1960年代に環境問題を告発した生物学者である

 

 「明日のための寓話」と題された第1章は、平和な描写から始まります。――「かつて、アメリカの奥深くに1つの町があった。そこでは、あらゆる生物が周囲と調和しながら生きていた」。町には、「豊かな農場と穀物畑、それに果樹園の丘」があった。町は、「緑の野原の上に白い花の雲がたなびく」場所だった。町は、「鳥たちが多く、種類も豊富なことで有名だった」。しかし、遠くから黒い影が忍び寄ってきた。「それから異変が一帯を襲い、すべてが変わり始めた。ニワトリの群れに謎の病気が広がり、ウシやヒツジの具合が悪くなって死んだ。道端には、まるで焼き払われたかのように茶色くなってしおれた草木が並んだ。小川に生命の気配はなく、あらゆる場所に死の影がさしていた」。特に、この奇妙な災厄の犠牲になったのは、鳥たちだった。「鳥たちは、どこへ行ってしまったのだろう?裏庭の餌場にやってくるものはなく、どこかで見かけるわずかな数の鳥は死にかけていた。彼らは激しく体を震わせ、飛ぶことができなかった」。かつて町では、「夜明けとともにコマツグミ、ネコマネドリ、ハト、カラス、ミソサザイを始めとする色々な種類の鳥たちの声が響き渡っていたが、今では聞こえる音もなく、沈黙があたりを支配している」――。

「沈黙の春」は、発売されて半年で50万部も売れ、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストで31週間に渡ってトップを維持し続けました。本が売れたのは、米国内だけではありませんでした。「沈黙の春」は、22カ国語に翻訳されて国際的なベストセラーになり、「現代の世界に最も強い影響力を持つ本」といわれるようになりました。日本でも、1964年に新潮社から「生と死の妙薬-自然均衡の破壊者<科学薬品>」という題名で、日本語訳されて出版されています。

 

.2  「自然は沈黙した。薄気味悪い。鳥たちはどこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感に怯えた」(沈黙の春の有名な一節)

 

DDT」という化学物質は、1873年にオーストリアの化学者であるオトマール・ツァイドラーによって、初めて合成されました。しかし、当時は、DDTの「殺虫作用」は明らかになっておらず、それから長きに渡って放置されてきました。そして、第二次世界大戦中の1939年に、スイスのJR・ガイギー社で働いていた化学者のパウル・ヘルマン・ミュラーによって、その優れた「殺虫効果」が発見されました。当時、蛾による毛皮や毛糸の食害が問題になっており、ミュラーは蛾に対する有効な「殺虫剤」となる成分を探っていました。ミュラーは、「虫が薬を食べなければ死なないというのでは効き目が弱い。虫の体に付いただけで、麻痺させるような殺虫剤は作れないものか?」と考えました。そして、あらゆる天然物質や合成物質を調べ、DDTの殺虫効果を発見したのでした。

DDTは蛾を殺すだけでなく、ハエや蚊、シラミ、ノミ、ダニなど病気を媒介する多数の昆虫に有効でした。従来の殺虫剤は「経口摂取」に頼っていましたが、DDTは昆虫の体表に触れるだけで「接触毒」として作用するので、その殺虫効果は絶大でした。DDTは安価であったため、使用開始からわずか30年の間に、全世界で300t以上が散布されました。これは、地球表面がすべてうっすらと白くなるほどの量です。ミュラーはこの功績によって、1948年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。ノーベル賞を贈られた輝かしい前半と、製造・使用が禁止されてしまった後半を見ると、DDTという物質のたどった運命は、現代の科学技術の功罪両面を象徴する典型といえるかもしれません。

 

.3  DDT」は、有機塩素系の強力な殺虫剤である

 

かつて、日本はキク科の多年草である「除虫菊(シロバナムシヨケギク)」の世界的な生産国でした。除虫菊は、地中海原産の白い花を咲かせる植物で、子房の部分に殺虫作用のある「ピレスロイド」が含まれています。ピレスロイドは、「哺乳類」や「鳥類」に対する毒性が低く、「昆虫」や「両生類」などに対する毒性が強いという特徴を持ち、「人畜防虫剤」として有用です。1895年、大日本除虫菊株式会社の創始者である上山英一郎は、この除虫菊を使って、渦巻き型の「蚊取線香」を発明しました。渦巻き型は、実は長さが90 cmほどもあり、約9時間の燃焼時間があります。就寝中に消えてしまうことはないと評判になり、1905年には、日本のみならず、海外にも販売するほどの大ヒットとなりました。

 

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.4  上山英一郎は、この「除虫菊」を使って、渦巻き型の「蚊取線香」を発明した

 

アメリカでも、日本の蚊取線香は「モスキートコイル」の名で人気を博していましたが、第二次世界大戦が始まると、日本からの供給が途絶えてしまいました。そこで、アメリカが目を付けて、実用したものが「DDT」です。非常に安価に大量生産できる上に、多くの昆虫に対して少量で効果があり、ヒトや家畜に無害であるように見えたため、爆発的に広まりました。特にアメリカでは、マイマイ蛾が大発生したこともあって、ヘリコプターを使って、市街地に大規模にDDTを散布したこともありました。

 

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.5  アメリカでは、ヘリコプターを使って大規模にDDTを散布することもあった

 

1943年に英米軍がイタリアのナポリを占領したとき、発疹チフスが大流行していました。発疹チフスは、コロモジラミが媒介して感染が広がります。発疹チフスの病原菌を持ったシラミは、皮膚の上に糞をします。その後、激しいかゆみが生じ、菌が皮膚から血管に侵入し、悪寒、発熱、頭痛、発疹を引き起こし、昏睡や死に至ります。戦争に不衛生はつきものです。第二次世界大戦中は、戦闘よりも発疹チフスによる死者の方が多かったといいます。このとき、病気を媒介するシラミを撲滅するために、DDTが大量に使われ、流行を止めることができました。

第二次世界大戦で敗けた日本でも、DDTが大量に散布されました。シラミ、蚊、ハエが悪い衛生状態の下で発生し、病気の流行が心配されたからです。アメリカ軍の指示で、日本人は体が真っ白になるほど大量のDDTを頭から振りかけられました。空襲により街が破壊され、衛生状況の悪くなった当時の日本では、発疹チフスにより数万人規模の死者が出ると予想されていましたが、DDTの散布によって予防に成功。1950年代には、日本で発疹チフスは見られなくなりました。

DDTは戦後の日本だけではなく、発展途上国などでも広く使われました。DDTの使用によって、黄熱病やチフス、マナリアなどの「病原体」を媒介する蚊やシラミなどを駆除することができ、DDTは昆虫を原因とする「感染症」の撲滅に一役買ったのです。DDTの「殺虫作用」を発見したミュラーが、1948年のノーベル生理学・医学賞の対象になったのも、「発展途上国の疫学的問題を解決した」ということが主な理由です。

 

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.6  戦後の日本では、病気を媒介するシラミを除去するために、DDTを子供たちの頭に振りかけた

 

 しかし、「魔法の薬」とも思われたDDTの栄光は、そう長くは続きませんでした。1962年に刊行されたレイチェル・カーソンの「沈黙の春」が、その契機となりました。カーソンは、DDTなどの有機塩素系殺虫剤が、生態系に悪影響を及ぼしていることを指摘しました。これらの殺虫剤は、食物連鎖によって昆虫を食べる鳥の体内に蓄積し、鳥たちを死に追いやっていると訴えたのです。カーソンは、米カリフォルニア州のクリア湖で、ブユなどの昆虫が大量発生した際に駆除用に散布された「ジクロロジフェニルジクロロエタン(dichloro-diphenyl-dichloroethaneDDD)」が、生物濃縮によってカイツブリの体内で濃度が環境中の178,500倍にもなり、大量死を引き起こした事例を挙げています。ちなみに「DDD」は、「DDT」とよく似た有機塩素系殺虫剤です。

 

.7  カイツブリの親子

 

これを受けて調査が行われた結果、「カワウソの消滅」、「ワニのペニス異常」、「アザラシの免疫機能低下」など、野生動物に様々な異変が起こっていることが、次々と報告されました。さらに、「長期に渡る環境への残存性」、「ヒトに対する発ガン性」などが次々と指摘され、一気に「DDT禁止運動」は加熱していきました。その後、水や食品、南極の氷に至るまでDDTが検出され、さらに人間の母乳までもが汚染を受けていることが分かって、DDT1968年にその使用が全面禁止されることとなりました。この後、1990年代に入って、さらにDDTには「内分泌攪乱作用」があるのではないかという疑いが持たれ、かつての妙薬のイメージは、これ以上落ちようがないというところまで落ちてしまったのです。

 

(2) DDTの復活

 しかし、最近の研究によれば、DDTは、少なくともヒトに対しては、「発ガン性」がないということが分かっています。また、「環境残存性」に関しても、普通の土壌中では、細菌によって2週間程度で分解され、海水中でも、1カ月で9割が分解されることが分かっています。さらに、「内分泌攪乱作用」については、現在では人体に対して、ほぼ心配ないということが明らかになっています。実際、戦後に頭からDDTの粉末を大量に被っていた子供たちは、現在も元気に生きています。

また、当時、オスのワニが生まれなくなった要因を、DDTに求める記述もありました。しかし、ワニの性別は、卵の置かれた地面の温度で決まるため、その指摘自体が誤りではないかと考えられています。例えば、ミシシッピワニの場合、30℃以下ではすべてメス、33.5℃以上ではすべてオス、その間の温度ではオスもメスも生まれるという具合です。これは、寒いときは移動せずにその場で卵を産めるメスが有利、暖かいときは動き回って遠くのメスと交尾できるオスの方が有利だからです。危険性を訴える研究に対して、こうした研究は話題性に欠けるため、メディアで大きく扱われることがほとんどないので、世間にはあまり知られていないのです。

 

アメリカアリゲーター - Wikipedia

.8  ミシシッピワニは、性染色体を持たず、発生時の温度によって性別が決まる

 

 ハマダラカに刺され、マラリア原虫が肝臓や血液中に侵入することで感染するマラリアは、高熱、強い悪寒、出血、見当識障害を引き起こし、やがて死に至る恐ろしい病気です。現在でも、毎年数十万人の人が、マラリアによって命を落としています。死亡者の90%以上が、サハラ以南のアフリカに集中しており、そのほとんどが5歳未満の子供です。その他、アジアや南太平洋諸国、中南米でもマラリアが流行しています。

カーソンが「沈黙の春」を出版した1962年の時点で、マラリアを抑え込むための最大の武器は、何といってもDDTでした。例えばスリランカでは、1948年から1962年までDDTの定期散布を行い、それまで年間250万を数えたマラリア患者の数を、31人まで減少させることに成功しました。しかし、DDTが「環境を守る」という名目の下に禁止されてからわずか5年のうちに、もとの年間250万人まで逆戻りしています。インドでも、1952年から1962年までのDDT散布により、年間のマラリア発生件数は1億件から6万件に減少しました。しかし、DDTが使用できなくなった1970年代後半には、600万件に増加しています。

恐らく、人類を最も多く殺戮してきた感染症はマラリアです。つまり、マラリアを媒介するハマダラカを駆除してきたDDTほど、人命を救った物質はないといえます。米国科学アカデミーが1970年に行った試算によれば、DDTによって救われた人命の数は5億人以上ともいわれており、これはどんな化合物をも上回るものです。その「利益」と「リスク」を総合的に考えた際、これほど安価で高い効果を挙げていたDDTを、本当に全面的に使用禁止する必要があったのかと、疑問に思います。特に、経済的にも工業的にも弱体である発展途上国では、安価なDDTに代わる殺虫剤を調達することは困難であり、「パラチオン」などのDDTよりも毒性が強いことが判明している農薬が、仕方がなく使用されている実態もありました。

 

.9  「パラチオン」は、非常に強い毒性を持ち、日本を含む主な先進国では、使用が禁止されている

 

 このため、2006年に入り、遂にWHO(世界保健機関)は、「発展途上国において、マラリア発生のリスクがDDT使用によるリスクを上回る場合、マラリア予防のためにDDTを限定的に使用することを認める」という声明を発表したのです。しかし、この発表には、いくつかの環境保護団体が、猛抗議をしています。「DDTの散布によって多くの昆虫が死に、それを食べる鳥や動物の餌を失わせる。また、DDTの発ガン性や内分泌攪乱作用についても、完全に疑いが晴れた訳ではない」というのが、彼らの主張です。それに対して、WHOは、「少量のDDTを家の壁などに噴霧しておく」という使用法を奨励しています。このようにすれば、環境中にDDTが放出される心配はなく、効果的にハマダラカを殺して、マラリアの蔓延を抑えられます。また、たとえDDTに発ガン性があったとしても、この使用法では、人体に取り込まれる量は極めてわずかです。DDTが原因でガンになる人よりも、マラリアで死ぬ人の方が、何桁も多いと見込まれています。DDTほど安価で、持続性に優れ、効果の高い殺虫剤は他にありません。

 

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.10  ハマダラカによって、世界では年間2億人以上の人が、マラリアに感染している

 

 このように、DDTの使用を全面的に禁止した結果、多数のマラリア被害者と、DDTよりも危険な農薬による大きな被害が発展途上国で発生しました。作家のマイケル・クライトンは、「DDTの禁止は、20世紀の米国において最も恥ずべき出来事の1つだった」と述べています。特に欧米などでは、近年カーソンへの批判の声が強まっています。しかし、それはやや結果論的な批評でもあります。それまでは、生態系などへの環境に対する影響自体が軽視されており、環境と人間との関わりから、「環境問題の告発」という大きな役割を果たし、人間が生きるための環境をも見据えた「環境運動」への先駆けとなった功績は、やはり評価されて然るべきでしょう。ただし、「DDTの使用禁止」を世間に訴えるに際して、そのことが「発展途上国」にどのような影響を与えるのかを、カーソンはもっとよく考えておくべきだったとも思います。環境とは、「自国や自分だけの健康が守られれば良い」という訳ではないでしょう。DDTが排斥されてから、発展途上国に住む何億人もの人が、「先進国の環境を守る」という名目の下にマラリアで死亡し、また現在も死に瀕しています。

 なお、一般的には、カーソンの主張したことが「DDTの全面的な使用禁止」であるとされていますが、それには誤謬があります。カーソンがDDTなどの大量使用に警告を行った理由の1つは、「農薬などのマラリア予防以外の目的でのDDTの利用を禁止することにより、ハマダラカがDDTに対する耐性を持つのを遅らせるべきである」という内容だったのです。カーソンも、ハマダラカに対するDDTの「利益」に対しては、一定の評価を与えていたのです。先進国でマラリアを撲滅できたのは、公衆衛生や住居の改善、湿地帯に住む人の減少や湿地帯の排水、抗マラリア薬がどこでも入手可能になったことなど、様々な理由があります。その最終ステップにDDTの散布があり、ハマダラカがDDT耐性を獲得する前に撲滅できました。

 現在、マラリアが猛威を振るう地域の多くでは、DDT耐性を獲得したハマダラカが現れています。湿地帯にも多くの人が住むことで、生態系が変化し、ハマダラカやその幼虫を食べる生物種が減少していることが原因です。さらに戦争や公衆衛生の低下、抗マラリア薬に耐性を持つマラリア原虫の増加があります。もはやDDTの散布だけでは、直接の解決策にはなり得ないものになっているのです。農薬や殺虫剤の開発と耐性を持つ昆虫の登場。これは、現在にも続いているいたちごっこです。


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・参考文献

1) 佐藤健太郎「化学物質はなぜ嫌われるのか」技術評論社(2008年発行)

2) 左巻健男「絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている」ダイヤモンド社(2021年発行)

3) 鈴木勉「毒と薬【すべての毒は「薬」になる!?】」新星出版社(2015年発行)

4) 武田邦彦「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」洋泉社(2007年発行)

5) 船山信次「こわくない有機化合物超入門」技術評論社(2014年発行)

6) 船山信次「毒の科学-毒と人間のかかわり-」ナツメ社(2013年発行)

7) ポール・A・オフィット「禍いの科学 正義が愚行に変わるとき」日経ナショナルジオグラフィック社(2020年発行)

8) 薬理凶室「アリエナイ理科」三才ブックス(2012年発行)

9) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書」三才ブックス(2004年発行)

10) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書UB」三才ブックス(2006年発行)

11) 薬理凶室「アリエナイ理科ノ教科書VC」三才ブックス(2009年発行)

12) 山口幸夫「理科がおもしろくな12話」岩波書店(2001年発行)